眩いばかり

4

 深浦佳鈴は大学で友人は作らなかった。
 人付き合いはしたけれど、いわゆる大学外での飲み会や部活、同好会などには参加をしなかったので、最低限の人付き合いだけで大学には勉強をしに行き、成績をいいように残している。
 何度かバイトをしているのでと断ったら、誰も誘ってこなくなったため、佳鈴は一人で行動をしている。
 バイトがない日も家に帰って夕食を作るのが趣味なので大学から即座に帰るようになったら、忙しいと判断されたようだった。
 けれども目的を持って勉強をしに来ている以上、佳鈴は他の学生のようにもう少し遊びたいからと大学を選んだわけでもないので、その辺の不便さは感じなかった。むしろ勉強が唯一の特技として育ったのもあり、また勉強ができて知識が付くのが嬉しかった。
 馬鹿をして人生をやり直しているのだから、遊びという部分で踏み外したくはなかった。
 そういう佳鈴を誘ってきた人が夏休みが終わると、大学に出てこなくなったり、退学をしていたりと、欲望に負けている人も沢山いる。
 佳鈴はそうした人たちと関わり合いにならないように、慎重に大学に通った。
 理一との生活は自然と穏やかで、佳鈴はその生活に慣れた。
 瀬良理一は、エリート社員として商事会社の海外取引部門で活躍している。
 営業を上がりでありながら、優秀だったのですぐに海外に赴任して二年で戻ってきて課長に昇進した。
 課長として二年間を無事に勤めたので、今度は部長の席が空く予定があるため、その部長候補として有力らしい。最近の残業は元同僚の今崎からの最終試験であり、理一は誰かとその地位を競っているようだった。
 その相手は取締役の娘といい仲になっているコネを持っており、実力では圧倒的に理一に分があるにも関わらず、有力なのはもう一人の候補なのだろうと言われていた。
 それがここにきて、理一を押している取締役の住野と、もう一人の候補を推している狐塚による対立に変わってしまっている。
 だから佳鈴は理一と一緒に暮らしている以上、何か自分のせいで不利益が生まれては困るから、大人しくしていることにした。
 そんな時だった。
 バイト先のレストランに、佳鈴を見知っている人が現れた。
「……お前、あの時、赤峰のところにいた……」
「あ、……の、すみません、オーダーを」
 現れたのは武原正悟という、佳鈴を捨てた赤峰崇志とよくつるんでいた男だ。赤峰の秘密であった佳鈴のことは知っていて、更にそれ以上武原は佳鈴に対して酷いことをした。
「あのさ、仕事の後で話しあんだけど?」
「……困ります。僕の方はないので」
 佳鈴ははっきりと断る。
 けれど武原がそれで諦めずに、終わった後に会おうとしている。
「まあ、終わるまで待っているからさ」
 ニヤニヤと言う武原を振り切ってオーダーを取った佳鈴が戻ると、異変を察知した鹿嶋が担当を変わってくれた。
 その間に佳鈴は裏方に回って備品の整理をしたりした。
 武原は一時間ほどで帰って行ったので佳鈴がホッとしていると、レストランに理一が久々に現れた。
「理一先生……今日は残業はないんですね」
「ああ、久々にここのコーヒーが飲みたくなった」
「はい、ブラックコーヒーをすぐにお運びします」
 理一を席に案内をしてコーヒーを用意して運んでいく。
 理一は今日も佳鈴の仕事が終わるまで待っていてくれて、佳鈴はホッとした。
 武原が待ち伏せしていると言っていたけれど、理一と帰るなら武原もさすがにマズイと思ってくれるはずだと思った。
 その佳鈴の狙い通りに、理一と一緒に帰って行くと、武原は姿を見せなかった。
 もう佳鈴が赤峰と住んでいないことくらい知っているだろうし、佳鈴が家族と暮らしていると分かるだろう。
 けれど、佳鈴の思惑とは別に武原は佳鈴に接触をしてきた。
朝、駅で電車を待っている時に武原に見つかった。
「よう、昨日はどうも」
 そう意味有り気に笑いかけられて佳鈴は困った。
 大体武原と佳鈴の間にいい意味の秘密の共有はなかった。
 何より佳鈴は武原に恨みこそあれ、親しみは一切なかった。
「僕はあなたに話などないのだけど?」
 佳鈴がそうはっきりと武原に言うと武原は言った。
「お前になくても俺にはある」
 武原はそう言って佳鈴を電車に並んでいる列から連れ出す。
「……ちょっと……」
「お前のことで瀬良が大事になってもいいのか?」
 抵抗としようとする佳鈴に武原がそう言う。
「え……なんで理一先生のこと……」
 佳鈴がそう言うと武原がニヤリとしたまま駅の中に戻り、改札前にある喫茶店に佳鈴を連れて行く。
 逃げるわけにはいかなくなって、佳鈴は一緒に喫茶店に入り席に座った。
 幸いというのだろうか、人が見える窓側に座ってくれたので何かされるわけではないと佳鈴も一応の話を聞く姿勢になった。
 コーヒーを頼んだ武原は、佳鈴に言う。
「三年くらいぶり? 懐かしいな」
「何が懐かしいんですか、僕には悪夢です。あなた自分が何をしたのか分かってるんですか?」
 佳鈴がそう言うと、武原はニヤリと笑う。
「お前の身体、よかったよ。結局、赤峰にはチクらなかったんだな」
「……言えるわけないでしょう」
 佳鈴は三年前の悪夢を思い出す。
 武原は赤峰の昔からの友人で、会社も同じらしい。
 だから赤峰も油断をして家に招き入れた。
 酒に酔って寝ていた武原を置いて赤峰が仕事に出ると、武原は寝ていた佳鈴をレイプした。
 何度も犯して散々したあとに赤峰が帰ってくる前に出て行った。
 最初こそ赤峰に言おうとした佳鈴だったが、結局言えずにいるうちに赤峰が出張に出てしまいバレることもなかった。
 たった一日の出来事であるが、赤峰しか知らなかった佳鈴を蹂躙した武原を佳鈴は赤峰よりも許せないと思っている。
「けど、いつの間に赤峰と別れたんだよ。あいつ、急に結婚をするとか言い出して、取締役の娘といい仲になってやがる」
「ああ、それでか。僕はとっくに赤峰さんとは別れてるし、もう何も関係ないのだけれど。話がそれだけなら、帰ります」
「待てって、その話はまあいいや。お前、今度は瀬良と付き合ってるんだな?」
「いいえ。理一先生には生活を助けて貰っているだけです。赤峰さんとは違います」
 そう佳鈴が言うのだが、武原はニヤニヤとしている。
「嘘を言うなよ。お前を助けて瀬良に何の徳があるんだよ……。どうせ身体で落しただろう?」
「違いますし、理一先生が赤峰さんや、ましてあなたみたいな人と同じなわけないでしょう」
 佳鈴はそうはっきりと言い、真剣に返した。
 それに武原は少し思っていたことと違ったと気付いたのかつまらなそうにする。
「なーんだ。瀬良の弱みも握れたと思ったんだけどなー」
「といいますか、あなたと理一先生、同じ会社なんですか? あれでも赤峰さんとあなたは同じ会社ですよね?」
 佳鈴は話が噛み合っていない気がして聞き返した。
「そうだよ、お前に関わってる三人は皆会社も同じだ」
 そう武原が言い、佳鈴はハッとする。
 道理で理一が赤峰のことを知っているわけだ。
 最初から赤峰のことを知っていたからこそ、思い当たることがあったのだろうし、まさか同僚で地位を競っている相手が佳鈴を軟禁していたとは想像だにしなかっただろう。それで怒りもあったのかもしれない。
「しかも赤峰と瀬良は部長の椅子を巡って、現在対立中だ。ははは、お前がここで何かすれば、俺がチクってやって瀬良も赤峰も皆人生が終わるって言うんだから面白すぎるだろ?」
「面白くないです。赤峰さんは知りませんけど、理一先生が僕のことを何か言われたところでどうもしないと思いますけど?」
 佳鈴が二十歳になった時から理一とは関わり住んでいるだけだ。
 人助けをしている理一が不利になるなんてことは絶対にある訳もない。
 ただ赤峰に関しては佳鈴も知らないと言える。もし警察に誰かがチクったとしても佳鈴はその証拠がない以上、赤峰をどうこうしようとは思わない。
 だから武原が何か言ったとしてもその武原も巻き添えになるだけだ。
 知っていて黙っていたのも同罪である。
「なあ、お前のことバラして、瀬良の将来を潰したくないだろう? 俺が何か噂を撒いたら、それでエリートコースから転落だ」
「そんな変な噂が立っていると分かったら、僕はあなたが犯人であなたに過去にレイプされたことがあることもバラしますけど?」
 理一を守るためならその過去をバラしてしまうのもありだ。
 そのために佳鈴は何でもできたし、自分の未来を見る前に理一の未来を繋げたいと思っている。
 迷惑になるなら出て行くし、変な噂が流れるならその証明すらする。
 幸い行政が間に入っているお陰で、理一が佳鈴を助けるためにボランティアでやっていることは証明ができた。
「言うようになったな、お前……言い方が瀬良に似てて気味が悪い」
 そう武原が言うので佳鈴は負けずに返した。
「大体、そんな噂をばらまいてあなたに何の徳があるんですか?」
佳鈴がそう聞き返すと、武原はふてくされたように言った。
「同期で俺だけ置いて行かれてるわけ。赤峰はそれなりにエリートだったけど、取締役の娘と付き合い出して急にコネで部長候補。瀬良もそうだ。皆が嫌がる転勤や得意の英会話で海外赴任、戻ってきたら課長で次は部長候補だ。俺がやっと課長候補になったころにはあいつらは役員になってるだろうな。そいつらの未来をつぶせそうなネタを俺が持ってるっていうだけ、なんかしてやりたくなる」
「歪んでる」
「そうさ、歪んでんだよ」
 武原はそれなりに頑張ってきたわけでもなく、エリートになりたいだけの人だ。理一や赤峰のように出張や突如の転勤などもこなさず、楽をしてその地位だけを欲しがっている。
「真面目になろうとしてるお前もめちゃくちゃにしてやりたいよ」
 そう武原が言う。
 佳鈴もあの状況を抜けて真面目になろうとしている。そんな頑張っているような人を馬鹿にし、足を引っ張って自分の側に落すことで満足するのが武原だ。
「僕や他の人をめちゃくちゃにしても、きっと何も得られないと思いますよ。その時、一瞬の快楽だけ。でもその堕とした人たちの代わりになるのはあなたじゃないだろうし、他の人がそこに収まってくる。あなたの状況だけ何も変わらない。だってあなた、何もしてないじゃないですか。変わるわけもないです」
 佳鈴がそう強気に言うと武原もそれには反論もできないでいる。
 その通りであり、何も間違っていない。
 それが武原は悔しいことだった。
「あなたが理一先生に何かしたら、僕は絶対にあなたを許さない。どんな手を使っても、その安泰している地位を脅かしてやる」
 佳鈴はそう言うと席を立った。
 武原の愚痴なんて聞いてやる義理も無かったし、それに付き合うほど佳鈴はお人好しじゃない。更に相手はレイプ犯である。
 そんな人の意向を聞いてやるなんて、大学の朝の講義をすっぽかして無駄にする価値すらもない。
 武原は佳鈴の真剣な決意を聞いて、脅してどうこうするのは無理だと悟ったようだった。
 佳鈴はすでに二十一歳になっていて、もう未成年でもない。自分のことは自分で決められるし、犯罪が何かも知っている。
 武原の脅しには屈する理由が一切なく、佳鈴は警察に駆け込むことも視野に入れてそう発言をしたことは、武原にも分かったようだった。
 そう脅す相手が違うのだ。
 佳鈴はそのまま喫茶店を出て大学に向かった。
 武原は追ってこなかったし、その後も姿を見せるようでもなかった。
 しかし佳鈴は少しだけ冷静に考えて理一にそのことを話すことにした。
 バイトが終わって帰ってから、理一が帰ったので言った。
「話があるんだけど……」
 佳鈴の様子に理一は何か察したようにすぐにリビングに来た。
「あのね……昨日、バイト先に武原という人がきたのだけど……その人が赤峰と同僚の人で……その過去に、僕、その人にレイプされたことがあって……」
 佳鈴がそう言うと、さすがにそれは理一も予想はしていなかったようで驚いている。 それから今日にあったことを話すと理一は静かに言った。
「それで赤峰と私が繋がっている理由を知ったわけか」
「うん、まさか同じ会社にいるとは思わなくて……それで迷惑をかけるかもしれない……」
 武原が何を考えているのか分からない以上、理一にも害を及ぼすかもしれない。
 そう佳鈴が言うと、理一は笑う。
「そこを考慮して行動はしている。佳鈴を保護したことは会社の上司に当たる今崎さんにも言ってあるし、そこから福祉支援の方に連絡も取ってある。私と佳鈴がどうこういうことになってもまず噂通りにはならない。そこは安心して欲しい」
 そう理一に言われて、佳鈴は驚いた。
 まさかそうした支援を会社側から提供されているとは思っていなかったのだ。
「世の中誰がどう人の足を引っ張るのか分からないからね。私はやましいことはしていないとはっきり言えるようにしてある。もしそうした噂が流れていたら、真っ先に武原を疑うよ」
 理一はそう言って話をまとめる。
「それにしても、佳鈴、辛かったね。赤峰は、そのことを知らないんだね?」
「知らない。僕は言ってないし、その後すぐに出張に出てたから、セックスもしてなかったから、分かってないと思う。武原もバレてなかったから、僕が黙っているのには驚いていたみたいだけど……」
「そうか。なら、武原が赤峰にバラしたところで何も起きようもないことだね。忘れろとは言わないが、武原のことは気をつけながら気にしないで生活をしていこう。武原もたまたま見知った佳鈴を見つけて上手くつけ込もうとしたのだろうけど、佳鈴がしっかりしていたから撃退はできたようだからね」
理一はそう言い、佳鈴の迂闊な行動には駄目出しはしたけれど、その後の強気の行動はよかったと褒めてくれた。
 こういう被害者が加害者に強気に出ないとつけ込まれてどんどん深みに填まっていくのを理一は知っている。
 佳鈴はこの二年の間に上手く人との距離を取ることができるようになった。
 そのお陰で動揺しながらでもしっかりと意思を伝えることができるようになった。

佳鈴の告白によって理一が武原のことを知ることになった。
 それはさすがに武原にも分かったのか、佳鈴のことで理一が脅されたり噂を流されたりはしなかった。
 けれど、それは佳鈴の知らないところで別の騒動が起こり始めるきっかけでもあった。

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