even then

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 有瀬籐佳が自分にあったことを助けてくれた永峰達己や大鹿祥吾(おおか しょうご)に話を聞いて貰いながら、自分の中の記憶を確かめた。
「それで、君は大学のテニスサークルの飲み会に、OBに誘われていく羽目になったと」
 そう聞くのは祥吾だった。
 祥吾は銀髪の長髪であるが、それを後ろで一纏めにしている。長い髪は胸辺りまである。キラキラとした表情で非常に美しい人だった。
 もう一人の永峰と名乗った男は、その正反対の体格と厳つい顔をしている。視線も厳しく嘘を吐いたら一発で見破られそうなくらいの人だった。
 どうしてこの人たちが信じられるのか。そういうのは後で考えたことであるが、このときはもう縋る先もなかったからだと思った。
 ここで籐佳が膿を出さないと、きっとそのまま憎しみで腐っていくだけだと思えたのもある。
 そして祥吾は優しく聞いてくれるけれど、永峰はどんな事も洗いざらい喋れと鬼気迫っているのもあって、何だか話した方が自分のためより、この永峰のためにいいのではないかという気にさえさせたのだ。
「本当は断ったんです。でも帰り道で室岡という先輩に会って、いかないのかと言われて、いかないのだと答えたらそのままタクシーに乗せられました。その先輩のことは、尊敬していて……その断れずに……」
「なるほど、それでお酒の席だから飲んだと」
「いえ、お酒は飲んでないんです。酔うのは苦手で、それでソフトドリンクをお願いして、隅っこで飲んでいたんですけど、そこから意識がだんだんと眠くなって……」
 そう籐佳が言うと、祥吾はその先は想像付いたような顔をした。そしてそれに永峰が舌打ちをする。
「相変わらず、睡眠強姦とか流行ってんだな……クソガキだから許されるとでも思ってんのか……腐ってやがる」
 吐き捨てるように言う永峰の様子からこういう行為を嫌悪しているのが分かった。
 それでこの人たちはあの人たちとは違う、真逆の人だと気付いた。
「犯人は誰だか覚えている?」
「……あの、二、三人くらいは……クスリが抜け始めたくらいのことなら、少しは……何だか酔ってる感じだったけど、声が……」
 そう言いながら震えて思い出す。
 あの時いたのは知っている人たちだった。
「入江というOBと、その人たちとよく連んでいる人で、平岡、日野などがいたと思います……他は分からないです。目覚めてない間にも十人くらい、いたみたいで……」
 そう誰かが言っていた。
 その声は恐らく入江と連んでいた平岡の声だったと思う。日野などがそれに笑っていた。
 入江のことは前から変な目で見てきていたから、凄く怖くて避けていた。そして室岡が間に入ってくれて守ってくれたと思っていた。
 でも違ったのだ。
「む、室岡先輩も、あいつらとグルだったんだ……僕は、売られたんだ……そうじゃなきゃ、僕が何であいつらに……っ!」
 あの時、室岡が来なかったら、あの時、ちゃんと断っていたら、たらればであるけれど、どこかでこうなる前に止められるはずだった。
 気をつけて酒は飲まなかったし、大勢の中にはいなかった。避けられることは避けた。なのにどうしてと籐佳がパニックになりかけていると祥吾が言った。
「もしかして、大学近くの○○堂だった? その飲み会会場?」
「……え、何で……そこでしたけど……」
 どうして急に場所を特定できたのだろうかと籐佳が不思議がっていると、それに永峰が言った。
「昔からそういう噂があるんだ。そこで飲み会をしたら絶対お持ち帰りができるっていう噂がな」
「……何で、大学とか……え?」
 急に二人が大学が何処で大学周りの店まで把握していることに驚くと、永峰が言った。
「俺らもそこ出身なんだ。俺は経済学部で祥吾が教育学部。まあ、祥吾はその後絵画に目覚めて作家先生だけどな」
「でね、俺たちの一つ下に入江という悪名高いテニス部のやつがいた」
 永峰の言葉を引き継いで祥吾がそう言うと、籐佳は驚く。
「OBだったんですね……そっか。あの店、よくない噂があったのは知りませんでした……僕はお酒はアレルギーがあると言って断っていたので……本当はないんですけど、お酒だけはどうしても駄目で……」
 死んだ兄、結人(ゆいと)がお酒を飲めるようになっても飲むなと念を押したことがある。
 その時には飲酒のイメージは最悪になっていて、大学生の羽目を外した犯罪がよくニュースになっていたから、結人がそれを心配しているのだと思ったのでそれに従っていた。
 確かに酔って何かをやらかして、誰かが休み明けに退学しているなんてことがよくあって、結人の言うことは間違っていないと思えた。
「お店が入江たちとグルってことなんですね……」
 道理で店員が持ってきたはずのソフトドリンクにクスリが仕込まれるタイミングがないはずなのに、クスリを仕込まれたということは、店員が入江たちに頼まれてやっていたとしか辻褄が合わないのだ。
「今まで見つかったことがないし、証拠も隠滅されてる。店側は客が頼んだ物を入れて出すだけで、後は金を貰って終わりだ。どうせはした金でやってるだろうから、入れた方も知らないで通せばそれで済むんだろう。それで今まで睡眠強姦自体はバレたとしても店までグルとは気付かないからな」
「どうして、入江は捕まらないんですか? だってこんなやり方をずっとしていたなら、どこかで誰かにバレて……」
「誰も警察に行っていないからだ。君と同様だ。バレたくない、恥ずかしいという気持ちが勝ってしまう。飲み会に出たのは自分の意思であることが前提だ。そこに自らホイホイ付いていったことを責められる。警察はそういうことを言って被害届も受理してくれないことがある。証拠がないからな。クスリだって一晩経ったら抜けてる、どうやっても立件できないことを警察は事件にしたがらない」
 恐らく誰かが被害届を出しに言って、警察に門前払いをされたことがあるのだろう。
 その言葉から永峰の知り合いにそういう人がいて、そしてその人は結局泣き寝入りをしたのだ。
 だから入江たちはのうのうとして犯行を繰り返している。
 憎いけれど、そこは籐佳と同じだ。
 被害届を出したければ犯行直後でなければ意味がない。そういうことなのだ。
 悩んで証拠を消し去る行為をしてしまったら、警察も手出しができないのだ。
「君も海に入ったことで証拠を消してしまった。汚染された証拠では警察は動かない」
 祥吾がそう言うので籐佳は自分も泣き寝入りするしかないのだと知った。
 どうにもできないと言われたら、本当に悔しいだけではない、憎悪が生まれる。
 けれどきっと入江を前にしてもあの時の恐怖を思い出して何もできないだろう。
 今だって、その話をするだけで体が震えて収まりもしない。
「君がそこまで話したのだからこちらも話す義務がある。俺たちにも同じ被害者の後輩がいた。彼は警察に行ったさ、もちろん。でも門前払いな上に警察は被害者が誘ったんだろと言った。それで友人は自殺をした。君と同じ、海に入って死んだ。君を見つけた場所は、友人が見つかった場所と同じだったんだ。たまたま命日に間に合わないから海岸に花を供えていたところに君が流れてきたんだ」
 永峰がそう言った。
 彼らの友人もまた入江の被害者になっていたのだ。
「俺らは最初暴行だと聞いて警察を勧めた。でも一緒に行くことをしなかった。一人で大丈夫だと言う言葉を迂闊にも信じた。今なら分かるよ、子供の言い分を警察が真面に取り合うことがないってことはね。僕らは対応を間違えた」
祥吾が言って悲しんでいるのが分かった。
 相当仲が良かったのだろう。彼らが未だにそれで苦しんでいるのが分かる。
「だから君に警察に行けとは言わない。君はそれを知られるのが怖くて自殺未遂をしたんだろうし、泣き寝入りしても入江からの報復はないはずだ」
「何故ですか……?」
 入江たちが二度と籐佳に被害を負わせないというのはどういうことなのか。
 それを不思議がっていると、永峰が言った。
「睡眠強姦の一番の利点は、相手が意識を失っていることだ。それは騒がれて困るからだろうというのは分かるな?」
 それに籐佳が頷く。
「あいつらが困ることっていうのは、警察や他の人間に犯行がバレる恐れだ。だからあいつらは襲う相手はちゃんと決めてある。そして一度手を出した相手には二度と近付かない。もちろん被害者だって入江たちは警戒するだろうから、あいつらからしたら好都合なんだ」
「つまりね、一回なら泣き寝入りしてくれる可能性を理解した犯罪ってわけ。何回も被害に遭っていたらさすがに証拠が残るし、被害者も口を割る。噂も広まるし、のちのちの行動に支障がでる。だからあいつらは一回限りの相手しか求めない」
 運良く入江たちは被害者の泣き寝入りに賭けて今まで成功しているパターンのようだった。
「更にターゲットはいつも男だ。男なら女のように妊娠したりしないからな。更に男が男に強姦されたなんてそうそう口に出来ない。絶対に泣き寝入りする。それが分かっているから奴らの犯行は未だに証明できないんだ」
用意周到な入江たちは証拠を残さない。
 実際に強姦現場から籐佳が海に行けたのは、目の前に海が見えたからだ。
 居酒屋でクスリを仕込んで、散々したあとは海の近くに捨てる。そうすれば、勝手に死んでくれるというわけだ。
 実際にそうした死者は何人も出ているらしく、大学では理由の分からない自殺が年間に十件くらいあるらしい。それに海に身を投げたのを見られることが少ないのか、遺体しか上がらないようで、理由も強姦された証拠も海によって洗い流されていて結果、自殺としか発表されない。もちろん、証拠が残っていることがあっても遺族がこれ以上の悲劇を望まないのだ。
 男に強姦されたから自殺した。それだけでも家族はこれ以上の辱めを死んだ人間に浴びせられないから協力をしないのだそうだ。
 そこで籐佳はふと結人を思い出す。
 何も言わずにいきなり海で死んだ結人には、自殺の予兆はなかったのだ。
 もし入江の飲み会に参加し、籐佳と同じ目に遭っていたとしたら自分と同じように自殺を選んだかもしれない。誰にも知られたくないし、大学にだって戻れない。
 バレるのが怖くて、特に母親にそんなことを知られたくはなかったはずだ。
 兄の死んだ理由が入江だったとしたらと思い当たるのは、結人と入江の年齢が同じだということだ。そして入江が籐佳にやたらと構い、兄弟はいるのかと執拗に聞いた理由が何となく分かった気がした。
 一度手を付けた相手を二度はしないという入江は、似た籐佳を選んだ理由が結人のことを思い出したからというのはあり得た。
 ただ籐佳は結人のことは誰にも喋っていない。
 兄はもう死んでいたからいないと言うしかなかったし、変に勘ぐられるのも嫌だったのだ。
 さらには親が離婚をして名字が変わっているから直接の繋がりがあるのは気付かれていなかったから、兄の死を恐らく知っているかもしれない相手にネタ提供をしてやるつもりはなくて、いないと言い張っていた。
 そこで一旦籐佳を理由にテニス部が分裂してしまったことで入江の計画が頓挫した。直接OBとは繋がりがあるわけではない籐佳は入江には会わなかったけれど、室岡の仕事先にバイトに入ったことで室岡から入江に繋がってしまったのだ。
 やっとテニス部から離れられたのに、繋げられたのは室岡からだった。
「……僕は……何もできない……悔しい……また誰かが僕と同じくらい絶望するかもしれないのに、それをどうすることもできない……」
 籐佳はそう言い、悔しさで自分の拳を傷つけていた。
 そんな籐佳の握った手を永峰がゆっくりと解いてから言った。
「いや、お前は生きている。それだけで価値がある。他のことは考えるな。それはお前の責任じゃない。お前は何も悪くないんだ」
 永峰の顰めていた眉が少し緩くなって、籐佳を安心させるために彼が笑っているのが分かった。
 そうなのだ、籐佳は何も悪くはない。
 そんな大義名分を背負って入江と向き合うことはないと言っているのだ。
 永峰の友人はそうした大義名分を背負って一人で戦おうとして結果死んだのだ。
 永峰としては、これ以上入江に関わることなく、大学の一年くらい休学すればいいと言った。
「入江は恐らくどこかでヘマをする。そういうのを待っているしか俺らにはできない。入江はそろそろOBとしても意味がない邪魔な老害みたいになっているらしい。そのテニス部ってやつも一旦リセットされて再結成されたらしいから、入江をありがたるような人もそろそろ全員卒業してるしな。入江が学生にあれこれできるのも今年までだろう」
 言われれば確かにそうだった。
 入江が学生時に影響があった人は留年をしている平岡くらいだ。その平岡も今年卒業ができなければ除籍処分だと聞いている。
 更にテニス部はOBの介入を嫌がっていて、新部長の矢島は特に入江を嫌っていると言われていた。恐らく裏で何かやっているのを知っていて、それで嫌っているのだといいう。籐佳はここで初めて矢島がテニス部の門出だと言う飲み会に参加していなかったのか分かった気がした。
「一年か二年休学しても問題がないなら、そうするといい。親には素直に話してもいいし、何ならバイト三昧で単位が足りないというのもありだ。何なら少し離れた大学に移るのもいい。それで恐怖から逃げられるならな。ただ大学を中退はやめておけ、この先に大学卒業資格は必要だ。嫌な世の中だが、それがないと就職先が厳しいのも現実だ」
永峰にそう言われて籐佳はそういう道もあるかと思えた。
 我慢して現状維持なんてすれば、きっと心が付いてこないだろう。
 だからここで足踏みをしてでも休んででも、結果が同じならばそれでいいはずだと永峰に言われて籐佳はやっと心が落ち着いた。
「そう、ですね……そうか……別に今を我慢しなくていいんだ……」
 籐佳はそれに気付いてちょっと笑うと、祥吾が言った。
「でね、君を見つけてから実に三日経ってる。もし家族が探していたら捜索願いも出されているだろうから、自宅に連絡をしてあげてね」
 そう言われて電話の子機を差し出された。
「それと、ここ、灯台アトリエなんだけど、場所は○○ってところ。もしお迎えがくるのであれば、そう言えばナビにでるからね」
 祥吾に親切に言われて籐佳はホッとした。
 それから籐佳は電話を実家の父に掛けた。
 父親は案の定、籐佳に何かあったのではないかと思っていたらしく、結人のことがあるのである程度の覚悟をしていたようだった。
「父さん、僕、暫く大学を休学したいんだ。それでね、もっとちゃんとしたら何があったのか話すから……ごめんね、今は大丈夫だから、兄さんのようにはならないよ。大丈夫だから」
 電話の向こうで父親が号泣しているのが分かった。
 心労を重ねていたであろう父親は、取りあえず帰ってきなさいと言い、迎えに来ると言うのでお願いをした。
 それから三時間ほどで父親がやってきたけれど、祥吾と永峰が一時間ほど父親と話をしていた。
 その間、籐佳はベッドがあった部屋で父親が持ってきた服と荷物を受け取った。
 あの日、居酒屋に置きっぱなしになっていた荷物は、誰かがアパートに届けていたようで玄関先に放置されていたらしい。
 その中にはスマホや財布も入っていたけれど、どれも手を付けた形跡はなかった。
 さすがに他の罪を犯す気がなかったのか、犯行を決定付けるものは残していなかった。
 スマホを取り出してみると、電源が切られている。
 一度は父親が開こうとしたようだが、起動してからの二重認証に通らなかったようでロックはかかったままだ。
 それを開いてみると、メッセージが入っていた。
 それは室岡からであり、メッセージは三つ。
【飲み会でどこに居た?】
【おーい、いきてるか?】
【何かあった?】
 どうやら会場で会わなかったことを不思議がっているようであるが、それが白々しい気がした。
 既読を付けてしまったけれど、あの入江と繋がっている室岡が何も知らないなんてことがあるのだろうかと思うと、どうしても全く知らないってことはないと思った。
 顔が広いはずの室岡が入江の悪い噂が耳に入らないのはおかしい。
 もし知らないとしても入江と繋がっている人に自分の情報を渡す気にはなれず、籐佳はそのまま室岡をブロックして連絡先も全部拒否にした。
 これ以上思い出す物に触れていたくなかったし、一年後にはきっと向こうだって忘れていると思えたからこれはこれで良かったはずだ。
 父親は二人から何か聞いたのか、悲痛な顔をしていたけれど、そのまま籐佳に静かに言った。
「お前のしたいようにしなさい、協力はする。だから、死なないでくれ……お願いだ」
 兄の死は離婚して離れた子供だとしても未だに辛いようだ。
そうなのだ、母親とは生活スタイルが違うせいで別れたけれど、それでも籐佳を引き取るくらいには子供は大事なのだ。
「うん、大丈夫。死なないよ。大学ね、休学するけど……別の大学に行きたい」
「分かった。そうしよう」
 大きいと思っていた父親が必死に籐佳を抱きしめてきて、それで籐佳は安堵した。
 ちゃんと親に必要とされていることが嬉しくて、籐佳は暫くは父親と共に実家に帰ることにした。
永峰と祥吾には礼をいい、更に何かあればここに来ていいと籐佳はここの鍵を貰った。
「いつもいるわけじゃないけれど、最近は作品を描くのにいるからね。時々、達己がグダグダしながら酒飲んで映画鑑賞しにくるけど、悪いところじゃないよ」
 祥吾はどうやら気を使ってくれているらしいが、この鍵はきっと生きるためには支えになってくれそうだった。
 もしもの時、父親にも言えないことができたら相談しにきていいと言ってくれたことは、籐佳には何よりも力になる励ましだった。
 

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