even then

7

「……兄さんのことだったの……?」
 籐佳がそう言うと、永峰はやっと自分の中で全ての線が繋がったようだった。
「何てことだ……そうか、離婚しているから苗字が違うのか……」
 有瀬籐佳の兄はてっきり有瀬姓でいるものだと思っていたのだろう。
 兄は両親の離婚後、母親が旧姓に戻ったことで一緒に三尾という苗字になっている。 父親は籐佳の大変な時に兄のことを詳しく言う必要はないと思ったのか、亡くなった息子のことは詳しく話していなかったのだ。
 ただ自殺した兄がいる、けれど自殺の原因は分からないとだけ言ったのだろう。そして辛いから名前も未だに父親が呼べないで、上に息子がと人に話すときはそうしている。
 自殺した兄の原因まで永峰たちが深入りすることはできなかった。それは永峰の友人であった結人の自殺の原因が、籐佳と同じ理由だったからだ。
 さすがに二人目の息子を亡くしそうになっているから籐佳の事情は話したけれど、結人まで同じ理由だったなんて、父親が聞いたらきっと発狂する。
 そしてそれは籐佳にも知らされた。
 兄の自殺の原因、それは籐佳と同じだったのだ。
 そして永峰と祥吾はその時に助けそびれたと言っていた。
 あの時一緒に警察に行っていれば、結人はそのまま自殺をすることはなかった。
「ごめんなさい、恨みたくない……僕は助けて貰っている……あの時は永峰さんも学生で……分かってる分かってるけどっ!」
 頭が混乱した籐佳がそう叫ぶと、電話の向こうで倉知が叫んでいる。
「待って……本当に分かってる……分かってるけど……今は、顔を見られない……」
 籐佳はそう言いその場に疼くまった。
 永峰はそれと同時に視線を上げてから言った。
「分かっている。恨んでいい。結局俺らが殺したようなものだ。結人は俺らに助けを求めたのに……俺らは二回も結人のSOSを聞き逃した……」
 一度目にレイプをされたことを告白したが、警察へ行けと言ったこと。その警察からの帰りに警察に相手にされなかったと言った時も、後で会おうと言うだけで結人が死ぬとは考えてなかったのだ。
 でも結人はそのまま帰らず、海に入水して死んだ。
 何もかも洗い流したかった籐佳と同じく、自分が消えてしまいたいくらいに悍ましい存在になったのだと思えただろう。
 恐らく、この世で一番結人の気持ちを理解できるのは、同じ兄弟である籐佳だけだっただろう。同じ目に遭っても同じ思いにはならない。それぞれが抱える問題があるけれど、籐佳と結人は同じ罠で同じことをされて同じように死を選んだ。
「……あああっ……」
 永峰が後悔して同じ目に遭った籐佳に沢山良いことをしてくれた。親身になって助けてくれたし、悔やんでいるからこその支援だってしてくれたのだ。
 分かっている、それに感謝こそすれ、恨みを吐き出すなど言ってはいけないのだ。
 でもそれでも、どうしてと言いたくなる心を抑えるので精一杯で籐佳はこれ以上嗚咽以外は口から出なかった。
 永峰は暫く籐佳を見ていたが、触れることは一切なく、ゆっくりと玄関の方へと歩いて行った。
 すると玄関のチャイムが鳴った。
 永峰がドアを開けると、倉知と志方がやってきていた。
 側には祥吾もいたけれど、事情を知っている志方が祥吾に永峰を任せて言った。
「落ち込んでいる暇はないぞ。隙を作るのは今夜だけにして切り替えろ、それがお前が受ける贖罪の始まりだろうが」
 志方がそう言うと永峰は言った。
「すまない、後を頼む。明日には切り替える」
「それでいい」
 志方はそう言うと永峰を追い出し、倉知と一緒に籐佳の部屋に上がってきた。
「有瀬っ!」
 倉知が一目散に籐佳の側にやってきて泣いている籐佳を抱きしめた。
「ごめん、分かってるんだ……分かってる」
 籐佳はそう言いながらもしっかりと倉知を抱きしめ返した。
 それは痛いほどの力が籠もっていて倉知は籐佳が爆発しそうなくらいに怒りを抑えていることを知った。
「……永峰がやらかした失態の一つが、君の兄の自殺への背中を押したことか。言いたくはないが、らしくないことをと思っていたが……」
 どうやらそういう失態はしない方である永峰がそういう態度を取るしかなかったのには理由があるらしい。
「……理由があるんですよね……素っ気なくした理由……」
 籐佳がそう言うと志方が言った。
「恐らく同じ日だったと思う。私が死にかけていた、ちょっとトラブった相手に刺されて長い手術をしていた。十時間の手術だと聞いている。その間に君の兄がトラブっていたとすれば、永峰にとってまだ生きている人と死ぬかも知れない人を秤に掛けるしかなかったんだろう。悪かった、私がヘマをしたせいで君の兄が死ぬことになった」
 志方がそう言って謝ってきてしまったので、籐佳は慌てて顔を上げた。
「いえ、いえっ! あなたが悪いわけじゃないですっ。僕が、僕が割り切れないだけですっ! 分かっています、僕にそういうことを言う権利もないくらいっ! あ、謝らないでください……っ」
 どっちが悪いとかいう話ではない。
 永峰たちにとって志方の方が大事だった。
 籐佳にとって志方より兄が結人が大事であるようにだ。
 永峰を恨んでも兄は帰ってこない。分かっている。けれど兄の絶望がどれほどのものだったろうかと思うと、永峰を恨んでしまう心が落ち着かない。
 自分だって兄の何の役にも立っていなかったのに。側にいた人を恨むだけで、兄の存在をそこまで思っていたわけでもないのに、隣にいないことをあれほど恨んで連絡も自分からしなかったというのにだ。
 何かあれば連絡をして愚痴くらいこぼせる間柄だったら、もしかしたら兄はSOSを出してくれて、それを救ってあげられたかもしれない。
 永峰を恨めば済む感情をどうしても否定しようして籐佳は自分を傷つける方を選んでいた。
「僕は……僕も……結人兄さんを助けられなかったっ一緒の立場なのにっ! 人を恨んで楽になろうとしているっ僕だって兄さんにSOSさえ出して貰えない弟だっていうのにっ何で、永峰さんを恨めるんだよっ」
 籐佳はそう言いながら責任転嫁をしてくる自分の心に怒鳴るように言った。
 言ってしまえば、それは本心であると同時に自分に攻撃をしているようで楽だった。
 辛いけれど、そうすれば永峰を恨まないで済むと思ったのだ。
「駄目、それ以上は駄目だよ、有瀬。それで楽になったなんて思っちゃ駄目。自分を傷つけてもお兄さんは喜ばない。だって真実を知ったら有瀬が苦しむって思ったからお兄さんは連絡をしなかったんだから、それを責めたら駄目」
 倉知が静かにそう言い、籐佳はそれも分かっていると言って泣いた。
 心の置き所が急になくなって、籐佳はパニックになっているだけだ。
 そう思うけれど、あまりの衝撃に籐佳は今日一日は永峰の顔は見られないと思った。
   

 倉知がいてくれたので籐佳はその日のうちに落ち着けた。
 志方も泊まってくれたので籐佳は何とか自分の気持ちを整理した。
「僕は人を責められるほど兄さんを知っていたわけじゃない。どうして兄さんがあの人たちと知り合ったのか、どうしてそうなったのか知らないといけない」
 次の日には籐佳はそう言い、永峰と祥吾を呼んで話あった。
「永峰さんたちも落ち着かないと思うけど、僕はこれまでしてもらったことを本当に感謝しているし、まだあなたたちに助けて貰わないと生活ができません。でも、兄さんのこと、どうしてそうなったのかは知る権利はあると思う」
 そう籐佳が言うと、祥吾が言い始めた。
「それは俺が言うね。入江と知り合いだったのは俺の方なんだ」
 祥吾がそう言い出した。
 知り合いというのは飲み会に参加する仲という意味であったけれど、それは大学の一、二年の間のことだという。
「入江に妙な噂が出始めたんだ。一緒にいる子が急に退学をしたりいなくなったりしているって。最初はそういう学生も多かったから辞めただけだと思ってたんだ。けど結果は違った。でも確証はなくて、俺は入江から少し離れてみたわけ」
 祥吾が入江の飲み会に参加をしなくなった頃、たまたま永峰と一緒にいる結人と出会った。
 永峰とは飲み会で知り合った仲だったけれど、結人と永峰は穏やかな時間を過ごしているようで次第に祥吾はそっちの二人といるようになった。
 するとそこを入江に見られて、結人を紹介して欲しいと言われて紹介をした。
 紹介と言ってもその子誰くらいの感覚で聞かれて永峰と結人だと答えた。
 けれどその時は何もなく、入江と祥吾はそこで付き合いが途絶えた。
 それから二年、大学四回生になって室岡と結人が一緒にいるところを見た。
「何でも、弟がテニスをしていて室岡を尊敬しているらしいから、それで話をしたのがきっかけらしい」
 それを聞いて籐佳は自分が原因で室岡と結人が付き合いを始めているとは思わなかったのだ。
「……でもそこまで深い付き合いではないと永峰には言っていた。それでも室岡は外面は良かったから、こっちも疑いもしなかった。当時は室岡と入江は仲が悪かったしね。でもそれからすぐに、結人と室岡はよく連むようになって、僕らは結人から離れた。それから二ヶ月くらい後に志方が刺されて手術をすると聞いて、永峰と病院に行った。俺たちには大事件で、急いで病院に行ったよ。ご両親がまだ来ていなかったから、俺らが付き添ってあれこれしていた」
 そう言い、祥吾は一旦言葉を切った。
 そして意を決したように話を続ける。
「その後、結人から永峰に電話が掛かってきた。誰かに襲われたとしか言わなかった。それで俺たちは警察に行けと言った。暴行が暴力の方だって思っていたから、そこまで重要じゃないと思ったんだ。結人は明らかにおかしかったのにね、俺らはもう友達付き合いもほぼ切れていた状態だったから、何で自分たちに言ってくるんだって思った」
 結人は最初、レイプされたとは言わなかったのだという。
 結人は縁も切れかけていたことと、幼なじみの一大事に結人の方を優先するほど関係が密ではなかったことも真剣に相談に乗らなかった原因の一つだと言った。
 けれど、結人は分かったと言って電話を切った後、手術が終わる頃にまた電話をかけてきた。
「結人は警察に行ったけれど、馬鹿にされた。俺が誘ったんだろうと言われた。取り合って貰えなかったと……でもその時も俺らは志方の方が気になっていて、話半分だった。それでちょうど志方の手術が終わったから、そう言って相談は帰ってからでいいかと言ったんだ……」
 この時でさえ、結人はレイプをされたことは言わなかったという。
 そして結人はそのまま行方不明になった次の日に海に浮いている遺体で見つかった。
「死ぬほどのことだとは思わなかった……だから海で見つかったと言われた上に警察は自殺を疑っていた。そりゃそうだ、前日に相談に行っていたから」
そこで二人はとんでもないことをしたのだと気付いた。
結人は自殺を思い立つほどに思い詰めていたのだ。
 それも永峰たちを切ってまで付き合っていた室岡に相談したのかと思ったが、室岡はその同日に自動車事故で入江と一緒に緊急入院をしていて連絡が付かなかった。
そして室岡は自分はそこまで親しくしていたわけではない。彼の弟がファンだと言うので色々と教えてはいたが、連絡先くらいしか知らないと警察に言ったそうだ。
「それで結人が警察に相談に行っていたことを思い出して、警察に行った。そこでたまたま話を聞いた人じゃないもう一人の刑事が話を覚えていて、自殺の原因がレイプされたことだと言った。相手は言わなかったけれど、知り合いらしいとまでは聞いたけれど、結局被害届を出すか出さないかの話をしたところで結人が帰ってしまったという。一応、何かあったら警察の責任になるから覚えていたと言った。けど、被害届を出さなかったので詳しくは聞いていないことと、犯人が誰か言わなかったんだ。きっと絶望していたんだと思う、警察すら味方ではないんだと……」
 祥吾の言葉には後悔が沢山滲んでいる。
 自分たちが犯した罪は話を半分すら聞かなかったこと。
 そして結人とは大学で会う程度だったけれど、室岡辺りと連みだしてからは永峰からも離れていたこと、そして友人が大変だと言う時に急に相談事を言われて、永峰たちからすれば今更だったこと、沢山の要員が重なっていた。
「……永峰さんは悪くない……僕が、兄さんと室岡を繋げてしまったんだ……」
 籐佳はそもそもの原因が自分であることを知り、結人が籐佳のために室岡に近付いたから入江の標的になったことを知った。
「何てこと……なんて……こと……」
 倉知に自分を責めるなと言われたけれど、事実は籐佳を打ちのめした。
 結人が籐佳のためにしてくれたことが、結人が死ぬ原因になっているなんて、そんな酷いことが起こっていたのだ。
「僕は、自業自得なんだ……」
「それは違う」
 絶望しかけた籐佳に永峰がしっかりとした声でそれを否定した。
「誰かのせいにするのも違う、自分のせいにするのも違う。俺らは、一人一人が結人にちゃんと向き合ってなかった。俺はくだらない室岡への嫉妬で結人の話を真剣に聞かなかった。籐佳も結人の気持ちを知ることができなかった。皆、結人がどう思っているのか、知らなかったんだ」
 永峰の言葉に籐佳は頷いた。
 誰かのせいにしてしまいたいけれど、そうしても結人の気持ちは絶対に理解できない。どれだけの絶望と失意のうちに、誰にも縋れずに死なせてしまった事実は消えない。
 さらには結人とは全く関係ないはずの志方まで巻き込んでしまい、籐佳は志方も気分が悪いまま来てしまったのだろうと思えた。
 永峰と祥吾は室岡と結人の付き合いが始まってからは、ほぼ連絡すら取らずに縁が切れたと言ったほどだった。それは本当だろうと思えた。
 室岡は独占欲があり、自分と親しい人に自分以外の誰か親しい人をあまり認めない所があった。
「多分、兄さんは室岡に半分脅されたんだと思う。僕のテニスのことを話すのを餌に、永峰さんと祥吾さんとの仲を引き裂いたんだ。僕も室岡と知り合った時に、テニス部でそれをやられた……テニス部が揉めた原因がそもそも室岡がマネージャーを薦めたのが原因だったから。きっとそうやって周りから孤立するようにするのが室岡は得意なんだと思う。それで気付いたら誰にも助けは求められない状況にされるんだ……」
 きっと結人はそれで永峰たちに悪いことをしていると言われ、連絡が取れなくなっていったのだろう。
 ただ籐佳は最期の最期に抵抗をしたせいで無理矢理連れ出されたのは、結人の最期の言葉が飲み会に行くなという言葉だったからだ。もしそれがなかったら、籐佳は言われるがままに普通に参加をしていただろう。
 けれど結局、室岡に逆らえなかったのは同じで、入江に引き渡されてしまった。
「二人の仲が悪いのは演技で、実は前から室岡に近付いた人を入江の飲み会に連れ込んで、入江に好きにさせていたとしたら、まんまと引っかかるやつは沢山いたんだろうな。現に室岡と入江が繋がっているのに、誰も警戒すらしていない」
 志方がそう言い、倉知も頷いている。
 その言葉に感情が高ぶっていた祥吾も頷いている。
「だけど、証拠がない」
 永峰がそう言うと全員がそれなんだよなと大きな溜め息を吐いた。
 取りあえずはお互いに事実を話し合って、結人の自殺の原因が室岡と入江の二人による犯行であることは分かるのに、その現場や彼らがやっていたという明確な証拠を出せるものがない。
 籐佳もクスリを飲まされていたので、犯行時の記憶が曖昧で証拠として供述しても犯行を証明できないだろう。
 けれど、籐佳たちが手詰まり状態であるけれど、前に永峰たちが言った通り入江にも室岡にも犯行を実行する場所がなくなり、変わっていることが分かった。
「恐らく、あいつらは元の大学からは信用されていないんだろうな。あれだけ部内を荒らせばまあ、噂は止まらないだろうし、あいつらに従っていたやつらももう就職しているだろうし、一年で状況が変わっている。籐佳たちの大学まで足を伸ばしているのはそういうことなのだと思うが……」
 そう永峰は言ってから唸ったので志方が言った。
「有瀬籐佳に執着を見せている。初めて室岡がしっぽを出したということだな」
「そうだ。そこだ……だが囮にするなんて危険だ。向こうもこっちが警戒していることも知っているだろうし、やすやすと餌には食いつかないだろうな」
 もちろん籐佳を本当に餌にして罠を仕掛けるわけではないけれど、それをやったとしても室岡はきっと引っかからないので無意味だと言いたいだけだ。
 その日はその話で一日が暮れてしまったけれど、お互いに感情を出し合ったら、籐佳には永峰を恨む理由がないことだけが分かり、自分を責めるのも違うと言われて、少しだけ結人には悪いが救われた。
 お前のせいだと言われて落ち込んでも、室岡からはきっと逃れられないのだから、落ち込んでいる暇はない。
 結人の敵を取るなら、室岡と入江の犯行を世間に知らしめて、泣き寝入りした被害者と、これから被害に遭うかもしれない人をどうやって防げるかに注視するしかない。
 そう思えたら、過去のことで憎み合ってもどうにもならないのだと籐佳は気付いたのだった。


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