even then
3
籐佳はそれから一年間を実家で過ごした。
体調を崩して戻ってきたといい、実家で静養した。
父親はどうやら事情を永峰や祥吾から聞いているようで、籐佳が自殺をまたしないかを気にしていたけれど、籐佳は日に日に元気になって、最初の頃の引きこもり同然だった生活からは抜け出せた。
思いの外他人と会うことが出来ず、外が怖いと玄関で吐いたこともある。
あの別荘を出たときはドアtoドアでほぼ外に出なかったことと、暗かったことで気にもしていなかったけれど、籐佳は自分の心が本当に一回死んだのだと気付いた。
家を出られない息子に父親は少し過保護になったけれど、籐佳は一年掛けてやっと近所の河原に散歩に行けるくらいには回復をした。
そんな辛いときに籐佳は必ず夜になると永峰たちに電話をしていた。
彼らは医者ではないし、専門家でもない。
ただ助けてくれただけの一般人だ。
それでも籐佳には彼らに縋るしかなかった。人を信用できず、それは父親には言えないトラウマゆえだった。
永峰も祥吾も根気よく籐佳に付き合ってくれ、籐佳は二人に懐いた。
父親もそれは仕方がないことだと思っているのか、それとも二人から詳しい事情を聞いているのか。もしかしたら生死に関わる問題だから二人から父親に話が通っているのかもしれないけれど、直接言うほど籐佳と父親は深く親交がなかったから言えないこともあると納得しているのかもしれない。
父親は家族全員が病んでおかしくなっているというのに、母親の病院にも通い家では籐佳のことと正直、真面ではない生活が重荷になっているはずだ。
だから籐佳は一年が経った時に、大学を転学した。
それは永峰からの提案だった。
「俺の懇意にしている大学があるのだが、事情を聞いた大学学長が転学を受け入れてくれると言っている。前の大学の隣の街になるし、俺の仕事場も近いからどうかと思って。住まいも俺のマンションが空いているからそこに。セキュリティもいいし、俺も住んでいるから力にもなれる」
そうした提案にやっと人と話をするまでに回復した籐佳は、元の大学からすぐに転学を選んだ。
引きこもりながらも勉強だけは続け、転学も問題なくできた。
幸い真面目に通っていたので大学二年分の学位は取れていたので四月からは三回生に転学を許された。
一年遅れになるが籐佳はまず正月が終わり、二月くらいには永峰の勧めてくれたマンションに引っ越した。
まずは生活基盤に慣れることから始めるべきであると思い、そこで大学に通うまでの二ヶ月ほどを暮らしてみることになった。
父親は仕事で忙しくなったこともあり、永峰が引っ越しや色んな手続きを父親に変わってやってくれた。
「ありがとうございます、助かります……」
「構わない。俺が預かると言ったんだ、最期まで面倒は見るさ。気にすることはない。俺の自己満足だからな」
「でも、僕は助かっています」
そう言い籐佳はニコリと笑う。
一年前の同時期に死ぬことを選んだ人間から微笑まれれば永峰も悪い気はしないようだった。
クシャリと籐佳の頭を撫でた。
永峰は遠慮なくそういうことをする人であるが、誰彼構わずやっているわけではなく、大事な存在に対しては甘くなってやってしまうことらしい。
何度かしないように気をつけていたけれど、それを籐佳は。
「いいですよ、しても。僕、親からそういうのしてもらったことないので」
そう答えたので永峰はそうかと言ってまた撫でてくれた。
永峰に大事な存在だと思われていることは、籐佳にとって嬉しいことだった。
そうされることで永峰が味方であることを知れたからだ。
引っ越してからの日常は仕事の合間に永峰や祥吾がやってきてくれて、いろいろと助けてくれた。
父親は毎日連絡をくれて、必ず一言は交わすようになった。
永峰は毎日父親を安心させるために籐佳の安全を知らせているようで、仕事が多い父親はそれで何とか籐佳の問題から一歩だけ距離を置けるようになった。
まだ母親の入院も続いているし、その母親も意識がなくなるほど弱っているようで死期が近かった。
それらは籐佳には知らされず、籐佳は母親の面会は医者から許可がでないので会ったことはない。というのも、息子を亡くして精神が崩壊している人にもう一人の子供がいると分かったら更に暴走して何をするのか分からない状況らしい。
今でも病状にどう変化が与えられるのか分からない存在は会わせる訳にはいかないという。
五歳で母親においていかれた籐佳に母親の思い出はほとんどない。
父親も家政婦任せであまり構ってくれなかったけれど、それでも父親としての役割は果たしていたし、それなりに可愛がってくれていた。それとは反対に離婚した後に母親が籐佳に会いに来たことがないのだ。
だから籐佳はそういうものだと思っていたし、感情はあまりなかった。
籐佳は両親から甘やかされた記憶は一切なく、兄である結人からだけ気に掛けられ、そして甘えられる存在になっていた。
そこで籐佳は思った。
母親は兄だけを溺愛していて、兄はそれを気にして籐佳を愛してくれたけれど、結人は誰にちゃんと本当の子供として愛して貰っていたのだろうかということだ。
結人の悩みは苦しみは、決して母親では埋められないものであり、彼はどこにそのはけ口を向ければよかったのだろうか。
籐佳は自分を少し不幸だと思っていたけれど、結人の方がよほど辛い環境だったことは明らかである。
所謂、母親は自分に似ている結人だけを溺愛し、父親に似ていた籐佳のことは放置し関心を向けなかった。いわゆるネグレクトであってそれが原因で父親は母親と離婚する羽目になったのだ。父親と暮らすようになってから家政婦を入れたのは行政指導の下でもあったことを籐佳は最近になって知った。
父親はもちろん、母親も籐佳に対して愛情を持っていたわけではなかったけれど、結人の死後、父親は変わりちゃんと籐佳を心配するようになった。
あんなに出来た息子であっても自殺をする。という現実が父親を少し変えたらしい。
そして籐佳の自殺未遂もまた父親を変えるきっかけにはなったけれど、もうそこには父親と籐佳の溝は埋まることはなく、籐佳は赤の他人である命の恩人しか信用ができないほどに心が病んでしまった。
現在、籐佳と父親は関係性を回復したけれど、それでも籐佳を支えるために父親は仕事をしなければならず付きっきりとはいかなかった。
だから永峰が手を差し伸べてくれたことは、父親にも助けになっただろう。
そんな永峰であるが、本業は不動産会社の会長で仕事はほぼ社長に任せてしまっているので、重要な決済くらいしか用事はないらしい。
「うちは親が元々会長だったのだけど、五年前に病気で死んでね。それで会社の存続のために大学を出たばかりの俺が会長に就いて、これまでの運営と変わりないように社長以下をそのまま据え置いたんだ。だから俺の仕事はそこまで重要じゃない。それで結構時間が作れるんだ」
そう言って笑うけれど、よく会食や何だと出かけているようで、所謂会社としては舐められないように永峰の顔は必要なのだという感じだ。
そんな風に言う永峰を祥吾は笑って。
「顔が怖いから経営も厳しいと思われて、ちゃんとしてるから結構繁盛しているらしいよ。あれでも敏腕なんだよ」
顔が怖いだけで有利に働くこともあるらしい。
「ふふ、面白いですね。意外に外見ってそういうのがあるが……あ、笑っちゃいけないんだろうけど。でも永峰さんは優秀なのは分かります。だって凄いもの」
これまで籐佳の家族が助けられているのは事実だ。
父親は永峰に相談することで心を落ち着けられたし、医者よりも永峰を信じている有様で、籐佳は籐佳で永峰には何でも相談しているくらいに信頼している。
もしこれで永峰が何かを企んでいたら、有瀬家はそのまま詐欺に遭う勢いである。
それでも永峰が身元をしっかりと身元を見せた上で嘘ではないことを証明してくれている。会社経営で大変な思いをしている籐佳の父親の大変さも汲んでくれるので、信用するなという方が少し無理である。
「それにしても良いところ借りられたね。あいつにしてはいい判断だ」
祥吾は引越祝いを持ってきてくれたが、引っ越し自体は業者に頼んでしまったので、あっという間に済んでしまった。
元々一人暮らしで持っていた荷物は、実家に引き取る前にリサイクルショップに売ってしまったので、新しく買い換えた。お金は勿体なかったけれど、それを置いておくスペースと相殺したらリサイクルショップに売って買い換えた方が安かったのだ。
だから部屋中の物はほぼ新しくなっての再スタートになったけれど、それらの必需品は永峰と選んだので気分もまた違った。
マンションは五階建てで少し坂を上ったところにある立地で、街が見下ろせた。
少し駅から遠いけれど、市営バスが駅前からマンション前の通りに来るのでそれを使えば問題がないのでここを選んだと永峰が言っていた。
「いいところですね。遠くまで見えて、夜景が綺麗だと思います」
言った通り、夜景は綺麗だった。
駅前には沢山高いビルが並んでいるけれど、それを遠くから眺める形になるのでそこ以外は低い建物になっている。丘を上がると裏側はマンション群が並んでいて新興住宅地なのだが、このマンショはその端にあるため景色が綺麗だった。
そのマンション群のお陰でマンションから少し離れたところには大型のスーパーなどがある商業地があり、大体はそこで物が揃えられて遠出をしなくていいのも便利な立地だった。
もちろん高いマンションであるが、籐佳の父親はその投資を惜しまなかった。
絶対に安全な場所を用意するために永峰の言い値で買ったらしいが、どうやら永峰の持ち物だったのでかなり値段は安くしてもらったと言っていた。
独身用であるが子供一人と夫婦でも暮らせる広さがあるので、籐佳はいいところ過ぎて戸惑ったけれど、今更文句も言い様もなかった。
祥吾はよく家に来てくれて、近所での買い物に付き合ってくれてあれこれ教えてくれたし、永峰も毎日生存を確認するように籐佳の部屋にやってきていたから、籐佳は寂しさを感じずにそこで生活ができた。
やがて大学が始まると、生活は少し変わったけれど籐佳は大学生活を楽しんだ。
友達はすぐに出来たがあまり大学以外では親しくはしなかったけれど、それでもお互いに連絡先を交換して勉強の話をするくらいにはなれた。
そんな友人は倉知真樹という明るい子で、その倉知の友人である中島純一なども籐佳に何か事情があるのを察してくれて何も聞かずに付き合ってくれた。
「駅からくる時によ、マスド入ったら新作だって言われて買ったやつが美味すぎて、もう一回買いに行ってたんだよね」
講義の時間が二限目だけだったので、一限目にカフェで座っていたら倉知がそう言いながら同じ席に座る。
暖かい日なので外のスペースに座っていたから、見つけられたみたいであるが、カフェの普通のカフェオレを飲んでいる籐佳の隣でファーストフード店のフラペチーノを飲んでいるせいで、籐佳は急いでカフェオレを持って席を立った。
「倉知のせいで睨まれた……」
「わ、わりい……ここ持ち込み駄目だったっけ?」
「駄目なんだろうね。睨まれたし」
仕方ないので店を出て、途中の空いているベンチを見つけてそこに座った。
大学生活も一ヶ月過ぎると、大型の休みに入るので周りはウキウキした雰囲気が漂っている。
「そういえば、有瀬はゴールデンウィークなんかする?」
「うーん、僕は家で勉強するかな。ちゃんと卒業したいしね」
籐佳がそう言うと、倉知はだよなと言う。
籐佳が一年休学して転学したのは知っているから、就職への影響から猶予がないのは分かることだった。
「倉知は中島と何処か行くんでしょ?」
籐佳は自分のことよりも他の事に話を移すとそれに倉知が乗った。
「そうなんだよね。遠出はしないけど飲み会すんの。合コンだぜ、合コン。彼女できちゃうかもね」
「あはは、できるかどうか分からないけど、応援しているよ」
そう籐佳が言うと倉知が言った。
「それで、一人欠員ができたからさ。有瀬、そこ埋め要員にならない?」
籐佳は倉知にそう誘われて、急に表情が揺らいだ。
この飲み会というもののせいで、自分がどういう目にあったのか思い出した。
息が急に出来なくなって、目の前が段々と霞んでいくのが分かった。
そして籐佳を見ている倉知の顔が慌てた顔になり何か叫んでいる。
その音は全く聞こえず、籐佳は何と聞きたかったけれど、息苦しくて声にならなかった。
そして頭の中に、あの時の光景が浮かんできて籐佳はパニックに陥った。
「お、おい、有瀬、有瀬!」
慌てて倉知が叫んでいるけれど、籐佳はそのまま膝から崩れ落ちて床に倒れた。
息がなかなかできずに苦しくて、過呼吸を起こしているのだと分かったのは後のことだった。
たったそれだけの言葉で自分がパニックに陥るとは思わず、籐佳は急な出来事に対処出来なかった。
そのまま救護室に運ばれて、過呼吸を起こしていると擁護員に言われて何とか処置によって籐佳は息が楽になるのを感じた。
「多分、これで大丈夫だけれど。君、何か持病はあるかい? こんな発作的になることはあったかい?」
救護員にそう言われたけれど、籐佳はパニックを起こしたのだとやっと気付いた。
トラウマによるパニックは何度も起こしたことはあるが、治ったと思っていたのにまさかたった一言で自分がこうなるとは思わなかったのだ。
「だ、大丈夫です、パニックを、起こしただけで……」
やっと息が楽になり思考が回ってきたので籐佳はそう言った。
「そう、よくあること?」
「前は……よく……でも、最近は良くなっていると思ってて……」
「そう、なら救急車は要らないね。自分で主治医のところにいける?」
「はい、大丈夫です……」
籐佳が意識がはっきりしてくると擁護員もホッとしたようで、救急車は呼ばなかったけれど、保護者には連絡を取るというので籐佳は永峰を呼んで貰った。
「今の保護者みたいな人です……家も隣なので……」
「そう、じゃ今日は講義も受けられないでしょうから、迎えに来て貰ってもいい?」
「お願い、します」
もう体が上手く動かないので授業どころではないと思っていると、部屋に倉知が入ってきた。
「……有瀬……大丈夫か?」
見上げると倉知は不安そうな顔で立っている。
「ああ、ごめんね。急にパニックになったみたいで……前からちょっと、こういうのあって、それで急になっちゃって、驚いたよね、ごめんね。でも、助けを呼んでくれて、ありがとうね」
籐佳がそう言うと、倉知は安心したように少し涙を浮かべていて、側にあった椅子に座り込んだ。
「び、びっくりした。みるみる顔色が悪くなってくんだもん。……もしかして、俺何か悪いこと言ったかなって……」
そう言われて籐佳はああそうかと思い出す。
どうやら居酒屋に誘われたことが引き金だったらしい。
「ううん、倉知は悪くないよ。大丈夫だよ」
籐佳がそう言っていると、倉知はホッとしたように微笑んだけれど、結局永峰が迎えに来るまで側にいてくれた。
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