even then
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「すみません、有瀬籐佳の身内です。引き取りに来ました」
救護室のドアが開いて永峰の声が聞こえたのは、連絡を入れて貰ってから三十分も立っていなかった。
「はい、ちょっといいですか。少しお話があるので」
そう永峰が言われたけれど。
「顔を見ていいですか?」
「はい、どうぞ」
永峰は許可を取ってカーテンを開けて入ってきた。
その強面に倉知が驚いていたけれど、それをスルーして永峰が籐佳に言った。
「大丈夫か?」
「……はい、もう大丈夫です」
「少し待ってろ、話してくるから」
「はい」
二人は短く話をして、永峰は救護員と一緒に個室に入っていって何かを話している。
それを横目に籐佳はベッドから起き上がってはあっと息を吐いた。
「なあ、あれが身内の人?」
「あ、うん。いつも面倒見てくれている人、父さんの知り合いなんだ」
便宜上は父親の知り合いにして、籐佳はその知り合いである永峰の世話になっているという設定にしてある。その方が色々と世間は上手く回るからだ。
「そっか、びっくりした。ヤクザが来たのかと思った」
倉知が心臓を押さえながら驚いているけれど、その感想は仕方ない気がした。
「本人には言わないでね。とても優しい人だから」
「へえ、そうなんだ。ま、じゃあ俺、次の講義あるからもういくね」
「うん、ありがとうね。助かったよ……倉知」
「へへ、良かった何もなくて、じゃお礼はフラペチーノな」
「分かったよ」
籐佳がそう答えると倉知はへへっと笑いながら部屋を出て行った。
それを見送ってから籐佳は脱がされていた靴を履いてベッドに座っていた。
五分ほどで二人が個室から出てきた。
「それじゃここにサインして。はい、お大事に」
引受人が来たという証明のサインもしてから籐佳はベッドから立とうとすると、それを永峰が引き留めてから籐佳を抱き上げた。
「……わっ、なが、みねさんっ……あの」
急にお姫様抱っこをされてしまい、籐佳が驚いているとその籐佳の膝に救護員が籐佳の荷物を置いた。
「それじゃお気を付けて」
ドアを開けて貰ってから裏側から建物を出た。
恥ずかしいけれど幸い誰も見てなかったようなので、車まで籐佳はそのまま大人しくしていた。
抵抗するほどの元気がなかったのと、抵抗しても無駄そうだと思ったのだ。
車に乗せられるとすぐにドアが閉められた。
そして運転席に永峰が乗り込んできてから、すぐに籐佳の顔色を見ている。
「パニックを起こしたそうだが、大丈夫か?」
「……あ、はい……ちょっと僕も以外だったんですけど……」
どうやらその時の状況を聞きたいようで、籐佳は思い出しながら話す。
「飲み会の話が出て、それで誘われたのが引き金だったみたいです……」
籐佳がそう言うと永峰はそうかと納得したようだった。
「今までそういう話が出てこなかったから、自衛のしようがなかったな。思ったよりもまだ心の準備が足りなかったということか」
「そうみたいです……自分でも急に怖くなって、色々ぐちゃぐちゃになって……それでパニックになったみたいです」
さすがにこれは予想していなかったから、籐佳も永峰もパニック発作に至るとは思わなかった。
けれどこれからは気をつければ何とかなりそうではあると籐佳は言った。
「やっぱり飲み会は参加したくないし、断るけれど。いかなければいいし、断ることも悪いことじゃないから……これからはもうちょっと気をつけます」
「悪いことじゃない。心が戦っているのだから、気に病むことはない。これからも何かあればすぐに呼んでくれ」
「はい」
大丈夫だと微笑む籐佳を永峰はクシャリと頭を撫でてからホッとしたように息を吐いていた。
相当急いできてくれたようで、距離的には連絡をしてからすぐに飛んできたのが分かる。
「あの、来てくれて嬉しかったです」
「そうか」
籐佳がそう感謝をすると、少しだけ永峰が照れているのが分かった。
素直に感謝していると永峰は時々照れたような表情をすることがあるのを籐佳は知っている。
その顔が見られると籐佳は心は良い方へと浮上するのを感じる。
悪くないのだと思うし、相手に心が伝わっている気がして嬉しいのだ。
だからこそ、籐佳は嬉しさは決して隠さなかったし、永峰や祥吾には特に素直になれた。
部屋に戻ると永峰はその日は遅くまで一緒に居てくれた。
「まだ本調子じゃないだろう?」
「あ、はい……」
「だからそこでダラダラしてな。メシは作ってやるから」
そう言われて体に良いという雑炊を作って貰った。
昼は雑炊で夜は調子が上がってきたので柔らかい肉を食わされた。
「体がしっかりしてないとな。籐佳は食が細いからカロリー高いの食べないと維持できないぞ」
永峰はそう言って良い肉を食べさせてくれた。
「大学は楽しいか?」
「うん、勉強も楽しいし、友達もいい人ばかりだよ」
部活動やサークルなどそういうのを一切無視していたら、普通の生活になって楽になった。
トラウマからそういうのに入れと言われると忙しいと言うことにして受けずにいたら、三回生の勧誘は就職活動前ということで深く誘われることはなくなった。
友達の倉知も中島も何処にも入っていない人で、バイトをしているから大学以外で会うこともなく、私生活を色々聞き出されないので良かったのもある。
他にも知り合いになりかけた人で根掘り葉掘りをしてくる人もいたが、言葉を濁していたらそのうち誰も寄ってこなくなり、誘いもなくなっていった。
「今日の子はどの子?」
「倉知だよ。同じ講義取ってるのが多くて、一緒にいることが多いかな。何かバイトに精を出しすぎて留年してるから同じ年なんだ」
「へえ、それほど打ち込むバイトって何だろうな?」
永峰がそう言うので籐佳は永峰が倉知のことを気にしているのが分かった。
何処の誰なのか確認をしたのもあるだろうし、父親に報告するときに何処の誰か分からないのは永峰的にはマズイのだろう。
そう思ったので倉知の情報で喋って良さそうなので籐佳は言った。
「メッセンジャーだって言ってたなあ。講義がない水曜と金曜だけらしいけど。去年は一年間、丸々のめり込んでいたみたい。でも留年させたらさすがに会社がマズイからって講義に出なさいと言われてそうなったみたい。青木商事って知ってる?」
「ああ、知っている。そこの社長の志方成実(しほう なるみ)は俺の幼なじみだ」
「へ、そうなんですね……わあ、意外。妙なところで繋がってるの、面白いですね」
永峰にももちろん幼なじみや親友だっているはずだ。
だから祥吾以外の知り合いのいなさそうな永峰とこういう形で繋がっているのは不思議な感覚だった。
「そうだな」
永峰はそう言い笑っている。
その日は寝る寸前まで永峰がいてくれたけれど。
「会社は大丈夫ですか?」
そう尋ねると永峰は言うのだ。
「気にすることはない。家でも出来る仕事だ」
と答えるのだ。
確かにパソコンを持ち込んで何かしていたけれど、それで仕事になるものなのかはちょっと心配ではある。
「それじゃ戸締まりちゃんとして。おやすみ」
「はい、今日はありがとうございました。おやすみなさい」
籐佳がそう答えてから鍵を掛けるまで永峰が玄関前から去っていかないのを知っているから、急いで鍵を二つ掛ける。
その音がしてから永峰が鍵がかかっているのかドアのノブを回して確認してから去っていくのだ。
それくらいにしっかりと確認しないと永峰が安心しないのだと聞いた。
部屋だって人の出入りが少ないようにと籐佳の部屋は角部屋で、その手前に永峰の部屋があるようにしてくれているほどだ。
ここまでやってくれるのは永峰が安心したいからだと説明されているけれど、きっと過去に亡くしたという友人の二の舞が嫌なのだ。
助けた命が同じような状況で死んでいくのが絶えられない。
だから、その亡くなった人のためにやりたかった、出来なかったことを全部してやろうとしているのだろう。
今の経済力なら永峰には可能でできることも増えている。
その全力を尽くしたいと思わせるほど、永峰の心を占めているであろう亡くなった友人という人を、籐佳は少し羨ましく思った。
心がギシリと音を立てるように胸が痛む。
最近は永峰との時間が増えたお陰で、籐佳はずっと永峰に恋心を抱いている自分に気付き始めた。
けれどきっとこれは受け入れられないだろうし、きっと父親の手前、永峰は下心すら見せないのだろうと思えた。
この時点で籐佳は失恋をしたも同然な状況だった。
それでも永峰に気遣って貰うのが嬉しくて、構って欲しさがドンドン増している。一緒に居られるなら何でもよくて、永峰が撫でてくれるだけでもう夢のような気分になれていた。
だから何でもいいから、永峰と一緒にいられるなら何でも利用したいくらいの気持ちでいる。
しかし永峰に失望されたくないから、絶対に自分のことを利用するのは辞めようと思った。
だってそれは永峰が望んでいない未来だからだ。
永峰は籐佳が元気に一人でも生きていけるようになってほしいから手を貸してくれているのであって、ずっと側にいることを望んでいないのだ。
大学を卒業するまでは、きっと一緒に居てくれる。
その間だけでも籐佳は永峰との思い出を作ろうと思った。
籐佳が倒れたけれど、翌日は体調もよかったので大学には行った。
もう発作の原因が分かったので、気をつけて自分で過呼吸は調整できるから対処法も分かっているので、パニックにならないように気をつけていくしかない。
「昨日はごめん!」
倉知は門前で待っていて、開口一番に籐佳にそう言い謝った。
「大丈夫だよ。倉知は悪くないって昨日言ったよ?」
「分かってるけど、やっぱりその怖かったからさ、人が発作で倒れるのとか、見たことなくて……」
倉知がそう言うので、籐佳は倉知に謝った。
「ごめんね、僕がそういうパニック持ちだって話してなかったから、怖かったよね。ごめんね。もう治ったと思っていたんだ」
「そっか、……治ったはずなのに急になって怖かったのは有瀬も同じか。へへ、まあお互い怖かったって事で……でも原因は言いたくないんでしょ? 俺が出した言葉の中で思い当たるの大体想像がついちゃったから……あのね、知り合いにさ、そういうの馬鹿正直に言わない方がいいって言われたけど、俺、馬鹿だから言われないと分からないんだ」
「倉知……」
倉知は自分を馬鹿と言いながらも思い当たる物があると鋭く言うのは察する力があるのだろうが、ただ駄目だと言われないと何でとなってしまう性格らしく、それを馬鹿正直に言うのも倉知のいいところだろう。
「……俺もそういうの参加しないことにした。元々、知り合いの知り合いとかばっかりだったし、何かやたらと有瀬を誘ってこいみたいに言われてたなって思って」
倉知がそう言い出して、籐佳は少し真顔になる、
「どう、いうこと? 僕を誘えって?」
まさか名指しで飲み会に連れ出されるところだったとはさすがに籐佳も想像していなくて、唖然とする。
わざわざ籐佳に直接言うのではなく、倉知を介してまで籐佳を呼ぼうとするのはどう考えても嫌な予感しかしない。
心臓が痛いほどになったけれど、これは聞き逃してはいけないことだった。
「……有瀬、また具合が?」
「……だ、大丈夫……だから、ちょっと椅子に座ろう」
「え、でも……俺が余計なことまた言ったから!」
「違う、そういうことじゃなくて……あの、ちょっと落ち着こう」
二人でそう言い合って、門から奥に入った噴水が見える庭まできて椅子に座った。
一限目が始まっているけれど、二人は二限目からだったのでそのままそこでお茶を買ってきて落ち着いた。
「ごめんね、俺が悪い」
「それはいいんだ。当たっているだろうから。でも言えないこともあって……それで僕はちょっと休学して転学した。これで大体は分かるよね?」
詳しく内容は言わないけれど、飲み会で何かあって休学して転学をしたと言われたら、加害者の武勇伝でもない限り、あの倒れ方をするなら籐佳が被害者の方であると倉知でも予想はできる。
「分かる……だから倒れたんだよね……」
「うん、パニック発作起こしてね。でも、それはいいんだ。済んだことだから。でもね、その僕を名指しで呼べと言ったことは詳しく聞かないといけないんだ……」
どうして有瀬籐佳をわざわざ人を介してまで飲み会に呼ばないといけないのか、その理由を知っておく必要がある。
ここまで言われたらさすがに倉知でも籐佳に何か起こる寸前だったことを認識した。
「あ、そっか……でも誰が最初に言っていたのかは分からないんだ……飲み会の話が出て、呼ばれたまでは普通にだったんだけど、急に有瀬もくるんだよねって言われて。そもそも呼んでないよって言ったんだけど、いいから呼べよって押しつけられて、安請け合いしちゃった」
「……つまり、最初に誘われた時には僕のことは話にはなかったってことだね?」
「そう、誘った人も俺自身は知り合いって訳じゃなくて、ただその知り合いが話しているところにその人が割り込んできて、それで俺の話の途中で飲み会がどうたらって言うから、じゃあこいつ誘ってやればって高田が言ったんだった……」
高田というのは、倉知の高校時代のクラスメイトで倉知とはバイトが同じだったらしい。けれど、倉知が留年するほどバイトをしている間に講義も別になったので、今では時々しか話していなかった人らしい。
「その割り込んできた人は、誰か覚えている?」
「ううん、俺は名前は分からないけど、高田なら分かるかも……何か高校のOBとかで有名な人だったらしくて……それで高田は生徒会役員をやってたときに話したことがあるとか」
「それ誰だったか聞けるかな?」
「聞けるよ。今、メッセージ送ってみる」
倉知は高田にメッセージを送り、その返事を待った。
すると倉知に高田から電話が掛かってきた。
『おう、倉知。何だこれ、どういうこと?』
「うん、その誘ってきたOBの人の名前を聞かなかったからさ。誰だったっけ?」
『あの時の人、さすがにお前も知ってると思うけど、ほら四年くらい前にさ、プロテニスプレイヤーになった人、――――――って人』
「その人と、どれだけ親しいんだ?」
『別に。一回生徒会で話しただけで、こっちとしてはよく俺のこと覚えてたなあって感心したかな。ああいう人だから、多分凄い人なんだろうけど……お前はさ、あの人が来た日ってたしかインフルエンザで休んでたんだよな。だからあっちも顔は覚えてないだろうとは思ったけど、飲み会に誘うんだもんな』
「それそれ、何で俺なんだ?」
『誰でもいいからって言われたし、ちょうどお前が来たから適当に言ったらさ、後から彼はどんな子で友達はいるとか聞くわけ。だから留年してる者同士で何人かと連んでいるよって言ったらさ』
「それで名前言った? 有瀬とか、中島とか」
『ああ中島は言ったけど、有瀬って誰だっけ? そいつは分かんないけど言ってないよ?』
「そっか。別の人に聞いてみるからいいや。ありがと、あの人誰だって思ってたんだよなあ」
『そっか、用事それだけなら、じゃまたな』
そう言い電話は切れた。
「それで、誘ってきた人、室岡博紀って人らしいよ?」
その名前を聞いたとたん、籐佳はまた倒れそうになった。
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