Echo

4

「そうか、結城くんは納得していなかったか」
 夕飯を一緒に食べるためにホテルに行き、斐都が今日学校であったことを報告すると、清秋はふっと息を吐いてから言った。
「あの手のタイプは諦めも悪いからな。一度手に入れた物を自分の意思に反して取り上げられることに弱い。特に執着しているものでなくても、横取りされるのが気に入らなければ執着する。厄介なお子様だ。どうせ一人っ子か十ほど離れた弟がいるんだろうな」
 そう清秋が言うので斐都はふと思い出す。
 確かに結城は十歳ほど離れた弟がいる兄で、一人っ子状態の時は親は何でも与えてくれたと言っていた。
 ただ欲しいと強請った物はくだらないものではなかったからだとも本人は言っていたけれど、それらも勉強以外は飽きたようだった。
 受験を小学校から狙ってきて進学校に入るけれど、上手くいかずに挫折して中学校で今いる附属中学に入り、そのまま高校を過ごしてきた。
 その間に弟が生まれ、親は結城ではなく弟に結城と同じ教育を施し、小学校受験で合格をしてエリート街道を歩き始めているらしい。
 結城はそれに悔しい思いをしながらも、最初こそ学校には馴染まなかったけれど、学歴に合っていたお陰でこの学校ではトップの成績は取れていた。そのお陰か、不遜な態度が端々に見えた。
 自分以外は皆馬鹿で、劣ると考えていたようで、恋人になった斐都でさえも最初こそは普通に接してくれたけれど、生徒会を引退し受験に入ると急激にその態度が顕著に見られた。
 けれど、結城の親は結城には関心がないのか、結城の態度はどんどん酷くなる一方だった。最初こそいいやつだったから、なかなか皆は口では悪く言わないけれど、だんだんとおかしいと気付き始めている。


「斐都は、結城くんの何処が好きだった?」
 そう清秋に訪ねられて、斐都は考え込んだ。
 好きになったのは、生徒会長として凜々しかったことだろうか。
 斐都がゲイであることに気付いても、それを言いふらしたりしなかったし、変わらず接してくれた。
 だから結城から付き合おうと言われた時、嬉しくて頷いた。
 けれどよく考えたら、何もかも結城の思うとおりにされていた。
 セックスに至るときも結城の予定通りに行われた。
 斐都はずっと自分が思う以上に結城の予定に合わせられていたと思う。時々の我が儘はセックスをして欲しいと願う時くらいで、それもセックスが減ったせいで斐都が強請らないとしてもらえなかったからだ。
 けれど斐都は結城をずっと強くて引っ張ってくれる存在だと思っていた。
 けれどそれはどんどん酷くなる束縛になっていっていた。
「……引っ張っていってくれる人だったからずっと甘えていたのかもしれない。何でも結城のせいにしてる。僕がちゃんとしてなかったから、ずっと結城は僕を引っ張っていってくれただけなのに」
 そう言って落ち込む斐都を清秋が宥めた。
「君たちがお互いを必要とした。それだけだよ。斐都は寂しさを埋めてくれる人が欲しかった。結城くんは頼られる存在になりたかった。それが合っていたから付き合えていた」
「……そうかもしれない」
「けれど対等ではなくなっていって、別れるのは普通のことだ。まあ、別れを切り出すのは大抵不満のある方になるのは仕方ないことだ。結城くんは今こそ受け入れられないかもしれないが、果たして大学推薦ともう気もなくなっている斐都とどちらを選ぶかと問われて、大学推薦を選べないのなら、相当な問題があるよ」
「問題?」
「現実が見えてないってことは、家庭にも問題があるかもしれない。ストレスのはげ口を斐都にしていたなら、斐都が離れたとなれば、そのはげ口は何処へ向かうかってことだよ」
 医者である清秋には子供のストレス問題にも関心があるのだろうが、結城のような頭の良い問題児には覚えがあるような口調だった。
「それは経験から? それとも医者としてみてきたから?」
 どうしてそこまで結城のことを読めるのかと尋ねると、清秋は笑った。
「覚えがあるからだよ。俺も同じ年の時は、全てが自分の思い通りになると思ったもんだよ。けれどそれが違うって知った時はこの世の終わりかと思った。結局、自分の思い上がりだったわけだけど、そういうのは後から分かることなんだ」
 清秋は少し遠い目をしてからそう言う。
「随分、兄貴には迷惑をかけたけれど、兄貴はいつでも笑って付き合ってくれた。それには感謝している。俺にとって兄貴が支えだったし、根気よく教えてくれたのも兄貴だったけれど、結城くんに、そういう存在がいるかどうか……少々可哀想だけれど、その埋める穴は斐都ではいけないから、勘違いして慰めようとはしないこと、いいね」
 清秋はそう言い、斐都に結城を慰めることはするなと言われた。
「……でも……」
 それでも結城が苦しんでいるなら、助けてあげたいと思うのが斐都のよいところだった。
「助けたいと思うならこそ、斐都は離れてあげないといけない。同情では救えないことだってあるんだ」
 いくら恋人であっても救えないこともある。まして別れたがっていたという元恋人なら、同情はそれこそ毒だ。
「言い方が悪いが、斐都がいるせいで結城くんのそうした部分が助長しだしたかもしれない。相性が逆にいいとそうなることがある。DV加害者にとって悪い被害者というのがあってね。被害者が殴られたり精神的に明らかに被害に遭っているのに、相手を庇ってしまい、余計に加害者に加害をさせてしまうという相性があるんだ」
 それは斐都にとって始めて聞く話だった。
 確かに加害者が被害者にDVをしているけれど、被害者はそれでも加害者がいい人だと言い、加害者にもあなたはこんなことをする人ではない、絶対に私が更生させるなどと言い、側を離れないからそれによって加害者の精神が余計に病んで、被害者にDVをしてしまう悪循環を生む関係だ。
 加害者もそれを分かっているけれど、被害者の庇う姿勢に離れられず、共依存に陥るのだという。
「……そういう場合はどうすれば?」
「被害者ではなく、加害者に被害者から離れるように支援するんだ。加害者はその被害者から離れることでDVから解放される。けれど、被害者はまた加害者を見つけて、もう治ったならまた一緒に暮らそうと言って、加害者に執着を見せて元の木阿弥ということも経験したよ」
 清秋にそう言われてしまい、もしそうであるなら、斐都は絶対にここで結城から離れてしまわなければならないのだ。
 結城もきっと斐都と付き合う前なら、皆に慕われていたように元に戻れるかもしれない。そう言われたら、斐都は絶対に結城と別れないといけないと思えた。

 
 それから学校では結城が登校を拒否し出して、教室では斐都との仲がこじれたことは知られていたけれど、それでも理由があまりにも結城の勝手すぎる内容だったから、周りは結城の心配はもうしなくなっていた。
 寧ろ、結城がごねるだけごねれば、結城のための推薦枠が転がり込む人がいる。そしてそこ推薦枠が一つ開けば、別の人が推薦枠に入れるからか、ここでの結城の脱落を喜んでいる人の方が多かった。
 結城はそれでも学校には来なかったけれど、結城の親はそんな結城に関心がないようで、出来損ないがどうなろうと何れは田舎に送るので構いませんとまで言ったらしい。
 どうやら祖父母がいる山奥にある田舎に結城は送られることになったらしいのだ。
 それを斐都は教師から聞いた。
「え、そんな、家の人がそんなことを?」
「そうなんだ、もしかしたら卒業すら危ういかもしれない。高永から何か言えないものか?」
 教師では取り次いで貰えないなら、元恋人ならと教師は期待したらしいが、斐都は申し訳なさそうに言った。
「叔父さんから、僕が関わるともっと状況が悪くなるから、余計なことはするなって言われていて……叔父さん医者で、そういうのに詳しいから……」
「そうか、悪かった。俺が何とかすると請け負っておいて、この様なのでね。まさかここで結城が脱落するとは思わなかったからな」
 義務教育ではないから教師が熱心に来なくなったことに対してやれることはない。
 来ないなら来ないでその分の単位が消えて、非情であるが推薦枠は他の誰かに譲るしかない。
 一週間、結城が学校を休んだだけで、推薦の締め切りが過ぎたのか、結城のことを教師が気にしてくることもなくなった。
 斐都は私立の推薦枠に入り、論文と面接を受ける日も決まった。
 斐都の方が順調であるが、結城は完全に落ちぶれてしまった。
 ただ斐都と喧嘩をして別れるという話になっただけでだ。
 一部の人はその噂を知っているけれど、やがてそんな噂を気にしている余裕は誰にもなくなり、教室でも学校でも斐都が何か言われることはなかった。
 やがて一ヶ月もすると結城は休学届が出されて留年が確定した。
 そして斐都は私立の推薦枠で合格が決まった。
「叔父さん、僕、推薦で受かったよ」
 学校から連絡が貰えて、斐都はすぐに家に帰って清秋に報告をした。
 あれから清秋は斐都のマンションで暮らしている。
 ホテル暮らしは三週間くらいで部屋探しをしていたけれど見つからなかったので、斐都が家を勧めたのだ。
 それで清秋は斐都のマンションに越してきて、清秋の住むマンションが見つかるまで一緒に暮らすことにあった。この方が斐都に何かあったときに都合がいいだろうということで、斐都が高校を卒業するまでは様子見をすることになった。
 それから斐都は睡眠がよく取れるようになった。
 夜になればいつもは勉強勉強で苦労していたのに、今は早めに眠ることもできる。
 どれだけ圧迫されていたのかと思うくらいに、性欲もやがて収まった。
どうしてあんなに飢えていたのかと思えるくらいに性欲があったのに、今はそれもなくすっきりとした朝を迎えられるのだ。
 それに斐都は満足した暮らしができていた。
 今まで自炊はしなかったけれど、清秋がずっと一人暮らしだったからと簡単な食事を沢山作ってくれて、さらにはそれも教えてくれたので、今後も一人暮らしになっても大丈夫だと思えた。
 母親には習わなかったけれど、教えて貰っておけばよかったと思ったほどだ。
 あっという間に大晦日になり、斐都は清秋と年を越した。
 もう学校には通わないでいい時期になり、単位も取れて大学も受かっている斐都は、正月明けに近くの神社に参拝に行った。
「あれ、斐都くん?」
 そう言われて斐都は振り返った。
 そこにはスポーツマンタイプの角刈りをした男性とイケメンの男性の二人が立っていた。
「あの、どちら様ですか?」
 その二人は斐都よりも二十センチも背が高い百九十くらいある身長の二人で、その二人に見下ろされて斐都は首を傾げた。
 こんな印象的な二人なら覚えているはずなのに、斐都はこの人たちを知らなかった。
「あ、やっぱ覚えてないんだ?」
「だよな。悪い悪い、勘違いした」
 二人は含み笑いをしたままで、勘違いだと言って離れていった。
 けれど斐都はそれを勘違いだとは思えなかった。
「僕の名前、言ってたのに、間違い?」
 明らかに知っている人に話しかけ、そしてそれが合っていたけれど、彼らは知らない振りをしたのだ。
 それはどういうことなのか。
 斐都が覚えていないところで彼らに会っているのかと考えてたけれど、そんな訳もない。さすがに人の顔を覚えられないほど馬鹿ではない。
 よく分からないままで神社を後にした。
 おみくじは引いたけれど、吉。恋愛、思いが叶う。出会い、良い。心に素直に生きること。そう書かれている。
 けれど不穏な気配しかしない。
 自宅に帰り、斐都は部屋にいた清秋に言った。
「今日、知らない人に名前を呼ばれたんだよね。僕と同じ名前の人でもいたのかな? でも絶対間違いっていう感じじゃなかったけど、見覚えないから誰だろうってなったんだ」
 そう斐都が告げると、清秋はふーんと何気ない返事をしたけれど、すぐに携帯を眺めてから言った。
「ちょっと出かけてくる。遅くなるから先に寝てなさい。いいかい、俺が良いと言うまで玄関の鍵を開けてはいけないよ?」
 そう言われて斐都はふっと笑った。
「うん、大丈夫だよ。ちゃんと叔父さんが帰ってくるまでドアは開けない」
 そう繰り返して言うと、清秋は斐都の頭を撫でた。
 清秋が出かけていったらドアに鍵をかけ、斐都は言われた通りにした。
 その日は何だか眠くて、さっさと風呂に入ってベッドに入った。
 ご飯は食べ終わってから、お腹が満たされたら眠くなったみたいで、斐都は不思議に思いながら眠りに就く。
 最近、早い時間に眠くなってしまうのは、解放されたからだと思っていたけれど、それだけではない気がしたのだが、その思考も眠るという睡魔に犯されると、どうしようもなく考えることを放棄してしまう。
 何かが違う。
 けれど何が違うのか分からない。
 そう思いながら斐都は眠りに就いた。

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