even then

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 矢島がこっちの大学に来られたのはテニス部の交流会で許可を貰っているらしく、大学内で話をするほうが安全だと言ったからだ。
 矢島遼一は籐佳を見ると少しホッとしたように笑った。
「悪かった、あの時は。君もあちら側だと思っていたのだけど、どうやら違ったみたいだ」
 そう開口一番に言われたけれど、籐佳は少しそれに微笑んだ。
 本当に入江や室岡を嫌っているのがありありと分かる態度で、テニス部を滅茶苦茶にされたことは恨んでいるようだった。
 けれどそれは籐佳のせいではなく、室岡のごり押しのせいだとは最初から分かっていた。
「いえ、僕はあの時はまだあちら側だったのかもしれません。だから追い出しておいて正解でした」
「そっか、なら僕の判断は間違っていなかったんだね。でも君は大学を休学してここに転学をしたってことは、とっくにあいつらと切れているってことなんだよな」
「そう、です。それで入江や室岡が最近、こっちの大学に来ているようだったので、そのことで話を聞きたくて」
 籐佳がそう言うと、矢島もこっちにあの二人が狩り場を変えたことに驚いている。
「そうか、こっちにもテニス部があるから室岡を使えば入り込めると思ったんだろうけど、それは無理だな。こっちの部長は俺の幼なじみなんだ。だから室岡の所業は全部伝えてシャットアウトするように言ってある。大体プロにはなったけれど、その後親の金で道楽しているだけの元プロの発言が何の役に立つって言うんだってずっと思っていたからね。まだプロならそれなりに敬意は払ったんだよ。でもそうじゃない。トレーナーになったわけでもないプロを辞めた一般人だ。だから胡散臭いと思ってたからな」
 矢島は自分の采配や読みが間違っていない事実に自信を付けたらしい。
 その辺りの嗅覚は相当だったようで、あれからテニス部はちゃんとしているようだった。
「最初からって、矢島さんはいつから疑ってました?」
「そうだな、テニス部に最初に来た時からかな。何だこいつ全然教え方もなってないなって思ってから。たまに来てはそれらしいことばっか口にしているけど、必ず飲み会を開くために来るから、何か目的がそこなんじゃないかって気付いてからはもう胡散臭いのこの上ないと思ってたよ」
 ここまで自信たっぷりに言われると、それを尊敬していた籐佳は馬鹿の一言で済むくらいに単純だったと言われた気がした。
「まあ、それでも現役の時は本当に凄かったことは認めるよ。日本選手権で優勝したのは本当の実力だし、その後の事故で失ったのは勿体ないと思ったよ。でもその後がいけない」
「こちらでも同じように、被害者が出ていて、それでそっちの大学で何があったのか聞きたくて……」
 矢島はどうやら誰かにこの話をしたかったらしく饒舌に語った。
 室岡の引退前の業績は認めるけれど、その後のことは認めないというのは正しいのだと思うが、それはどうかなと思えた。
 恐らく、ずっと室岡は入江と繋がっていたし、プロになった時もそのプロの立場を使って被害者を増やしていたと思うから、矢島の目も結局は騙していたとも言える。
 たまたまその後の室岡の行動が怪しすぎて矢島のように矛盾を覚える人もいただろうが、それで裏で何をしているかということは分かってない気がした。
「ああ、そうか。有瀬は休学していたから知らないんだな。ああでも話は聞いたんだよな、室岡たちが大学に出入禁止になったの」
「ええ、それは聞きました、でも何でですか?」
 理由を知りたいのだと告げるとやっと矢島もそれを話してくれた。
「テニスサークルの日野たちがやらかしたんだけどさ、女を連れ込んで部室でやってたわけ。その助けの声を聞いて教諭がたまたま近くにいたので学生と踏み込んで御用。それで話を聞いたら、女学生は室岡に呼ばれてきたと答えたんだ。けど、室岡はその呼び出しをしたというのにその日は大学に来てなかったんだ」
 ああ、それはいつものことなのだろうと思えた。
 室岡は飽くまで撒き餌であり、寄ってきた者をつり上げるのは他の人なのだ。
「室岡はシラを切ったらしいんだけど、女学生が室岡に呼ばれたというメッセージのスクリーンショットを撮ってたんだよね。もちろん細工なしの。そういうわけで室岡は疑いがある以上大学の学生との接触を許されないとされて、犯人ではないけれど、疑わしいけど証拠はないから罰しないけれど、大学側として大学への出入りを禁止することにしたらしい」
 室岡としては自分は悪くないのに大学への出入りができなくなるのは許せないとしたが、周りからは大学を卒業しているのだからOBとして大学側で何もしてないのに大学を出入禁止になったところで室岡が困ることはないだろうと言って、禁止を押し切ったのだ。
そもそもテニス部は室岡を呼んだことはなかったし、前に問題になっていたことで矢島は受け入れる気はないと告げたのが決定的だったと言われた。
「ほら、テニス以外であいつが大学に来られる理由がないんだよね。サークルはもう潰れていたし、部は受け入れないと表明した上で別の人にコーチ代わりをお願いしてあるから室岡の入る隙はないんだよね」
 矢島はそう言った。どうやら矢島の言葉が決定的だったようで室岡は伝を失ったわけだ。
「その、入江の方はどうですか?」
「ああ、入江ね。あいつのことなら最近仕入れた噂だと、何かやらかして裁判になって執行猶予が一年くらい付いてるらしい」
「え……」
 籐佳は驚いてしまい、矢島からその情報を詳しく聞いた。
 どうやら強姦未遂で訴えられたらしいのだ。
 たまたま防犯カメラがなかったところに前日に防犯カメラが付けられて、入江が男の子を誘拐するところが映っていたのだ。
 そして男の子は強姦のことで警察に訴え出ていて、その防犯カメラが提出され、誘拐監禁強姦の三つのうち誘拐の罪で執行猶予一年がついた。
 というのも監禁場所は何処か分からず、強姦されたと言ってもクスリを使われていたことで判別できなかったのと精液などの詳細な犯人が分かるものがなかったのだ。入江だけは誘拐は映像があることで認め、頼まれた車まで運んだことは認めたのだ。
 けれどヤクザらしい男たちだったので誰かまでははっきりと分からないと共犯者の名前も顔のモンタージュ作りにも協力したことで刑は二年、執行猶予一年となったらしい。
 それが半年前のことで今も執行猶予は半年残っており、どうやらその間に室岡はしくじったらしいのだ。
「連携が崩れてるのか」
 倉知がそう言い、それでかと籐佳も頷いた。
「あいつらは連んでいると最強だが、片方だけだと駄目らしいな。室岡はしくじって餌場を失ってこの大学に餌場を変えたんだろうけど、何かあったのかこの大学も部外者の立ち入りは厳しくなっているし、多分餌場を変えると思うけれど……お前がいるんじゃどうかなと思う」
 矢島はそう言い、籐佳を見る。
「俺が見るに、有瀬にはかなり執着していたと思う。いつも取っ替え引っ替えなイメージだったけどお前といる時は落ち着いていたし、怪我して辞めた時も無理矢理マネージャーとしてテニス部に残そうとした。だから相当だと思ったけど、そのあと休学して転学したろ? あの後も連絡先知ってるやつを探していたらしいけど、誰からも連絡を絶ってたみたいだ?」
 何かあったんだろうと言われたのだが、籐佳は内容は言わずに当たり障りないことを言う。
「休学前にスマホを落として壊したんだ。水に濡れたからデータも全部アウトで、スマホを買い換えたの転学してからだったから、番号も変わったんだ」
「ふーん、まあ言えないよな」
 籐佳の言葉に察したようで矢島は籐佳が入江や室岡との間にレイプのようなものがあったのだと察したようだった。けれどそれは口にしなかったし、今でもまだ室岡が籐佳の側を彷徨いている事実に、穿り返しても意味がないと思ったようだった。
 そういうところは矢島のやり手なところである。
「ああ、それでこっちの大学の出入りが厳しくなったのか……なーるほど。しかも学生に注意勧告を出てるしな。飲み会など全くの他人と飲む行為についての注意とか、大学としても飲み会でそういした被害が出ているのを把握し始めたってことだよな」
「僕はそこまで期待はしてなかったけれど……恐らくそうなんだと思う」
 きっかけは籐佳の父親の苦情であるが、大学側としては何かない限りは制限もできないと思っていたところに、苦情が出たという理由ができたのだ。
 それにより確かではないが、学生が被害にあっている。若しくは被害に遭っていたからこそ休学や退学が相次いでいることで対策を打ち出せたところだったようだ。
 大学としてはちゃんと学生に注意を促していたという名目だけは果たせたわけだ。しかしその後にそれを無視して被害に遭うのは学生次第という、いわば責任の押しつけではあるが、これはかなり効果があったらしい。
「ならとっておきの情報をやろう。学長たちが連携して、室岡と入江たちを怪しみだしたっていう情報は有効だろう?」
矢島はどういう経路か分からないが、籐佳の前の大学と今の大学で連携して加害者候補である二人を完全に不審者として、学長会議という大きな場で注意発起をするらしいのだ。
「そんなことが……可能なんですか?」
「入江に関してはできるし、室岡もサークルでやらかしている。既にあいつらが学生の場にいること自体が害なんだよ」
 まさかこういう自体になるとは思わず、籐佳はホッとしたけれど矢島は言った。
「だから、外が余計に危ない。あいつら、餌場を失って自暴自棄になるかもしれない。だから有瀬は気をつけた方が良い。道連れにするならってあいつらが考えたら、きっとお前を選ぶと思うから」
 矢島は怖いことを言ったけれど、それに籐佳はそんなわけはないと言えなかった。
 恐らく室岡側は籐佳を調べ直しているはずだ。そして家を調べられたらすぐに籐佳の兄が結人であることは分かってしまう。
 崩壊しつつある二人の関係が終わるとき、最期の獲物を選ぶならダメージを与えられる籐佳を選ぶような気がした。
「……気をつける……今日は、ありがとう。有益な情報が得られて助かった」
 籐佳がそう言うと、矢島は言った。
「別に俺も情報が欲しかったところだから、そっちから色々聞けたしよかった。だからだけど、出来れば新聞欄で死亡したなんて話は聞きたくはないからな」
 矢島はそう言ってから喫茶店を後にした。
 その喫茶店には永峰と祥吾、そして志方が隣の席に座っていて、全ての話を聞いていた。
 さすがに大学の外で籐佳と倉知を二人っきりにしておくことはできないからこその処置であるが、その時間の喫茶店はざわついていたのと、奥の席だったので周りには聞こえていない。そういう場所を選んだのもあって、矢島は有益なことをどんどん喋ってくれた。
 幸い外から見えない席なので、誰にも聞かれずに済んだけれど、その後も暫くそこで昼食を取りながら話をした。
「まさか入江がやらかしていたとは思わなかったかな」
永峰も調べてはいたけれど、入江は何処に行ったのか分からないままだったらしい。
 そんな入江の情報は全然入ってこないと思っていたら、まさかの遠くの街でやらかしていたのだ。新聞には載らなかった事件らしく、把握はできなかったのだ。
「室岡も詰んでいるのは当たっていたな。これであいつらの行動の制限が強くなったわけだが……どう動いているのか今は分からないのが痛いな」
 祥吾はそう言った。
 入江が今動く気がないことだけは分かった。
 せっかく犯行を誤魔化せて、執行猶予で済んでいる今、問題行動をするわけにはいかないだろうが、室岡の方はそんな入江を待つことなくテニスサークルの日野を唆して罪を犯させている。
 そこで少し不思議に思ったのか倉知が言った。
「ねえ、何で室岡は自分でやるんじゃなくて、人にやらせるの? いつもは入江を使っていたけれど、今回は入江が降りたから日野って人にやらせてる。それで室岡は何の得があるの?」
 倉知の言葉に籐佳は確かにと思った。
 けれどそれはそこにいる大人の三人には分かっているのか志方が言った。
「室岡は自分でやるのももちろんあるだろうが、それよりも歪んだ性癖を持っている。自分のお気に入りを他の男たちに犯させることでしか興奮ができない人間なんだろうということだ」
 そう言われてから籐佳と倉知が二人で理解ができないという顔をしたが、それに永峰が言う。
「寝取られという属性らしい。つまり入江は誰とでも出来る人間で快楽主義者であり、室岡は寝取られることでしか興奮が出来ない体質だった。二人は利害が一致しているからこそ、未だに連んでいたということだ」
 永峰の言葉に籐佳はそういうのがあるのかと思いながらも、その室岡の歪んだ性癖のせいで被害者がかなり出たのだと知った。
 もし室岡が普通にヤリチンと言われる人間だったら、誰も室岡には近付かなかったし、危険も分かっているから近付けば自業自得と言えた。けれど室岡自身には危険はないが、実は崖の上に立っていることを意味している。そこから室岡は背中を押すだけで入江たちにそれを食わせ、その食われるところを見て楽しむのだ。
「だから、現場にはいないんだ……いつもアリバイがあって……」
 それに気付いて籐佳は悲鳴が上がりそうなほどに声を飲み込んだ。
 ということは、室岡はその状態を楽しめるように結人や籐佳が入江たちにもてあそばれているところを録画した何かを持っているということになる。
 そうでないとアリバイを作る意味がない。
 入江たちは証拠は残さないと思っていたけれど、室岡は証拠を持っている。
「籐佳、息をしなさい」
急に体を揺すられて、籐佳は慌てて息をした。
 どうやら驚きのあまり息が止まっていたらしい。
「は、ああ……すみません……」
「構わない」
籐佳はケホッと咳をしてから息を吸い直して深呼吸をした。
 そして籐佳は言った。
「室岡は、証拠品を持っているかもしれない……」
 籐佳の言葉に全員がシンと静まった。


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