Word Leaf 希求

4

 坂本を見送ってからリビングに入ると、高内は既に食事を食べ終わっているはずなのに、キッチンにいる。
「あれ、食べてないの?」
 もう食べ終わっていてもおかしくないくらいの時間は過ぎていたと思ったが、高内は言うのだ。
「面白くないから、食べる気分じゃなかった」
 そんなことを言われて、希は冗談で言ってしまう。
「嫉妬なんてしてるわけじゃあるまいし……」
「嫉妬してる」
 冗談を真顔で返されてしまい、希は動揺した。
「え、あ、え、あの……え?」
「だから嫉妬してる。あいつ、この間までのセフレだろ? 別れの挨拶とか言っていたみたいだけど、最期の賭に出たってやつじゃんか。俺いなかったら、流されて元サヤとか、一緒にあいつの旅館を手伝うとかいう話になっていたかもしれないんだろ?」
「え、え、それはさすがに……」
「ああ、よかった。そういう話にならないで。鴻上が焚き付けてくれてなかったら、俺は大事なモノに気付かないまま、失っていたかもしれないなんて……」
 急に高内がそんなことを言うものだから、希からすれば青天の霹靂でしかない。
「あのさ、急になんだよね……」
「これでも、一日中考えたんだ」
 希は段々と自信がなくなってしまい、高内の気まぐれでしかないのかと思い始めたが、高内は話を続ける。
「え?」
「一日中、お前のこと、希のことを考えたんだ」
「……それで?」
 どうやら本気で希のことを考えてみたらしい。
 こういうことで高内が嘘を言わないのはずっと付き合ってきて分かっていることだ。
「希はさ、俺が奢ってて言ったら奢ってくれて、あれ食べたいなと思うと持ってきてくれて、部屋にきたら必ず掃除してくれて、ゴミも片付けてくれる。買い物にも行ってくれて、洗濯物も一気にやってくれる。それでこうやって俺がきたらご飯があるし、デザートも出してくれる……言わなくても、勝手にさっとやってくれてる」
 そう言われたらその通りで、これも全部気を引くためにしたことなのだが、これまで考えてすら貰えていなかったことが悲しい事実だ。
 しかし改めて言われてみると、どうしてこうまでして気を引こうとしているのかを考え込んでしまうような内容だ。
 もしこれを誰かに相談されていたら、やめてしまえそんな男と答えているところである。
「ここまで言っては何だが、俺は相当に酷い男じゃないか?」
「そうだね、改めて言われると、そうだねとしか……」
 希もであるが高内ですら自分で言っていてどうだと思ってしまったらしい。
 それでも希は知り合ってから一年ほど、このことを続けてきたのだ。
「それでも希は俺がいいのか?」
 そう言った高内の声はいつもよりも震えていたと思う。
 希はそれに驚いて高内を見ると、高内は怒られた子犬のような顔で希を見つめている。
 その顔は卑怯なレベルで希の心を打ち抜いていた。
 希はあまりのことにその場に座り込んでしまった。
「え、希?」
 さすがに慌てた高内が起こしに来ると、その手を借りて椅子に座らされたが、その座った希に跪くようにして高内が見上げてくるのだ。
「ひ、それは、ずるい……」
 希は耳まで真っ赤にしてその場で悶えた。
 分かっててやっているのかと思うほどに、希の心を付いてくる。
「……希は、どう思ってた?」
 そう言われ、希はゆっくりと下を向いたままで話し始めた。
「最初からではないけど、だんだん好きになってた……奢られたい時に奢って欲しいと言う人はいるけど、察してではなかったし、それ以外じゃ僕を利用していなかったのも新しかった。僕は尽くす方じゃないとは思ってたけど、意外に尽くしてみたくなったくらいには好き」
 希の言葉に高内は顔を赤らめる。
 図々しい言葉ではあるが、そのあたりは見極めてやっていた自信はあった。
 奢らせっぱなしだと恐らく希はいつものことで、すぐに相手を切ってきた。けれど、どうしてもない時や給料前などの訳がある奢りは別に嫌いでもなかった。
 高内はその辺の加減が凄く上手いのだ。
 それにちゃんと奢り返してくるから、ある意味トントンではある。
 けれどそれ以上に駄目なところは、希は自分が付いていないとという気にさせた。
 それが駄目男に引っかかるどうしようもない子の心であるのは知っている。
 それでも希は叶わなくてもいいと思っていた。邪魔だと言われるまでは気の済むまでするつもりだった。
 だけど、報われるなんて一度も考えたことがなかったのだ。
「僕は、叶わないと思ってた……だから信じられない」
 希がそう言うと、高内は希の顔を覗き込んで言った。
「俺は希が願う方に変わろうと思う。今のままで甘えたままで希に負担をかけて好きでいてもらおうとは思わない……希がちゃんと教えてくれ。ずっと側にいて欲しい。希がいなくなったらって考えたら、何だか凄く胸がむかむかしたし、あの元セフレには嫉妬した。多分、俺よりもあいつの方が人としてちゃんとしていて、いい奴なんだと思う。でも俺は渡したくないと思ったんだ」
 高内は改めて希のことを考えた時、いなくなったらきっと寂しくて泣くと思えたほどに、希の存在に依存していることに気付いたのだ。
「何か言ってることが酷い男のそれと変わらないけど……俺は……希がいないとこの先人生が楽しくないと思ってる。それにここまで希がしてくれたなら、俺はそれでも好かれていると自惚れていいだろうか?」
 希が好きだと言う高内ははっきりいって碌でもない男と変わらない。
 今だって希がいなくなったら困るから口から出任せを言うDV男と変わらない。
 しかし伝えたいことは全部その通りの言葉でしかなく、言い方を変えてもきっと伝わらない。ストレートに伝えたらきっと希には分かるかもしれないと思うしかなかった。
 それにここまでしても希は嫌だとは言わなかった。
「高内さんは変わらないでいい、僕が全部したくてしてる。急には変われないから。でも頼んだゴミ出しは必ずしてくれていたよね? それまでやったこともないようなこと言っていたけど……お願いすればしてくれていたから、きっと少しずつ変われるよ」
 希はそう言った。
 高内は少しずつ変わってきている。
 引っ越してからゴミはちゃんと袋に入れているし、捨てやすいように洗うまではしている。これまでの酷い状態からは脱しているのだ。
 零か百かではないのだ。少しずつでいい、希のために変わると言うなら、少しずつでいい。
 希がそう言うと、高内は本当に嬉しそうに笑った。
 それは今まで全部を知った人には否定されてきたし、嫌われてきたからだろう。
 願っても届かなかったり叶わなかったのは高内の方だった。
「俺を選んでくれてありがとう」
 高内がそう言い、希はそれに頷いて涙を流した。
「僕も、嬉しいです……」
 そう二人は初めてちゃんと向き合って、お互いのことを話した。


 それからその日は、泣くのが収まるまで泣いて、そして遅めのご飯を食べた。
 希は別にご飯を作っているわけではなく、祖父の知り合いから祖父に頼まれたと送ってこられる冷凍食品などを食事としている。
 けれどそれは少し高額な食品で一般の人で食べている人はあまりいない。
 それでもコンビニで買うよりはマシな方である。一人暮らしで食事を作るのはよほど料理好きでもなければやらないものだ。
 この辺りは高内も同じ考えで、食事に関しては外食がほとんどである。
 その食事を取り、その日はただ話した。
「高内さんは、僕のことを考え始めたのは今日が初めてですよね?」
 希のその言葉に、高内は悪びれることもなく頷いた。
 きっとこういう正直なところとデリカシーがないところが振られる要因なのだろうなと希は思う。
「鴻上に言われるまで意識して考えることがなかった。でもよくよく考えたら、何で最初から対象に入ってないのか不思議なくらいなんだよな。そもそも希の顔を気に入っていたから、あの店にこないのがおかしいと思って様子を見に行ったっていうのにな」
 鴻上はそう言い、ネタばらしをしてくる。
「え、僕の顔が好みなんですか?」
 それは初耳だと思って聞き返してしまった。
「そうだよ、そうじゃなきゃつるんでないよ」
「衝撃的発言だ」
 高内には一応の好みがあり、その基準に達していない人とは一緒にいないという。結構酷い発言であるが、かといって面食いかと言うとそうでもない。
 実際希は一般的な顔をしている。詢みたいに可愛い感じでもないし、鴻上や高内のようにイケメンでもない。その辺にいると埋もれる容姿だ。
 けれど、その希には分かる人は分かることがあるという。
「お坊ちゃんの人のいいところがにじみ出てて、こいつ絶対いい奴って分かるんだよ。俺はそういう人が好きだから、そういうこと」
 高内はそう言い、それには希も妙に納得した。
 よく言われることであるが、育ちのお陰で損をしたことは持っていないお金を強請られたことだったけれど、性格や態度を悪く言われたことはないのだ。
「まあ、そういう家で育ったからそうなるけど……あんまりよく分からないな」
「鴻上とかも詢くんとかもその匂いがする。鴻上はまんま坊ちゃんなんだけど、詢くんの家も相当だと思うよ。ちょっと今は歪んでたけど」
「歪んでた?」
「うん、悪い言葉とか態度に晒され続けると、人間って気付かない間に歪むんだよね。詢くんは最初歪んでた。でもだんだんとそれが取れてきて、いい感じだったんだ」
「それで告白しちゃったんだ?」
「……まあ、その勢いでっていうのと、鴻上が明らかに興味示してたしさ。焦っちゃって……でも振られたから仕方ないよ。そこで気持ちもリセットされたし」
 高内はそうやってとっくに詢のことは振り切っているようだった。
 鴻上から威嚇されている状態で詢に近づけるわけもなく、完全に鴻上が抱え込んでしまったら、もうどうにもできやしない。
 あとは鴻上がゆっくりと詢を落としていくだけだ。
 その上で詢がそれを望んでいるなら、入る余地がないから諦めるしかなかったようだった。
「そのお陰で、希のことに気付けたから、俺は詢に告白しておいて気持ちの整理を付けられたのはよかったと思ってるよ」
「……そうなんだ……」
 高内としてはちゃんと気持ちの整理がついていて、もう詢には感情は残ってはいないようだった。
 高内は惚れっぽくて気持ちも移ろいやすいと鴻上が言っていた気がすると希は思い出す。ということは、しっかりと高内を惚れさせておかないと、高内は他を向いてしまうかもしれないというわけだ。
 希にとって最大限に出来ることをして、気を引いてきたのだが、正直、この全てを熟してまで希から高内を奪い取ろうと言うやる気のある人がいるとは思えなかった。

 
 二人の関係が進展する前に、詢を狙った京田のストーカー事件が一気に大事件へと変わってしまった。
 希が気付いたのは救急車の音だった。
 高内から連絡がきて、京田に襲撃され、鴻上が怪我をして危ないと言うのだ。
 慌てて二人の部屋に行くと、高内が既に到着していて、鴻上が担架で運ばれていた。怪我が酷いようで意識がないように見えた。
 それに付添い部屋から出て、救急車に行く詢であるが、詢は状況の説明を警察にしなければならないので残り、高内に救急車に乗ってもらった。
「多分、俺が残るより希が側にいた方が詢くんは安心すると思う」
 希はそう言われて詢に付き添った。
 詢は淡々と事件が起こったことを警察に話し、時々頭を押さえてはまた質問されることに答えていた。
 詢は血塗れだったけれど、その血は全部鴻上や京田の流した血が付いただけで、詢は怪我をしていないのだという。
 こんな狂気の中で怪我がないのは幸いである。
「詢、息してる?」
「……は、うん、大丈夫……」
「僕はここにいるからね」
「うん、ありがとう」
 詢は息をするのを忘れるほどに追い詰められている。
 だって鴻上の意識がないまま運ばれてしまい、手術を受けることになったから、駆けつけたくても、行っても意味がないのを誰よりも詢が分かっている。
 希に出来ることは詢の周りで詢が辛くならないようにするだけだ。
 詢はそれから警察署で証拠になる服を渡し、お風呂を借りて着替えをしてからもう一度同じ質問に答えてから病院に行った。
 それまでに夜が明けていたし、鴻上の手術も終わっていた。
 手術は成功していて、詢はまだ気丈に振る舞っていたけど、その詢を置いて希と高内は先に失礼することにした。
 病院には一人の付添い以外は泊まれないので、そこは詢が泊まるべきだと高内が気を使った。詢には食事を買って持って行って渡し、それから高内と希は病院を後にした。
 高内は会社に鴻上の怪我と手術のことを報告した。上層部は大騒動だったらしいが、仕方ないことであろう。
 その帰り道は希も高内も何も言えず、ただ黙ってマンションに戻った。
 次の日には鴻上は意識を取り戻していて、足の痛み以外は体が動くし頭も動くからか、高内は鴻上に頼まれてマンションのリフォーム業者を呼んできた。
「あの部屋、血塗れだし、板も血を吸い込んで駄目だろうから全て取っ替えしなければ住めない。どうせだから壁も全部変える」
 そう鴻上が言い出してしまい、高内は鴻上と詢の部屋の荷物を倉庫に預けるために引っ越し作業をし、詢はリフォームが済むまでは病院の隣にある入院者の家族が借りられる部屋を借りた。
 そうして一ヶ月はあっという間に過ぎて、特急で行われていたマンション内のリフォームは二ヶ月で完成した。ちょうど鴻上が退院して、リハビリに通うだけでよくなってからだった。
 二人の部屋は綺麗に修復され、壁紙も明るい色に変わっていた。
 それらも二人は楽しそうに選んでいたから、あの場所自体への恐怖や嫌悪感はないようだった。
 普通は引っ越すものだけれど、二人はあそこで愛を育んだというのもあってか、あそこから引っ越すことはしなかった。
 けれど部屋は明るくなっていて、前よりももっといい部屋になっていた。
 二人の部屋を繋ぐ場所は部屋自体をなくして、ドア一枚で繋がっている。
 けれどドア自体はリビングの端っこに移動した。
 逃げるときに玄関近くにしか逃げ道がなかったせいで、詢が逃げ切れなかった教訓をいかして、二度とあってはいけないけれど、ドアを部屋の奥にして距離を稼いだらしい。
 その新しい部屋でお祝いをして、事件がやっと幕を引いたことに希はやっと胸の中に合った暗い気持ちも全部、そこで吐き出した。
 これからはきっと楽しい日常がやってくるはずである。

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