Humansystem

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 ニュースはたった三日で瀬口嘉那の救出から、捜索をしていたはずの両親の虐待疑惑まで駆け巡った。
 両親はそれまでテレビで嘉那の帰宅を喜んで、早々に引き取りたがっていたが、報道が一変すると自宅に引き籠もり一旦沈黙した。
 元近所の住民は取材に対して暴露をし、さらには両親が捜索のために募金などで得た金を、私的流用しており、旅行や家、ブランド品を買い漁るなどを繰り返していた事実まで喋った。
 確かに瀬口嘉那の自宅は、事件当初は一般的なアパートだったのが、嘉那がいなくなって二年目で引っ越し、一軒家を購入していた。さらにそこからもっと大きな一軒家に引っ越しており、事件当初の様子から様変わりしている両親の環境に対して、マスコミがワイドショーと一斉に取り上げた。
 両親は仕事はしておらず、どこから資金源を得ているのか不明とされるも、援助をしていた誘拐被害者家族の会という団体の資金の使い込みまで発覚する事態に陥った。
 一週間もすれば、世間は両親の虐待から誘拐を機に逃げ出し、さらには拾ってくれた郁夫が嘉那を大事に育てて教育までしていた事実を知り、郁夫の選択は間違っていなかったということまで報道で流れるようになった。
 児童相談所は当時の劣悪な環境の嘉那を何度も保護しながら自宅に帰していた事実を認めて、当時の関係者が残っていないことで謝罪をしたが、当事者が両親と交流があり、帰りたくないという嘉那の当時の訴えを無視していた事実まで出てきた。
 嘉那は自分が保護された日時を覚えていて、実際に記録に残っているはずの調書などがその職員によってもみ消されていたことも発覚した。
 そして嘉那は誘拐をした人を恨んでいないことや、あの時そうしてくれたお陰で自分が生きているから感謝しているとまで声明を出した。
 こうなってくるとマスコミも扱いは両親の虐待に絞ってきてしまい、ここで黒田郁夫を叩く流れは世間が許さない事態であることを察した。
 すると、章吾の会社に取引を中止すると言ってきた取引の会社たちが手のひらを返して章吾の会社との取引を再開し、辞めると言った社員が辞職を撤回してきた。それでも残りの四分の一ほどの社員は戻ってこようとするも、そのままリストラの対象として章吾が辞職を処理してしまい、無駄なリストラをしなくても社員の一部は辞職したことになった。
 当然、それは恨みを買うのだが、それでも自分で辞職をしたので訴えても無駄なことで、章吾は該当者に退職金をさっと振り込んで追い払った。
 このご時世、そうそう簡単に章吾の会社とレベルが同じところに就職できる術はほぼないけれど仕方がない。
 そして会社の引き継ぎなどは行われなかったことで、混乱はあったがそれでも優秀な社員は残っていたため、それらは乗り越えられた。
「結局、これを理由にリストラ候補を都合良く処理して追い出した結果にしかなりませんでしたね」
 秘書の棚橋は少しだけ不安だったそうだが、郁夫が人助けをする場面をよく見ていたことがあったので、郁夫が意味もなく誘拐された子供を隠したわけがないと思ったらしい。
「まあ、最後の最後で親父の力を借りた結果だけど、これで大体取引も戻ってきたな」
 章吾が一週間ぶりに会社に戻ると、秘書たちと残ってくれた社員の力で会社はなんとか持っていた。そして報道は章吾が釈放されてきたら、事態は好転した。
 世の中の人はさすがに虐待をした両親は許さなかったし、児童相談所の事件もまた嘉那を助けるものではなかったことも知ったし、警察が機能していなかった事態も浮き彫りになり、郁夫の選択が一番嘉那を傷つけることなく成人をさせられたと認めるようになってきた。
 そこに虐待を受けて育った人たちが、嘉那と郁夫のことを擁護し始めて、世の中の虐待を受けたこともない人たちに対して、自分のことを話し始めた。
 親は子供を無条件で助けると思い込んでいた人には衝撃の事実であるが、テレビ局もそうした特集を組んで取り上げたお陰で、嘉那の事件は根本的な問題解決がされていないことも知った。
 さらには嘉那が教育をちゃんと受けていた事実も公表され、その勉強のスケジュールに有名大学の人たちが感心したほどのきちんとしたものであった。
 また嘉那が解いた歴代受験の回答から、嘉那がかなり秀才であることも分かり、郁夫が際限なく教育を受けさせていた事実も広まった。
 また身長が伸びなかったのは、虐待時に受けた栄養失調が原因であり、細いからだであるがよく食べるというような些細なことも安藤弁護士は記者に話した。
 嘉那はまだ児童相談所の一時保護を受けながら病院で警察と事情聴取をしている。
 警察もだんだんと両親と接触させる意味がないことを悟り、嘉那を一人の成人として扱うことになった。
 その結果、受け入れ先を決める流れで、嘉那は章吾を頼りたいと発言した。
「俺しかいないんだろうな。どこかのマンションに入ってもあの両親じゃ逆上して殴り込んできそうだしな」
 そう言う章吾の目はワイドショーに釘付けである。
 嘉那の両親は嘉那の発言を嘘だと言い、ストックホルム症候群であることを診断するように訴え出た上で、嘉那の弟である悠人が、誘拐犯を実は見ていたと発言、その相手が蓮山伸という友人であることまで暴露をした。
 嘉那はそれを認めて、蓮山を訴えないと発言を返した。
 しかし蓮山はすぐに警察に出頭し、嘉那を遺棄したことを認めたが、郁夫との繋がりは否定。そもそも嘉那が生きているとは思ってすらいなかったことを自白した。
「俺は……あの夫婦に恨みがあった。本当は弟の方がよかったんだけど、居たのはあの子で、仕方ないから誘拐をしたら、あの夫婦全然気付かない。一日で怖くなって県境に置いてきた。でもあの夫婦、三日以上あの子がいないことも気にしてなかったし、その間も旅行に行ってた。だから三日して置いてきた場所に探しに行ったけどいなかったから、死んだと思ってた」
 そう蓮山は自白をした。
 もちろん、その当時、警察は三日間行方不明の子供がいるのに捜索願を出さずに旅行をしていた両親を責めたが、両親は自宅に残るとごねたから置いていったとすべきじゃなかったと反省して、それからマスコミを呼び捜索を開始した。
 最初こそ警察は両親を疑うも児童相談所に記録がないと返答が返ってきてしまい、近所の聞き込みの情報も当時の刑事が嘉那の父親と知り合いで都合が悪いことを報告をしなかったことで嘉那の虐待は疑いのまま終わっていた。
「ずっとあの子は死んでた方がいいと思ってた。あのまま、生きていたとしてもきっと何処かで死んでいたと思ったから。でもちゃんと生きてた。よかった。本当によかった。だから俺も罪を償わないといけない」
 蓮山はそう言って全面自供をしたのだが、嘉那はそれを訴えないと再度言った。
 しかし起訴はしなければならない事件なので、起訴はしたものの、被害者である嘉那の温情と当時の劣悪な環境から逃げるために利用した形であることから、蓮山の起訴した求刑は一年程度。しかし執行猶予で終わると言われた。
「それでいいんだな、嘉那?」
「はい、それで構いません。本当は感謝状をあげたいくらいなのですが、執行猶予を付けた方が本人のためになると安藤弁護士に言われたので、仕方ないです」
 嘉那は警察病院を出た後は、居所を隠すために警察と話し合って警察病院に入院しているということにして、章吾が用意したホテルにまず移動した。
 そこで一週間過ごしたところで、警察が嘉那の両親を逮捕、容疑は虐待疑惑であるが、拘留期限が切れる頃には募金詐欺の件でも逮捕状が出るらしい。
「まさか、僕の名前を使って捜索しているかのように装って、募金活動をしているとは思いませんでした」
 両親が自分を探す振りをするのはせいぜいマスコミが追っている間だけだと思っていた嘉那は、両親の募金詐欺に対しては冷ややかだった。そのお金で裕福な生活を送っていた事実はワイドショーがこぞって取り上げている。
 高級な家、高級車、募金活動に全国を回りながらも海外旅行を繰り返していた。
嘉那もよもやいなくなってからも彼らから窃取されているとは想像だにしていなかったのだという。
 そんな嘉那は、警察病院でまったくの健康であることが証明され、嘉那が望んでいるという理由で章吾の元に来た。
 嘉那は章吾に面倒をかけるのはと迷ってしまっていたが、安藤弁護士から章吾から協力要請があったことを伝えられると本当に喜んで章吾を頼った。
「本当に僕が章吾さんのお世話になってもいいのでしょうか?」
 そう嘉那が言うのだが、章吾は至極真っ当に答えた。
「行くところもないし、金もない。マスコミは何処までも追ってくるし、まず住む先も見つからない。仕事だってないだろうし、どうするつもりだったんだ?」
 その疑問に対して、嘉那は何一つ答えられなかった。
「すみません、考えていませんでした」
「だろうな。そういう予定じゃなかったんだろう? 親父が死んだのが突発的な事故だった。だから予定すら立てられてなかったってことだろ?」
「えっと……当初の予定としては、まず章吾さんに会ってから、話し合いをして警察に出頭するつもりだったんです。その話をしに行った先で、郁夫さんは亡くなりました」
 そう言うと、嘉那は涙をポロポロと流して泣いている。
「い、郁夫さんがもういないだなんて……嘘みたい……ずっと側に居てくれるってそう言ってたのに。僕が幸せになるまで、見てるって言ってくれたのに……」
その涙は綺麗で章吾は見惚れた。
 わーわーと泣きわめくではなく、さめざめと泣くというような泣き方で、その涙を嘉那は拭こうともしない。涙は瞳から顎の先まで流れると、ポタポタと床に落ちていく。
あまりに綺麗に泣くので、追わず章吾はそんな嘉那を抱きしめていた。
「大丈夫だ。親父が残したものの後片付けは俺の役割だ。嘉那のことも全部、俺がサポートしていく。親父と同じようにな。だから泣くな」
章吾かそう言って胸に抱いて嘉那に言うと、嘉那は頷きながらもしばらく泣いた。
 そんな嘉那を慰めながらも、章吾は嘉那がいかに綺麗に育てられたのかを実感した。
 父親の子育てなど、きっと成功もしないことだったのに、礼儀正しく、丁寧でありながら、問題も多いトラウマを持つ子供を根気よくここまで育てるのは、きっと章吾を育てるよりももっと大変だっただろう。
 章吾はそんな嘉那に父親に対する気持ちで嫉妬するかと思ったが、意外にそれはなかった。
 それよりも庇護欲を感じてしまう嘉那の華奢な身体をしっかりと抱いて守らなければならないと思ったほどだ。
「いつか……郁夫さんが、章吾さんに会わせてくれるって言った。とても優しくて強い子に育っていたから、郁夫さんが奥さんを褒めてた。本当にいい子に育ってくれて、大学を出たら会社を興せるほどに優秀だったけど、不況のあおりで仕方なく自分の仕事を手伝ってくれるようになったけど、すごく有能で、本当に自分が育てなくてよかったって、奥さんに全部任せて正解だったって……嬉しそうに目尻下げていつも話してくれた」
「……嘉那……?」
「僕は、章吾さんに会うのが凄く楽しみだった。ずっと会いたくて会いたくて、いつあえるのって郁夫さんに強請ってた。まさか、郁夫さんが亡くなって、それから会うことになるとは思わなかったけど……章吾さんに逢えて嬉しいけど、ここに郁夫さんがいなくて悲しい」
 嘉那がそう言い、章吾の顔を見上げてくる。
 それは泣きはらした目が、本当に悲しいのだと伝えてくる。
 けれどそれ以上に、嘉那のそんな姿に章吾は色っぽさを感じた。
 子供ではない子供。
 何処かで見たことがある、そんな歪な姿をしている。
それは何処かで狂ってしまったら二度と戻らない子供という純粋なもの。自然と変わっていく子供から大人への階段を、嘉那は一気に駆け上がったという感じに熟していた。
ちゃんと嘉那に会うのは、あの屋敷の出来事からすでに一月が過ぎていた。その間、顔を合わせることはできなかったので、今初めてちゃんと見ることになった。
「章吾さんに会うことだけ……僕にはそれだけがずっと望みだった」
 嘉那はそう言って章吾に抱きついた。
 絶対にもう離さないというように、しっかり章吾を抱きしめる。
 章吾はゾクリとした。それは寒気ではない、鳥肌で、明らかに欲情している感覚に陥る現象の一つだった。
 そんな自分の変化に章吾は、奥歯を噛んで耐えた。
「章吾さん……」
 見上げてくる嘉那のその様子があまりに色香を放っているせいで、章吾は嘉那に言ってしまった。
「そうやって、親父も堕としたのか?」
 そう言い、嘉那を引き離す。
 しかしその時に見た嘉那の顔は、本当に驚いていて、何を言われたのか理解できていなかった。
「……え? なに?」
「そうやって親父も色香で惑わせて、堕としたのかと聞いている」
 章吾の怒りに触れたのだと気付いた嘉那は、章吾の腕を掴んで言った。
「そんなこと、してないっ! 僕は郁夫さんと、そんな関係じゃない! 郁夫さんは本当にお父さんで、僕は子供だった……っ!」
嘉那はしゃくり上げるようにして叫び、それは嘉那のパニックを引き起こした。
「みんな、みんな、みんな……みんな、同じ事しか言わないっ! 僕が違うって言うのに、信じない。本当のことを言ったってみんな信じなかったくせにっ!」
 嘉那はそう狂ったように叫び始めた。
 それは章吾にも予想外のパニックであり、嘉那の何かトラウマに触れたことだけは理解できた。
「い、郁夫さんだけは違ったっ郁夫さんだけは違ったっ!! 僕には郁夫さんだけだったのにっ!! 郁夫さんが章吾さんだけは信じていいってっ……ぼくは、信じたのにっあなただけってしんじたっ……ぐっはっあうっ……っ!」
 嘉那はそう叫びながら、激しく呼吸を乱してその場に倒れる。
 パニックによる過呼吸だった。
「嘉那っ!」
それを章吾が抱き留めると、嘉那はそんな章吾に向かって言うのだ。
「ぼくはっ……あなたに、っ……あうためだけ、いきてきた……っ」
嘉那はそう言い、何とか呼吸を正そうとしている。
 パニックになると過呼吸になり倒れるのには慣れているようで、自ら呼吸をコントロールする術を学んでいるようだった。それでも過呼吸になるほどのパニックになる自分を止められないのは、自分の感情以前に他人の言動によってストレスがもたらされるからだ。
 ひゅーひゅーっと苦しそうに息をする嘉那を章吾は抱えて落ち着かせるように言った。
「嘉那……疑って悪かった。けれどそれを確認しなきゃいけないことだった」
 そう章吾が言うと、嘉那は息を一生懸命整えながらも章吾を見る。
「……ぼくは、章吾さんだけ……しんじられないなら……章吾さんが、僕を、殺して……」
嘉那の必死さ、それは本当にそれだけしかないというような必死さだ。
「嘉那……」
「本当に……章吾さんが……要らないなら、殺して……」
 章吾に会いたいという気持ちが嘉那の生きるモチベーションの一つで、様々な生き方を押してきた郁夫は、嘉那を生かすために章吾を使ったのだ。
 何にも興味を示さない嘉那が、唯一興味を持ったのが章吾で、郁夫は嘉那がこうなるまで章吾のことを思うとは思っていなかったのだろう。
 そうでなければ、会わせるなんて最後にしようとは思いもしなかっただろう。
歪な環境で育ち、誰かに期待することをやめて生きてきた嘉那に、やっと与えられたのが章吾という人間の生き様だ。
 繰り返し繰り返し郁夫に強請り、章吾のことを話す郁夫が、なんとかして大学時代の章吾に会おうとしていた理由がやっと解った。
 実の父親であっても、会うことなく生きてきたはずだから、お互いに関心はなかったはずだ。それなのに、どうしても郁夫が三ヶ月に一回でも会おうとしていたのは、すべて嘉那に話して聞かせるため。
 子育てをしてこなかった人が、やっと取り組んだ子育ては何よりも難しかっただろう。
 章吾はそのことに気付いた今でも、郁夫を恨む気もなかったし、嘉那を妬む気もなかった。
 章吾に捨てられる、信じられないくらいなら、殺してくれて良いと言うほど、章吾を思い、現実に会ってもまだその揺らがない信頼という絶対的な感情。
 それは郁夫が育ててきた、化け物の誕生だった。
 瀬口嘉那という、最大でやっかいな狂った子供を章吾に残して郁夫は逝ってしまった。

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