モノポリーシリーズ 彼方のエレジー

5

「……し、き?」
 思わず名前を呼んでしまった陽琉であるが、その獅來は一瞬だけ陽琉に視線を向けた後にすぐに中塔に向き直った。
「いてぇーっ! なにしやがるっ」
 中塔が叫んでいて陽琉はハッと我に返る。
「うるせえよ、とっくに関係が切れてる元恋人にセックスを迫って断られたから逆上かよ」
「は、関係ないだろっ!」
「関係はある。俺はこの人に惚れている。お前みたいな節操がないクソ野郎をこの人に近付けるわけにはいかない」
「なんだそれ、恋人じゃないなら、てめーこそ振られてんだろうが」
「振られてないから大丈夫。お前には関係ないし、お前こそ、唾吐けようとした子に手を出しかけたら、別の男に掻っ攫われて恥じ掻いた腹いせに、この人に手を出そうとしてることくらい、界隈では有名になってるぞ」
「……なっ!」
どうやら獅來が言う通りに中塔の噂が出ており、それによって中塔が追い詰められているらしい。
「それ本当?」
 陽琉はその辺の事情は知らないのでそう尋ねると獅來は頷いた。
「ああ、本当だ。こいつ壱伽にもちょっかいかけて宮辻に殺されかけてた。中には被害届出した人もいるらしいけど? どうする? このままここで騒ぎを大きくする? 人は少ないけれど監視カメラでばっちりあんたが先に手を出したことは証明できるし、あんたがこの人に付きまとうためにそこらで隠れていたのも、わざわざ宮辻の携帯盗んで情報抜いたことも、分かってるんだけどな」
 獅來がそうはっきりと中塔に言うと、中塔はさすがにマズイと思い始めたのか、逃げ腰になる。
「は、はなせっ!」
「離してやるが、二度とこの人に近づくな。次は日本にいられなくしてやるから覚えておけ」
 そう本気で獅來が脅していると、その本気度に中塔は怯えて何度も頷いた。
 手を獅來が離すと全速力で中塔は逃げていった。
 その足の速さに陽琉は唖然としながらも、やっとホッと息を吐いてから、また体が緊張をした。
 後ろから獅來が陽琉を抱きしめてきたのだ。
 獅來は陽琉を抱きしめ、しっかりと強く抱いた後、スッとその手を離した。
「大丈夫か?」
 獅來のその声に陽琉はゆっくりと獅來の方を振り返った。
 獅來はきちんとした黒のスーツ姿でコートも黒いものを羽織っている。眼鏡の黒枠の物をかけていて、あの時とは違った。
 けれどその視線だけは、最初から変わらずの熱を持っている視線で、陽琉はそれだけで察した。
 どういうわけか分からないが、まだ獅來は陽琉のことを諦めたわけではないようだ。
「……大丈夫、ありがとう」
 何かされるまえに助けられたのは事実で、それに礼を言うのも当然だった。
 中塔の今更な言葉に苛ついて煽った結果、暴力を振るわれそうになったのは自分の不注意でもある。
「無事、ならいい……久しぶりに近くで見られてよかった」
 獅來はそう言うと、あの時の激しさは何処にいったのか分からないほど、静かにホッと息を吐いてから去って行こうとしている。
 陽琉はその獅來の去って行く手を握って思わず引き留めてしまった。
「……あ、の」
「……」
 引き留められた獅來は驚いていたし、引き留めた陽琉もまた自分で驚いていた。
 そこに何かあったのか分からないけれど、このまま獅來が去ったら二度と会わないで終わってしまうのだと思ってしまったのだ。
 それは何だか違う気がして、陽琉は言っていた。
「ちょっとお茶をしよう……その、お礼に」
 そう陽琉が言うのだけれど、獅來は言った。
「無理はしなくていい」
「……え?」
「俺のこと、怖いでしょ? だから無理しなくていい。今日はたまたま近くにきたから偶然通ったけど、会えて顔が見られてよかった」
 獅來はそう言うと、陽琉に手を離すように促してくる。
 それに陽琉は少し苛立った。
「なんだそれ、僕はお前のせいで、大変なことになってるのに……お前は平然として……なんだよそれっ!!」
 陽琉は獅來に対して怒りを露わにする。
「お前のせいで僕は日本にいられなくなったのに! お前は平然として俺を助けたり、偶然とか言ったり! なんでだよっ、お前はどうして僕のことを困惑させるんだっ! 僕から全部奪っていったくせにっ! お前のせいでっ!」
 陽琉はこれまでに獅來によって人生が狂ったのは事実で、それに対して不満が出るのも仕方なかったけれど、これは多分八つ当たりだ。
陽琉が混乱して叫ぶと、獅來はそんな陽琉を抱きしめてくる。
「お前なんかっお前なんかっ大嫌いだっ!」
 そう陽琉が叫ぶのだが、獅來はそんな陽琉を抱きしめながら言うのだ。
「やっとあなたの本音が聞けた。それでいいよ」
「うるさいっ離せっ」
 陽琉にそう言われると獅來は素直に離れていく。
 それが悔しくて陽琉は獅來の腕を掴んでから家の門を潜って家に入った。
「家、誰もいないんじゃないのか?」
「いないよ、誰も」
「危ないので、庭でいい」
「うるさいっ襲いたきゃ、勝手に襲えっ」
「……何、矛盾なこと言ってるんだ?」
 さすがに獅來も陽琉の突拍子もない言葉の連発に戸惑っているようで、何とか家に入らないようにしているが、それを陽琉が引き摺って家に連れ込む。
「お前は、僕のことが好きなんだろっだったら勝手に好きにしてろっ! どうせこんな僕のことなんて、お前くらいしか好きじゃないんだっ!」
陽琉の混乱はもう獅來のこととは関係ないところまで来ている。
 八つ当たりであるし、みっともないけれど、それでも陽琉の中の怒りや憎しみが一気に溢れだし、それは陽琉が自分のことが好きではないことが原因として浮かび上がっていた。
 獅來はそれらを全部吐き出す陽琉の言葉をちゃんと聞き、そしてそれらを受け止めた。
「僕だって自分が嫌いだっ! 全部お前のせいにして、お前が悪いところなんて、僕を襲ったことだけなのにっ、何もかもお前のせいにして恨んでる僕のことが大嫌いだっ」
 監禁されてセックスを強要されたこと自体は被害者ではある。けれど、それ以外は獅來のせいではない。
 教授が獅來を選んだのは獅來の方が優秀だからだ。それに値しないから選ばれなかった。それは自分の力不足であり、未熟だっただけだ。
 日本から出て行くのは、日本で何かをやる気もなかったせいだ。
 誘われてやっとその気になったのは、獅來がしつこかったから逃げに使っただけだ。
 結局、何もかも獅來のせいにして理由を付けて、自分は何もしてないのだ。
 足りなかったのは己の努力と力で、それに勝った人を呪うなんてみっともない。
 それが分かっていても、陽琉は獅來のことが憎かった。
 自分のことが最初から嫌いだったのだと口に出してやっと陽琉は自分の本当の気持ちを理解した。
 ああ、そうだ。自分のことが嫌いだから、何もかも納得しないのだ。
 そう陽琉が口に出して叫んだのを獅來がすっと手を伸ばしてきて陽琉の口を塞いで言った。
「それは言霊になるから、もう言わない。大丈夫、俺があなたのこと、一ノ関陽琉のことを好きだから、あなたはそのままでいい。成長する以外で何も変わる必要はない」
 獅來はそう言って陽琉の体を抱きしめてくる。
 何が好きなのか聞いたことはなかったし、ただ欲しいと言われているだけで、どうしてこんな嫌悪するくらいに嫌いな自分を欲しがっているのか陽琉には理解ができない。
 けれど、陽琉の暴言すらも獅來は当然として受け止めた上でそれでも陽琉が好きだと言ってくれることは、今の陽琉には救いでもあった。
「……なんで、僕のこと、好きなの……?」
 それを聞いたことはなかったなと聞いてみると、獅來は言った。
「入試の時、トイレに行ったら道に迷ってた。そしたら、あなたが試験会場まで連れて行ってくれた。そこで頑張ってってにっこり笑ってくれた。それに惚れた」
 そう獅來が言うので陽琉は思い出そうとして考えた。
 そんなことをしたっけと思って考えると、その日は確か研究室で徹夜をしてプログラムを組んでいたから頭が死んでいた時期だ。論文用の研究だったので必死だった。だから言われるまでそんなことを自分がした記憶が彼方に飛んでいた。
「ああ、あれか」
「それ。それで入学してからあなたを探した。けど、なかなか見つからなくて、やっと四回生の一ノ関陽琉だと分かって写真で確認をした。あなた、研究で有名だったから、写真も残ってた。それで、近づくためにゼミに入ったら、あなたはほぼ研究が終わってて、ゼミにも来なくなってたけど、たまに顔を出していると聞いたから、それで準備して待ってた」
どうやら準備万端になっていたところに絶妙なタイミングでネギをしょって飛び込んだカモになっていたらしい。それに気付いて陽琉は自分を呪いたかった。
 とにかく玄関先では何なので二階の陽琉の自室に移動した。
 その部屋は二十畳くらいある大きさで、ダブルベッドなどだけではなく、冷蔵庫や小さなキッチンも付いている。そこにはミニバーみたいなスペースもあり、普通の部屋ではない。
 そんな部屋にもかかわらず、獅來は一切中に興味は持たずに陽琉の体を抱きしめ続ける。陽琉はそんな獅來にだんだんと慣れてきたので、もうこのままでもいいやと思い始めていた。
「これは襲ってもありってことか?」
「だから好きにすればいい」
 とにかく襲いたい獅來と、もうどうでもよくなってきた陽琉であるが、獅來は話を続けた。
「あなたのこと、全部調べた。恋人がいるから別れてもらおうとしたら、あいつだったから、少し焦った。あいつ、壱伽の時も三股して壱伽の心を壊した。だから早くあいつからあなたを引き離さなきゃって思ったら、ああなった……ごめん」
 どうやら反省の色が見えてきたので、どうしてそういう心境になったのか、陽琉は聞いた。
「今更反省?」
「今更だけど、あの話合いの時に、俺がしたことには味方できないし、場合によっては友達止めるって壱伽が言った。壱伽がそんなことを言うのは相当悪いことをしたってことで、俺が悪いって分かった」
 どうやら壱伽が注意することには従うようになっているようで、それを聞いた陽琉は何だか胸がムカムカする。それが陽琉の中で浮かんだ壱伽への嫉妬である。
「俺には壱伽以外に友達はいない。だからそれがいなくなるのは辛い。それくらいに辛いなら、きっともっとあなたが辛かったんだって気付いた」
 それを聞いて陽琉は獅來の基準が全部壱伽の反応になっていることに気付いた。
「お前にとって、壱伽って子が一番なのか?」
「ううん、壱伽は友達。俺に足りないことを教えてくれる人。それに壱伽の一番は宮辻だ」
獅來が即答する。
 どうやら二人の間ではちゃんと友達としての枠で収まっているようで、それなりに理解し合っているのが窺える。
 けれどお互いの一番ではないことも理解している。
「僕は、お前にとっての一番……なのか……?」
「うん、そう。俺の一番は陽琉だ」
「なんで?」
「一目惚れなだけなら、どこか違うところが生まれると思った。でもどんどん思いは溜まっていくし、会ってみたら変わるかもと思ったら、もう止まらなくなって……決行したら、抱けば抱くだけどんどん思いが積もって収まらないし……ああ、これが一番好きってことなんだって思った」
獅來はそう言いながら陽琉を抱きしめ続ける。
「俺の一番、好きな人」
 その言葉はまったくの嘘とは思えず、さらには獅來は陽琉の首筋を噛む。
 噛む痛みで陽琉はあの時を思い出す。
「……好きにしろとは言ったけど、痛いから噛むな……」
 ガジガジと本気で噛まれたらさすがに痛かった。
「陽琉……好き、抱きたい。」
 獅來はそう言う。
 完全に勃起している股間を腰に押しつけられてしまい、陽琉は獅來が興奮しているのを知る。
 それを止める手段もなく、さらにはまた自ら誘い込んだようなものだ。
 ここで拒むのは明らかに違うし、獅來に対して酷いことをしている気になる。
 けれど陽琉は、本心から獅來を思っているわけではないことは言わなければならなかった。
「僕は、お前のこと……好きとかにはなってない……けど、お前が好きにするのは許す……気分は悪くない」
そういう気分だった。
 好き嫌いはもうどうでもいい。
 ただあの時の熱に浮かされた時間が、今は欲しかった。
 獅來によって与えられる快楽の先に、もしかしたら今はない感情が浮かぶことがあるかもしれない。
 陽琉はそれは絶対にあるだろうと思った。

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