Word Leaf 野分

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 三浦悟琉(さとる)は、現在大ヒットしているミステリ映画の作者である。
 作家として約七年目。最初の小説が雑誌の賞で佳作になった。
 その時の出版社の担当者は、あまり相性がよくなかった。
 鳴かず飛ばずで四年目、本は五冊出していたけれど、どれも佳作でしかなかった。
 しかし三年前に編集者である倉永詢が担当に変わった。
 倉永はとても三浦悟琉を尊敬してくれていて、様々な打ち合わせをしたと思う。
 それまでは書きたい物を書いていただけだったけれど、倉永と打ち合わせで要らない物を削ぎ落とし、倉永のアイデアを採用して組み込んでみたりと、一歩進んだ創作活動ができるようになった。
「三浦先生、凄いです。発売順位一位ですよ!」
 悟琉の作品が初めて発売した月の出版数一位となった。
 売れる要素とそれまでの三浦悟琉作品への宣伝の効果が大きかったのだ。
 それは倉永の手腕が大きい。人の目に入るところで三浦悟琉作品を宣伝するだけで、それまでの悟琉の作品も売れ始めたのだ。
 そして倉永との共同による初期設定の洗い直しは、悟琉の作品は読みやすくなり、悟自身も書きやすくなったのだ。
 もちろん、それまでのように悟琉一人で書く作品もあったが、それには時間がかかり、気付いたら倉永との作品が増え、三年間で八冊の本を出せていた。
 それらはシリーズものだったりと好評を得た作品の続編などもあったが、どれも売れに売れて、三浦悟琉はヒットメーカーとなった。
 そして他の出版社からも依頼が入ることになり、倉永はそれも手伝ってくれた。
「三浦先生が書けるのであれば、僕は沢山先生の本が読みたいです」
 どうやら出版社では三浦悟琉の出版に割ける割合があり、今の調子であると他の出版社に出して貰うしかこれ以上の作品は増やせなかったからだった。
 別の出版社の神崎敦史編集は、倉永の助言で企画書を提出してきたが、倉永は何とか倉永の出版社との出版間隔を保ちながらも合間に出版できるように調整までしてくれたのだ。
「倉永さんの手腕は本当に凄い、他の出版社との間も取り持ってしまう」
 神崎編集がそう言い、それには悟琉も感心したほどだった。
「倉永さんほどの編集を僕は知らないです。彼のお陰でどれだけ僕が助かっているか。本当に感謝しきれないです」
 そう言っていた悟琉の作品はとうとう代表作が実写映画化をした。完成し、既に公開されているが大ヒットしていて、それによって他のシリーズがアニメ化することも決まった。
 それにより神崎の仕事も重大さを増した。
 三浦悟琉の本を出すと言うことは必ずヒットさせないといけないという呪縛が出来てしまったのだ。
 倉永が裏で活躍すればするだけ、その手腕の凄さを見せつけられて絶望するのだと言っていた。
 そんなある日、神崎の企画だけの期間と、倉永との仕事が一段落して、次の構想に入った時だった。
「え、倉永さん、僕の担当を外れるの?」
 急に降って湧いた出来事に悟琉は動揺した。
 三浦悟琉にとって、倉永詢は影のプロデューサーである。
 いないことで売上げが半減することもあるほどなのだ。
 そして悟琉は、倉永を信頼しきっていた。
「いえ、今ちょっと個人的なことで揉め事が起きていまして、そのことで三浦先生にも被害や迷惑がかかるかもしれない。それで今、ちょうどの時期なので一旦担当を離れて、落ち着いたらまたという形でお願いしたいのです」
 倉永がトラブルに巻き込まれているから、その余波で三浦のことまで何かあったら困るというのが倉永の話だった。
 確かに普通の会社員なら何もないかもしれない。けれど三浦悟琉の担当編集がという言葉が付いたらゴシップ記事は書けてしまうのだ。
 それは映画が大ヒットしている今だからこそ、余計に話題になるから書く記者もいるだろう。
 それを危惧しての担当を外れるということだった。
「それで、引き継ぎは藤原にお願いをしました」
「藤原って……まさか、藤原大輝?」
「そうです、よかった覚えてらっしゃったんですね。藤原は三浦先生と幼なじみだと言っていたので、ちょうどいいとは思ったのですが、三浦先生から藤原という名前は聞いていなかったもので、大丈夫かどうか不安だったのですが」
 倉永はそう言ってくれたけれど、三浦の中にはあの懐かしい藤原大輝の姿が浮かんできていた。
 とはいえ、もう七年ほど会っていない。
 作家デビューをした時に家を出たので、大体それくらいだ。
 だから覚えているのは高校生くらいの大輝であるが、時々家同士が会うときには会っていた。大学生になった辺りまでは覚えているが、それ以降、大輝も大学に入って家を出たので会っていない。
親しい幼なじみとしてはどうなのかということころであるが、恐らく不安はないだろうと詢は思った。
 倉永と大輝は引き継ぎをしてから、完全に倉永が担当から降りると、大輝が悟琉を訪ねてきた。
「このたび、三浦悟琉先生の担当になりました藤原大輝です、よろしくお願いいたします」
 大人になった藤原大輝は、悟琉が知っている無邪気な大輝ではなかった。
 スーツを着こなし、テキパキと動く姿は、社会人としてしっかりと大輝が生きてきた証しである。
 大学中に作家になり、世間を知らずに生きてきた悟琉にとって、それは大きな違いだ。
 今、外で二人が並んでいたら、きっと誰もが大輝の方が年上だと認識するくらいに大輝には常識的だった。
「あの、僕ら幼なじみだったのは覚えてる、大輝?」
「確かにそうですが、そんな昔のことを引き摺って何になります? なあなあで仕事をするのは倉永さんに失礼です」
 ピシャリと大輝に言われ、悟琉はずっと抱いていた懐いていた大輝の印象が壊されてしまった。
 昔は悟琉が書いた小説を読んでは、すごいと沢山褒めてくれたのに、今じゃその時のことを覚えているのかどうかも分からないくらいに冷たかった。
「さあ、仕事をしましょう。少し提案なのですが、ここの作りをもう少し作り込んでおけば、後で幅が広がると思います」
 そう言われてみたところは倉永と悩んだ上で削った箇所だった。
「うーん、そうなんだけど、話していてそこまで作り込まなくてもいいだろうと思って……それで削ったんだけどね」
 悟琉がそう言うと大輝はいいやと言った。
「絶対にこのシリーズは続きます。少しライト寄りにもしたからアニメ化で更に化ける。その時にここの設定が甘いと監督に突っ込まれて慌てて作る羽目になる」
 大輝がそう言い、絶対にこの作品はアニメ化すると言うから、悟琉はちょっとだけ笑った。
「アニメ化は狙ってはないよ。これは好きに書くやつなんで」
「この人気をひっさげたら嫌でもアニメ化します。だからそれを考えて用意しましょう。まだ始まりの段階です。だから最初からきっちり設定しましょう」
 そう大輝に言われたら、昔の懐かしいことを悟琉は思い出した。
 それは悟琉が書いてないところまで読み込み、そこを突っ込む大輝と共に設定をよく考えたことだ。大輝は拘ると設定を深読みするので、結構難しく設定を作り込むのだが、それが返って悟琉の作品が佳作止まりだったのだ。それ故に難しく、一般受けはしなかった理由だ。
 そこを削ってでもエピソードを増やした倉永の作戦は上手くいったけれど、そこを大輝は更にディープさを求めてきた。
「同じ作風だと、今やっているシリーズと展開がかぶる。だからそこは深く書き込んで欲しい。今の三浦悟琉の名前だけでも売れる状態で、本当の三浦悟琉の良さを知って貰う」
 つまり取っつき難いままでは誰も読んではくれないけれど、一度知った有名な作家の新作であれば、多少の困難さえでも読んでもらえると言うのが大輝の考える作戦だ。
 倉永との当初の計画と同じであるが、結局悟琉の負担になるのでやめた計画である。
「じゃあ、もうちょと練るか……」
「倉永さんから設定表をもらったので、あちこち修正を入れてみました」
「えええ、もうその仕事をやってるのか……」
 かなり大輝はやる気を出しているのが分かる。
 決して幼なじみのなあなあで済ませる気がないのが一回目の話合いで分かった。
 悟琉は気を引き締めて、その設定を作り直すくらいの修正をした。
 第一回の話は書いているけれど、そこまでに読んだ感想で付け足される設定と削って言い設定と修正するべき設定として赤がいっぱい入っていた。
 それは作品を読み込んだからこその修正箇所であるのは、悟琉にも理解が出来た。
 きっとその甘さを倉永は見逃してくれるけれど、大輝は見逃す気はないらしい。
 この違いは編集者としてファンである倉永と、編集者としてしか接していない大輝の違いなのかもしれない。
 すると最初の担当だった編集者を思い出してしまった。
 決して三浦の作品を褒めてくれず、出された作品を読んで「これでいいや」と言われたことがトラウマである。その作品は渾身の設定で書いたものだったのに、適当に編集されて気付いたら自分の知らないところで作品自体に勝手な校正が入り、違う言葉に返られていた箇所も多々あったのだ。
 そのせいで悟琉はさすがに出版社に対して文句を言うと、編集者は「俺のお陰で本が出せているくせに、偉そうに」と暴言を吐いた。
 それを倉永に見られたから、編集者による小説の改ざんと作家に対する暴言で、その編集者は配置換えになったという。それでもその偉そうな編集者様態度が抜けず、報道でそれをやらかしたせいで、苦情が来て首になったと言っていた。
その後に倉永の努力で書き換えられた本の修正箇所を重版の時に改訂版として出して貰い、出版社としては事なきを得たという。
 そういう流れがあるので、三浦悟琉に対しては出版社は何を置いても融通する流れになっていた。そこを倉永が上手く利用して三浦悟琉を宣伝させてちゃんと売ったのだ。
 そのお陰で悟琉は当初得られたはずの印税をやっと受け取れるようになった。
 それでも倉永の予想以上に三浦悟琉は馬鹿売れして、映画化まで登り詰め、更に発展していくことができるのだ。
 大輝はその流れを壊したくないのだ。
 それが分かるだけに、悟琉は文句も言わずに作業をした。
「結構作り込んだけど……ここまで作り込んで使うかどうかだよな」
 悟琉はそう呟いて、でも大輝ならきっとここまで求めるだろうと思い、設定を書き込んだ。
「こっちはもっと書き込んでください。ここは十分です。ここもそれからここも。出来れば家系図を使ってもう二世代上まで」
 書いているのはSFファンタジーであるが、特殊設定なので作り込みは必要である。
 この話は、昔大輝と一緒に書いた話の改訂版でもある。
 だから大輝は当時はできなかった指摘も出来るし、先も知っているからか突っ込みも当時の比ではない。
「これ、お前と書いたやつなんだけどさ。あの時はもうちょっと書き込めなかったよな」
 そう大輝に向かって悟琉が言うと、大輝はそれにふっと笑った。
「あの時は俺も知識がなかったからな。今なら何であの設定で満足していたのかと思うほどだよ」
 大輝の言葉に悟琉はふむと思う。
 厳しいのは大輝なりにいい作品にしたいからだ。
「俺はこれを皆に読んで貰いたい。三浦悟琉の作品は凄いんだって思って貰いたいんだ」
 大輝の言葉は、昔から大輝が言っている言葉である。
 悟琉の作品を褒めて、時には凄く突っ込んで書き直させてでも、いい話が読みたかった。
「うん、頑張る」
 大変ではあったが、悟琉は大輝の期待に応えたかった。
 それは昔に戻ったような気がするほどの、特別な時間だった気がする。
「でも~、大輝、厳しいよ~」
 さすがに大輝の妥協をしない考え方に、倉永の方がまだ優しかったと思った悟琉は、スランプではないが泣き言を倉永に通話で言っていた。
 倉永は担当は降りたけれど精神的な悟琉のアドバイザー的な役目は喜んで受けてくれた。
 仕事は持ち帰りであることや、新人の作品を読んで次の担当も予定に入れているらしい倉永であるから、少しだけ悟琉は嫌な予感がしている。
 倉永は恐らく悟琉の担当編集者として戻ってこないだろう。
 出版社としても第二の悟琉のような作家が欲しい。悟琉は既にできあがって知名度も上がっているから、それなりの編集者でも担当は可能である。
 これから出版する新人の本にこそ、倉永のような緻密な計画で売ってくれる担当は必須だった。
 泣き言を言って満足した悟琉であるが、大輝に向かって呟いた。
「倉永さん、もう僕のところには戻ってこないよね……分かるんだ。こういうの」
 悟琉がそういうことが察せられるのは、両親の離婚の時だっただろうか。
 父親が家を出ていった時に、またいつでも会えるよと言って出て行ったけれど、悟琉はすぐにそれがあり得ないことだと思ったのだ。
「お父さんは嘘を吐いている。僕に会いになんてもう来ないよ。知ってるから嘘は言わないで」
 悟琉の言葉に父親は焦ったのかそんなことはないと、最期まで嘘を吐き、出て行った。
 案の定、父親はそれから一度も悟琉に会いに来なかった。
 中学生だった悟琉が大学生になり、そして作家になった時に初めて父親から連絡がきた。
「お前が作家になっていたなんて驚いたよ。誇らしいね、それでね。印税とか入っているんだろ。それを少し、融通してくれないだろうか?」
 それは金の催促だった。
 特に悟琉ががっかりもせずに言い返して黙らせる。
「僕への養育費の支払いが滞ってますけど、十年分足りてませんが、それを使ってみればいいんじゃないんですか?」
 父親は浮気をしていて、その女のところに行ったらしいが、そのことが会社にバレて社員同士の不倫だったので降格され、左遷させられて地方にいるらしいと知ったのは、その後のことだ。
母親は養育費が支払われなかった理由を知っていた。
「だって会社にチクったの私だもの。降格左遷確定の情報だったしね。それで田舎の漁村辺りに飛ばされたみたいだけど、それが不満で女は出て行って、今は一人らしいっていうのは知り合い経由で聞いたよ。まさかあんなに不滅の愛とか言っていたのに、さっさと別れるんだもん、ちょっといい復讐にはなったんじゃないかなっておもって、養育費のことは請求しなかったのよ」
 母親は父親が今更金の無心に来たことで、やっと復讐が出来たと思ったらしい。
 それらを一切感じさせないで悟琉を育てた母親は凄い。
「それにあんた言ってたじゃない。もう会うことないみたいなこと。だからそういうことなんだなって思ったのよ。あんたはそういう勘外したことないじゃない」
 そう言うのは浮気が発覚した理由が、悟琉の「最近お父さんは嘘を吐いていて気持ちが悪い」というたった一言だったからだ。
 そういう勘が悟琉には働くので、それを母親は信じただけだ。
 けれどその勘を周りは気持ちが悪いと言って、悟琉には近付かなかった。
 悟琉に友人がいなくて、隣の家に住んでいた年下の大輝だけが幼なじみで友達だった。
 けれど、大人になれば年が違うことで時間が合わなくなる。
 大学で家を出たのをきっかけに、大輝との時間は作れなかった。
 大輝も部活や学校生活で時間が合わなくなっていたから、それを機会に縁は切れたようなものだった。
 その大輝との縁が繋がったと思ったら、今度は倉永との繋がりが元担当という関係になってしまう。そういう勘が働いた。
「仕方がない、人には色んなことが起こる。それをきっかけに変わる人だっている。倉永さんは多分変わると思う。今は辛いけど、きっといい方に変わる。それで悟琉の担当ではなくなっても、一緒に出した本は絶版にならない限りずっと売れてくれる。そういうもんだ」
 そう言われて悟琉はそうだなと思った。
 倉永と作った本や倉永が守ってくれた本、それらはずっと残っていくのだ。
 そう考えたら、倉永との時間は大切にとって置いて、これからの未来、頑張ってくれた倉永の努力を無駄にしないように、三浦悟琉として悟琉は売れ続けなければならないのだ。
 そう思ったら、気分は変わった。
 倉永が喜んでくれる本を出そうと悟琉は思えた。

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