Humansystem
8
章吾は意識を失ったまま救急車に乗った。
そこまでしか章吾は覚えていなかった。
次に章吾が病室で目を覚ますと、まず真っ白な天井が映り、嘉那の顔が覗き込んでくる。
「……章吾さん?」
嘉那の眉がハの字になっているところから、パッと笑顔に変わるのが分かる。
「…………なんにち、けほっ……あーみず、いい……?」
章吾は喋ろうとしたが、口の中が乾ききっていて喉が痛かった。
「はい、お水飲んで下さい」
そう言われて嘉那は水差しで口に水を入れてくれた。
口の中が潤って、喉がすっきりすると章吾は頷く。
「何日、経ってる? 俺、どうなってる?」
「はい、四日経ってます。章吾さんの傷は深かったんですけど、臓器は傷ついてなかったのが奇跡だって……退院までもそう長くないって」
「そうか。出血で意識がなくなったか……なるほど」
死ぬのかと思ったけれど、意外に丈夫そうだった。
「いえ、出血は本当に危なかったんです。そのせいで死んでいてもおかしくはなかったって。たまたま救急車が隣町から奥多摩に帰る途中で近くにいたので、車内で止血が間に合ったって、あと病院も手配が早かったから……手術もすぐできたって」
嘉那がそう言い、思い出して身震いしている。
そんな嘉那を見て、章吾は重い手を上げて嘉那の顔を撫でてやる。
「泣くな。俺は生きてる。お前に怪我がなくて本当によかった」
「……はい。章吾さんが生きてて嬉しいです」
嘉那は泣きそうになるのを我慢しながら、やっと事件後の話をしてくれた。
事件はすぐに解決してしまっていた。
捕まった瀬口悠人はそのまま警察が逮捕し、本人は嘉那を殺すつもりで屋敷に侵入していたが、章吾に見つかってもみ合いになって刺したことをすぐに認めた。
思った以上に人を刺すという行為は、衝撃だったらしく、取調中はずっと泣いていたそうだ。
章吾はそのまま救急車で準備が整った病院に搬送され、手術を受けた。
幸い、臓器に傷はほぼない状態で刺さっていたが、傷は深かったので手術に時間はかかった。
けれど命に別状はないままに、手術は成功し、すぐに集中治療室に入った。
嘉那はその間にまたテレビに取り上げられ、その対処のためにマスコミに晒された。
しかし世の中は嘉那を可哀想だと同情をしただけで、事件そのものには興味はなかったらしく、たった二日後にはニュースから消えた。
逮捕された瀬口悠人は少年院に入ることは確定で送られたようだった。
章吾は出血が多かったせいで、意識が回復するのに四日かかった。
というのが、今回の流れらしい。
「僕は、章吾さんと静かに暮らしたいだけなのに、僕のせいで、章吾さんが怪我してる……復讐なんてしなければよかった……」
両親の仕打ちに復讐がしたくて嘉那は章吾との未来も見えなかったから、復讐をして独り立ちをしなければならなかった。
けれどそうした結果、嘉那は章吾の元にいられることになった。
復讐なんてもうどうでもよかった。社会的制裁は済んでいたし、もう嘉那が摂取されることもない。
だからどうでもよかった。
「いや、嘉那。あの両親は制裁をうけなければならなかった。嘉那が訴えない限り、知らない人たちがあの二人の詐欺に遭っていくことになっていた。だから嘉那が自分を取り戻すだけではなく、そうした人のために訴え出ないといけなかった。間違ってはいないよ、嘉那は何も間違ってない」
嘉那が郁夫の元で暮らしたことで人らしい生活を手に入れられたけれど、瀬口嘉那として生きていくには、そうしたことも解決しなければいけなかった。
「大丈夫、もう裁判で全てが明らかになっている。上告は却下されるだろう。それで第一審で確定する。その後は嘉那がどうこう思うこともない。俺とあの家で静かに暮らしていくだけだ。それでいいんだよ」
泣いている嘉那を抱き寄せて、しっかりと抱いてから泣かせた。
「本当に……僕が側にいていいの?」
嘉那がそう確認をしてくるので、章吾が言う。
「ふーん、それは俺が側にいるのは嫌ってことかい?」
「違うっ! 僕は、章吾さんの側にいたいっ!」
そう嘉那が叫ぶと章吾は笑う。
「じゃあ、それでいいんだよ。嘉那が居たいならずっと俺と一緒でいいんだよ」
章吾がそう言うので、嘉那はそこで郁夫を思い出す。
郁夫もそう言って嘉那が出ていかなくてもいいように、大事にしてくれた。
その息子の章吾も同じ事を言ってくれる。
そしてその愛し方は、ちゃんと嘉那を大人として愛してくれる。
郁夫と同じ愛情、けれど違う愛し方で章吾は嘉那を愛しているのだ。
それが嘉那に伝わったのか、嘉那はただただ泣いた。
嬉しくて泣いたのは、あの屋敷に来てから初めてであった。
章吾はそれから一週間で退院をした。
目を覚ましてしまえば、後はリハビリに身体を動かし、四日程度で弱ってしまった身体を元に戻してからとなった。
最近は術後の経過がよければ、手術をしても一週間程度で退院ができる。
タクシーですぐに屋敷に戻る。
嘉那はその間もずっと章吾に付き添って病院の近くのホテルから通ってくれた。執事の石井はかなり優秀な執事で、様々な滞っていることを章吾に変わってやってくれていた。
さすが郁夫が選んだ人というだけあり、嘉那のためになる人材は色々と確保しているようだった。
それだけ郁夫は嘉那を大事に思っていただろうし、守るために用意もしていた。
そこだけは、章吾も甘えることにした。
だって、章吾ではあまりに世間を知らなすぎる。嘉那のために全てできることをしてもきっと今回のように抜けを作ってしまい、自分が刺される羽目になるのだ。
だからその人たちの力を使ってしっかりとやっていこうと心を新たにした。
「お帰りなさいませ、ご主人様」
「うん、悪かったな。入院中のこと、色々と助かった」
「さようでございますか、それはよろしかったです。さっそくですが、安藤弁護士がおいでになられています」
そう言われて章吾は嘉那をまず部屋にいるように送ってから、客間に入ると安藤が頭を下げてきた。
「今日、退院と聞きまして」
「ああ、やっと窮屈から抜け出したよ。それで今日は何か?」
そう言いながら章吾が椅子に座ると、安藤が用件を言い出す。
「実は、瀬口嘉那の両親である瀬口浩正と幸の両名が上告を諦めました」
そう言われて章吾は驚く。
「どうしてだ? まさか息子のことで?」
「はい、どうやら悠人が殺人未遂を犯したせいで、その息子の弁護人を用意するために、自分の弁護人を付けたのだそうです。そのお陰で裁判の維持ができず、上告をしないことにしたそうです」
「つまり、一審で確定したのか?」
「はい、本日、確定しました」
父親には懲役六年の実刑、母親には懲役三年の実刑が確定したという。
「さすがに虐待をしていない息子には甘いようですよ。心神喪失で争うようですが、まあ未遂ですので、少年院で三年くらいでしょうか? 二十歳には出てくるでしょうが、その頃にはあちらもこちらのことを知るよしもないでしょうね」
そう安藤が言うので、章吾もそう思った。
わざわざもめ事を起こしにやってくるなんて気概はないだろうし、両親の刑が確定した以上、普通には暮らせない。きっと悠人は名前を変えて再出発をするだろうし、二度と両親とは関わらないだろう。
その両親も三年で出てくる母親であるが、父親とはすでに仲違いの上に離婚をしており、旧姓に戻っているのだという。所詮、虐待と詐欺でのみで繋がっていた愛情すらない夫婦だったようで、あっさりと終わっている。
父親の瀬口裕正の方は、息子を可愛がっていたようでどうにか悠人を守りたいと思っているようであれこれしているらしいが、現行犯逮捕の息子を救えない。
さらに支援者詐欺による団体から告訴され、これまでに溜めた貯金も和解による賠償金の支払いで消えるらしい。
ちなみに嘉那は刑事事件のみを起こしているだけで、民事では瀬口家との戸籍分けのための裁判しかしていない。それも簡単に決まって、嘉那は瀬口家とは戸籍が完全に別になった。
もちろん、それに両親が気にするところはないので、あっさりと済んでいる。
テレビの報道は二人の刑が確定したことを夕方のニュースでダイジェストで報道した。それだけで世間から忘れ去られていった。
「これで、もう嘉那さんは自由です」
安藤がそう言ったので、嘉那関係の裁判は全て終わったという。
あとは悠人の殺人未遂であるが、嘉那はそこには関係していないので、嘉那のための裁判は終わったと言える。
「それで、嘉那さんの戸籍はあなたの戸籍に入れますか?」
そう安藤が尋ねるので、章吾が笑ってしまう。
「もちろん、そうするよ。当然だろう?」
そう章吾が言うと安藤は安心したように微笑んだ。
「それでは書類を、ここに記載をしましたら、提出しましょう」
そう言って安藤は書類を置いて帰った。
章吾はその書類を持って嘉那の部屋に向かった。
嘉那の部屋に入ると、執事はお茶を用意してくれていて、嘉那の好きな菓子も置いてある。
それがいつもの嘉那のおやつの時間だったらしいのだが、嘉那は章吾を待っていて、章吾が戻ってきてからお茶を注いで貰う。
「章吾さん、お話は済んだ?」
「ああ、少し嫌な情報だが、まず瀬口夫婦の刑が確定したそうだ」
そう章吾が言うと、嘉那は少しだけ動きを止めたあとは。
「ふーん」
と、何の感慨もないような冷たい目をして何も言わなかった。
仕方のないことであるが、嘉那にはもう両親に何の感情も沸かない。復讐をするほど憎んでいたけれど、それすらももうどうでもよくなっていた。
その反応は当然で、章吾はそれから椅子に座って別の話題に移した。
「それで、次の話なんだが、嘉那、これを」
そう言って嘉那の戸籍が綺麗に別の戸籍になったことを証明する書類を渡してやると、嘉那の顔がパッと明るくなる。
「あ、これ、僕、もうあの人たちと繋がってないってことだよね?」
「そうだ、相続も何も関係ない関係。書類上では肉親ではないという縁の切れた状態だよ」
「ああ、よかった。……でも苗字、変えようかな」
嘉那はそう言うので、さらに章吾が書類を出した。
「なにこれ?」
それを受け取ってから嘉那はキョトンとするも、書類を見てから目を見開く。
「養子縁組……それって、僕が章吾さんの子供になるってこと?」
「そう、同性同士じゃ家族にならないと色々と面倒なんだよ。病院でも嘉那も困っただろう?」
「あ、うん、家族じゃないからとか、ちゃんと家族か関係者とか色々言われた」
病院で身内と言われるのは同じ戸籍上の話であり、事実婚では身内の扱いはされない。
「確かに俺の子供に戸籍ではなるけれど、家族になるからこれから何があっても、一番に嘉那に連絡が行くことになる。嘉那のことも一番に俺のところに連絡が来るし、決定権もそうだ。何があってもお互いが一番だ」
「あ、そういうこと……なんだ」
「それに、苗字は瀬口から黒田になる。わざわざ苗字を変えなくても、変わるよ」
そう章吾はニコリとして言うと、嘉那は書類を抱きしめて涙をしている。
「嬉しい、僕、ちゃんと章吾さんと家族になれるんだ……ああ、嬉しい」
嘉那がちゃんと家族になることを喜んでくれて、章吾も嬉しくなる。
天涯孤独になった二人なので、寄り添って名実ともに家族になるのもいいことだった。
「ありがとう、章吾さん、嬉しい」
嘉那はそう言って章吾にキスをして、本当に嬉しそうに書類にさっそく自分の名前を書き込んでいる。
「はい、章吾さんも」
章吾が書くところに章吾が名前を書き込むと、嘉那がニコニコとしてそれを見ていて、すぐに書類を持ち、お互いに書き込んだモノを見ている。
「章吾さんの字、達筆……郁夫さんより上手い」
「それだけは得意だからな」
「むう、僕も字の勉強する」
妙なところで対抗心があるのか、嘉那がやる気をだしている。
「通信でもあるから、やってみるか? 俺なら教えられるし?」
「うん、やる!」
嘉那はやる気をだしてそう言う。
様々な教育を受けてきた嘉那であるが、自分から興味を示して何かをしようとしたのは、これが初めてらしい。
「章吾さまのことだけではなく、他のことにも目を向けて欲しいとは思ってましたが、やっと嘉那さまも好きなことが何でもできるんですね」
この八年を見守ってきた執事の石井は感慨深げにそう言った。
あっという間に過ぎた時間だったけれど、これから優しい時間だけが嘉那の側を流れる。
復讐だけに生きていくこともなく、ただ楽しみのために生きる生活。
そこから嘉那が何を得ていくのかは分からないが、せめてたくさんの幸せであるべきである。
章吾はそう思いながら嘉那を抱き寄せて頬にキスをする。
嘉那は笑いながらそれを受け、さらにキスを返してくる。
ずっと緊迫して暮らしてきたであろう屋敷の雰囲気は、使用人まで全員が解放されて、やっと穏やかな時間が流れる場所となった。
これからは、世間とは離れた場所でゆったりとした時間が流れる。
その中で章吾は嘉那と共に静かに生きていくことを喜びとしていくことにした。
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