even then

5

「うわ、マジ、こいつ関係者?」
 慌てた倉知がそう言うのでそれで籐佳は気を失わないで済んだ。
「……あ、そんな……なんで……」
 聞くはずはない名前、室岡博紀の名前を聞き、同じ大学内に入り込んでいる事態に籐佳は目の前が真っ白になるのを耐えながら拳を握った。
「大丈夫か、有瀬……」
「……大丈夫……まさか、その名前を聞くとは思わなくて……はあ……はあ」
 深く息を吸いながら深呼吸をして、それから息を止めてと繰り返した。
過呼吸は酸素の取り過ぎで呼吸困難に陥るのだから、息を整えて呼吸の間隔を開ければいい。何度も繰り返して息を整え、そして額の汗を拭った。
「そいつが悪いやつなのか?」
「……明確には違う……」
「え、どういうこと?」
 倉知には訳が分からないというように困惑しているけれど、そこで一限目の終わるチャイムが鳴っている。
「ごめん、次講義があるね……さすがに二日続けてサボるわけにはいかないから」
「二時限目出るけど、そのあとどうするの」
 二人は歩きながら話した。
 まだ講義がある時間がある。
 その間に話せることではないから、二人は三時限目、四時限目を出た後に午後は講義がないので大学内ではなく外に出ることにした。
 その方が誰かに話を聞かれることもないと思ったので、校門で待ち合わせすることにした。
 それから三時限目、四時限目と勉強に打ち込んでからすぐに籐佳は倉知と一緒に駅前のカラオケ店に入った。
 喫茶店では隣の人に話を聞かれるし、大学の知り合いなどとも鉢合わせる可能性があるので、カラオケなら食べ物も飲み物も頼んでおけば、二時間くらいはフリータイムなのでお金も掛からなかった。
 すぐに注文をした食事が届いて、それを二人は黙って食べた。
「あのね、話しにくいの分かるから、ゆっくりでいい。食べてしっかりと考えて。それでね、もし一人が怖いなら他の人を呼んでも良いし」
 そう倉知が気を使ってくれた。
「ううん、大丈夫。お腹空いていると碌なこと考えないって言うから、食べて落ち着いた」
 サンドイッチを食べたらお腹が張って、それで籐佳はホッとした。
 そして少し考える。
 室岡が倉知に声を掛けたのがたまたまの偶然であろうが、それなら倉知から籐佳の存在を繋げたのは誰なのか。
 フライドポテトを食べながら倉知は昼前に連絡を入れていた飲み会に有瀬籐佳を一緒にと頼んだという先輩に連絡が取れたことを報告してくれた。
「あのね、あれから有瀬の名前を出した人を探してきたんだよね。講義が同じなのがあったからさ。それで飲み会は断る前に、なんで有瀬の名前が出たのかって問い直したんだよね。そしたら、主催の友人だかが倉知と有瀬は一緒にいつもいるって聞いて、そしたらその名前に室岡って人が懐かしいなとか言い出したらしい」
 それを聞いたら籐佳は持っていたコップがひっくり返った。
「あ、わ……ごめん」
「大丈夫、おしぼりあるし、それから飲み物、頼み直すね」
派手にコップのお茶を撒いてしまい、それを二人で片付けた。
「あ、ありがとう……ごめん」
「いいよ。仕方ないよ」
 それからおかわりのお茶を頼み直してから座り直した。
「それでね。室岡って人は籐佳が大学を辞めていることは知っていたみたいだけど、転学していたことは知らなかったみたい。それで懐かしいなら呼びますかって話になって呼ぶことになったけれど、室岡がサプライズにしたいから名前を出さないでくれって言うから俺に有瀬も連れてきてもらうってことにしたらしい。それで人数会わせで有瀬の名前を出したら……その、興味ある人がいたらしくて、飲み会に参加するなら口説こうみたいな感じになってたんだって」
 どうやら裏でそういう繋がりがあり、室岡はサプライズだとして自分と会うのは嬉しいだろうと思ったらしいのだ。
 それにはさすがに籐佳も怒りしか湧かなかった。
「よくも……ぬけぬけとそういうことが……」
 噛み締めた歯がギシリと鳴るほどで籐佳は怒りを露わにした。
「でも、その室岡って人は、明確には違うって言ってたよね?」
 倉知は不思議そうに聞き返す。
 これほどに籐佳が怒りを見せるということは主犯であるはずだと思うのが普通だ。
 それに籐佳ははあっと深い息を吐いて吸ってから心を落ち着けた。
「そう明確には違うんだよ。あの人は、ああやって人を集めるのが何かのステイタスになってるのか、無理に人を誘うんだ。もちろん誘われた方は有名人だったし、それなりに尊敬をしている部分もあるから断れない、結局行く羽目になるんだけど……」
 籐佳の言葉に倉知はやっと分かったらしい。
「ああ、そういう人いるよね。断れないような言い方とか、行動してくる人。避けてるのにどうしても正面突破してくる感じ」
 どうやら倉知には思い当たる人がいるようで、言い方はアレであるがその通りの人である。
「それで集めるだけ集めるけれど、結局その集まりで何があっても知らないんだよ」
 籐佳がそう言うと倉知はハッとする。
「僕は……集団で襲われた……記憶は鮮明な部分と曖昧なところが半分。今でもフラッシュバックするくらいに、怖いことだった」
 籐佳の告白に倉知はひっと息を呑む音がした。
 遠くからカラオケで誰かが歌っている声が聞こえてきたけれど、その音が沈黙を壊してくれるので籐佳は少し気分が楽だった。
「僕はそれで自殺未遂を起こして、その時助けてくれたのが永峰さんたち。彼らがいなかったら僕は今ここにいない」
 そう籐佳が言うと倉知は籐佳の背中を擦ってくれた。
「息、止まってるよ。息してね」
 倉知にそう言われて籐佳は深呼吸をした。
 確かに息が止まっていたようで、息が入ってきて頭がやっと動いた気がした。
「そんな気がしていたんだ。飲み会で嫌なことなんて、二日酔いか醜態を晒したかのどれかくらいだけど……過呼吸を起こしたって事は最悪な事態だって……志方さんが、バイト先の社長さんが言ってた」
 それを聞いて倉知が悩んだ末に相談したのが志方だと分かって、籐佳は少し笑って言った。
「その志方さんと、永峰さんって幼なじみなんだって、知ってた?」
「え、マジで!?」
 深刻だった倉知の顔が驚きで一杯になると、籐佳はクスクスと笑った。
「ほら倉知がバイト先が青木商事だって言ったからその話を永峰さんに話してたら、社長の志方成実は幼なじみなんだって言ってた。今でも付き合いあるみたいだよ?」
「へえ、凄い偶然~、こんなことあるんだね~。今度聞いてみよう~」
 倉知はそれは面白いと笑っているけれど、そういう場合じゃないやと笑いを納めた。
 するとそのタイミングでお茶が運ばれてきて、二人は一旦喉を潤した。
その続きを籐佳は話し始める。
「それからね、一年間、自分と戦ってて……三ヶ月くらいは外に出られなくてね、それでも永峰さんとか祥吾さんが助けてくれて、父さんも沢山色々してくれて、それでやっと大学にも通えるようになったんだ」
「だから転学したんだ?」
「そう、大学は出た方がいいって永峰さんが言うからね。このまま泣いて過ごすんじゃないなら、確かにそうだなって思って。それに休学先の大学じゃ、また出会う可能性もないわけじゃないから、隣町の大学なら交流でもしてる人くらいしか繋がらないしって思ってね」
 そう籐佳は言い、それは甘かったと言った。
「僕らが考えている以上にあちこちに顔が利くみたい……それもあってきっと被害者も多いのかもしれない」
 籐佳のその言葉に倉知は言った。
「でもそんなことをしてその人に何の利益があるわけ? だってその、直接の加害者ではないんでしょ?」
 そうなのだ。
 だから明確には違うのだ。
「集めているだけで楽しく飲んでいただけだと言われたらそういうことだと思う。けれど、僕は絶対に許さない。僕があの男たちを苦手に思っていて避けていたことも知っていたのに、無理矢理あの場所に連れて行ったんだ。何がいい人だよ、外面はいいけど、それだけじゃないか……あの人にとって僕に何があったのかなんてどうでもいいんだよ、懐かしいって何だよ……どうして休学した理由とか気にしないわけ、おかしいじゃないかっ!!」
 籐佳はずっと思っていたことを叫んで言った。
 涙が今でも出るくらい悔しいことだった。
 何も知らないでは済まされない。自分で集めておいて、入江の悪い噂を知らないなんてあり得ない。
 いい人なんかじゃない、絶対に知っていて集めて面白がっている。そうとしか思えないのだ。
 籐佳が叫んだことで倉知もそれはおかしいと思ったようだった。
「う、うん、そうだね……理由も聞かないで自分が絶対に関係ないって思える方もどうかしている気がした。だってその飲み会から休学したんでしょ? だったら普通に自分が原因じゃないかって気にすると思うんだけど……」
倉知がそう言った。
 確かに直後に連絡は来たけれど、それをブロックして逃げたことからどう考えても自分が原因だと思うはずである。
 更に倉知が言う。
「それならさ、サプライズなんてして会おうとする普通? 自分が悪いって分かっているから、嘘吐いて会おうとしているみたい……。それに人伝いだとしても出身が分かっているなら、実家だってすぐに分かりそうなのに……」
 その通りで籐佳の父親が会社経営者であることは知っていただろうし、自宅を知ることはできたはずだ。ブロックなんてして去っていく相手を心配して連絡を取ろうという気がなかったくせに、今回はサプライズなんてことをして会おうとしている。
 何がしたいのかさっぱり分からない。
「何だろう、気持ち悪い人」
 倉知がはっきりと人を嫌ったのは初めて見た気がした。
 誰とでも仲良くなれるけれど、微妙にズレているせいで友達も籐佳ほどは倉知と親しくしていないようであるが、それでも完全に嫌われないのは人が良いからだ。
 そんな倉知が人を気持ち悪いと言った。
 つまりグチャグチャとしている籐佳の印象そのままに室岡博紀という人間の不確かな存在が倉知に伝わったのだ。
「一応、その聞き出した後に、有瀬が会いたがっているかどうか確認して、駄目だって言うなら飲み会には俺も参加しないって言っておいたから、向こうがどう出るかだけど……さすがに関係者じゃないから大学内には入れないとは思うけど……」
 倉知がその話を聞いた場所はコンビニだったというから、さすがに大学内までは入ってこられないらしい。
「と、とにかく、怖いから志方さんを呼ぶ」
 倉知がそう言うので籐佳も同じく永峰に連絡を入れた。
「あれ、一緒にいるから二人で迎えに行くだって」
永峰からはすぐにそう連絡がきたけれど倉知の方が詳しく書かれていた。
「あ、こっちもきた。そこから出るなだって……なんか思った以上にヤバイ?」
 倉知がそう言うので二人は時間を逆算してもう一時間カラオケを延長し、あまりに怖かったので人気アイドルのコンサートライブというのがあったのでそれを選んだ。
永峰と志方が到着した時は夕方に差し掛かっていたけれど、二人はそのアイドルの映像に何だか妙な感動を覚えていた。
「ヤバイ、あまりの恐怖心から見た映像だったけど、励まされた」
 倉知がそう言うので籐佳も頷いた。
「ここまでもの凄い努力をしてるんだろうなって映像もあったしね。頑張れって言われた気がした」
 そう二人が盛り上がっているのを永峰と志方が呆れた顔をしている。
「邪魔をする。私が志方成実だ。君が永峰の言っていた有瀬籐佳くんだな?」
 見た目からして日本人の様相ではない海外の彫刻のような美しい人が立っていて、それにはさすがに籐佳も驚いて立ち上がった。
「はい、有瀬籐佳です。いつも倉知くんにはお世話になっています。今回も助けて貰って本当に有り難いと思っています」
 丁寧に志方に言うと、倉知はそれに突っ込む。
「いや、別に志方さんはただの上司だしっ!」
 倉知がそう言って真っ赤な顔をしているけれど、籐佳はそれにありありと嘘だろという顔をして志方を見てしまった。
 すると志方はニヤッと笑ったのでどうやらまだ倉知が陥落してないだけのことらしい。
「こちらこそ、頭の足りない子の相手をしっかりとしてもらって助かっている。真樹は察してどうこうすることができないから、距離なしだって言われるんだが、君と出会ってからはそれを覚えたようだ。それには感謝する」
「あ、いえ」
「もう、俺の保護者じゃないから!」
 そうは言っても怖くて呼ぶのが志方であるから、相当信頼しているのだけは籐佳にも分かってしまった。
「僕の方こそ、本当にありがとう。今日、吐き出せてよかった」
 籐佳が倉知にそう言うと、倉知はモジモジとしてから言った。
「あの、俺も全力で断って逃げるから、絶対に有瀬にあいつらは近づけないから」
「うん、ありがとうね」
 そう言って倉知と志方の二人はタクシーを拾うと言って帰って行った。
「大丈夫か?」
 永峰は一段落を付けてから籐佳に聞いた。
「うん、大丈夫。倉知には悪かったけれど、色々と分かったことがあって、それはそれで色々言えた。だから大丈夫だけど、あんまりいい情報じゃない」
 籐佳はそう言うと、それまでに得た室岡博紀のことを永峰に話した。
 籐佳が入江よりもずっと憎いと言っていた室岡のことはもちろん永峰はあれから調べていたと言った。
「やはり、そこが気持ちが悪いというのは素直な感想だな。あいつ自体は黒い噂なんてない。しかも怪我をしたのもその入江という男が事故を起こしたせいなのに、入江を恨むことなくよく会っているらしいというから、本当に何が裏にあるのか」
 ただ籐佳や被害者が出ている飲み会の後はアリバイがあるという。
「唯一アリバイがある奴と言うのも怪しいもんだ。証言しているのが一緒にいた女とか男じゃ、口裏合わせされていると考える方が普通だが、その夜はずっと一緒にいたと完璧に証言しているらしいから……どんな裏があるのか」
 永峰にも調べきれない室岡という男は、表面は綺麗なのに不気味さが漂っているという。
「そうなんですね……僕は、あの人には会いたくないし、怖い」
 あの時の待ち伏せと強引に飲み会に連れて行かれたことは、きっとあの事件と関係していると確信している。
 あんなに穏やかだと思っていた人が怖いくらいに真剣に籐佳を連れに来たことは意味があるはずだ。
 そして飲み会の後、朝の九時くらいに大丈夫かと平然と連絡をくれたのもきっと意味があるはずだ。
 籐佳が室岡のことを考えると憎しみのあまり敵対した目で見てしまっているのかと思うけれど、今回のことで完全に面白がっているとしか感じなかったことから、室岡は想像よりももっと歪んでいるのではないかと籐佳は考えた。
 それこそ、籐佳が思っているよりもずっと歪んでいるはずだ。
 そうして震える籐佳を永峰は落ち着かせようとして抱きしめて背中を擦ってくれた。
「復讐は考えるな。今は籐佳の身の安全を優先しよう。ちょうどゴールデンウィークに入るから、やり過ごせればいいだろう」
「そう、ですね」
 永峰の言う通り、証拠のない室岡のことは私情でしかない。
 だから、今は復讐ではなく、身の安全を考えて籐佳は永峰の言う通りに考えを改めた。

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