モノポリーシリーズ アイネクライネ

3

 比湖藍音は、あの日の夜から自分の不甲斐なさに自己嫌悪に陥る羽目になった。
 あの日、水偉志朗に助けられ、結果として志朗とセックスをする羽目になってしまったのだが、よくよく考えたら意味はないと藍音は思った。
 けれどそれは違ったのだ。
「藍音さ、坪倉のこと振ったの、あの水偉とかいうやつと付き合っているからだったのか」
 と、友達である水嶋に言われた。
「え、何でそれ……」
 水嶋は同じ講義を取っているものが多く、自然と顔を合わせるようになってからは、飲みに行ったりもしていた。当然、あの日も水嶋は一緒にいたのだけれど、置いて行かれたせいで散々な目に遭ったのを藍音は恨みに思っている。
「ああ、何か水偉とかが言い回っていたらしい」
「……あの男……っ」
 どうやら先回りをして志朗が藍音の大学でその話を出したらしく、それが一気に広まって水嶋の耳にも入ったというのだ。
「それって嘘だよね?」
 そう言われても嘘とも言えない藍音は、顔を赤くして返答に困った。
 付き合っているわけではないが、セックスはした。それは事実で、さらには面倒なことが藍音には関わっている。
 そう坪倉のことだ。あの男は藍音をつけ回し、一晩経った後、藍音がタクシーで自宅に戻ったところまで付けてきていたのだ。
 もちろん藍音の自宅は大きな豪邸で、入り口から監視カメラが付いているし防犯もしっかりしており、高い塀で囲まれているから入り込むことは不可能だった。
 藍音は家族に理由を話して警備を増やして貰い、家の中は取りあえず安全になった。大学までも自宅の車で送って貰うことにして坪倉のことは警戒し、もし次に何か接触があった場合は警察への相談もすることになっていた。
 だから志朗にそれを報告したのだが、志朗はならばと藍音に提案をしてきた。
「どうせだから事件が解決するまで、俺のことを恋人扱いでいた方がいいな」
 そう言われて藍音はその必要はないと言うのだが、それに家族の方が志朗の提案に乗ったのだ。
「そうだ、どうせなら藍音には恋人がいて将来を約束しているということにすれば、家族ぐるみで付き合っている男を差し置いて自分がなどと言う男はなかなか現れはしないもんだ」
 妙に理解のある親であるが、その親の言う通り、親公認の仲を切り裂いてその地位に寝取った相手が座ることなどできるわけもない。まして坪倉はただ藍音とセックスがしたいだけなので、藍音と付き合う気は一切ないと思う。
 そして芸能活動を捨ててまでの覚悟もない。
 ここまで徹底した設定で挑めば、相手もさすがに引くだろうし、幸い藍音にも志朗にも今は付き合っている人もいない。
 当面、一年くらいこのままでいけば、志朗は四回生なので就職をするから、その時に別れたということもありになる。
 どうやら志朗は海外勤務のある商社に入社をしたいらしく、その系統である藍音の会社にも面接に来ていたから、水偉志朗の資料は両親にも手に入れられた。
 なのでその優秀さを持つ志朗の背景から両親はまだあったこともない志朗を信用して、その好意に甘えようと言い出した。もちろん、その代償に志朗の進路先である会社には採用を早々に決めている。
 藍音がどう返答していいか迷っているうちに、外堀を埋められ、藍音はそれを断るための代案すら浮かばす、その設定で強行することになってしまった。
 どうやら両親は藍音の足の付いていない生活にも危機感を持っているようで、落ち着かせるためにも志朗との関係を深めてくれれば良いとさえ思っているようだった。
 もちろんその案に乗るわけにはいかないが、その設定で後一年を過ごすことには反対できなかった。
 坪倉は両親から直々に警告を出したけれど、それをのらりくらりと逃げ、藍音に興味はないと言いながら藍音の自宅付近を彷徨いている始末だ。
 特に接触はなく家の周りを歩いているだけでは、警察には不審者として届けるのも弱く、たまたまではあるが坪倉のアパートも近くにあるため、歩いているだけという理由がまかり通ってしまうのだ。
 引っ越してしまうことも考えたが、それでは坪倉も近くに引っ越し直して付いてくるだけだと思い、自宅にいる方が車を使っての移動ならば接触はしないし、警備はいるしで、都合はこっちにもよかった。
 そう言うわけで藍音と志朗は付き合っている設定になっているから、藍音もそういう態度でいなければならない。
 はっきりと付き合っていると言えずに、藍音が顔を赤くするのは、志朗と寝た事実があるからだ。志朗の名前を出されるとどうしてもあの夜を思い出して動揺する。
 甘く、優しく、そして心を奪うような丁寧でしっかりとした志朗からの少しの愛情を感じた。それがどうしても未だに熱いのだ。
 そんな藍音の反応を見たことがなかった水嶋が驚いた顔で藍音を見て言う。
「え、マジ? マジで? え、恋愛懲りたって言ってなかった?」
 水嶋は藍音が数ヶ月前に三股の末に振られた事実を知っているし、藍音が当面恋愛は勘弁と言っていたのも知っている。だからそれを隠して誰かと付き合っているなんて信じられないのは仕方ない。
「え、その志朗ってやつ、どこで知り合いに?」
「……その、三股された人と知り合いの人」
それは事実なので辻褄は合わせやすい。
「それって壱伽って子の?」
「そう、その高校時代の先輩だって……それで時々、会ってたから」
 一応の流れとしては、藍音と志朗は時々会っており、何回か食事もして、そこに両親まで入ってきて気付いたら家族との公認になっていたということだ。
 ただ身体の関係になったのは最近のことということにした。
 その方が初々しさが出ていいだろうと志朗が言ったからだ。
「マジか……そういや最近、藍音、秘密主義的なところあったしな。まさかそれで?」
「うん、まあ、ちょっと警戒していたのもあるし……その悪かった隠してて」
 藍音がそう言うと水嶋はヘラヘラと笑ってから言った。
「じゃあ、昨日のあいつらの気遣いは無駄だったわけだ?」
 そう水嶋が言うので、藍音はそれについても話した。
「それなんだけどさ。その後ちょっと揉めちゃってさ」
 藍音はそういい水嶋に昨日の経緯を話した。
志朗と待ち合わせをしていたこと以外は全部事実で、坪倉による言葉の暴力によって藍音が今も坪倉に付き纏わられていることは本当に困っていることなので、それだけはちゃんと告げた。
「え……坪倉ってそんなヤツだったんかよっ!」
 さすがに藍音が受けた暴言の数々に、気軽に藍音と二人っきりにしたことを水嶋は後悔したらしい。
「……というか、あんまり知らない人と置き去りにされるとは思ってなかったから……びっくりして……たまたま待ち合わせ場所が近かったから志朗が迎えに来てくれてなきゃ……どうなってたか……」
 本当に志朗がそこにいなかったら、下手すれば殴り倒されてその辺りの暗闇で犯されたかもしれない。
 藍音はそれを思い出して改めてゾッとする。
「それは、わ、悪かった……酔ってて悪乗りした……」
 水嶋もとんでもないことに藍音を巻き込んだことは反省をしてくれた。
「じゃあ、坪倉のこと皆に知らせなきゃ……」
 水嶋はその場で、藍音と坪倉の関係を面白がって進めようとした飲み会の仲間に坪倉による暴言と暴力について報告すると、さすがにバツが悪かったのか、覚えてないと答える人や、そもそも坪倉と友達でもないと言い出す人まで出てきてしまった。
「そもそもバーでの飲み会って誰が集めたんだ? 僕は水嶋に誘われたけれど、水嶋は誰に?」
「あー、脇山だったな。脇山は戸松さんって言ってたと思うけど……それで行ってみたら、ほぼ知ってる人で坪倉だけは俺は知らなくて、それで誰なんだって聞いたらモデルだとか言われて……結局坪倉を誰が誘って何でいたのか分からないっぽいんだ」
 おかしな話であるが、皆自分が集めたわけではないと言う。
「どういうこと?」
「つまり、俺らの仲間は他の誰かの連れだと思っていたけど、その誰でもなかったってこと。更に飲み会自体、いつの間にか集まることになってて、誰が最初に企画したのか分からない」
 そう水嶋が言うので、藍音も意味が分からなくなった。
「それって……どういう……?」
 藍音がそう言った時に藍音の後ろから声が聞こえた。
「つまり、元々坪倉が藍音に近づくために計画をし誰も言質も取らないうちに飲み会の話をでっち上げ、その話をたまたま聞いた仲間が勝手に集まってしまったと」
 その声に驚いて藍音が振り返ると、志朗がそこに立っていた。
「え、あ、志朗……何でここに?」
 元々大学が違うのだから大学内で会うことはない。
 同好会関係なら尚更、本堂の方で会うことはないのだが、志朗はしれっと言う。
「藍音の忘れ物を持ってきた。ほら、ハンカチ忘れてただろ?」
 そう言って取り出されたハンカチは藍音のモノではない。見覚えもなかったけれど、藍音はすぐに察してそれを受け取った。
「あ、悪い……わざわざ」
「いえいえ、どういたしまして。それで、その話だけど詳しく聞いていい? えっと水嶋くんだよね、藍音の友達の」
 そう志朗が水嶋に言うと水嶋は驚いた顔のまま固まっていたけれど、それを無視して志朗が続ける。
「藍音の恋人の水偉志朗です、よろしく」
 はっきりと志朗がそう言うから、水嶋もハッとして手を差し出した。
「ああ、知ってる、さっき聞いたばかり……えっと違う大学だっけ?」
「そう、それでちらっと聞こえたところによると、君らの仲間は騙されて集まったことになるわけだけど、その最初に話を聞いたという人くらいは行き着くんじゃないか?」
 志朗がそう指示をして、水嶋は慌てて話をまとめるためにメモを広げた。
「えっと俺は脇山に聞いて、それを藍音に伝えた。脇山は戸松に話を聞いて、戸松は田平に……それから田平は野辺にで……」
 話をまとめていくと、最初に話を聞いたのは二人だった。
「入山と武富だ」
 入山は食堂で脇山たちが飲み会をするという話を隣の席の雑談から聞いて野辺に飲み会をするなら俺も誘ってくれと言い、話が回ってきたら日時を押して貰うことにした。
 そして武富もまた飲み会の話を別の会話から聞いた。
 それは具体的な話で、飲み会場や飲み会の会費の話、全員が集まるらしいという話を聞いて野辺にこういう飲み会があるなら俺も行くぞと言ったという。
「つまり、詳しい日程の話を聞いた武富の話を鵜呑みにした野辺がそれを全員に伝えたと?」
「そういうことみたいです」
「それじゃ、会場や人数分予約をしたりした人はいないってことか。急に現れた坪倉は誰に付いてきたんだ?」
 志朗が尋ねると水嶋は覚えていることを言う。
「あの時は普通に店に入ったら、確か野辺の名前で予約が取れてて、野辺は誰だよ俺の名前でと笑ってたけど、いつも野辺が幹事をするから皆はてっきり野辺の冗談だと思って……それでそこに坪倉が挨拶をして……」
 水嶋がそう言ったので、藍音も頷く。
「そう、急に俺は坪倉だって言って、飲み会初参加ですがよろしくって。その時は脇山の横にいたからてっきり脇山が連れてきたのかと……」
 藍音が言うと水嶋も頷いた。
「俺もそう思った。けど脇山は他の誰かが連れてきたと思ってたみたいで」
 いつの間にか自然に交わり、まず脇山の隣で飲み話を弾ませ、そして周りに浸透していったのが今回の流れだ。
脇山はよく仲間以外の人も連れてくることがあり、そのまま居着くかはその人次第で、その関係で仲間になっていった人も多い。藍音も水嶋も脇山の知り合いからの仲間なので、いつものことだと思っていたのだという。
「その中で話してないの僕だけだけど……」
藍音は手を上げて言う。
 藍音は常に水嶋の隣で話していたし、水嶋がいない時は脇山の隣に移動をしていたから、坪倉については水嶋に話を聞いただけで本人とは話してはいなかった。
「で、総合すると、君らは何も手配もしていないのに、店の予約や幹事まで決まってたって。それ、君らのいつもの行動を利用した、坪倉が藍音に近づくために用意した舞台だったってわけだ」
 志朗がそう言うので、藍音は身体を震わせて志朗の腕を掴んだ。
 志朗はそんな藍音の手を撫でてから言った。
「舞台を用意するだけで誰も怪しまず、挙げ句、坪倉の目的通りに君らは藍音を差し出したわけだ。あんな危険な男に」
 よく知りもしない人に仲間を差し出して消えたせいで、藍音が危険な目に遭ったのは事実だ。
 確かに水嶋も被害者だったが、藍音に関しては違った。
「悪い! 本当にごめん! 俺ら何も考えてなかった!」
 水嶋は自分がどれだけ軽率な行動を取っていたのかを理解して本気で藍音に謝った。
 ここまで危険な相手に藍音を委ねて、平然と二次会で盛り上がっていた自分たちを呪いたいくらいに後悔をしている。
「いや、水嶋も皆も騙されただけだから、それは謝ってもらってもどうしようもないけど。次から僕の意思を無視した強引な手は本当にやめてくれ……本気でどうしようなく迷惑だったんだ」
 藍音がそう言うと水嶋はそれで更に反省をした。
 藍音の言う通り、周りが勝手に盛り上がって恋人がいない藍音を励まそうとしたのだろうが、それは藍音の意思を無視したことで、挙げ句それが危険なことに繋がりそうだった事実は消えない。
 水嶋の反省から脇山や戸松やらと次から次に藍音に謝りに仲間がやってきた。
 一緒に飲んでいた中で、武富と入山だけは謝りには来なかった。
「大げさすぎる、ただ飲み会を開いただけじゃん。暴言って言うけど、藍音ってそういうところがあっただろ? 気を引くようなことやったんじゃないの?」
 というのが二人の反応だった。
 もちろん、藍音がそんなことをした事実は一切ない。
 それは他の仲間も知っていたけれど、二人はそこは譲らないらしい。どうやらゲイである藍音に対して良い気分はしないことや、ゲイがいるだけで白けるとまで言い切ってしまい、そこで武富と入山は仲間から外れてしまった。
「あんなこと思っていたなんて……」
「信じらんねえよ、あいつら」
 脇山も怒りを覚えたらしいが、戸松は気持ちは分かると言う。
「俺らって、ただ飲み会で繋がってるだけで、普段から一緒に遊んでいる仲でもないじゃん。だから飲み仲間を変えるだけでいいなら、不快な方を切るのもありだと思う。あいつらが離れたいと言うなら、それはそれで俺は歓迎だよ。元々偏見と悪口が多かったし、俺はあの二人は好きじゃなかったから別にって」
 冷めた戸松であるが、藍音には優しい人だった。
 こんな人が少しの怒りを持っているのを見るのは初めてで藍音も戸惑った。
「藍音は大変な目に遭ったね。大丈夫だったことは幸いだったけれど。僕らも気をつけるけれど、君も気をつけないといけないよ。ただでさえ、前回痛い目を見てるわけだしね」
「はい、気をつけます」
「それで、水偉志朗くん、君は藍音の絶対的な味方だよね?」
 藍音の側で大人しくしている志朗だったが、それを聞いてにこやかに笑った。
「もちろん、そのつもりですよ」
 それは藍音の親とも約束したとおり、藍音と一年間恋人を通すという約束を意味していることを藍音は察する。
その察したことに関して、何だか寂しいと思ってしまう自分がいることに藍音は少しだけ戸惑った。

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