Echo

3

 叔父の清秋のホテルで朝を迎えた後、軽装でいいからと斐都は清秋に連れられて父親の墓参りに行った。
 お経はその場でお願いをしたところ、住職が時間があるからと短いお経をお墓で上げてくれた。もちろんそれには清秋がかなりの金額を包んで渡したからで無料ではない。
 世の中、些細なことでお金がかかるのは一人暮らしをしてきた斐都も身を以て知ったことだ。
 元々十三回忌すらしないことに決めていたから、これはこれで父親も少しは良かったのかもしれないと斐都は思った。
 そして自分の気持ち的にも区切りが付いたような気がした。
 墓参りに行くというたったこれだけのことで、今まで正当性があると思っていた恋人の形振りまで見直せたかもしれない。
「清秋さん、俺、私立一本にするよ。実力が足りてないのは嫌と言うほど分かっているから」
 墓参りをしている時に斐都がそう言うと、清秋はそれに頷いた。
「自分を知るっていうのは、何も愚かなことじゃない。諦めたことで前に進めることだってある。斐都の場合、受験での苦労は減るだろうね」
 そう清秋は言って斐都を慰めてくれた。
 その日から、斐都は清秋と夕飯を共にするようになった。
 勉強自体を清秋に見て貰っていたのもあり、さすがに医大を出ただけあり、地頭がいいのだろう、勉強も恋人だった結城よりもできる人だった。
「何で大学を出てから十年以上も経っているのに、こんなにできるの?」
 斐都がそう言うと、清秋は笑う。
「辺境とか行くと、昼間は医者だが夜にはその辺の子供の教師だった。インド辺りだと数学に強い子が多いんだ。学校には昼間仕事をしているからいけないけれど、夜になると俺の家に来て勉強をする。断れずに気付いたらその村の教師になってて、全員育ててたくらい。皆飲み込みが早くて優秀な子ばかりだったからね、中には日本の学校に行っている子もいるほどだよ」
 十年ほど居着いていた辺境のインドの村で、清秋はその地域の子供を育て、清秋に習った子が教師として戻ってくるまで勤め上げたらしい。
「医者が教師をしているってインド政府に怪しまれて追い出されることになったけどな」
 どうやら、自分からそこを離れたわけではなく、スパイ容疑をかけられ国外追放されたのが今回の帰国に至った経緯だ。
「俺としてはそこで骨を埋める気でいたんだが、帰ってきて色々と考えてみて、医学も進歩をしているからまたどこかで勉強をし直すのもありかもしれないな」
 派遣されていたボランティア団体とはいえちゃんとした団体なので、団体からそれなりにお金はもらえる。それまでに医者として貯めてきたお金も残っているから、悠々自適には暮らせるらしい。
「当面は斐都の勉強を見てあげるよ。斐都が大学に合格できたら俺も次に進むよ」
 どうやら清秋にも気持ちの切り替えが必要なのか、その時間が欲しいようだった。
休みに入ってたった三日で、斐都は清秋といるのが当たり前だと思えるようになっていった。


 連休が明けた日に学校へ行くと、下駄箱のところで結城が待っていた。
「おい斐都、どういうことだよ」
 そう言われた。
「何が?」
 どのことに対してだと言うと、結城は言った。
「この男だよ。お前の家に上がり込んでいる、この男だよ」
 そう言われてみせられたのは盗撮したであろう、斐都と清秋が並んで歩いている写真だった。
 場所はマンションの前で、ちょうどタクシーから降りているところだ。
 服装からして墓参りに行った日の帰りだろう。
「誰って、叔父さんだけど? お墓参りに行くって行ったじゃん」
 当然のように斐都が言うと、結城が舌打ちをした。
「大学に受かるかどうかっていう大事な時に、墓参りにいくとか正気じゃない! そんなの後回しにできることをさも当然だと正当化して! だからお前は駄目なんだよ! これじゃ俺と一緒の大学に行くことはできないね!」
 と、大きな声で結城が言うので、周りも何だと立ち止まって見てきている。
 それには斐都も気付いたけれど、これは結城がわざとやっていることだというのにも気付いた。
 きっと受験の大事な時期に、墓参りをする非常識さを知らしめるためにやっているのだなと分かったので斐都は普通に言い返した。
「俺の父親の十三回忌なんだけど? それをそんなの扱いするのやめてくれって何度も言ってるよね? 正気じゃないのは結城の方だよ」
 静かに斐都が怒りの声を口にすると、周りがボソボソと話し始めた。
「え、親の十三回忌で、その墓参りをするなっていうのおかしくない?」
「まだ受験時期まであるんだし、普通行くよね、時間だって数時間くらいだろうし」
「寧ろ他人の家の事情に口出して罵っているのヤバくない?」
「まあ、あとでも墓参りはできるけれどさ……俺だったら息抜きでも行くと思う」
「墓参りすらいけないくらいの状態で目指す大学って、そもそも受からないんじゃない?」
 様々な言葉が飛び交うけれどどれも正解だと斐都は思った。
 この時期に墓参りすらできない大学への受験はそもそも無理で、志望を変更するしかないことだ。さらには他人の家の事情に口出しする結城もおかしいし、数時間も無駄にできないというのもおかしい。
 そして自分の亡くなった親の墓参りをそんなの扱いにする人間は底が知れるというものだ。
 思ったよりも周りは常識的な人が多かったのか、結城の意見を鵜呑みにする人はおらず、結城の方が白い目で見られている。
「それなんだけど、後で説明するね。職員室に用事があるから」
 斐都はそう言うことで結城との話し合いはその場では避けた。
 結城は思った以上に周りに白い目で見られたのがショックだったのか、足早に教室の方へと走っていった。
 その反対方向へと斐都が歩いて行くので、そこでのもめ事は一旦収まった。
 斐都は朝の緩やかな時間を過ごしている担任教師を訪ねた。
「おお、高永、どうした」
「あの、進路についての相談で」
 斐都がそう言うと、教師はすぐに手前にある別の教師の椅子を斐都に勧めた。
「それで、進路はどうするんだ?」
「連休中に家族で話し合ったんですけど、この間の模試の様子じゃ、希望大学には受からないって分かって、それで滑り止めにしていた私立を本命にして、あと滑り止めは受けられる何処かにしようって……」
 そう斐都が告げると教師はニコリと笑った。
「そっか、やっと高永も分かったか。確かに前の大学もいいんだけど、浪人覚悟じゃないととてもじゃないが追いつけないからな。でもお前のうちは現役合格じゃないと駄目みたいだし、変な秤にかけるよりは確実性を取った方がのちのちにもいいと思っていたからな」
 教師はそう言うと、斐都の進路相談ノートに斐都の希望大学を滑り止めの大学に書き換えした。
「ここなら、お前の成績なら十分過ぎる。寧ろ推薦もできる。お前、ずっと役員をやったり、生徒会も会計したりしてそれなりに熟してたからな。成績も全体的に良くて、うちは指定校制の推薦枠もあるから、推薦も受けてみるか?」
 教師はずっとそれを持ちかけたかったようで、推薦でいけると言ってくれる。
「本当ですか? ならお願いします」
「おう、任せとけ。いやあ、お前が決心してくれて良かった。お前のために推薦枠開けて待ってた甲斐がある」
 教師がそう言うと、他の教師が口を挟んできた。
「おお、高永やっと決めたのか。よかったな」
「そうなんですよ、もうこっちはいつ折れてくれるかって冷や冷やでしたよ」
 教師たちの盛り上がりを余所に、斐都は意外なことに気付いた。
 どうやら自分は思ったよりも優秀らしい。教師から見て推薦枠をくれるほどには斐都はできる子なのだ。
 結城に散々駄目出しをされてきたせいか、ずっと自分は馬鹿だと思い続けていたけれど、そうでもない事実に直面して、ちょっとだけ気が楽になった。
 まして推薦、これに受からなくても一般受験すればいいわけで、そこまでの落胆はなくなるけれど、それでも教師が言うには、今までの推薦枠の中でも斐都は優秀だと言うから、推薦で合格はあり得るようだ。
そのまま出願時期だったお陰で気の変わらないうちにと、教師がその場で出願を出してくれた。あとは校長のサインをして郵送するだけでいい。
 来月には小論文と面接などがあるというのでそれを受ければ、合否は十二月には分かるというのだ。
「いつも通りに、落ち着いて答えればそこまで難しいこともないと思う。高永は落ち着いているからね。ああそうだ、推薦と言えば、福原も国公立大学の推薦枠には決まっているよな」
 教師は斐都と仲が良い結城が国公立の推薦枠に出願することを言った。
 学校で一番の成績を持ち、生徒会長もしたことがある結城を押すのは分かる。確かに結城は実績もあるからだ。
「そうですね、それは聞いてます」
「それでな、あんまり言いたくはないけれど……」
 教師はそう言うと、斐都に耳打ちをした。
「付き合っているなら、別れてやれ。あの大学、そういうことに偏見があるんだ」
 それを聞いて斐都は一瞬フリーズをした。
 教師が何を言っているのか分からずに聞き間違いかと思ったが、そうではない様子だったので分かっていて言っているのだと気付いた。
「あ、の……実は……もう別れたいのは、僕の方で……一昨日にそういう話はしました……ただ結城の方が納得しているかどうか分からなくて……」
 意外に斐都の方が別れたいと思っていることに教師は驚いている。
「そう、なのか……」
「大学のことでずっと辛くて、もう付いていけない、僕は私立にするって宣言してから何か、上手く別れられる気がしなくて……それで叔父に相談をして、一応別れる話は出しました」
 斐都がそう言うと、教師は驚く。
「叔父さんって?」
「父の弟なんです。ずっと海外の医師団に入っていて、それでつい先日戻ってきたばかりなんですが、受験のことを相談したら、私立に絞った方が良いとアドバイスされて……それで、無理に大学のランクを上げることを強要する人は僕のことを考えてない人だって言われて……」
「まあ、それは……そうだな……。確かに福原は優秀だが、そういう自分基準の優秀さから相手を見下すのはよくないところだよな。分かった何かあったら先生に言うんだぞ。お前が別れたがっていることは先生も把握したから、結城にはちゃんと先生も話してみるよ」
「すみません、お願いします……結城のためにも」
 そう斐都が言うと教師はそれで納得して斐都の味方になってくれた。
 というよりは、斐都によって結城が道を踏み外していると認識されていたようで、斐都が先に降りてくれたことで、より一層結城を説得しやすくなったとほくそ笑んでいるようだった。
 学校側としては推薦枠に福原結城という優秀な生徒を入れたい、けれど大学側に偏見が多い同性愛者という性癖は隠したいわけだ。だから斐都に私立大学の推薦枠をやる代わりに結城と別れてくれと言いたかったらしいが、事態は教師の思惑とは違っていた。
 斐都の方が既に降りており、空回りをしているのが結城だけだと分かったら、教師も間に入ってくれて別れられるだろう。
 結城も大学の推薦を無駄にするような性格ではないだろうし、何より斐都に拘ったら推薦もなくなるだろう。そこまで斐都に拘る理由が結城にはないと斐都も思っていた。


 教師と進路相談をした後、教室に戻ると授業が始まっていたが、理由を話したら教師はそれを見ていたらしく、出席にしてもらった。
 次の休み時間に結城が何か言いたそうにしていたが、放送で結城が進路相談室に呼ばれた。
 その休み時間中、結城は戻ってこず、さらには授業にも戻らなかった。
 結局、お昼の休み時間を過ぎても戻ってこなくて、クラスではヒソヒソ話が出始めていた。
「なあ、福原、どうしたんだ。進路相談室に呼ばれてから戻ってこないけど」
「わかんねえよ、進路相談室とか用事がないといかねえし」
「だよな、職員室の奥だから、通らないんだよな」
「でもさ、あいつT大の国公立大推薦じゃなかったっけ?」
「そう聞いているよ。生徒会長だってそのためにやってたもんな」
「高永、お前何か知らない? 同じところに行くんじゃなかった?」
 友人たちが思い出したように斐都に聞いてくるが、斐都は考えるようにして言う。
「僕、大学の方、模試結果が悪かったから、滑り止めだった私立の方に進路を変えたんだよね」
 斐都がそう言うと、周りは察したように言う。
「ああ、まあ、国公立は厳しいよな。学内でも五番以内じゃないと難しいと言っていたし、でもお前、十番くらいだったよな。それなら私立の方は余裕だよな」
「うん、ずっと私立にしろって言われてたから、やっと身の程を知って諦めたよ」
斐都はそう言うと自分の席に座った。
 するとヒソヒソと話す声が聞こえてきた。
「じゃあそれかな。福原のやつ、高永と一緒に行きたいって言ってたからさ」
「だよな……つか、成績的に無理だって言うのに、押しつけていたし。ずっと高永のやつも無理して暗かったしな」
「つか、最初から分かってたことだろうに、福原ほどの奴が分からないんだな」
「あいつ、俺らみたいなできない奴の脳みそと違うから、どうしてできないのか理解できないんだよ」
「ああ、それはあるかも。IQ高いやつにはさ、IQ低くてできないことがあるのが理解できないわけ。根本的に構造が違うって理解しないんだよな。それで努力が足りないって、言うわけ。自分はやればできるからさ、できないのが信じられないわけ」
「きっついなーそれ。でも朝にさ、下駄箱のところで墓参りがどうのって言い合ってただろ?」
 どうやらそこにいた人があの言い合いを聞いていたようだ。
「親の墓参り全否定にはどん引きしたけどな」
「それは思った、墓参りっつっても休みの日に数時間とかだよな、それも駄目だって、どんだけよ」
「いくら頭が良くてもああはなりたくないな。ああいうのが親の死に目に合わせてくれない上司とかになるんだろ?」
「勉強できても感情が死んでちゃ、人として終わってる気がする」
「それな」
 友人たちはそう言いながら、斐都が結城から理不尽な要求をされているのを拒み始めたと気付いたようだった。
 きっかけは墓参りであるが、それでもこれまでに積み重なった理不尽なことがここにきて爆発したことは誰でも察してくれるような状況だった。
 もちろん結城の意見に賛成している人もいるけれど、人としてどうなのかという問題になると公に結城の味方はできないだろう。
 結城が自分の親の墓参りを無視するのは自由だろうが、斐都が自分の親の墓参りをすることを否定するのは、どうみてもやり過ぎで踏み込みすぎているというのが一般的な考えで、それに斐都が怒りを覚えるのも当然だという見方らしい。
 それを耳に入れながらも斐都は少しほっとする。
 自分の選んだことが間違っていないと噂ででも認めてもらえて嬉しかった。
きっとこの時期に十三回忌があったのは、父から戒めでもあったのかもしれないとさえ思えたほどだった。
 結局その日、結城は教室に戻ってくることもなく、結城の荷物は結城と同じ街に住んでいる生徒が教師に頼まれて届けたという。
 何があったのか分からないけれど、結城は教師との話し合いで納得はしなかったということなのだろう。
 心配になった斐都は放課後に担任を訪ねた。
「おお、よかった高永。お前を呼びに行こうと思ってた」
 教師はそう言うと、進路指導室に斐都を連れて行ってから説明をしてくれた。
「お前と別れて、推薦に集中するように言ったのだが、別れてないの一点張りで。でも高永は別れたがっていると言っても、そんなわけはないと始終そう言う態度でな」
 そう言われてしまい、斐都はふっと息を吐いてから、叔父の清秋に言われた通りに、ブロックされたメッセージの記録を見せた。
「……これは……酷いな……」
 そのメッセージを読んだ瞬間、担任は顔を顰めてしまった。
「それで叔父が怒ってくれたら止まったんですけど、今日何事もなかったかのように話しかけてきて……」
「……そうか……、このコピー、預かってていいか?」
「あ、はい、構いません。できればこれを使わないで終わればよかったんですけど」
 既に斐都には結城への不信感しか残ってない。
 好きだと言う気持ちも急激に冷め、どこを好きだったのかも思い出せないほど、斐都はずっと結城によって否定されてきた日々だったことしか思い出せなかった。
 高校二年の時から受験受験、それに模試の成果がでない斐都を全否定して教育してやっていると気でいる結城。そうして一年経ってみると、斐都にとっては楽しい日々ではなかったわけだ。
 とにかく、結城のことは担任に任せておくことにして、斐都は帰宅した。
 気にしてもきっとどうにもならないのは、担任の態度で分かってしまったからだ。


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