Word Leaf 野分

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 藤原大輝は悟琉のコントロールが上手い。
 それは倉永が苦労していた部分も軽々と悟琉をコントロールしてしまうところにある。
 別の出版社の神崎から指定された変更に、悟琉は納得が出来ずにごねた。
「無理、書けない。駄目」
 それには神崎も驚いて困っている。
「そんな、これくらいの修正なら出来るはずです。何でですか。主人公の恋人をこっちの子に変えるだけでいいんですって……」
 そう言われたのは本を書いた後に持ってきたイラストのせいだった。
 作家が描いたイラストの主人公のヒロインより脇役の子が可愛かったせいだ。こっちの表紙の方が人気が出るからという理由で意味もなく内容を変えろというのだ。
 そんなことができるわけもないのに、神崎は平然と言う。
「他の作家の人はやってくれますよ、これくらい三浦先生クラスなら余裕でしょ? 何でできないんですか?」
「出来るわけないでしょ、最終話まで話が決まっているのに、そこを変えたら全部変えないといけない。話に無理が生じるだけです」
「大丈夫ですって、シリアスな流れなんて誰も読んでませんよ。ハーレムでいいんですって、それでヒロインを振ってくれればいいんですってそれだけのことでしょ」
「はあ? 何言ってるんだ、ふざけるなっ!」
 直接神崎との話合いをしたことは余りなかった。というのも倉永が間に入ってくれてそういう話は違うでしょと毎回止めてくれていたのだ。
 それが倉永がいないことをいいことに、神崎はごり押しを始めた。
 自分の気に入っている女の子が主人公と結ばれないと嫌だという、勝手な理由のためだ。
 企画で書いた小説であるが、そこを変えたら企画自体が共倒れだ。それをやって嬉しいのは神崎一人で、三浦悟琉としては一番やってはいけない流れである。
「我が儘言わないでくださいね。こう決まったのでしていただきますよ。そうしないと本自体出ませんし、企画も倒れますよ。そうしたら先生の評判もがた落ちです」
 この台詞を言われた瞬間、悟琉は完全に切れた。
 怒鳴り返そうとした瞬間だった。部屋に入ってきた大輝が一気に喋り始める。
「初めまして、倉永の後任になります藤原大輝と申します。どうもです。それでですね。あなたがおっしゃるっている設定を無視したヒロイン交代なのですが、それですと、何の後ろ盾もない主人公がまず剣士になることができなくなるんですよね。ヒロインが無理矢理喧嘩を売って、その結果、剣術で魅了してっていう流れがあるんですよ。それを無視したら剣士になれないし、その脇役の子、何の特技もなく可愛いだけが取り柄ですから、そうですね。そうなると、魔法と剣の冒険ではなくなりますよね。ヒロインの呪いを解くために旅を続けているわけですし、剣士になれたお礼で主人公はヒロインを助けるのだし、ただの脇役の子をヒロインにしたら、呪われたのは脇役の子になるし、そうなるとヒロインは出ないことになるから剣士になれないんですよね。この世界では職業は基本、貴族の承認がないと慣れないわけですよ。何の関係性もないのに剣士になれたとなると、基本設定から書き直しになりますよ、そうなるとこれまでにかかった日数。そちらさんは確か一年かかってますよね。だから書き直しをお願いするなら、後続にある出版社の執筆作業の妨げにならない四年後にもう一度企画を持って出直してくださいね。こちらは一年間、映画化で先生の執筆を止めている合間に、そちらの企画を通してあげたんですからね。その期間に完了できない仕事をよこすなら、それなりの覚悟はございますよね」
 大輝の一気に喋る内容は、悟琉が言いたかったことばかりだった。
 それらに悟琉は全部頷き、さらには倉永が予定を空けてくれたのは映画化の作業の合間に書けると判断したからであって、後出し設定崩壊など倉永が聞いたら激怒どころではないはずだ。
「いや、うちとしてもですね……そんな四年後なんて……困る!」
「四年後なんですよ。こちとら遊びで仕事の依頼はしてないんですよ。もう次の予定も入っているし、おたくさんは編集さんの後出し設定のせいで、描き直しになっている先生の味方なんですよね」
 そう大輝が言うと、神崎はよほど悔しかったのか言い切った。
「あの、くそ生意気な担当のやつなら、記事になって燃えるだろうな。ストーカー男とホモでいざこざとか、恥ずかしいったらありゃしない。あんな淫乱糞野郎の言うことを真に受けていた俺もどうかしていた」
 そう神崎が言うので、悟琉はすぐに真顔になった。
「それって、まさか倉永さんのことでしょうか?」
 低い地を這うような声だったと思う。
 それは大輝すら驚いていたから、相当な怒りが浮かんでいたようだった。
「そうだよっそれ以外あんたの担当なんていないだろうがっ! あの淫乱糞野郎、真面目な顔して男と盛ってたとか、気持ち悪いっ」
 そう神崎が言うけれど、それに悟琉が言った。
「もういいですよ、神崎さん、そういう個人的な誹謗中傷は聞きたくありません。私の前で倉永詢に関しての暴言は、絶対に見逃せません。悪いけれど、今回の企画はなかったことにしていただきます。私の悪い噂がどうとか言ってましたけど、こちらとしても洗いざらいあなたが言ったことは一言一句間違いなく文字にさせていただきますので、そのまま出版社に持ち帰って検討をどうぞ。どうやらそちらの出版社の雑誌で倉永さんのことを私と絡めて記事にしようとしているようですし、何の遠慮もいらないでしょう?」
 悟琉はここではっきり神崎と縁が切れたことを感じた。
 こういう勘は当たる。だから切ってもいい縁だったのだと思えた。
「大輝、出版社のサイトに私の声明を載せても大丈夫だろうか聞いて貰えるだろうか? 一筆書くんで、それを」
「持ち帰り検討しますよ。恐らく大丈夫でしょう」
「じゃ、十分待て。神崎さんはお帰りになってください。もう用事はないでしょう? 編集長にはこの会話を録音したものを送っておきますので」
 そう言われた瞬間、ニヤニヤしていた神崎の顔が急に青くなった。
「録音?」
「ええ、最初から録音してますよ。言った言わないの論争にならないように、倉永さんから指示されて、ずっと編集担当の人との会話は全部録音しているんですよ。もちろん、この話合いもです。ですので、言った言わないはないと思ってくださいね」
 しっかりと神崎を見て言い切ると、呆然としている神崎を大輝が部屋から追い出した。
「どうぞお帰りください。そして二度とこの家の敷居は跨がせませんので」
 大輝は神崎の荷物を持ち、玄関から更に門まで送り、門を閉めてから言った。
「とても残念ですよ。でも仕方ないですよね、あなたの勝手なので。そして出版社としての誠意はどこまで見せてくれるんでしょうね?」
 企画自体はまだ生きているとして、出版社として倉永のスクープ記事と、三浦悟琉の新刊出版とを秤にかけてどうするかは、この先のことだと大輝は言った。
 けれど縁が切れたのなら、恐らく悟琉のやることで企画自体も消えるだろう。
 大輝はそんな予感をして、悟琉の用意した直筆のメモを受け取った。
「僕は間違ってないし、これで倉永さんへの恩返しが出来るといいのだけど」
悟琉は今さっき、信用しかけていた人に裏切られてしまった。
 その落ち込みと怒りとが入り交じったように言うから、大輝は仕方ないと悟琉をソファに呼んで悟琉を慰めた。
「助けになるし、倉永さんへの味方だってはっきり書いているから大丈夫。悟琉は何も間違っていないし、縁が切れたのは元からそういうことだったんだよ。倉永さんの努力で成り立っていたものを壊したのは向こうだ。悟琉じゃない。よく我慢したね」
 そう言われて悟琉は泣いている。
 怒りで頭が真っ白になった瞬間、下手すれば悟琉が神崎を殴っていただろう。
 けれどそれでも良かったかもしれないとさえ思えるくらいに、悟琉の怒りは大きかった。
「殴ってたらきっともっと悪く書かれていた。あいつらはないことも憶測で記事にする。でもこっちは録音があるから、反論もできる。だがあいつらは倉永さんのことを悪く書くけれど、それでも世間は知らない記者が書いたことより、聞いたことがある作家の言葉を信じる。だから大丈夫だ」
 そんな大輝の言葉に悟琉はふっと笑った。
「何だか、大輝、本当に昔のまんまだけど、大人になったよね……」
 そう悟琉が言うと、大輝が言った。
「いい意味であんたが変わってないんだ。びっくりしたからな、全然変わってなくて」
 そう言われるのはちょっと足りないと言われているように聞こえるけれど、作家としての成果はそれこそ天と地ほど違うはずだ。
 それはここまで悟琉が無理をしないでやってこられたということを意味している。
 

 そして倉永の記事が出ると同時に、それが話題になったところで三浦悟琉の声明が出版社に掲載された。
 関係者各位とは別の、三浦の今の心境と倉永に対する絶対的な信頼の証し。
 そして記事を書いた出版社に対しても忠告がされ、すぐにそれを知った小説部門の偉い部長が事の真相を調べるために出版社内を駆け回ったところ、三浦悟琉に対しての不手際が分かり、神崎のしでかしたことで三浦から企画の断念を告げられていることを知ったという。
 神崎は企画の頓挫の責任を取る気がなかったのか、悟琉への恨み節を口にしたが、もちろんそういう問題ではなく、作家の作品を私物化して壊そうとしていたことが大問題になり、神崎は小説部門から飛ばされた。
 その神崎に関しては他の作家からも苦言が沢山ネットに載った。
「作品を壊されたのであそこのあの担当とは絶対に仕事をしない」
「マジであり得ないごり押しとかするから、あそことは二度とごめん」
「最終話がああなったのはああしないと出版してくれないと言われたから」
 と編集者の立場でパワハラを行った事実がどんどん出てきてしまい、それを知らなかった編集長たちが謝罪文を出していた。
 その影響で倉永への記事はすぐに削除され、雑誌は回収された。
 けれど、それで収まることはなく、三浦とも倉永とも関係ない出版社によって記事にされて倉永は叩かれていたが、その事件はやがて大きな事件になり、警察沙汰になったお陰で倉永への同情の方が多くなった。
「倉永さん大丈夫かな」
「大丈夫だよ、彼自身は怪我をしていないから。ただ一緒にいた人が怪我をしたらしいから、それはそれで大変かもしれない」
 悟琉は大輝からもたらされる情報でしか今は倉永のことを聞けない。
 その大輝さえもいつでも情報が入るわけではなかった。
「その倉永さんとの完全な縁が切れたわけじゃないだろう?」
「そうだけどさ~。結局、あっちの企画をこっちに持ってきたから、これは倉永さんにやってほしいなって」
 そう悟琉が言うと、大輝は言った。
「その仕事を最期に担当を完全に外れるって言ってたらしい」
「ほらやっぱり、担当には戻ってこないんだね。ああ~、あの本が最期になるのか」
 読み切りの完全王道ファンタジー。本当なら別の出版社から出るはずだったものだ。だから気合いを入れて書いたのに、それを壊されそうになってしまった。
 けれど、それを倉永に読んで貰い、イラストは企画時から引き続き同じ方に頼んでイメージはしっかりと付けて書き直して貰った。
 あの前のイラストは前担当の神崎の指示がかなり入っていたらしく、描いた人ですら「これは違うんじゃないか」と思えるほどリテイクを出されたと言っていた。
 最初のイラストレーターのイメージを提出すると、正にそれがそのまま素晴らしいものだったので、そのイラストで悟琉は即決した。
 イラストレーターはそれで納得の仕事ができたと喜んでいた。
 三浦悟琉の声明を読んだイラストレーターは「私も違う絵を描かされた。明らかにイメージしているのと違うのを担当の好みにされた。絶対これでいいわけないのにって今でも思っている」とはっきりと書いていた一人だった。
 なので、最初のイメージでの正式な依頼が嬉しかったらしい。
 事件は片付いたし、倉永も自由になり、悟琉はあの声明から評判を更に上げて、映画が後半を迎えての大々ヒットになり、とうとう百億円を超えた。
 既刊の小説も相乗効果で売れて、品切れをあちこちの店で出し、重版が決定して更に売れたという。
 それでも悟琉にとっては倉永という頼れる担当と離れるのは辛いものだった。
 低迷期に救って貰い、納得がいっていない本を出し直して貰い、何もかも上手く作家として売れたのは倉永の指導のお陰だったのは間違いなかった。
 けれど最期にちゃんと恩返しができたはずだ。
「これからは、さすが三浦悟琉だって思って貰う存在でないとな。これから倉永さんが育ててくる新人は絶対、三浦悟琉越えを狙ってくるだろうからな。腕が落ちたとは思われたくないだろう?」
「それはそうだけどさ~、うーん、でも多分最期に倉永さんと出す本を越えることはないんじゃないかって思ってる」
 悟琉はそう言った。
 さすがだと思って貰いたくて書いた他社への作品だったけれど、その監修はほぼ倉永にお願いしていた。だから王道をしっかりとした設定で書いた完璧な作品なのだ。
 出来れば倉永と出したいと思っていた思いが叶うとは思わなかったが、それでもきっと三浦悟琉に最大にして最高の大ヒット作になるのは間違いなかった。
「あの時、色々と言ってくれてありがとうね。思ってたこと全部言ってくれたから嬉しかった」  
 悟琉がそう言って微笑むと、大輝は少しだけ動揺したようだった。
 その動揺する大輝が珍しく、悟琉は大輝に付きまとって、大輝の表情を楽しんだ。

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