眩いばかり
3
佳鈴は日曜になって鹿嶋の家を訪ねる。
「マジで助かるわ」
鹿嶋はそう言って佳鈴を家に招いた。
鹿嶋の家はマンションだった。それも高級が付くマンションである。
それもそのはずで、あのレストランの近くにある住宅地は基本建っているマンションの価格が高い。お金持ちばかりが住むようなところなので、鹿嶋ももちろん坊ちゃんだった。
「あ、俺んち親父が○○商事の社長でさ、それで一人暮らしするのにここじゃないと認めないとか言われて……仕方なく住んでる」
「鹿嶋の家もお金持ちなんだね。びっくりした」
鹿嶋が自分の力で得たモノではないけれど、親の心配も無碍にはできない性格だったようで、佳鈴は苦笑する。
「……えっと聞いて良いのかわかんねぇけど、何であの人と一緒に住んでるんだ?」
そう鹿嶋が突っ込んだことを佳鈴に聞いてきてしまい、佳鈴は少し戸惑う。
「……えっと、理一先生は……昔、僕の家庭教師をしてくれたんだ。それで僕の両親が死んで、そのあと僕困ったことになってて……それでそれを助けてくれたのが理一先生で……大学を出るまではお世話になることになってるって感じかな」
そう佳鈴が言うと鹿嶋はふうんと頷く。
どうやら納得していないようであるがそれでも佳鈴が話したがってないことを話題にしていくつもりもないようだった。
それから鹿嶋とは秘書検定の話をして、勉強のやり方も教えた。
お昼も一緒に取り、夕方までその勉強会は続いた。
夕方になってから佳鈴は帰る準備を始めた。
「夕飯を作るから、そろそろ帰らないと……」
「へえ、深浦が飯を作ってるんだ?」
そう鹿嶋に言われて佳鈴は頷く。
「本当は作らなくていいって言われてるんだけど、僕が作りたいのと僕のできることがこれだけだったのもあるんだ。それに理一先生が美味しいって食べてくれるから作り甲斐もあって楽しいんだ」
そう佳鈴が笑って言うのだが、鹿嶋は少しだけ笑った後に真剣な顔をした。
「深浦が困ったことになったっていうやつ、犯罪とかじゃないよな?」
「……えっと……その、僕自身は犯罪にはならない……かな?」
そう佳鈴が言う。
そうなのだ。佳鈴はただ家出をしただけで、それに関わったことで犯罪になるのは赤峰だろう。
「じゃあ、それに関わっていたやつが犯罪者ってこと?」
そう言われてしまい、佳鈴は困ってしまう。
その話はもう終わった事で、蒸し返してまでどうにかしたいわけじゃない。むしろ蒸し返して面倒なことになる方が面倒である。
「それは……答えないと鹿嶋とは友達にはなれないってこと?」
佳鈴は言えないけれど、言わずに済むならそれが良かったが、思った以上に鹿嶋は潔癖なところがあるようだった。
「えっと、ゴメンね。詳しいことは言えないんだ。とても僕が愚かで無知だったかっていう話なんだけど……今は恥ずかしいから誰にも言えない」
佳鈴はそう言うと急いで荷物をまとめた。
きっと鹿嶋に話したら鹿嶋は佳鈴を軽蔑するだろう。
それだけははっきりと分かった。
「あ、おい、そういうことじゃなくてな……深浦っ」
「あの、ゴメンね。それじゃ検定頑張ってね」
佳鈴はそれ以上その話はしたくなくて、すぐに鹿嶋の部屋を飛び出した。
走ってエレベーターに行くと鹿嶋が追ってくるけれど、佳鈴はそのままエレベーターのドアを閉めた。
もうその話はしたくなかったし、友達を一人失うのは仕方ないにしても、あちこちに言いふらされるよりはまだ良い方だ。
佳鈴は大学に入った後から、自分がどれだけのことをしてしまったのか理解をした。
売春なんて甘い方で、愛人であったのだ。しかも自分の身体を使ってだ。
そんな悍ましい過去は誰にも話したくなかったし、誰にも言ってはいけないことだった。
だからたとえ、鹿嶋がどんなにいい人でもこれだけは言えないことだった。
佳鈴はすぐに通りに出てタクシーを拾った。
何かあればタクシーで帰りなさいと理一に言われていたのでそうした。
すると携帯電話が音を鳴らす。
見てみると鹿嶋である。
どうしようかと迷ってから、佳鈴は携帯に出た。
『こっちが何か言う前に勝手に帰るなってばっ!』
「うん、でもね。その話だったら言えないから駄目なんだよ」
『そりゃ、人間だし、どこかやましいところもあるもんだけどさっ! 俺は、お前と親しくなれて嬉しかったから、それで、突っ込んだことまで聞いた。それは悪かった……本当に悪いことだった』
そう鹿嶋が言うけれど、佳鈴は自分が思うよりも事態は大きな事だと気付いた。
鹿嶋と友人で居続けるということは、いつかその話をしてくれると鹿嶋が期待をするだろう。そう言う話をしてこその親友なんて、よく言う話だ。けれど佳鈴には絶対にその過去は言えなかったし、口が裂けても言いたくなかった。
「謝ってもらうことじゃないんだよ。僕が悪かったことだから。ごめんね、絶対に言えないから、いつかきっとなんて期待にも応えられそうもない。ありがとうね、鹿嶋。それからごめんね」
佳鈴はそう言うと携帯を切った。
鹿嶋が何か叫んでいたけれど、きっと堂々巡りになって話は進まないだろう。
佳鈴がタクシーで自宅に着くと、玄関で理一が待っていた。
とても心配をしているような顔をしていたから、佳鈴には分かってしまった。
「ごめんなさい、鹿嶋から電話がきちゃったんだね」
「それで、話はしなかったんだな?」
理一がそう言うので、佳鈴は頷いた。
「い、言えるわけもない……っ 僕はとても恥ずかしくて、とても愚かなことをしたんだって思い知った。人に言ったら、どんなに仲良くしてる人だって、僕のことは嫌いになる……そんな酷いことを、僕は平然とやってた……」
佳鈴はそう言い、泣きながら理一に縋り付いた。
「僕はっ僕が嫌いだっ……何も考えてなかった僕が嫌いだっ」
だから親しい人なんて作れない。
誰もが空白の五年間を知りたがるだろう。ホームレスなんて言ってそれが通用するのはせいぜい偽善が通る役所くらいだ。
同年代とはそうはいかない。すぐにそれはバレることなのだ。
そう言う佳鈴を理一は抱きしめてから言った。
「そうだな、佳鈴は最低のことをしてきた。他人に誇れることなんて何もなかったな。けれど、今大学生をしている佳鈴もちゃんとした自分だ。過去は過去で変えようもないけれど、未来は変えていける。ただ今回は縁がなかったと思うしかない」
「うん、うん……」
理一に慰められて佳鈴はやっと心を落ち着かせた。
絶対に言えないことがある。それが自分のやってきた過去だ。
佳鈴はそれを思い知って、自戒の念を込めた。
次の日、大学へ行った後にバイトに行くと、鹿嶋と鉢合わせた。
「……あ、おはよう」
「あ、うん、おはよう」
二人は気まずさで挨拶をしただけで話はしなかったけれど、鹿嶋の方が何だか佳鈴を避けているようだった。
佳鈴は昨日のことで嫌われたと思い、鹿嶋とは目を合わせずにいると、他のバイト仲間である田伏が不思議そうに佳鈴に聞いていた。
「あれ、鹿嶋と喧嘩でもした?」
そう言われて佳鈴は頷いた。
「僕が悪いんだけど……でも仕方ないから」
そう言うと田伏は仲を取り持ってくれるようなことを言ってくれたが、佳鈴はそれを断った。
「大丈夫です。その、人には合う合わないがあって、それで上手くいかなくもなるので」
そう佳鈴が言うので田伏は佳鈴に話しかけてくる。
「そうか。でもいつも鹿嶋とばかり話していたから、気になってたんだよな」
田伏が親しそうに話しかけてくるけれど、佳鈴はその田伏の話を受け流すので精一杯だった。
「お前といつも一緒に帰ってる人ってお兄さんか何か? 過保護だよね、さすがにうっとうしいでしょ。大学生で二十歳過ぎにあれはないわ~」
田伏がそう言い出すので佳鈴はそれには答えなかった。
鹿嶋よりももっと土足で人の家庭事情に踏み込んだ挙げ句、暴言をさも佳鈴が思っているかのように言う田伏を佳鈴は好きにはなれはしなかった。
なので率先して客が入るとオーダーを取りに行き、食事を配膳しては食器を片付けに走った。
とにかく止まっていると田伏が話しかけてきては耳に入れたくないことを言うので、それが嫌で佳鈴は初めてバイト中に早く帰りたいと思ったし、バイトが楽しくなかった。
どうして田伏は人のことを分かっているかのように悪口ばかり口にするのか分からず、佳鈴はとうとう田伏に言っていた。
「さすがにさ、二十歳過ぎたら過保護はないし、俺がばしっと言ってやろうか?」
田伏がそう言った時に佳鈴は受け流さずに言った。
「……僕は困っていないし、どうしてそこまで身内を悪く言われなきゃいけないのかが分からない。僕は言ってほしいって思ったこともない」
「……はあ? 何それ……俺がせっかく言ってやってんのによ!」
佳鈴が反撃を初めてしたとたん、田伏は怒鳴り声を上げて持っていたトレイで佳鈴を殴ってきた。
「……いっ!」
力一杯殴られて佳鈴はその場に倒れると、客が気付いて悲鳴を上げている。
そしてそれを見ていた鹿嶋が止めに入るも田伏は佳鈴に向かって叫んでくる。
「何だよ、俺がせっかく構ってやってんのに! 生意気過ぎる!」
意味不明なことを言いながら田伏が叫んでいて、結局正社員とバイトの四人でやっと田伏を押さえて裏に連れて行った。
佳鈴は鹿嶋に助け起こされて、何とか頭に痛みがある程度であった。
「大丈夫か?」
「ありがとう……大丈夫。……あ、お客さんの対応しなきゃ……」
バイトが暴れたせいで、少なかったけれど客が不気味に思ったのか、レジに並んでしまっていた。
佳鈴と鹿嶋はすぐにそれに対応して、何とか残っている客の食事を運んだり片付けたりを急いでした。
中には佳鈴のことを心配してくれた常連さんもいて、佳鈴はその人たちに謝ったりとしているうちにバイト時間が終わってしまった。
何とか片付けてからバイトの入れ替わりをすると佳鈴は店長に呼ばれた。
「悪いね。あいつは帰って貰ったのだけど、君にも話を聞こうと思って」
店長と部屋に入って椅子に座ると店長は溜め息を吐いた。
「君が田伏に暴言を吐いたと彼が怒っているのだけど、何があった?」
「……何だか僕の家庭の事情を外から推察をして、僕が家族に過干渉されていて困っていると勘違いをされていたみたいで。それでそれは違うということを言ったんです。そしたら急に怒鳴りだして……」
佳鈴の説明に店長はああっと納得したようだった。
「そうだね、君はちょっと特殊だからね。瀬良さんにお願いをされているから、君のことを信用するけれど、もうちょっと上手くできなかったかな?」
「……すみません……理一先生……瀬良さんの悪口ばかり言われたのでちょっと強く言い返してしまったみたいです……あの、迷惑でしたら、バイトの方は辞めます」
佳鈴がそう言うと、店長はもったいぶったように考えてから、また溜め息を吐いた。
「まあ、君の方が先に雇っていたし、他の常連さんには受けも良いし、喧嘩の原因も暴力を振るった田伏の方が悪い。君にも厳重注意をしておくので、次は気をつけて」
そう店長が言って佳鈴は事務所から解放された。
何もしていないつもりだったのだけれど、人との付き合いはなかなか難しいと佳鈴は思いながらスタッフルームに戻ると鹿嶋が椅子に座って待っていた。
「送っていく。今日、あの人まだ来てなかっただろ?」
そう言われて佳鈴は理一がまだレストランに来てなかったことに気付いた。
「あ、本当だ……どうしたんだろう……」
携帯を見るとメッセージアプリに新着が入っている。
慌ててみると理一からだった。
「……残業だから遅れるって」
「じゃあ、送っていく。田伏が待ち伏せしてたらアレだから」
そう鹿嶋が言うので、佳鈴はそれに甘えた。
さすがにワンメーターくらいの距離でタクシーを使うのはどうかと思ったのと、ここで鹿嶋とまで邪険になるのはどうかと考えたのだ。
「……一つだけ聞いて良いか?」
「なに?」
鹿嶋が佳鈴に尋ねてくる。
何を言われるのかと思っていると鹿嶋は意を決したように聞いた。
「お前にとって、瀬良さんって何?」
そう聞かれて佳鈴は即答をした。
「命の恩人」
佳鈴は自分で答えてから、ふと思う。
もうそれ以上の存在であるけれど、他人に言うならばこれしかなかった。
「そうか……分かった。もうこれ以上は聞かないし、お前のことを詮索はしない。だから、これからも深浦とは仲良くしたい。俺、ちゃんと将来のことを話せる友達っていなかったんだ……だから、深浦とは未来を語る友達でいたい」
そう鹿嶋が言い出したので、佳鈴はその場で思わず涙が出た。
「……ありがとう……嬉しい……僕も、鹿嶋と友達でいたい……って思った」
佳鈴がそう言うと鹿嶋も嬉しそうにちょっと泣いていた。
「俺もごめんな……俺、田伏みたいに深浦に酷いことしてるって気付かなくて」
「ううん、俺もごめんね」
人に言えないことを抱えても、未来を見るなら友達にだってなれる。
佳鈴は鹿嶋のことを考えて離れようとしたけれど、鹿嶋は佳鈴の今を見て未来を信じてくれた。佳鈴にはそれが嬉しいことだった。
鹿嶋とは帰り道は秘書検定の話をして送って貰い、マンションの入り口で別れた。オートロックのマンションなので住人以外が入るのは難しいから、大丈夫だと佳鈴は言った。
ちょうど理一も家に着いたと連絡をくれたので、鹿嶋もそれを見届けてから帰って行った。
玄関を入ると理一が佳鈴を待っていた。
「鹿嶋君と仲直りしたんだ?」
そう言われて佳鈴は頷いた。
「うん、友達でいたいって言ってくれた。嬉しかった。僕、友達はずっといなかったから」
そう佳鈴が言うと理一が佳鈴の頬を撫でた。
「そう、友達か。よかったな、佳鈴」
「うん、うれしい」
佳鈴はそう言って心がホカホカすると理一に言った。
理一はそれを暖かく見守ってくれたけれど、ふと一言言った。
「そっちに回ってくれてよかった」
「……え?」
意味が分からずに佳鈴が理一に尋ね返すも、理一はそれには答えずに言った。
「今日は出来合いの物を貰ったから、一緒にそれを食べよう」
「わあ、何ですか?」
「今崎さんがお得意先から貰ったものだよ。一人では食べきれないからと分けてくれた。いいステーキだから、美味しいそうだよ」
今崎というのは瀬良の同期であるが、すでに部長で次は監査役に昇進をする人らしい。エリートコースまっしぐらである理一ですらも追い越すほどに優秀であるが、そこはコネがある方が昇進も早い。
そんな人と今でも理一は繋がりがあるようで、今日の残業もその人との残業だったらしい。
「わ、それは楽しみ。あ、ご飯は炊いてあるから、すぐ食べよう」
佳鈴はすぐに理一の呟きを忘れて夜食に飛び付いた。
部屋に着替えに行き、すぐに台所に飛び込んでいく佳鈴を理一は優しい目で見つめる。
しかしその影で理一はほくそ笑んでいるのを佳鈴は知らなかった。
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