Word Leaf 希求

1

 北橋希(のぞみ)にとって、高内知基(ともき)は、まさに王子様そのものだった。
 出会いは同性愛者が集まるバーの外。
 そこで希は嫌な相手に絡まれて困っていた。
 その男は有名などうしようもない男で、恋人がいるのに平気でやってきてはネコの子に声をかけまくり、そして恋人に見つかって揉め事を起こすのだ。
 そして絶対に恋人とは別れないときているから、はっきり言って地雷だ。
 そんな人に絡まれて、何とか店から逃げ出したけれど、不幸なことにそいつに追いかけられた。
「待てよっ」
「断っただろっ、嫌だって!」
「いいじゃんか、ケツ貸せよ」
「絶対に嫌だっくそ変態野郎!」
 そう言い合っているところに、急に高内が現れたのだ。
「ねえ、この人嫌がっているよね。あんたいい加減しつこいんじゃない?」
 高内はすっと希とその男の間に入って、この喧嘩を止めてくれた。
「はあ? お前、邪魔すんじゃねえよ」
「邪魔してんのあんただろ? 断られてるのにしつこくつきまとってみっともない」
 高内がそう言うと男はカチンときたようで、拳を振り上げたのだ。
 高内も背の高い百八十くらいある身長であるが、それよりも男は大きかった。
 体力差から高内に勝ち目はなさそうだったが、高内はその拳をさっと避けてから男の腕を取って簡単に腕を振った。
 すると男はそのまま舞い上がって飛び、そして地面に叩き付けられた。
 あっという間の行動で周りの人もびっくりしている。
「たく、しょうがない人だな。暴力に訴えるってことは返されることも考えないと」
 高内は気絶している男を道の端に寄せて、何かをしたとたん男が意識を取り戻した。
「うわああああっ!」
「あのね、君が先に暴力を振るったんだ」
「すみません! もうしません!」
「そう、じゃあいいけど」
 高内はそう言って男を解放した。
 男はあっという間に駅の方へと消えていって、希は唖然とした。
 あんなに威張っていたのに、案外弱いのかと思っていたが、それでも高内が助けてくれるまで誰にも助けて貰えなかったことを考えると、そうでもないのだろう。
「あの、助かりました」
 希がそう言うと、高内は振り返った。
「あーうん、ああいうのと付き合ったら駄目だよ。絶対DVする奴だよ?」
「付き合ってないです! 勝手に言い寄ってきて、逃げてただけです!」
 希がそう言い返すと、高内はふっと笑った。
「うん、分かってる。でもそういうのがいるところに出入りしているのは、そうだと見られても仕方ないってことになっちゃうよ?」
 そう言われてしまい、希はぐっ言葉を飲み込んだ。
「だってこの辺でそういう店、あそこしかないんだもん」
 希がそう言うと、高内はそれで察したようだった。
「駅の反対側にいい店が出来たの知らない?」
「え、本当ですか?」
「うん、そっちのバー、変な奴が居着いてるのに全然店が排除してくれないから、治安悪いって。それであっち側に別の人が店を作って、良客は皆あっちに移動しちゃったんだよ?」
「……だからかあ……はあ、情報なかったから」
 誰にもそれを教えて貰えなかったことに希は落ち込んだけれど、よくよく考えたらその人たちから見ても希自身がいい客ではなかったのかもしれない。
「そっか、君も良客じゃなかったんだね。心を入れ替えなきゃね」
 高内はそう言うと、希を連れて駅前のラーメン屋に連れて行った。
「助けたお礼、ここのラーメン一杯でいいよ」
 高内の言葉に、ただの親切じゃないのかと思ったが、さっきの男を一撃したのはかっこよかったし有り難かったので、希は奢ることにした。
「分かりました、奢ります。マスター、一番人気の大盛りと、並で」
 希がそう言うと高内は笑った。
「いいね、今、腹が空いているからちょうどいい」
 高内はそう言い、やってきた大盛りをあっという間に食べてしまった。
並を食べていた希よりも早く食べてしまった高内であるが、それからチャーハンも頼んでいた。
「凄いね……気持ちいいくらい食べるね。あ、僕、北橋希って言うの」
「ああ、奢りって言葉は素晴らしいねと思っている、高内知基だ」
 その返答を聞いて希は笑った。
「面白いね、高内さん。また一緒にご飯食べて貰える?」
「いいよ、奢ってくれるなら」
「うん、奢りでいいよ。今度いい店に連れて行ってあげる」
「それは有り難いね」
 高内はニコリとしてそう言い、名刺を出してきた。
「ここに電話して。携帯の方ね」
 それにはさすがに冗談だと思っていた希であるが、その名刺を見て考えが変わった。
 それは有名な大手商社の社員で、部署的には営業部長の補佐ということらしい。
「若いのに、いい部署にいるね」
「でしょ。優秀なんですよ」
 高内はそう言って笑っているが、三十入ったくらいの年で部長補佐はかなりの有望社員である。
 けれど希はそこまで聞いてから名刺を仕舞った。
「ふーん、まあいいや。優秀社員さんの高内さんは、ゲイですか?」
「いやーバイの方。どっちもいけるけど、抱く方固定」
「ああ、なるほど。だからあの店のことも知ってたんだ」
「そういうこと。あと良客とは元々友達だからね。それで経緯は聞いているよ。君はそういうのを教えてくれる人はいないんだ?」
 痛いところを高内が聞いてきて、希はふうっと息を吐いた。
「そうみたい。碌でもないやつばっかりと付き合っていたみたいだね。今日、あそこにいなかった人は皆そっちに行っているわけでしょ。なら、そういうことなんだろうね」
 そう希が言った。
 最近、その良客に混じっている二人ほどを振った覚えがある。
 好みじゃなかったことと、ネコの間ではあまり評判がよくない人だった。
 皆口を噤むし、付き合った人はバーに来なくなるから、抜けたのだと思っているだろうか、その抜けた人から最後の忠告でその二人から誘われたら断れとだけ言われていた。
 それに好みじゃないこともあって、断ったのだが、これが報復だったのだろう。
「何か、含みあるね。誰かと揉めた?」
「好みじゃない奴を振っただけ、二人ほど。それだけだよ」
「へえ、是非ともその理由を聞きたいもんだ」
 高内はチャーハンを平らげてから、店を出るように希に言い、本当に希に奢らせてから近くの個室バーに入った。
 そこで、さっきの話の続きをしようと酒はなしにつまみを食べながら高内が言う。
「さて、その二人なんで振った。好みじゃないのは分かるけど、一回くらい寝てみないことには分からないんじゃない? 君はその前にあいつらはやめておけって誰かに忠告されているってことでいい?」
 高内はちゃんと把握しているようで、そう聞いてきた。
 もしかして誰がそれを言ったのかを知りたいのかと警戒をしていると、高内は言う。
「そっちを知りたいんじゃなくて、そう言われる原因を知りたい」
「そう言われても、ある日突然、あいつら二人は信用するなって言われた。その人のことは僕は凄く信用していたから、嘘を言う人じゃない。それにもうこの街にはいない。夜逃げみたいに消えた人が、最期にくれた連絡が、渡辺と加藤の二人はどんなにいい条件で誘われても絶対についていくな、断れって言った。僕はそれを信じて断った。それだけだよ」
 高内が知りたい内容を詳しく知っているわけではないが、その経緯だけは話した。
 ただ一方的に言われたことを信じただけで、希自体がその被害を受けた訳ではない。
 それでも希は直感で酷いことがあったのだろうと分かった。
 だって相手は泣いていた。
 最期にどういうことだと電話をかけたら、泣いていた。
 でも信じてって言って電話を切って、それから繋がらなかった。
 そういうことだと希が言うと、高内は真剣に顔をしかめた。
「なるほど、そういうことか。上手く隠れて善人の振りをして潜んでいるわけだ。道理で最近、ネコの子があんまりいないと思ったんだ。皆何処か別の街に行っているってことか?」
「多分、僕はそこが遠いからいかないけれど、大分移動したのかも」
「遠いって?」
「ほぼ真逆の駅だから」
「ああ、そっちか。おかまの人が多いところだね」
「うん。そっちの方が情報が行き渡っていて、危険がないってことらしいよ。最近、こっちの街は物騒過ぎる。僕まで襲われるようじゃ、もういかない方がいいかも」
 そう希が言うので高内がキョトンとする。
「君が襲われることはないっていうのはどういうこと?」
「ああ、僕、ジャーナリストなんだ。あの地域の情報紙も書いているんで、あの街のお偉いさんとも付き合いがある。あとうちの祖父さん、元総理だったから知らない人はいないんじゃないかな?」
 希がそう言うと、高内はあっと今気付いたようだった。
「北橋元総理って未だに政界のドンって言われてて、影響力ある。北橋建設の会長の?」
「それ、うちの爺ちゃん」
 希がそう言うと、高内にもどうして希に手を出せないのか理解した。
「君に手を出すと、君の意思に関係なく、元総理が出てくる訳か」
「そういう意味で僕は、色々と問題なんだよね」
 希が気に入った人に振られただけで、その人物が会社で失脚したりする。特に何かしたわけではないが、色んな作用が働いて、気付いたら地位を失っていることがある。
 だから誰も希には手を出さないし、希は気に入った相手と恋人にはならない。
 一回寝て、気に入ったらまた寝るくらいだ。
 それを知っているから、あの二人、渡辺と加藤は振られたことへの腹いせを店への招待をしないことで、良客たちに希は呼ばれるに値しないという作戦を立てたようである。
 案の定であるが、そのせいで希は他のネコの子とも連絡が取れなくなっている。
 あの二人を断るまで、希は連絡が取れていた人ですら、ブロックされているのかメッセージすら送れないのだ。
「やられたなあ。これで僕は一気に悪い人の仲間入りだ。まあ、それだけ僕のことを信用して貰ってなかっただけだろうし、この辺りは皆切るかな」
 希は淡々として、行く場所を決めた。
「引っ越すかぁ」
 そう呟いた。
 最近、祖父さんに押しつけられた家に完全に引っ越すのもありかと思えてきた。
 ずっと別の部屋に住んでいて、恋人を連れ込む部屋にしていたが、それはそれで勿体ないと考えたのだ。
「へえ、何処に?」
「えっと」
 その地域の地名を言うと、高内が言った。
「それって、億マンションでしょ? そこ、友人に借りて住んでる」
「え、本当に?」
「でもあと二ヶ月くらいで引っ越す予定。ちょうど近くに建てかけのマンションがあって、そこに抽選で部屋が取れたから、そこにね」
「へえ、億マンションを出たいほど住み心地が悪い?」
 希がそう聞いたところ、高内はいいやと答えた。
「ちょっと部屋が汚いだけで、貸してくれた奴がキレた。掃除しないなら出て行けってな」
「へえ、潔癖症とか何ですか?」
「だろうね。あいつの部屋、モノがなくてモデルルームみたいなんだぜ?」
 高内は信じられないとその友人のことを気味が悪いと言う。
「ああ、そういう人いるよね。僕はほどほどなんだけど」
「だよな、ほどほど汚れてるくらいでいいんだよな」
 高内はそう言い、希に共感をした。
「じゃあ、引っ越してきたら一緒にメシ行こうぜ」
「それ、僕が引っ越しのお祝いで奢るやつですよね」
「そりゃあね」
 そう言われて希は笑った。
 ここまで理由を付けて奢って貰おうとしている人は初めて見た。
 何だかんだで利用してくる人がいたけれど、ここまでのあからさまに言う人は珍しい。けれど多分断ったらそれはそれで気にしない人なのだろうと思えた。
 これはこれで面白かったし、悪い気はしなかったので希はその日から高内との友達付き合いを始めた。


 高内知基は、エリートである。
 会社では部著補佐で、最近はそこを飛び越えた専務取締役の補佐もしていると言っていた。
 変わっているのは、それで高内が態度が大きくなったり、人によって態度を変えたりはしないことだった。
 それでも希の話はちゃんと調べてくれたらしく、その後、本当にその渡辺と加藤の犯罪まがいの出来事が明らかになったのだ。
「どうやらあいつら、飲んでる酒に睡眠剤入れて睡眠強姦してるところをビデオに撮ってたらしいんだ。で、それに顔にモザイク入れて売ってたって」
 そこまでやっていることが分かったのは、移動した先の店で引っかかった振りをして調べてくれた囮のネコの子と高内との協力でその現場を押さえたという。
 それによって承諾を得ていないことで睡眠強姦と無許可による撮影、さらには脅迫までやっていたので、被害届が出されて二人とも逮捕された。
 その後余罪が出てきて、今まで泣き寝入りしていた人が何人か訴え出て、高内が探してきてくれた集団訴訟の弁護士によって氏名を匿名にしたままで裁判となった。
 刑事事件は送検され、刑事事件でも裁判、そして民事でも裁判が行われている。
 それによって希のことを誤解していたとブロックを解除して連絡をしてきた人もいたが、希は問答無用で信じて貰えなかったことは引き摺ってしまうからとお互いに連絡を取るのをやめると告げた。
 希はそれでほぼそれまでに付き合っていた人たちとは切れたけれど、引っ越したことで付き合いは本当に切れた。
 その街では急にバーなどの強制捜査が始まり、希が通っていたバーが摘発されて閉店に追い込まれていた。
 良客を集めたはずの店にはそのバーの客が集まり始めて、また元の治安の悪い店になっているらしい。
高内はそれが政治家の公約の一つだった夜街への規制の一つだったと聞いたらしいが、恐らく希への仕打ちを知った祖父が政治家を使って手を回した結果であるのを薄らと感じていたらしい。
 それでもそうなるべくして違反しているなら、それはそれで高内が首を突っ込む話ではないし、希のことを理由もなく一斉にありもしない噂を流して一緒に陰口を叩いていた人たちを庇う気もなかったらしい。
 こうして希は高内と知り合い、そして長い付き合いが始まった。

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