Humansystem

6

 瀬口嘉那と暮らすようになった黒田章吾は、一年間は普通に暮らした。
 人の目があるなど様々なことが気に掛かり始め、章吾は嘉那に郁夫が暮らしていた屋敷に戻ろうかと言い出した。
「え? あそこに、ですか?」
 嘉那はキョトンとしているが、章吾は言った。
「あの屋敷の証拠保全が切れたんだ。警察から戻ってきた親父の遺品とか色々、整理しなきゃいけない。そのままって訳にもいかないから、週末だけ戻ってどうこうするよりは、嘉那たちに整理を頼みたいと思って、俺もあっちに当分住むことにする」
 章吾はやっと警察から屋敷の調査などが終わったと言われ、郁夫の屋敷をどうにかしなければならなくなった。
 維持をして行くとしても、郁夫の使っていたままでは意味がない。
 章吾が使うとしても郁夫の遺品整理はしなければならない。
 いろんな問題があの屋敷にある。
 その間に章吾は全て所有する会社で社長であったが、郁夫がいなくなったことで社長職から会長になり、それまでの章吾の職には昇進させた社長を付け、色んな業務を引き継いでやっと自由になったところだ。
 まだ三十歳を前にして隠居の身になってしまったと言ってもいい。
 派手に遊ぶ趣味がない章吾であるから、郁夫の様な仕事人間でもないけれど、持ち会社だけで十分優雅に暮らせるほどの資産があることになった。
 そして会社を人任せにできたことで、会長になって口出しはあまりしなくなると、章吾の経営していた頃よりももっと会社が建て直り、業績も上がった。
 よって、章吾が下手に口出すわけにもいかなくなって、章吾は隠居になったわけだ。
「俺の仕事もやっと引き継ぎしたから、暇になったんだ。あの屋敷は大きすぎてアレだから、もうちょっとコンパクトにしたい。骨董品も埋まってるようだし、それには嘉那は興味ある?」
「いえ、それはちょっとないです」
 家にあるモノが凄いのだが、嘉那はその価値を一切知らない。
 知る必要もなかったし知ったところで意味がなかった。
「そうか、じゃあしまい込んでいるのは売りに出すか。骨董屋って何処に言えばいいんだか」
 そう章吾が言い出すと、嘉那が言った。
「安藤さんが知ってる人、たまにお茶碗持ってきてた人がいました」
「ああ、そこだな。引き取って貰うにしても買い叩かれるのも親父に申し訳が立たない」
 そう章吾がいい、安藤に連絡を付けて骨董屋に引き取りにきてもらうことにした。案の定骨董屋は自分のところで引き取るべきだと思っていたようで、すでに幾つかの骨董品には次の買い手が狙っているものもあるらしい。
「なかなか商売上手だな」
 そういう話し合いをたくさんして、章吾は嘉那と二人であの奥多摩の別荘地に引っ越してきた。
 都内にももちろん持ち家はあるが、そこは泊まる程度にして片付けてきた。
 段ボールを幾つかに詰まった服や貴重品だけ引っ越し屋に頼んで簡単に章吾は引っ越した。
 部屋は郁夫の部屋だ。
「郁夫さんの部屋は章吾さんが使って下さい。それが一番、郁夫さんが望んでます」
 そう嘉那が言っていたし、執事は当然のように章吾を郁夫の部屋に通してくれた。
「ここが主人の部屋になります。今は章吾さまが主人でございますので、ここを使うのが当然でございます。ここは嘉那さまの部屋と対になっておりまして、部屋通し外へでなくても通路で繋がっております。使用人を気にせずに部屋を移動できますので」
 そう言われてしまい、章吾も察した。
 どうやら夫婦の部屋として作ったものなので、嘉那と対の部屋には絶対に章吾でないといけないということらしい。
「元々は郁夫さまが奥様のために用意した部屋でございます。ですが奥様は屋敷が完成した後にお亡くなりになられましたから」
 そう言われてしまった。
 どうやら母親を呼び寄せて余生をと考えていたらしいが、呼ぶ前に亡くなってしまったのだという。
 そうした大事にしていた場所を嘉那に与えたということは、郁夫がどれだけ大事に嘉那を育てていたのかが分かる。
 しかし、だ。
 思い出すにはこれまでの正しい二十歳の子供ではない、あの出会った日の妖艶な嘉那の姿である。
「なんで、あいつは平然と」
 あんなことができたのか。そう呟いたところ、執事が言うのだ。
「嘉那さまにとって、あなたは何よりも美しい人なのです。この屋敷を出てしまえば何が起こるのか分からない。だから勇気が欲しかったのです。あなたが屋敷に急にやってきて、計画が一部狂ってしまったのは、そういうことです」
 嘉那があんな暴挙に出るつもりはなかったのだという。周りも止めたが嘉那はあの狂気に似た章吾への思いを吐き出し、周りは皆、嘉那のために計画の変更をした。
 一度目にチャイムが鳴ったのは、警察を呼ぶために近所の派出所の警察官に事情を話すために呼んだものだったのだが、それを一度返してから計画を決行したのだという。
「それでも私は決行してよかったと思っております。そうでなければ、章吾さまは嘉那さまを引き取りはしなかったでしょうし、この屋敷に戻ってこられることもなかったでしょう。そして私たちもまたここで働くことも叶わなかったはずです」
 全ては嘉那の暴走であったが、結果、全員が落ち着くところに落ち着けたのは嘉那のお陰でもある。
「まあ、確かにそうだな。あれがなきゃ、俺が嘉那を気に掛けてやる必要は一切なかったようだしな」
 章吾はそう言う。
 郁夫が死んだ後は全部安藤が計画をサポートしていくだけで、章吾にはその役割は残っていなかった。
 郁夫が章吾に掛ける迷惑は、嘉那が暴露していく両親との戦いによる余波くらいで済んでいたのだ。
「いいんじゃないか、こういうのも。親父みたいにはいかないが、まあ、それなりにやっていくからよろしく」
 章吾がそう言うので、執事は深々と頭を下げてから言った。
「はいもちろんでございます、お帰りなさいませ、ご主人様」
 執事はそう言って下がっていった。
郁夫の部屋は、郁夫が読んでいた本などがたくさんあったけれど、章吾の好みに合うものか分からないので、一旦別の部屋に全部が移動している。
 ベッドなども全部が置き換えられているが、それは章吾が発注したものばかりだ。さすがに家具でもベッドなどは合わないので変え、ソファも古かったので買い換えた。
 敷いていたカーペットも古かったので張り替え、嘉那の部屋も同じように内装をいじった。
 屋敷内は活気に溢れていて、骨董品を置きまくりだったものは、骨董屋の指示で引取先があるものは片付けて貰った。
「まあ、まあ、ありがとうございますー」
 骨董屋は納屋の中で山ほどある骨董品を整理していた。
「橋田さん、片付いてます?」
「ええ、ええ、大分片付きまして、引取先も半分以上は決まっております。ここまでの品出しは久々ですんで、あちこちから声がかかりまして、どうかと思っていたお品も引き取られております」
「そうか、それはよかった。ああ、嘉那には親父の部屋の骨董品は見せてやっただろうか?」 
「はい、ご覧に入れまして、小さいもの数点のみお気に入りがございまして、それ以外は引き取りました」
「それはよかった」
 嘉那は骨董には興味がなかったが、郁夫の遺品である何かが欲しいだろうと思い、章吾が進めたところ骨董品の小さな飾りのものが気に入っていたようで、それが遺品として嘉那のモノになった。
 もし何かあっても嘉那はそれを持って何処へでも行ける。所有権を移したわけだ。
「まあ、あれも相当いい品でしたけど、まあ、郁夫さんもあれ気に入ってまして、嘉那さんが形見分けで貰ってくれて喜んでますやろ」
「なるほど、それはさらに良かった。あとは任せても大丈夫だろうか?」
「へい、大丈夫でございます。品の引取先がない分はうちで買い取らせて貰いますよって、ただ全ての計算をするまで一ヶ月くらいはかかるかと思います。何せ数が数ですから。それから引取先との支払い等、まとまりましたらまたご連絡させて頂きます」
「よろしく頼むよ」
 そう言ったところで嘉那がやってきた。
「章吾さーん、片付け大体終わったよ」
「そうか、じゃあ俺の部屋の本も手伝って貰おうかな」
「うん、持ってきたのを入れていけばいいんだね?」
「そうだ」
 そう言っているうちに嘉那が走って部屋に行ってしまう。
「嬉しいんかね。やっと帰ってこられたんやから、旦那さんは居られんけど、ここが家やからね、あの子にとっては」
 そう橋田が言うのでそれには章吾もそうだろうと思った。
 嘉那が虐待をされていた家から逃げてきて、流れ着いた先の天国がここだったのだ。
 ここ以外はきっと嘉那にとっては地獄であり、外の世界はかなりのストレスになっただろう。
 だからこそ、章吾もここに戻るのが嘉那のためになると思ったのだ。
 郁夫はいないが、その代わりに章吾もいるし、使用人は全員がそのままである。
 しかしその使用人の中で一人だけ、藤咲武士という家庭教師が消えている。
 嘉那はその人のことは気にしてもいないし、他の使用人たちも気にしていない。
 この人だけは海外逃亡をしたという理由で、刑を受けられないままである。他の人たちからの証言では、嘉那が二十歳になった時にお役御免となり、屋敷を退去しているという。
 だから事件が発覚する四ヶ月前にはすでにいなくなっていた。
 それだけが気になったが、嘉那に聞くと普通に言うのだ。
「藤咲先生は、作家さんを目指していたんだけど、当面のお金が必要だったから、郁夫さんの秘密の仕事に応募してきたって言ってた。海外の大学を出たって言っていた」
 嘉那は裏側は知らないから、藤咲がどういう人なのかも知らないが、嘉那が章吾に執着する理由はそこにあった。
「僕も一緒に連れて行きたいっていったけど、僕は断った。僕には章吾さんがいるから、章吾さん以外は要らないって言ったら次の日には出ていった。郁夫さんは、仕方がないよって言ったよ。でも章吾さんが僕の思う人じゃなかった時は、藤咲先生のところに逃げてもいいよって言ったけど、僕、そんなこと絶対にないって言ったんだ。郁夫さんはすごく笑ってた」
 そう言いながら、嘉那はしっかりと章吾に抱きついた。
どうやら家庭教師だった藤咲は嘉那のことを可愛がっていたらしい。連れて行きたいほどに思ってくれていたけれど、嘉那のあの思いを知れば、置いていくしかなかったのだろう。
 どういう人なのかは気になるが、嘉那の気のなさに気にする必要もないのかと思い始める。
 今、嘉那が選んだのは自分であると、章吾は思った。
 警察に見つかってから、章吾と嘉那はただの同居人になっている。
 周りから不審がられないように、嘉那も慎重に行動していたようだった。
 けれど、この屋敷に戻ってきたら、きっと何かが変わるのだろうと、章吾は思った。
 そう、章吾は変わりたかった。
 嘉那を愛でるだけで終わる郁夫にはなりたくなかったのだ。


 章吾は自分の部屋に戻ると、嘉那が本をほとんど出してしまっていた。
 持ってきたものが二箱くらいだったので、そこまで多くなかったのもあり、簡単に片付いてしまったようだ。
「終わってしまってるな」
「うん、本棚が大きいから、棚が余ってるね?」
「そうだな、かといって読まない本を入れておくのもなんだし、何かレイアウトして写真立てとか入れるか」
「それ、僕がやっていい?」
 嘉那はそれを聞いて興味を見せている。
「お願いできるか?」
「うん、する!」
 小さい子供が親からいい仕事を与えられて張り切っている様子に見えてしまった。
 このまま何もしないまま、嘉那がここから出ていくのを郁夫の様に見守るという未来が少し見えてしまい、章吾は思ったより動揺した。
「……章吾さん、どうしたの?」
 急に黙った章吾を不審がって嘉那が近づいてくる。
 章吾はゆっくりとソファに座り、その隣に嘉那が座ってきた。
「……ああ、少し疲れたかな」
「そうなの? 休んでて、あとは僕ができるから」
 そう嘉那は言うと、持ってきた章吾の荷物を今度は郁夫が使っていた大きな机の中にしまっていく。
 郁夫の机は百万はするいい素材を使った机なのでさすがにこれを捨てて安物に変えるのは勇気が要る。なのでそのままの配置にもあっていたので章吾は大事に使おうと思っていた。
 そんな机を触りながら、なんだか嘉那が楽しそうだった。
「何が楽しいんだい?」
 子供の仕事みたいなことをして嬉しいのかと聞くと、嘉那は首を振った。
「ううん、郁夫さんはね、僕にこの机の引き出しを開けることだけは許さなかったんだ。絶対にね」
 そう嘉那が言うので章吾は首を傾げる。
「あとで知ったんだけど、ここには僕のことに関する資料とか、他の使用人たちの履歴とか入っていたから絶対に見せたくなかったんだろうな。僕は郁夫さんの前では子供で、ずっと子供で、決して大人じゃなかった。けど、章吾さんは、こうやって僕がお仕事の書類を触って片付けても怒らないし触らせてくれる。ちゃんと章吾さんの中で僕は大人だ、嬉しいなって」
 そう嘉那が言うので、章吾は少し照れた。
 嘉那の基準としては大人として見て欲しい部分をちゃんと章吾がそう見ていることが嬉しいのだと言うから、きっと嘉那の気持ちもまた大人としてみて欲しいということなのだろうと分かってしまった。
「あのね、僕はもう二十一歳で、大人です。章吾さんもそう扱って下さい」
 嘉那は少しだけ色っぽさを見せてから、章吾の手に手を重ねる。
 その見上げてくる嘉那に章吾は唇を少しだけ噛んだ。
 どうやらセックスをしたいと思っている章吾の気持ちがダダ漏れだったようで、それが年齢の割にがっついていることが恥ずかしかった。
「章吾さんがそう思ってくれていることが嬉しい……ですっ」
 嘉那がそう言い、顔を赤らめているのが可愛かった。
章吾はそんな嘉那の頬に手を当てて、キスをした。
 お互いに誰かをここまで愛おしいと思えたのは初めてだった。

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