Humansystem

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 八月に入ったばかりだった。
 その日の静けさは、たぶん事件の前触れだったのではないかと黒田章吾(くろだ しょうご)は今でも考えることがある。
 章吾は父親の会社を継いで四年が経った。
 大きすぎる身体を社長室の椅子に座らせて、判子を押し、書類を確認して後は従業員の手腕に任せる。そんな日々だ。
 百八十はある身長と、ジム通いで鍛えた身体には、世間で言うイケメンよりは強面の顔が付いている。やっと慣れたスーツ姿にも社員から違和感がないといわれるようになってきたばかりだった。
 当日も仕事場に顔を出し、書類に判子を押しているとお昼になった頃だったろうか。
 懐から出してテーブルに置いてある携帯電話がけたたましくなった。
 番号は父、郁夫からであった。
「はい?」
『黒田郁夫さんのご家族の方でしょうか?』
 しかし電話をかけてきた人物は郁夫ではなかった。
「はい、息子です」
 携帯電話でも落としたかと思って、ふっと息を吐いて答えると向こうがとんでもないことを告げた。
『ああ、息子さんでしたか。良かった連絡が取れて。こちら奥多摩警察署、交通課の渡辺と申します。実はお父様が車の事故にあって重体で○○病院に運ばれました……心肺停止でしたので……』
警察からの連絡は郁夫の死を告げる電話だった。
 嫌な予感はこれだったのだ。

 章吾が慌てて言われた病院にタクシーで行くと、手術は行われず死亡を確認された父親と面会することになってしまった。
 怪我は外傷があまりないのだが、頭を強く打ち付けており脳機能が停止していたという。心肺蘇生をしたが回復しなかったという。これでは助かりようもなかった。
 あっという間に医者が消えて行ってしまい、看護師によって刑事と話をするようにと別室に案内された。
「奥多摩?の渡辺です……このたびはご愁傷様です」
 章吾には何が起きたのか理解できなかったが、父親の車を運転していた運転手も死亡しており、どうやら対向車線をはみ出した車に正面衝突をされ、押し出されるようにしてガードレールを突き破って崖下に転落したようだった。
 衝突された時点でおそらく即死、生きていたとしても崖下に転落したことで心肺停止になっていただろうと言われた。さらに引き上げるまでに二時間も要してしまったため、到底心肺蘇生も無意味だった。
「相手の運転手も衝突した衝撃で死亡していて……被疑者死亡による書類送検にしかならないかと思います。あとは民事による解決になるかと……」
 犯人である運転手は死んでいた。
 警察が言うように刑事事件としては被疑者死亡により裁判は簡素に終わった。目撃者もいたため、郁夫側に何の非もないことも証明され、被疑者家族も揉めるのは嫌だったのか和解金を支払ってきた。そして郁夫の保険金が即座に支払われた。
 郁夫には章吾しか子供が居らず、章吾は郁夫の全ての財産を相続した。
 郁夫は生前は隠居したとはいえ、大企業の顧問などを務めていたり、自身も今は章吾が経営している建築会社と不動産会社の二つを大成功させていた人だった。
 その全てを手に入れたけれど章吾の心は満たされなかった。
 反発していた父親に勧められるがままの道が嫌で、自身でイベント企画会社を作ったが失敗し、多額の借金を背負ったところを会社を救って貰う代わりに会社を継ぐことになった経緯があるせいで、借金の返済すらできなかった事実が悔しくもあった。
 忙しい会社経営もなんとか乗り越えて郁夫に関する全ての処理が終わった頃になって、やっと郁夫の住んでいた屋敷のことが頭に浮かんだ。
 郁夫が奥多摩で自動車事故にあったのは、奥多摩に引っ込んで暮らしていた屋敷があったからだ。
 辺鄙なところの土地を買い、大きな敷地に大きな屋敷を建てるのが夢だった郁夫は、もう二十年以上そこで暮らしていた。
 章吾はそこに入ったこともないし、連れて行って貰ったこともないが、相続した書類を見ていると東京ドーム三個分くらいの敷地であることを知った。
 とにかく一月は様々な手続きが続いたが、やっと暇になったので屋敷に向かった。
 というのも、郁夫がいなくなったはずの屋敷から引き落とされる電気やガスは止めていなかったのでそれも見てこないといけなかった。
 現地に行かないと分からないこともある。
 売るにしても屋敷内を片付けなければどうにもならない。
 そして郁夫は何人か人も雇っていたと思ったがそこから何の連絡もなかったことも気に掛かった。


 章吾が車で屋敷に着くと、門の扉が自動で開いた。
 どうやら中にいる誰かが開けてくれたらしい。
「くそ、葬式にも来てなかった使用人か?」
 指示がなければ辞めるにしても辞められず、屋敷の維持を続けているのだろう。
 やっと現在の主人である章吾が玄関を潜ると執事が出迎えてくれた。
「章吾様でいらっしゃいますね。初めまして、執事の石井と申します。ご主人様から章吾様がおいでになるまで何もするなと言いつかっております。お屋敷をご案内させて頂きます」
 五十くらいの細い身体をした執事が顔色を変えずにそう言い出してしまい、章吾は文句の一つも言えなかった。
 どうやらこうした場合の処置として執事や使用人は郁夫からこうするように言い付かっているようだったからだ。
 屋敷はシンとしていた。物音は一切なかった。誰もいないのかと思っていたが、途中、庭で作業をしている人を見かけた。
「この屋敷には何人の使用人がいる?」
 章吾がそう言うと、執事は言った。
「現在、執事の私を含めて六名が暮らしております」
「どういう?」
「執事が一名、庭師が一名、コックが一名、清掃が一名、メイドが一名、お預かりしているお客様が一名となります」
 執事がそう答えたので、章吾は首を傾げた。
「客? どういう客だ?」
 主人が死んでからもいる客なんて碌な人間ではないと判断した章吾が聞き返すと、執事は言った。
「ご本人様からお話があるようでございますので、ご主人様のお部屋にご案内させて頂きます」
 執事は決まった行動であるとばかりに章吾を郁夫の部屋に案内した。
 郁夫の部屋は一番屋敷の奥の方にあった。しかし他の部屋がさらに奥にあるようだった。
 その廊下のドアが一つあり、鍵を使って執事がドアを開けた。
「私はここでお待ちしております」
 執事がそう言って部屋の外に立っていて、部屋には章吾だけが入るように言った。
 部屋に入ると、大きな庭が見渡せるような一面がガラス窓であり、その庭にはバラ園が広がっている。
 郁夫がバラが好きだとは知らなかった。
 そんな感想が浮かんだ時に、また部屋のドアが開いて人が入ってきた。
 それは執事ではなく、少年だった。
 身長は百七十はないくらいに低く、そして身体も運動などしてないような細さ、髪の毛は漆黒、肌の色も白く、少年だと分かるのは顔つきが女性の柔らかさをしていないというくらいである。
 しかし美しかった。
 儚さと視線のしっかりとしたところがアンバランスで、そして何か危なっかしいほどに純に見えた。
「こんにちは、章吾さん」
 急に少年が少し甲高い声で話しかけてきた。
「……君は?」
 ここにくるのはさっき執事が言っていた預かっている客のはずである。
 少年がそうであるなら、どういう繋がりがあるのかまったく章吾には予想も付かなかった。
「僕は、瀬口嘉那(せぐち かな)と申します。郁夫さんに助けて貰ってました」
 そう嘉那が言う。
 助けるとはどういうことなのか。章吾には一切何のことか分からない。
 どういった関係でこんな少年を預かっているのか。そして郁夫が亡くなったのにどうして出てもいかないのか。いろんな疑問が浮かんでしまい、それが章吾の顔に出ていたのだろう。
 嘉那は少しだけ申し訳なさそうに眉をハの字にしてから言った。
「郁夫さんが亡くなったなんて突然すぎて、なかなか実行に移せなかったんですが、僕も二十歳になったので自分の運命を受け入れようと思います」
「は? どういう……」
 まったく何を言っているのか理解できずに章吾がぽかんとしていると、屋敷の玄関のチャイムが鳴る音がしている。
「これから章吾さんには迷惑をかけるかと思います。物凄く大きな騒動になると思います」
「だから、どういうことで……?」
 章吾が苛立って聞き返すと、嘉那が言った。
「でもその前にすることがあって……章吾さんに協力をして貰いたいのです」
 嘉那はそう言って章吾の手を握った。
 その仕草は本当に大事なモノに触るかのような手つきで、章吾はドキリとする。
「……これから僕がすることは、あなたにとって不快になるかもしれない……でも僕は、どうしてもあなたが欲しい」
 嘉那がそう言うので、章吾はゾクリとした。
 嘉那が見上げてくる視線、そして熱っぽい表情は蕩けたような顔で、その顔にドキリとしたのだ。絶対に感じるわけもないはずの感情が浮かび、それが章吾を支配する。
 どうしてこんな少年に心臓が高鳴るのか、まったくもって分からなかった。
「は、離せ……あれっ……?」
 章吾が気味悪くなってしまい、嘉那を払いのけると、章吾の視界が歪む。
 グニャリと歪んでいく視線と、章吾の身体から足の力が抜けてその場に座り込んでしまう。
「……な、なんだ……?」
 意味が分からずにその場に座り込んでしまう章吾を上から見下げている嘉那が少しだけ舌なめずりをしてから言った。
「ごめんなさい、こうするしか僕には方法がなくて……でも大丈夫、頑張るから、章吾さんは寝てていいんだよ」
 そう嘉那が言う。
 一体どういう意味なんだと思っていると、外に居たはずの執事が部屋に入ってきた。
「お部屋にお運びいたします」
「うん、お願いね」
 そう言うと、もう一人男がやってきて執事とその男に担がれるようにして章吾は奥の離れの方へと運ばれていく。
 屈強な肉体を持ってしてもそれらを撥ね除けられるほどの力も出ず、そして頭の芯が妙に熱を帯びたように熱くなっているのも何かおかしいと章吾は気付いた。
 もしかしなくても、これは何かクスリでも盛られたのか。
 郁夫が残したこんな家にいる人間、それが何者か分からないが、章吾は命を狙われているのだと思った。
 もしかしたら郁夫との何か繋がりがあり、章吾が死ぬとあの嘉那と名乗っていた人間の得になる何かがあるのか、それともこの屋敷の権利か何かを奪いたいのか。
 様々なことを考えるのだが、どうにも予想が付かない。
 ただ章吾は自分の思っている以上に事態が悪くなっていることだけは理解した。


 離れの部屋に入ると、章吾はベッドに寝かされた。
 重さでベッドが沈むと、急にベッドから香水のような心地が良い匂いがしている。
「ありがとう、あとは僕が」
 嘉那が後を追ってきて、部屋に入ってくる。
「……よろしいのですか?」
 執事がそう尋ねているのは嘉那にだった。
 嘉那は少しだけ目を伏せた後に執事を見上げた。
「これしか、僕には方法がなくて……だって見つかったらもう、僕の願いは叶わない」
 嘉那がそう言うと、執事は嘉那の肩に手を触れてから言った。
「分かりました。申し訳ありません、出過ぎたことを言いました。それではお食事は廊下に置きますので、必ずお召し上がり下さい」
「うん、ありがとう」
 嘉那は執事たちが出ていくのを見た後、ゆっくりとベッドに近づいてくる。
そしてベッドに上がり、章吾の頬を手で撫でてくる。
「どういう……つもりだ……」
 章吾がそれに抗議をする。
 身体は重くなり、真面に腕さえ上がらない。
 なのに身体の芯だけが熱く、頭が朦朧としてくる。
 この感覚に章吾は覚えがあった。
 クスリだ。
大学時代に流行っていたレイプドラッグ。飲んでセックスをするとどうしようもなく気持ちが良くなり、セックス以外する気がしなくなるやつだ。
 章吾はこのクスリでとんでもない目に遭ったことを思い出す。
 章吾の父親のことを聞きかじった当時の彼女が、これをビタミン剤だと言って章吾に飲ませ、無理矢理セックスに持ち込んだ。そして章吾も止まらずにセックスをしてしまい、彼女が妊娠を狙っていたことを知ったのは、その後のことだ。
 だからこの手のクスリにはその後一切手を出したことはなかったけれど、まさかこんなところで再度同じ手に引っかかるとは章吾は思いもしなかった。
「本当に、ごめんなさい……章吾さんは目を瞑ってて、大丈夫、ちゃんとするから」
 嘉那はそう言いながら章吾の頬をまた撫でてから、ベッドの脇に立った。
「どういう、つもり……だ……」
 シュルリと布が擦れる音がして、章吾は横を向いた。
 すると嘉那がワイシャツを脱ぎ、下着まで脱ぎ捨てていくのが目に入った。
「なんの……真似だ」
 やっと声を絞り出して言うと、嘉那は最後まで服を脱いでから章吾の身体に跨がった。
 そんな嘉那を見上げた章吾は、目を見開いてドキリとした。
 全裸になっている嘉那は、美しい身体を撓らせて、章吾のパンツからペニスを出している。
「ちょっ……と、お前……なに、して」
 そう驚くと同時に章吾のペニスはすでに勃起している。
 それを嬉しそうに眺めた嘉那は言うのだ。
「大丈夫、ちょっと貸してね……」
 そう言うのだが、その淫らに湿った唇がとんでもなく色っぽかったことがその後の章吾の心を常に乱していくことになってしまった。

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