Sugary
12
西ヶ谷は奏からの連絡を受け、奏が桜庭に襲われていることを知った。
まだ会社には到着をしていなかったのですぐにUターンして戻ってきたが、ホテルの部屋は襲われた後だった。
及川は何とか玄関先の侵入者を数人倒していたが、最後の一人には敵わなかったようで、玄関先に倒れていた。
部屋の中からは人の声がしたので、西ヶ谷は及川を起こした後に部屋のベッドルームに駆け込んだ。
すると桜庭はまだそこにいて、奏の首を絞めていた。
飛びつこうとした西ヶ谷を制したのは、奏を押さえつけていた桜庭の部下で、西ヶ谷に向かってきたので西ヶ谷は怒りの鉄拳でその部下を一撃のうちに倒した。
その部下を床に沈めた後に桜庭を見ると、ぐったりとした奏を抱え、奏に向かってナイフを突きつけている。
「く、くるな……!」
桜庭はそう言って奏の首筋にナイフを当てている。
あのまま一気に首にナイフを入れられ、うっかり血管でも切られたらアウトだ。
だから西ヶ谷は慎重に奏の様子を伺った。
奏は何とか息をしていて、咳をしている。
首を絞められたことにより一時的に空気が足りなかったことによる咳であろう。
ぐったりとしているのもあと少し遅かったら奏は危なかったことを意味している。
それには本当に怒りしか沸かなかった。
「その奏はお前の奏じゃない」
西ヶ谷は桜庭にそう言う。
その奏と妄想の奏は別なのだと言うと、桜庭は少し戸惑ったように怯えている。
「これは私の奏だ! 私のだ私のだ!」
桜庭はそう叫び、西ヶ谷の言葉を受け付けようとはしない。完全に正気を失い、行動もおかしくなっていた。
不動産王として君臨していた桜庭公一の姿はそこには一切なかった。
ただ奏を欲しがって我が儘を言う、老人が一人いるだけだった。
「ごほっ……僕は、あなたの……奏じゃないよ……」
奏が桜庭の言葉を受けてそう返していた。
「奏、駄目だ……」
奏からの否定の言葉を桜庭が耐えられるとは思えないし、奏が言葉を発すれば発するだけ、桜庭のイメージから奏の幻想が消えて現実が見えてしまう。
本当ならそうなるのがいいのだが、今の混乱した桜庭はナイフを持っている。それで奏を傷つけることになってしまう。それだけはさせてはいけなかった。
西ヶ谷が奏を止めるのだが、奏はやめなかった。
「あなたの中の奏はとても綺麗なんでしょうね……でも僕は、とても汚いよ。打算も下心有りで好きな人を脅すようにしてまで抱いて貰うくらいに、すごく嫌なこともするよ……」
「……奏、やめろっ! そんなの私の奏じゃない!」
奏の言葉に桜庭が更に混乱している。
握っているナイフの柄で奏の頭を殴ってきた。
「……っ!」
「やめろ! 桜庭!」
西ヶ谷が慌てて桜庭を止めようとするも、桜庭は奏に対して怒りをぶちまけた。
「うるさい! 黙れ、この偽物の淫乱男め! 私の奏をどうしたっ! どこに隠したっ!」
桜庭は錯乱したように奏を殴り、奏はそれを受けながらも叫んでいた。
「僕はっ! あなたを必要となんてしてないっ! 僕の人生にあなたは必要ないっ! 何で僕の邪魔ばかりするのっ! どうしてどうしてどうしてっ!」
奏はありったけの力で桜庭を殴り返し、とうとう奏の勢いに押されて桜庭がベッドから転がり落ちた。
「何で、僕が覚えてもいないことをいつまでもいつまでもっ! 僕は確かに奥上奏だけれど、あなたの妄想の奏じゃないっ! 僕は奥上奏だっ! 僕が現実なんだっ!」
奏がそう叫ぶと、桜庭は怯えた顔で奏を見た。
どう見ても桜庭が望んでいる奏ではないし、まして必要ないと桜庭に暴言すら吐く。それが桜庭が望んでいたものではなかったし、これが現実だなんて桜庭は信じられない。
「……お前はっ偽物かっ! 偽物だなっ! 私の奏がこんなことを言うはずもないっ!」
桜庭はそう言って立ち上がって奏にナイフを振りかざしたが、その一瞬に西ヶ谷が奏をベッドから助け出した。
転がってベッドの下に落ちた奏と西ヶ谷であるが、桜庭が追いかけてきて二人にナイフを振りかざした。
それを西ヶ谷は身動きの取れない奏を抱きかかえて庇った。
「だめっ! 西ヶ谷さんっ! やだっ!」
西ヶ谷が刺されると奏は思って叫ぶと、誰かが桜庭にタックルするように飛んできた。
「ああああっ!」
桜庭が叫びながら飛んでいく。ガターンと大きな音が鳴って、ベッドの反対側に桜庭たちが転がっていった。
すぐに西ヶ谷は立ち上がり、奏を抱えてベッドルームから居間に飛び出て、そしてそこで奏の後ろ手に縛られているロープなどを取ってくれた。
「西ヶ谷さん……」
「大丈夫だ、起きた及川が何とかしてくれている」
どうやら一時昏倒していた及川が復活して、桜庭を見事撃退してくれたようだった。
部屋の入り口に倒れている男たちが身じろぎした時には、複数の警察官がドッと部屋に押し寄せてきて、全員を確保していく。
「……桜庭は!?」
そう刑事らしい男が言うと、ベッドルームから桜庭を連れた及川がやってきた。
「ここですよ……たくっ遅い」
及川がそう言うと、警察官が数人でまだ暴れる桜庭を拘束していく。
部屋中はごった返しながらも、警察はどんどん拘束した犯人たちを部屋の外に連れて行っている。
そしてホテルの経営者が西ヶ谷を見つけて部屋に飛び込んできて土下座をしてきた。
「申し訳ありません! まさか清掃業者に紛れ込んでいるとは思わず!」
そう言われて奏はホテル側も被害者であることを知る。
ホテルの清掃員は別会社から派遣されており、その別会社の社長が上手いこと桜庭と結託しており、手先になっていたというのだ。もちろん、その別会社の社長も殺人の手配をしたという理由で警察が逮捕状を取るという。
「私の奏……私の……」
桜庭がやっと部屋から連れ出されていったのだが、その時にはもう現実の奏を見ることもなかった。
現実の奏に否定され、拒否されたことが相当堪えたのか、妄想の世界に飛び込んでしまったらしい。
「あれはもう駄目かもしれませんね……」
そう及川が言うと、西ヶ谷は言った。
「それでいい。もう一生妄想の中で過ごせば良い。そうすれば、奏の安全は一生保証されることになる」
桜庭の事件が解決できれば、奏の安全さえ手に入れられれば西ヶ谷にはよいことだった。
マンションの違法建築など些細なことで、被害者には悪いがどうでもよかった。
「これでたぶん終わりだ。奏」
「……はい」
奏はやっと安全になったと言われて、警察病院の方に搬送された。
首を絞められてしまった上に殴られもしていたので、怪我の様子をちゃんと調べた方がいいと西ヶ谷がいい、そして襲撃の被害者であるからその怪我の様子も裁判の証拠や材料になるので見て貰うことは必要だった。
幸いであるが軽い打撲と、裂傷などで脳に損害は及んでいないことだけは証明できた。そして入院をする必要もなく病院から帰ることができた。
その帰り道の車の中で、西ヶ谷が奏を説教していた。
「どうして危ない場面で、桜庭を煽ったりしたんだ。あれで完全に殺意が向いただろ?」
西ヶ谷としてはそれを奏が狙っていたことが気に入らないと言っている。
「……西ヶ谷さんが怪我したら嫌だったから」
奏が白状すると、西ヶ谷は盛大に息を吐いてから奏の方に頭を埋めた。
「あのね、私が奏を助けるのだから、私が傷ついてもいいんだ。多少のことは慣れているし、大丈夫だったのに。奏が怪我をしたら私はどうにもできないんだから、お願いだからもう無茶はしないでくれ」
西ヶ谷がそう本当に心臓に悪かったと言うと、奏もさすがに申し訳なかったかなと思えてきた。けれども譲れないものだって奏にはある。
「僕は、たとえこれで死んだとしても、運命だって思ってました。だからその運命には、どうか西ヶ谷さんは入っていないようにって願ってた。死ぬかもと思った瞬間は、怖くはなかったんだ……」
奏は困った顔をしてそういうから、西ヶ谷は余計に落ち込んだ。
奏は自分が死んだとしても桜庭に殺されたとしても、たった一回西ヶ谷に抱いて貰って好きだと愛していると言って貰えただけで、それだけでよかったのだという。
それくらいの覚悟で奏が抱かれたがっていたのかと、西ヶ谷には想像だにしなかったことだった。
未来ある関係であると何度も強調をしたのに、道理で奏がそこまで乗り気ではなかったわけだ。
奏はその場でもう願いが叶って、あとはどうなっても構わなかったから、桜庭のことも怖くなかったのだ。ただ西ヶ谷に怪我をさせたり、死なせたりするのだけは絶対に嫌だったというだけだから、奏の覚悟は死なば諸共すぎた。
「奏、あのね。プロポーズは未来に向けた言葉だ。私は奏とずっと一緒にいる未来を見ている。だから奏もちゃんと未来を見てくれ……私の奏になってくれ」
言っていることは桜庭と似ているが、それでも西ヶ谷の「私の奏」はちゃんと現実を見てくれている。
奏にはそれが分かるから、嬉しくて嬉しくて泣いてしまった。
桜庭と刺し違えるしか道はないと思っていたけれど、西ヶ谷はそうではないと言ってくれる。
未来はちゃんとあるのだと、先を示してくれている。
それが眩しくて、奏には手が届かないものだと思えたけれど、ちゃんと隣に西ヶ谷がいて手を引いてくれる。
触れられるのだと気付いて奏は西ヶ谷の胸で泣いた。
「ありがとう……ございます……西ヶ谷さん……」
奏がそういうけれど、西ヶ谷は言った。
「秀明と呼んでくれ、これからは」
西ヶ谷がそう言うので、奏は少し照れながら言った。
「はい、秀明さん」
奏に名前を呼ばれた西ヶ谷は本当に嬉しそうに笑った。
その笑顔がとても綺麗で、奏は一生この人に付いていこうと思えた。
隣で一緒に並んで、未来が見られるのならば、共に歩んでいこうと。
真剣に奏は考えることになった。
桜庭の事件はニュース番組やワイドショーで大きく報道されたが、ちょうど奏は休学中であり大した騒動にはならなかった。
居場所は常に変えていたのもあって、ワイドショーに追いかけられることもなく、平和に春休みも過ごした。
しばらくは西ヶ谷の方が桜庭の事件のせいで忙しく動いていた。
まず桜庭の不動産関係の整理に西ヶ谷が駆り出された。
桜庭はその後精神に異常をきたしていることが判明し、そのまま精神科のある警察病院に入院した。とても出てこられるものではないのだという。
その桜庭の弁護士が西ヶ谷を尋ねてきた。
桜庭は相当な資産を持っていたが、身内は誰一人としていなかった。遠縁すらも存在しないらしく、戸籍を辿っても相続人に出会わなかった。
そしてそれを国に取られることを桜庭の不動産会社の上層部たちが嫌がっており、何とか軌道修正をしたいのだという。
しかしほぼ桜庭の資産になってしまうため、多数の不動産が浮いてしまう自体になってしまった。
桜庭が生きている間は、資産は動かせないが、会社だけは何とか切り離したいという幹部たちに、西ヶ谷が元々持ってた不動産を返還するので口利きをして欲しいと言われたのだ。
西ヶ谷不動産が混乱した時にかすめ取られたに等しい土地や建物を全て返してくれるのだというから、西ヶ谷が動かないわけにはいかなかった。
桜庭の後継人を用意し、資産を合法的に処分、会社をまず幹部の一人に権利を譲り渡し、西ヶ谷不動産の持ち物であった不動産の不法な売買で得たものを法的に取り戻して、桜庭不動産は、別の名前に変わった。
規模はかなり小さくなるが、それでもその不動産としては十分な規模だった。
元々肥大した不動産会社だったのでちょうどいい経営のしやすさにはなったらしい。
その売買で得た資産は、桜庭の個人遺産として管理され、桜庭が死亡すれば国のものになるらしい。
ただ桜庭は遺言書を残しているらしく、それが有効に働けば、誰かが資産を手にすることができるらしいが、もちろん誰もそれを見ることはできない。
桜庭の弁護士はその中身を知っている。書き換えた時に同席していたからだが、その行き先はどうやらあまり好ましいところにはいかないようだ。
西ヶ谷はそれだけで桜庭が誰に財産を遺言で残したのか察した。
しかし、その遺産は今後の桜庭の治療に使われ、一千も残らないように十分な介護費用に充てるように西ヶ谷が指示を出すと、弁護士もそれが一番収まりがいいだろうと言った。
桜庭の症状は悪化する一方で、快方には向かわないし、更に老年であるから普通に介護が必要になっていく年でもある。
もちろん損害賠償でも遺産は取られるから、相当ため込んでいる桜庭でも余裕ではないだろう。
違法建築に関する裁判は、会社側と和解になり、争っても社長が精神を患っている以上、取れるモノは僅かであることを知った住人によって、新しい住まいの保証とそれまでにかかる費用と引っ越し代金などで落ち着いたようだ。
桜庭が違法に建てたマンションは解体され、一から西ヶ谷不動産が設計から全てを引き継ぐ。元々西ヶ谷不動産の物件を不法に摂取した土地だったからだ。その全てに建っているマンションが今回の訴訟案件であり、被害者の不動産の再度購入に辺り、西ヶ谷不動産が間に入って被害者を救済した。
マンションが新たに建つまで待つ被害者と、別途用意されたマンションに引っ越すも、好きにできる。
そうなって訴訟は和解に落ち着いた。
珍しく全員救済された訴訟案件であるが、それ以上の騒ぎにはならなかった。
奏は西ヶ谷としばらくホテル暮らしを続けた後、新しく建てたという西ヶ谷のマンションに引っ越した。
それはタワーマンションの最上階、海が見えるマンションだった。
部屋の下には西ヶ谷不動産の事務所が入り、階位の住人ともエレベーターが違うなど西ヶ谷はかなりこだわって建てていたマンションらしい。
会社に直通のエレベーターと住居へのエレベーター、さらには会社と住居を結ぶエレベーターとある。
仕事人間の西ヶ谷は奏の側にいたいという理由で不動産会社の事務所はそこになったらしいのだが、景色がいいので社員は喜んでいるらしい。
西ヶ谷個人のマンションでもあるから、自由に設計ができたらしい。
奏にはそういうのが分からないのでキョトンとしていたが、そのマンションには奏のために図書館を用意したと西ヶ谷は言った。
「図書館ですか?」
「奏が就職してくれると嬉しいのだが」
そう言われて、奏はぱっと顔を赤らめた。
どうやら奏を囲うために西ヶ谷が図書館を用意したらしいのだ。
その図書館は個人の資産で経営されるようで、本を集めるところから既に発進している。そこに奏にバイトに入って貰う予定だとも西ヶ谷は言った。
図書館の下には店が入り、コーヒーショップやファッション関係などのテナントも入る。喫茶店なども多くある。
引っ越し作業が終わると、部屋の中はそれでもモノがあまりない空間が多い。
ただでさえ大きく、二十畳の居間だとかキッチンすらもそれくらいあるという生活環境に奏が戸惑っていたが、西ヶ谷に。
「すぐに慣れるよ」
と笑って言われた。
四月になると、奏も大学に通い始める。
通勤には電車を使うが、大学までは二駅だった。
そんな環境で大学最後の一年が始まる。
奏は朝から西ヶ谷が用意してくれる朝食で目を覚まして、一緒に食事をしながら話し合って、着替え準備をしてから奏はまず西ヶ谷を玄関先で見送る。
会社が下の階にはなったけれど、会長である西ヶ谷の仕事はそれこそ山済みだ。
朝から忙しそうに出かける西ヶ谷を見送るのにも、やっと慣れてきたところだった。
「いってらっしゃい、秀明さん」
奏がそう言って西ヶ谷にキスをすると、西ヶ谷も奏にキスをしてから言うのだ。
「いってきます。奏もいってらっしゃい」
「はい、いってきます」
そう言ってまたキスをして奏は西ヶ谷を見送る。
新婚早々の二人にありがちな甘い関係であるが、奏はそれが長く続けば良いなと思っている。
テレビを見ると平和なワイドショーが犬の特技を投稿した動画を紹介している。それを横目に洗濯物を乾燥機から取り出して片付ける。
洗い物もやってしまうと、奏も出かける時間になる。
「帰りにアレ、買ってこようかな~」
夕食に何か作ろうとしている最近の奏は、料理に目覚めた。
朝はどうしても起きられない上に、西ヶ谷が起こしてくれないので作れないが、夕食だけは何とか頑張って作り始めた。
西ヶ谷もそれに協力してくれて、何とか食事はできている。
そんな買い物を思い浮かべながら、奏は自分の母親もまたそうしていたのだという現実を知ることができた。
それは誰かのために何かを作ることや、思うことがどれだけの生きがいになるかという、些細な気遣いばかりだった。
奏はそれを西ヶ谷から学んでたくさん返していこうと思っている。
ゆっくりとドアを開けて玄関から家の中を見て、奏はニコリと笑って玄関を閉めた。
平和な一日が始まって、またここに戻ってくる。
そうすれば西ヶ谷が笑って待っていてくれる。
それが今の奏にとっての、やっと得られた最高の幸せの時間だった。
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