Word Leaf 希求

2

 希が引っ越した後、希は会社の中で同じバーに通う同じ会社の人に出会った。
「マジ、こっちの人だった?」
「あなたも、でしたか?」
 そう言ったのは部署は違うが、同じ出版社に勤めているネコの子。
 名前は倉永詢(まこと)といい、希とは同じ二十七歳だった。
 明らかに小説の編集者と報道ジャーナリストでは畑違いであるけれど、話してみたらとても常識のある人だった。
 同じ出版社であるから、時々社内にいるときは一緒にご飯を食べたりもした。
 いいやつで希は詢のことを気に入っていた。
 その付き合いは一年ほど続いていた。
 その間も希は高内と食事によく出かけていた。
 高内はマンションを引っ越すときに手伝って欲しいと言われたので行ってみると、その部屋は正に汚部屋そのもので、さすがの希もどん引きをした。
 部屋の壁はゴミの汚れでとてもじゃないが修復するには壁から全部剥がしてリフォームをしないと匂いが取れないだろうと思えたくらいに汚かった。
「た、高内さん、これはあり得ないです……」
「え、マジで?」
「マジです……これじゃ次のマンションも一年くらいで追い出されるかもです」
「ええー前のアパートは五年くらい居られたんだけどな」
 高内がそう言うと、部屋の惨劇を見に来た持ち主である鴻上嘉章は目眩が起こっているのか、掃除とリフォームの業者と共に見積もりを出しながら頭を抱えている。
 初対面で何というか、ドンマイと慰めてあげたいほどの酷さだったので可哀想だと思ったが、それでも怒りながらでも鴻上が高内に対して、友人として接することは変わりないらしい。
 リフォームも高内が払わずに出て行くらしいが。
「最初にここまでしたらリフォーム代と言っていなかった私が悪い」
 そう言って高内を追い出すだけにしているから、人間が出来ているとは思う。
 けれどそんな鴻上のことを希は怖い人だと思っていて、なるべく二人っきりにはならないようにしていた。
 最近出来た高内の友人だから、余計に怪しいのだろう。
 品定めする視線は痛いほどで、とてつもないプレッシャーがかかってしまう。
 この人は上に立つ人で、そういう目を持つのが必要な人なのだろう。だから自分に近付いてくる人はそういう目で見てしまうのかもしれない。
 同じマンションに住んでいるけれど、希は鴻上とは親しくはならず、顔を見たら挨拶をするだけで、それ以上の接触はなかった。


 希の部屋は鴻上の部屋の三階ほど下で、マンションの構造上、少し大きめのバルコニーが付いている部屋である。そのため最上階、十五階の部屋よりも広めな部屋で値段も変わらない。
 けれどこれを希はずっとヤリ部屋として使っていた。
 防音がよく、怪しい人は入ることができない場所だったので、恋人と過ごすのにここを使っていたが、もれなくここを見た恋人たちは、希が金持ちの息子だと思ったのか、だんだんと横柄になり、気付いたら貢ぐことを強制される事態に陥ってしまう。
 この部屋は祖父が買ってくれて贈与してくれたものなので、希自体が金持ちなわけでもない。それを説明しても誰も納得せず、理解が出来ない人になってしまう。どんなに賢い人でもだ。
 そして結局別れることになるが、もれなく希のことを金持ちのくせにドケチと悪態を吐く。
 けれど大抵の人はそれを聞いて、ヒモになろうとしている最低野郎と反論してくれるので、希は集られた可哀想な人という認識で通っている。
 そんな希であるが、最近は恋人候補の男には高内のことを聞かれるのだ。
「君って、高内のこと好きなんだろ?」
「そうだけど、それが?」
 希がそう答えると理解ができないと言われる。
「だったらどうして俺と寝たわけ?」
「エッチしたかったからだけど。それ以外に何があるの?」
「さっさと告白したらいいのに」
「バイであっても、僕を一度も誘ってこない人に望みがあるわけないでしょ」
 希はいつもそう答えていた。
 高内はバイである。どっちも抱けるだけれど、最近は女性ばかりらしい。
 恋人はいないらしいが、まああの汚部屋の自宅を見れば、どんな女性もドン引きして消えるだろうなと、高内の恋愛が上手くいかない理由を希は知っているから焦ってはいない。
 もっと親しくなって、もっと高内が希に甘えるようになって、離れられなくなるまで希は尽くすことにしたのだ。
 もちろん、その間にセックスをしたくなるから、相手はその日限りや相性が良い人と継続している。
 それがどうしても透けて見えるのが相手には気に入らないらしいのだ。
「何か、白ける」
「そう、じゃあ終わりだね」
 希はこうやって相手を何度も変えたけれど、どの人も理解はしてくれなかった。
 その中で一人だけ変わった人がいた。
 ホテルのバーで日中にバーの店員をしている坂本健二という人は考え方が違った。
「まあ、早々上手く両思いなんてならないよな。俺もそういうのだから、暫くお互いに都合がいい相手でいこう」
 坂本は同じ立場だからと希との関係は、お互いがお互いの相手に思いが通じるまでとなった。
 高内との関係も変わらず、希は高内とはよくご飯を食べに行った。
 もちろん、その時は引越祝いだったので希が奢りだ。
 希はマンションに引っ越しを完了し、坂本とはホテルでの逢い引きに変えた。
 余りに不特定多数をマンション内に入れすぎて、管理人から注意されたのもある。
 恐らく他の住人にいい顔もされなかったのもあるのだろう。
 引っ越してきて、住んでみたら意外に住みやすい部屋で、希は気に入っている。
 何故あんなヤリ部屋としてしか使わなかったのかと思うくらいにこの部屋のことをちゃんと知ろうとはしなかったのだろう。
「最近は真面目にしているみたいだな」
 急に高内にそう言われて、希はキョトンとする。
「何がです?」
「お前の部屋、やっと引っ越してきてちゃんと部屋を使ってくれるって管理人がホッとしていたぞ」
 そう言われてしまい、やはりそうかと希は唸る。
「管理人に怒られたしね。引っ越して関係をリセットしたかったし。ちょうど良かったのかもね」
 希はそう言った。
 元いた部屋はすぐに解約して、こっちに引っ越してくるまで一月あったが、仕事が落ち着いたのでやっと引っ越せた。
 高内と知り合ってもう半年が過ぎていたけれど、高内は希のやっていることに口出しをしたのは初めてだった。
 そこまで興味がないのか、尊重してくれているのか分からないが、希が何をやっていても高内は一度として希の行動に文句を言ったり、行動を制限したりしたこともにない。
「これに懲りたら、もうちょっと良い人選べよ」
「うん、その辺は大分考えたよ。今度の人は、まあお互い色々あるけどって感じだし、前みたいにはならないよ」
 希がそう言うと、高内が珍しく更に踏み込んで聞いてきた。
「付き合ってるわけ? 恋人として」
「……え?」
 まさかそこまで聞かれるとは思わずに希が驚いていると、高内はゴホンと咳をして言った。
「まあ、一応友達として、それくらいは知っておかないとな……と思って」
 高内がそう言うのでそういうことなのかと、少し希はがっかりした。
「……うん、大丈夫。そのセフレだから。お互いに利害一致してるやつでね」
「へえ、どのへんが利害一致してんの?」
「あ、いや、お互い本気になる相手が見つかるまでは……って感じで……」
 希がそう言うと、高内はそれでやっと納得したようだった。
「決まったセフレなら、まあ安全か。でもあんまり羽目を外さないようにね」
「うん、分かってる」
 希は一応は高内が気にしてくれるから、その辺はちゃんとしようと思った。
 だからセフレである坂本とはお泊まりはしなかったし、ことが終わればすぐに帰って家で寝るようにした。
「今日も、帰るんだ?」
 坂本は少し不満なのかそう言うので、希は言い返す。
「家も近いし、泊まるとお金がかかるでしょ。今月金欠なんだよね」
 希はそう言い、あくまで割り勘であるお金を出す。
 休憩二時間で二千円。昼間のホテルはこんなものだ。
 とはいえ、これが降り積もれば結構な額になるので、希はこの出費さえも最近は制御したくなってきていた。
 セフレとしての坂本は嫌いではない。けれど、彼と会う時間を減らしてでも高内との夕食を優先したくなったのだ。
 勝手ではあるが、この二千円を夕食代に使った方がまだいいと考えてしまった。
「あのさ、急で悪いんだけど……セフレ、解消したい」
 希がそう言うと、坂本はふっと笑って言った。
「例の彼と上手くいきそうなわけ?」
「いや、全然だけど。今はそれでいいと思ってる」
 希の言葉に希が本気であるのが分かったのか、坂本は息をふっと吐いてから言った。
「実は俺は君のこと、恋人にしたいと思ってた」
「……え?」
「セフレからでも、関係を深めればなれると思っていた。けど、君は本当にそうなんだね。操も立てないけれど、決して諦めないんだ。でもそれでいいわけ? 相手はほぼノンケのバイだよ? 決して振り向かないことが分かっていて、側にいられればいいなんて、きっとその彼が誰かに本気で惚れた時に、君がそれを喜んで受け入れられるとは思えないけれど?」
 坂本にしては言葉が多い、希の考えへの否定だった。
 坂本はもっと知的で、配慮もちゃんとしている人だと思っていただけに希には残念なことだった。
「そうやって、僕を貶めても決して坂本の思い通りにはならないよ。僕は今、坂本に失望している。それも今までで一番の失望だよ」
 希の言葉にさすがにマズイと思ったのか、坂本は苦笑した。
「そうさ、俺は今悔しいのさ。君を、君を思ってすらいない男に取られてしまったからね。いいよ、セフレは解消するよ。関係が崩れた以上、続けるのは無理だろうし」
「じゃあ、今までありがとう。最期だけは残念だったけど、それまでは坂本に助けて貰ってたよ。それは本当だから」
 希がそう言うと、坂本は外を向いたままで手で出て行けと振ってみせた。
 淡い期待を抱いていたからこそ、坂本は優しかったのだと希はやっと理解をした。
部屋を出て外を歩きながら、希はぼやいた。
「世の中上手くいかないもんだね……」
 せっかく好きだと言ってくれている人がいるのに、その人では自分は絶対に満足しない。そしてきっと付き合ったとしても、結局耐え難くて別れる羽目になる。
 別れるときには揉めるから、気軽に付き合ってみようとはもう思わないし、好意を向けられても断ることができる。
 でも坂本のように偽装して付き合い始め、何とかこっちを向かせようと企むモノがいる。
 けれどそれで希が流されることはなく、結局ああいうふうに言われて別れることになるのだ。そこにはこれまでに積み上げてきた関係も全部壊すものにしかならない。
 そろそろセフレも一夜限りも、自重するしかないのだろうかと希は思い始めた。
  

希はそれからセフレを作ったり、求めたりする行動を一切やめた。
 ちょうど仕事が忙しくなってきたのもあり、そういうことも考えなくなっていった。
 そうした時だった。
『悪い、忙しいのに』
 やっと仕事を終えて家に帰ったら、珍しく高内から夜中に電話がかかってきた。
 開口一番にそう言ってから、高内は希の返事も聞かずにすぐに質問をしてきた。
『希、お前さ、倉永詢って知り合いいるだろ?』
「え、あ、うん。何で高内さんが詢のこと知ってるの?」
 急に倉永詢という出版社で一番仲がいい人の名前が高内の口から出てくるのか分からずに混乱していると高内が話してくれた。
『実は、その子が恋人、とは言っても元恋人に別れた直後に襲われて、病院にいるんだ。俺らたまたま通りかかって助けたんだけどさ』
 そう言われた。
 とにかく自宅に帰すことはできないから、泊めて欲しいと頼まれて、希は二つ返事で泊めると答え迎えにも行くと言った。
 そんな事件が起こっている裏では、その元恋人になった京田創一からあらゆる人に、喧嘩をして電話に出て貰えないから仲を取り持って欲しいと連絡が入ったと、友人たちから連絡が回ってきたのだ。
 だから希は腹が立って、京田が詢に暴行して逃げたことを伝え、詢は病院にいると真実を告げた。
 希の情報によって、京田に傾きかけていたモノが一気に詢への同情に変わり、京田は一気にコミュニティーから弾き出されることになった。
 その一環で、坂本にも連絡が入ったのだが、坂本は希と別れてから初めて連絡をしてきた。
『こんなことだけど、提案を一つする。京田を野放しにしたら、京田の情報が入らなくなって困るかもしれない。俺が説得する振りをして京田から情報を引き出すから』
 というのである。
「でも、それじゃ……坂本も一緒にコミュニティーから追い出されるよ?」
『ちょうどいい機会だから、コミュニティーからは出ようと思っている』
 坂本の言葉に希は何も言えなかった。
 坂本がそう言うのなら、このコミュニティーにもうメリットがないのだろう。
「うん、残念だけど。それは仕方ないね。そう決めたら坂本は本当にそうするから。でも情報を貰えるだけ有り難い……助かる本当に」
『まあ、俺も詢には助けて貰ったからね。恩返しだよ。それに京田のことを見抜けず、進めたのも俺だ。その責任は取るよ』
 坂本はそう言って電話を切った。
 連絡はあの日にセフレを解消してから動かなかったメッセージボックスで、そこには京田が狂っていく様が書き込まれている。
 それらの情報を得てから、病院に着くと、高内に入り口のところで待っているように言われた。
「詢くん、泣いているから……その鴻上に任せた方がいい」
「あ……うん、そうだね」
 詢が泣いているのは当然心配だったけれど、希にとっては一番あってはいけないことが既に起こっていた。
 高内が、倉永詢に一目惚れをしていたのを、希はすぐに察してしまったのだった。

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