眩いばかり
5
佳鈴がバイトから一人で帰っている時、何者かに付けられている気がした。
誰が付けているのか分からないけれど、佳鈴はしばらくは鹿嶋と行動を共にするようにした。
鹿嶋にそれを相談したら、鹿嶋が毎回バイト上がりは送ってくれるようになった。もちろん理一が来る時は理一がいるので佳鈴はその危険を感じなかった。
けれど、それはバイトが休みの日。
夕飯の買い出しに近所のスーパーに出かけると、その帰りに急に現れた車に接触をされ掛けた。
その時に後ろを歩いている人に背中を押されたように道路に飛び出し掛けるもガードレールに掴まったので道路側に飛び出なかった。
「…………」
たまたま人通りがその人たちしかいないのに、こんな偶然があるものなのか。
佳鈴が振り返ると、さっきぶつかったはずのカップルが足早に角を曲がっていくのが見えた。
あの状況で気付かないなんてあり得ない。
まさかわざと押したのか。
そう気付いて佳鈴は慌てて立ち上がり、道路から離れて歩き出す。
誰も通りにはいなかったので、回りを気にしながら歩いて自宅に戻った。
帰り着いてからやっと手のひらに怪我をしていることに気付いた。必死でガードレールを握ったので手のひらが擦れて切れたのだ。
手を洗ってから少し大きめの絆創膏を貼ってみたが、じわじわと血が滲んできてしまい、結局包帯をする羽目になった。
大げさであるが、そうしていると帰宅した理一が真っ先に気付いた。
「手をどうした?」
「あ、転んで切っちゃった」
そう佳鈴が言うと理一はその手を取り、包帯を外して怪我の様子を見てくる。
ガーゼが血で少し染まっているけれど、出血は止まっているようだった。
「消毒をしよう……傷は残らないようだね」
「大丈夫ですよ」
心配そうにして手を撫でるようにしてくる理一の手に佳鈴は顔を真っ赤にする。
ぞわぞわとする感覚が生まれ、佳鈴はずっと封じてきた性欲が少し目覚めるのを感じた。
消毒をして貰い、包帯もして貰うと耳まで真っ赤になってしまった。
そんな佳鈴を見て理一は佳鈴の頬に手を当てて、耳まで撫でてきた。
その優しい触り方に、今まで理一に対して佳鈴はずっと命の恩人と思ってきたけれど、長く一緒に生活をしている間に、理一に対してしっかりとした感情が生まれ始めていた。
武原に言った時のように、理一を守りたいと思ったし、そのためには何でもするつもりだったけれど、それは命の恩人だからだけではない。
きっと理一のことを好きなのだと、佳鈴は初めて自分の恋心を認識した。
「佳鈴、真っ赤だね」
「……ふっ……だめ……あっ」
耳を揉まれてゾクリとする感覚が生まれて、佳鈴はそれを感じて身震いをする。
けれどやめてくれとは言わなかった。
もっと理一に触って欲しかったし、気持ちが良いことは元々好きだ。
ゾクゾクと身体を震わせていると、理一が耳元で言った。
「佳鈴は、私のことをどう思っている?」
そう聞かれて佳鈴は更に顔を赤くしてから答えた。
「……す、好きです……一番、大好きです……」
そう言う佳鈴の言葉に理一は笑った。
「それは嬉しいね……。その好きはどこまでできる好き?」
そう理一が更に先を進めるかのように言ってきた。
それに佳鈴はもしかしてと思い始める。
勘違いではなくて、もしかしなくても理一は佳鈴のことを抱きたいほどに思ってくれているのだろうか。
それとも、簡単に懐いた人に身体を開くような子供だと思われていないだろうか。
佳鈴はそれを考えていたけれど、理一の耳を触ってくる手が首や顎などまで撫でてきて、唇も触っているから間違いなく、理一は欲情をしているはずだ。
今までそんな素振りを一切見せなかった理一であるけれど、ずっと下心があって佳鈴を助けたとしたら、それはそれで佳鈴は嬉しかった。
何もない自分は理一には何の価値もないのかと思っていたけれど、そうではなかったことが嬉しい。身一つで理一の気を惹けていたことが何よりも嬉しい。
赤峰とは確かに身体を明け渡す関係で契約のように繋がっていたけれど、そこに愛情なんてものはなかった。
淡々とした割り切りのある繋がりだったから、利用価値がなくなって捨てられた。
理一との生活は赤峰の時と違い心の繋がりが強く、お互いに安定をするために存在をしている気がした。
それがきっと愛情と契約だけで成り立っている関係の違いだろう。
赤峰は不自由を望んだけれど、理一は自由を与えてくれた。
心も自由になった佳鈴は、理一のことを好きになったのだ。
「……の、望んでも、いいのなら……全部したい」
佳鈴がそう言うと、理一は満足したように微笑んでいる。
「そう、嬉しいね。でも今日はしないよ。しばらく忙しいんだ。だから私が部長に昇進したら、そのお祝いに佳鈴を頂戴」
そう理一が言い出して、佳鈴はそれに頷いた。
ちょうど部長に選ばれるのは、来春のことだ。
十二月に入っているから、あと四ヶ月ほど期間がある。
それに気付いてしまい、佳鈴が言ってしまった。
「……ええー、それじゃ四ヶ月もできないってこと?」
不満そうに佳鈴が言うと、それを聞いて理一が声を上げて笑い出した。
「ああ、そうだね。そうなるね。あはは」
「あ、理一先生、笑うことはないじゃん……」
「いいから、まずはその先生を取るところから始めようか?」
理一がそう意地悪そうに言ってきたので、佳鈴は言い方を理一が気にしていることに気付いた。
「あ、そっか。もう先生って言わない方がいいってことだよね……それじゃ、理一さん……?」
そう言い方を理一の前で変えたとたん、佳鈴の顔がぶわっとまた赤くなってしまった。更に身体も火照るし、もう頭の中も真っ白になっていく。
「いいね、そう呼んで、佳鈴」
「……はい、理一さん」
そう呼んでみて、佳鈴はやっと理一のことを家庭教師という枠から外すことができた。
それは子供だった自分との決別であり、理一との新しい関係に突入したことを意味していた。
なんだか奇妙な出来事で怪我をしたから落ち込んでいたけれど、理一との関係が先に進める未来がある内容だったことに、佳鈴は完全に油断をした。
その次の日、電車で列に並んでいると後ろから誰かに背中を押された。
「……っ!」
一番前ではなかったので、前の三人ほどを巻き込んでしまい、回りから悲鳴が上がった。
「大丈夫かっ!」
「誰だっ押したやつっ!」
「逃げたぞっ!」
回りが大騒ぎになり、押された佳鈴もその場で動けなくなった。
駅員がやってきて巻き込まれた人を全員ベンチに座らせてくれ、事情を聞かれた。
「ぼ、僕が後ろから押されて倒れてしまったので……巻き込んでしまって申し訳ないです……」
佳鈴がそう言うとちょうど佳鈴の後ろに立っていたカップルが押したのをその更に後ろに並んでいた乗客が見たと言った。
「あいつら、なんか面白がって押してた。なんか不穏だなって見てたからさ。押した瞬間、びっくりしすぎて逃げるのを捕まえられなかったけど……」
乗客はそう言って悔しがっている。
どうやら並んできた時も割り込みをしてきて、それを注意したけれど無視して人の話もきかなかったらしい。それで睨み付けるように見ていたという。
「どうします。たぶん悪戯だと思いますけど、警察呼びますか?」
そう言ってくる駅員に、佳鈴は警察は呼ばないと言った。
「思い当たることがないし……悪戯だったら、捕まらないですよね?」
「そうですね……注意発起はできますが、おそらく常習じゃない場合は、捕まらないと思います」
そう駅員に言われたので、注意発起だけしてもらうことにした。
きっと同じ事はしないだろうし、そうそうできるものでもない。不意打ちしか狙えないことであるし、これからは佳鈴も気をつけるので二度はないと思った。
どういうことか、二回も命の危機に遭遇してしまい、佳鈴はこの偶然が意味するものは何だろうかと考えた。
たまたま居合わせて被害にあったと思ったけれど、どうもカップルという共通点があるのにも気付いた。
「何かあるんだろうか……」
電車でやっと大学に向かい、道中気をつけてから講義を受けた。
大学内にもいないとは言えないために、なるべく人が多いところを選んだ。
それから一週間は特にそういうこともなく、佳鈴も気のせいと運が悪かったのだと思っていた時だった。
レストランでのバイトを終え、スタッフの出入り口で鹿嶋を待っていた時だ。
今日は理一が残業だったし、鹿嶋と話したいことがあったので一緒に外に出たが、店長に鹿嶋が呼ばれて戻っていった。
外とはいえ、店の裏口の階段で、普通の客は入ってこない場所だ。
まだ店は営業をしているから、敷地内には関係者しかいない。
そんな場所で佳鈴はいきなり何かがパンと音を立てて跳ねたのに気付いた。
「え?」
驚いて音がしたモノを見た。
目の前の金網の金属に何かがぶつかったような音だなと思い、何かがぶつかったのかと回りを見たら、またカンッとぶつかる音がする。
「……ひっ」
何かが飛んできていると気付いて佳鈴はすぐにレストラン内に戻りたかった。
けれど怖くてその場に座り込んでしまい、その佳鈴の影になるところに看板があったが、その看板がガンと何度も金属音を上げている。
「……なにっ」
怖いけれどこれはもしかしなくても何かを打ち込まれている。
六回鳴って止まり、もう六回鳴った。
「どうしよう……」
どうすれば逃げられるのかと思っていると、レストランの裏口が開いた。
出てきたのは鹿嶋で、側で座り込んでいる佳鈴を見つけて鹿嶋が驚いた顔をしている。
「なに、してんの?」
そう鹿嶋が言った時にレストラン横にある駐車場の奥から、車が発進するのが見えた。
急に爆音を立てて去って行く車と、座り込んでいる佳鈴を見た鹿嶋は、すぐに佳鈴をレストランの裏口内に入れた。
「何かされた?」
そう鹿嶋に言われて、佳鈴は頷いた。
「何か、金属音がして……十回以上して、誰かが狙ってたみたいに」
そう佳鈴が言うと鹿嶋が言い出した。
「最近よくいる、モデルガン改造して撃ってくるやつかな……厄介だな。この辺りにはでないと思ってたんだけど」
「え? なにそれ?」
キョトンとする佳鈴に鹿嶋が説明をした。
車に乗って道路を歩いている人や公園で休んでいる人などを狙って、改造したモデルガンで人を撃つ人がいるのだという。
この辺りでは被害はなさそうだったけれど、少し離れた地域ではそうした被害が上がっていて、鹿嶋の大学でも話題になっているのだという。
「そ、それだったのかな……」
「もう車で去ったよな。ちょっとここで待ってて」
「鹿嶋?」
鹿嶋はドアを少し開けて外を見た後、佳鈴が言っていた場所を携帯で照らしてからすぐに戻ってきた。
「……ちょっと店長と話してくるから、スタッフルームに一旦戻ろう」
そう言われてしまい佳鈴は鹿嶋とスタッフルームに戻り、鹿嶋は店長と話した後に戻ってきた。
「なに? やっぱりその悪戯?」
「いや、俺もはっきりわかんないけど、そういうやつじゃないかもしれない」
鹿嶋はそう言うと押し黙ってしまったが、すぐに佳鈴に言った。
「瀬良さんに迎えに来て貰え。ちょっと警察が来るからって言って」
「え……警察を呼んだ?」
「うん、俺等素人が判断しちゃいけないってことで。勘違いとかならいいんだけど」
鹿嶋ははっきりとしたことは言わないが、警察が介入すべき事だと思っているらしい。
やがて警察がやってきて、レストランの裏口を調べ出す。
最初の二人の警察官によって応援が呼ばれ、刑事たちがやってきた。
レストランは騒然としたが、警察によって営業を止められた。
「拳銃の弾が撃ち込まれたらしい」
そうバイトたちには広まったけれど、佳鈴はそれを受けた人として警察に事情を聞かれた。
「それで、誰が撃っていたか見た?」
「いえ、音がして、怖くて座り込んでしまったので……音だけしか」
そう佳鈴が言うと鹿嶋が言った。
「俺がドアを開けたときに、車が一台逃げる感じで急発進したのは見たんですけど、街灯もないし、黒い車で灯りも付けてなかったから、音だけ聞こえただけで、でもその車がいなくなったら、撃ち込まれることもなかったです」
鹿嶋の方が見ていることを言えたので、刑事も頷きながら調べたけれど、結局誰かの試し打ちで無差別だった可能性があると言われた。
佳鈴には拳銃で狙われるような恨みも買ってなかったから、はっきりと佳鈴が狙われたとは分からないと刑事は言う。
暗闇から撃っていたなら、ほぼ灯りがないので撃っている方も人の顔までは判別できたとは思えないという。
暗視ゴーグルを使っている可能性もあるが、そこまで準備をして討ち漏らすことはないだろうとも言われた。
けれどしばらくは周囲に気をつけて、何かあれば警察に報告するようにと言われたからやっと解放された。
レストランの入り口に行くと、理一が佳鈴の迎えに来てくれた。
「理一さん、ありがとう……」
「大丈夫か? 警察には理由を聞いたけれど、怪我はしてない?」
「僕は大丈夫……迎えに来てくれてありがとう」
「それじゃ、帰ろうか。歩くのは不安かもしれないが、少しの我慢だ」
「うん、大丈夫だよ」
二人が歩いて出て行くと、回りに異変を感じて集まっている野次馬が沢山いた。
その間を抜けて出て行くと、やっと静かな道に出た。
車道側には理一が立ち、佳鈴を庇うようにして歩いてくれる。
レストランから二百メートルほど歩くと、マンションが見えてくる。
そこで佳鈴はホッとして息を吐いた。
きっとあれも偶然だ。
大体拳銃で命を狙われるようなことをした記憶もない。
でも、ここ二週間で三度死にかけている気がする。
佳鈴はそれでもそれら全てが結びつく理由が一切見当たらないことを理由に、どれも偶然のことだと思っていた。
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