モノポリーシリーズ
彼方のエレジー
4
恵西獅來に会う約束をした日、一ノ関陽琉はしっかりとした意思を持っていくことにした。
どういうつもりが獅來にあろうとも、陽琉はそれを許せなかったし、自分がどんどん惨めになっていくのを我慢できるほど大人でもなかった。
なるべく居場所がバレないように、タクシーを使い最寄り駅より一個前でタクシーを降り、そこから電車に乗って移動をした。
それくらいの用心をしないといけない気がして、陽琉は目的のホテルに行った。
獅來の提案に乗るわけにはいかないので、場所は宮辻に指定してもらった。
話合いがこじれる可能性もあるから、人払いができるホテルの会議室を借りた。
そこに行くと、陽琉が最後に着いたようだった。
部屋には良く見知っている宮辻と、その隣にちょこんといる金髪緑眼の青年、それに憎々しい黒髪の眼鏡をしている男、恵西獅來だ。
机を挟んで反対側に座ってくれているので、陽琉は対面するように座った。
「それで、何の用?」
陽琉が先に獅來に聞く。
こうまでして呼び出して話すことなんて陽琉にはない。
面倒だから来たのだと言うと、獅來は言った。
「あなたが好きだ。だから会いたかった」
平然とした表情で獅來は言い、陽琉を苛立たせた。
「お断りだ。以上でいいか?」
好きだと告白されたのだから断る。それでこの話合いは終わりのはずだ。
強い意志で陽琉が断ると、獅來は意外そうな顔をしている。
「へえ、散蒔かれてもいいんだ?」
そう言われて陽琉は思い出す。
あの時、獅來はそれを幾つか撮っていたと思う。もしかしなくてもその全編を収めるくらいの設備を持っていたのかもしれない。
「それ、流したところで俺が不幸になったとしても、俺がお前を訴えることはできても、お前の利にはならないと思うよ」
陽琉からのいい返事はしないという意思を見せると、獅來は携帯を取り出してそれを映し出してくる。
もちろん、それは陽琉が獅來に犯されている時のものだったが、都合良かったのかほぼ記憶にない三日目くらいの映像だろう。喜んでいるような顔をしている陽琉であるが、それには動じなかった。
「で? それが何? そんなものを見せられて僕が、お前の物になるとでも思ってんの? そんなもの後生大事に持ってるってことは、一部始終を持ってるってことだよね? つまりお前が僕を強姦して前後不覚にしたという事実だけがあるわけだ?」
その陽琉の指摘はどうやら当たっているらしく、初めて獅來が眉を顰めた。
思った以上に靡かない陽琉に苛立ちを感じているのか、初めて舌打ちをしている。
「それが流れた段階でお前のことは訴え出るよ? しかもお前がその映像で僕を脅したことはここの二人が証人になる」
陽琉にそう言われた証人の二人は、まさかこんな事態になっているとは想像もしてなかったらしく、焦った顔をしている。
宮辻に至っては、陽琉に話を付けたことすら後悔していそうな顔だったから、陽琉は宮辻に言った。
「滉毅は悪くないよ。事情は知らなかったんだから。悪いのはその男だけだしな」
陽琉がそう言って獅來を見ると獅來は陽琉を睨み付けるようにしている。
どうやら陽琉が脅しには屈しないどころか、脅しの材料を自分を守るために利用する手まで出してきてしまったのが、想像以上に上手くいかなかったようだった。
「あのさ、さすがにこれ、獅來が悪いよ? ここまでだったら味方はできない」
まさか獅來が陽琉を強姦しているとは思いもしなかった壱伽がそう言って初めて獅來の味方をしなかった。
「……なんで? 俺はその人とセックスがしたいくらい好きだ。それにその人の恋人、中塔は、もう次の誰かとセックスする仲になってて、この人も中塔に会ってすらいない。フリーってことだよな? だったら俺が恋人になってもおかしくはない」
どこからその自信満々の態度が取れるのか理解できず、話の筋がおかしいと陽琉は思い始める。
「おかしいんだよ。お前は自分の気持ちだけで押しつけている。僕はお前が嫌いだ、死ぬほど憎いし、お前がやったことは許す気もない。警察に行かなかったのは、僕の事情。お前を庇ったわけでもないし、お前を許したわけでもない」
陽琉はそう言うけれど、獅來は納得しない。
「俺を、好きだと言った」
「強姦中の記憶混乱している中での言質なら、普通に無効だ、馬鹿か」
陽琉が言い切ってきっぱりと告げると、獅來はそれにショックを受けている。
どうやら何でも真に受ける性格らしく、少し障害があるのではないかと思うほど、現状を理解できない性格のようだ。そうした複雑さは、宮辻が言っていたことを思い出してなるほどと思う。
獅來は壱伽の旅行先に突撃して驚かせたと言っていたけれど、壱伽はそれに驚きはしたが別段気にしなかった性格だったから、問題ないと思ったようだが、普通に一般人からすればどん引きの行為である。
それが理解できず、困った子供のように戸惑っている獅來を見ていると、こっちも不安になってくる。
これで本当に理解してくれるのか?
そういう根本的なところで獅來が理解できるのかが焦点になってしまった。
きっと頭が良くて何でもできるから、周りはそうした天才によくある変わったところくらいにしか思ってなかったようだけれど、陽琉からすればそれは考慮してやれるほど親しくもないし、相手は加害者である。
当然、良くしてやる義理もないし、強姦という罪を犯している以上、宮辻や壱伽を気にして言葉を選ぶ必要ももはやなかった。
「結論を言う。お前と僕は付き合わないし、そもそもこれ以上の接点を持つことも一生涯ない」
そう陽琉が言い切ってしまうと、獅來は慌てて顔を上げた。
「嫌だ!!!!! 絶対に嫌だ!! 陽琉は俺のだ!!!」
強く大きな声で、獅來は叫んだ。
興奮して息が荒くなり、テーブルを叩いて席から立ち上がってくる。
体が大きいから立ち上がられると、さすがに強気の陽琉も怖さが湧いてくる。
けれどここで引いたらきっと相手の思うつぼだ。
「さっき俺が中塔とどうこう言っていたけれど、まだ別れてないから。フリーでもない」
陽琉は別れる別れないは本人の意思以外に確かなものはないと言うと、獅來は信じられないというようにもう一度テーブルを叩いた。
その激情を見ながら、陽琉は少しだけ獅來を凄いと思えた。
激情のままに行動をし、そしてそれが叶わないと分かったとしても認めず、ただ激しく感情を露わにする。
その姿は恐ろしく傲慢だったけれど、それと反対に我が儘な子供にも見えた。
欲しいものは何でも与えられないと気が済まない、そんな子供。
「陽琉は、俺のだ……っ!!! 絶対に、諦めない!!!」
苦しそうに吐くように言う獅來の激情に、陽琉は流されそうになる。
ここまでして自分を求められたことが陽琉にはなかった。
両親も兄弟も友人も恋人も、誰も陽琉を一番に求めてはくれなかった。
ただ愛して欲しかっただけなのに、陽琉はその一番にはなれなかった。
願っていた物が目の前にあり、手を伸ばせば届くところにある。
けれど陽琉はその手を取ることはできなかった。
興奮する獅來の様子に、話合いは中断された。
まず壱伽が獅來を宥め、その間に陽琉は宮辻と共に部屋を出た。
「……悪かった、こんなことになっているとは思わなくて、軽く言ってしまった」
宮辻がそう謝ってくるので、陽琉はそれに息を吐いてから言った。
「……言えるわけもないし、そもそも誰にも言うつもりもなかったよ。あいつが自爆するとは思わなかったけど」
ひっそりと陽琉を脅すならあるとは思っていたが、友人の前で平然と脅しをしてくるような男だとは想像もしていなかった。
思った以上に危ない思考の持ち主で、そして諦めはすこぶる悪い。
「だから引っ越したんだな……あ、住所は俺に言わなくていい。壱伽を信用はしているけれど、うっかり目に入ったりして出所を疑うようなことにしたくない」
宮辻がそう言うので、陽琉は少し笑った。
「お前は相変わらず、恋人にはとことん甘いんだよな」
「まあ、それが性分ですし? それでどうする?」
部屋から出てホテルから出るために廊下を歩きながら話した。
「どうもこうも、どうにもなりそうにない」
陽琉もあの激情の強さがある獅來が、はいそうですかで諦めてくれるような性格をしているとは思えない。
「無理だよな……あれ。壱伽からも獅來にターゲットされてご愁傷様って言われたんだけど……そういう問題ですらないよな」
「まあ、僕が手の届かないところに行けば、その激情も冷めるんじゃないか? 案外、近くにまた欲しいものが現れて、それに夢中になったら簡単に前の欲しかった物のことは忘れそうだ」
そう陽琉が言うと、宮辻はそれにハッとしたように聞いた。
「もしかして……前に言ってたやつ?」
「誘われていたからね。催促もされているし、あっちに行けばこっちの混乱もたぶん忙しくて忘れるよ」
「そうか……」
ホテルの入り口にはタクシーが止まっていて、それに陽琉は乗った。
宮辻は陽琉をそこで見送ってくれるようだ。
「なるべく早めに逃げることを進める。あいつ、たぶんすぐに探し始めると思う。今いるところは引っ越し会社から辿れるはずだから、マズイ」
「うん、大丈夫。もうそこから移動もするから」
「気をつけて」
とにかく話合いにはならず、誰もが獅來に騙された形になってしまった以上、陽琉が逃げることを止める人はいなかった。
すぐにタクシーに乗って移動をし、途中の繁華街で一旦降りてから、別のタクシーを捕まえてマンションまで戻った。
用心に超したことないけれど、ここまでやっておけば一発で見つかることはないだろう。
そうしてその日のうちに陽琉は荷物を持って一ノ関の実家に戻った。
家は家族で住むものであるが、父親や母親は住んでいるけれど、ほぼ会社の出張などで鉢合わせることはない。兄弟は皆マンションを持っていてここには住んでおらず、まさか実家に戻っているとは思わないだろう。
荷物も運ばなかったので引っ越したことにはなっていない。
とにかく、宮辻に言った通りのところに行くかどうかはこれから考えるとして、陽琉は当面の居場所のホテルを用意して、大学の卒業式も全て出ないことにしようと思った。そうすれば、全ての縁が切れる。
それでいい。それぐらいしないとあの獅來から逃げられる気がしなかった。
それから陽琉の準備は着々と続いた。
ホテルを移動しながら暮らしているけれど、陽琉は常に一人だった。
そんな中で宮辻から入る連絡は、獅來がやはり暴走していて陽琉のことを探し回っているという話だった。
壱伽と獅來は何度も連絡を取り合っているようで、その様子は知らせて貰っている。
そのお陰で獅來が探し終わったであろうところに狙ってホテルを取ったりと、逃げ回るのには役に立っている。
逃げ回っている間に夏が終わり、秋が訪れていた。
そして陽琉は一旦渡米して就職先をIT系大手の勧誘を受けることにした。
幸い実家の会社は兄弟が継いでくれるので、自由にしていいというのが親の返事だった。それだけは有り難かったし、今更親の愛を求めてもいないので、自由になれるのが嬉しかった。
忙しかった日々も終わり、春になって一旦陽琉は実家に戻った。
大学を卒業した書類が必要でそれは郵送で実家に届くため、どうしても日本で手続きをしなければならなかった。というよりもその証明する書類を海外に郵送すると更に時間が掛かるために手っ取り早く日本に取りに戻った方が早かったからだ。
郵送日を指定したのでその日に受け取るために実家に戻ると、その実家の家の前で中塔瑛賢がいるのを見つけた。
「……あ、やあ、陽琉」
中塔から陽琉を尋ねてくることはただの一度もなかったのに、何故こんな日にと思っていると中塔が言った。
中塔瑛賢は長身であるが、細身で黒髪をオールバックで撫で付けている。
本人は有名な会社の社長らしいけれど、恋人には事欠かない。顔がイケメンであるから誰でも引っかかるというのがバーでも評判だった。
陽琉はそんな時に知らずに中塔と出会い、そのまま気に入られて付き合った。
そして何も言わずに音信不通になり、陽琉が渡米してからは携帯も変えたので連絡すら付けようもなかったのだ。
「僕らって別れてなかったでしょ? だから久しぶりにどうかなと思って」
中塔が急にそんなことを言い出した。
「四月からずっと何の連絡をし合っていないから、ほぼ一年間連絡すらとってない恋人同士が現在も続いているかと普通一般に聞いたら、自然消滅してるよって言われるやつですよ」
陽琉はそう言い、中塔に良い返事をしなかった。
「え……何か陽琉、口悪くない?」
急に強い口調で言い放つ陽琉に、中塔が驚いているけれど、それもそのはずだ。
前は中塔のことは好きだったし、好きな人に甘いのは当然だ。
けれど、もうすっかり獅來のことに振り回されていた日常だったせいで、本当に中塔と付き合っていた事実も、別れを告げるという簡単な連絡すらとるのを忘れる存在に成り下がっていたことに、陽琉はやっと気付いた。
「僕は元からこういう性格で口も悪いです。昔はあなたに多少の好意があったのでそれなりの態度でしたけど。もうそれも取り繕う必要もないかと?」
つまり今更付き合う付き合わないの関係ではないのだと陽琉が中塔に言うと、さすがにこんな邪険にされたことはなかったのか、中塔が珍しく怒りを見せた。
「なにそれ、くっそ淫乱のくせに。セックスしてないと駄目とか言うくらいに、セックスにしか興味ない子だから面白かったのに。まあいいや、どうせ誰も相手いないんでしょ? いつも独りで寂しそうにしていたし、友達もいないみたいだし?」
どういう意図で中塔がこんなことを言い出したのか陽琉には予想も付かなかったが、その言葉に嘘はなかったので怒りも沸かなかった。
「ああ、それ一年前の話ですよね? やだなあ、そのままのわけないじゃないですか」
陽琉は既に渡米してそこで生活の基盤を掴んでいる。だから友人知人はほぼそっちの人たちになっていて、もう卒業をしてしまった大学の友人関係はない。ただ高校の時の友人である宮辻とだけは未だ切れないのは、お互いに問題を抱えているせいで、密に連絡を取り合っているからだ。
陽琉はすっかり一年前とは変わっていて、中塔が知っている寂しい子ではなくなっている。
それはあの恵西獅來との事件がなければ、変わらなかったことだった。
今中塔に煽られているはずなのに、そのお陰で下らないことを言う元恋人に対して何の感情も浮かばないのはある意味、獅來から得られた初めての収穫だった。
「あなたとセックスはもうしないですし、どうやら新しいおもちゃは沢山いるようですし? まさか、元彼にセックスを縋らないといけないほどのヘマでもしましたか?」
定期的に入ってくる宮辻からの噂で中塔が自滅して孤立していることを陽琉は思い出して煽った。
正直これで中塔が切れてくれた方が有り難かったし、ここは人通りは少ないが監視カメラは四方八方にある。だから何かあっても後でどうとでもできる。
陽琉はそう思っていると、中塔がとうとう怒鳴りだした。
「どいつもこいつも! ふざけんなっ! いいから俺に股を開いてりゃいいんだよっ! この雌犬どもがっ!」
そう中塔が叫んで陽琉の腕を掴もうと腕を伸ばした時だった。
その中塔の掴もうとする腕を陽琉の後ろから大きな手が伸びてきて防いできた。
「……え……」
さすがに後ろの気配で誰かがいるのに初めて気付いた陽琉が振り返ると、そこには怒りに満ちた顔をした恵西獅來が立っていた。
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