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真野の様子がおかしいことに気づいたのは、その日の夕食時に会った時だ。
少し大人しい真野の様子から、成原聞いていた。
「どうした。今日はやけに大人しい」
そう真野に言うと、真野は少しハッとしたようになり、何か言おうとして言葉を飲み込んだ。
「いや、なんでもない。ちょっと疲れているだけだ」
さすがに仕事中に成原の一族の事情で振り回したのは事実で、そのことの顛末を伝えていたのだが、真野はそこまで興味があるようでもなかった。
真野は基本的に成原の一族に関しての興味を見せない。だから真野には成原の背景にある地位や名誉は、役に立たない。そうした魅力で釣れるのは、こうした豪華な食事など分かりやすい金の使い方をするしかない。
けれど、真野は奢ってもらうのは、セックスの時に普通のセックスよりも負荷がかかっているから、その負荷分を成原が分かりやすい形で補?してくれているのだと思っているらしい。
だから、成原の何かが好きという部分がないわけだ。
あえて言うならセックスがいいであるらしいが、それは好きとか嫌いではなく相性の問題で、そこで優越が付けがたい。成原よりも相性のいい相手ができれば、あっさりと乗り換えられる可能性もある不安定なものだ。
何処かで真野を繋ぎ止めておきたいのに、真野はそうした拘束を酷く嫌がる。それは過去の事件のせいで強固になり、未だに改善はされていない。
食事を終えて、部屋に行こうとする途中で真野が歩くのを止めた。
「どうした、佳?」
いつもなら真っ先に部屋に行くのだが、今日はどうも様子がおかしい。
「今日は体調でも悪いのか? さっきから上の空というか、心ここにあらずのようだ」
成原がそう言いながら近づいてきて、真野の腰に手を回して抱き寄せた。
「疲れているなら、入れはしない。けれど、少し私の側にいてくれ」
成原がそう言い、真野は驚く。
成原がこんなことを言うのは、本当に疲れている時だ。真野の体調が優れないのに、帰さないなんてことをする成原ではない。
「……何かあったのは、お前の方じゃないのか?」
真野はそう聞いた。一族の勝手な振る舞いは今に始まったことではない。なのに、今回は成原も本当にされると断れないというような雰囲気だった。
何かを恐れて、焦って、真野のところに来たような気がした。
「ここでは何だから、部屋へいこう」
成原はそう言うと、部屋に真野を促した。
そのまま部屋に入ると、成原が言った。
「今回のことで……一族の周りが津浦の娘なら本当に結婚してもいいだろう、婚約者として認めてやってもいいと言い出した。真野のことがあるから、焦っているのだろうな。だから、もし結婚を勧めるなら、会長の座を弟に渡して、私は成原を出ると言った」
その言葉に真野は心底驚いた顔をする。
「今まで一生懸命やってきたのに、急に投げ出すのか?」
真野の言葉に成原は言う。
「成原の一族を出なければ、結婚をさせられる。私の自由になる時間が、終わりを告げている。一族の半分は私の結婚を条件とした会長の座の権利を口にし始めた。売り言葉に買い言葉でもあるが、成原としては後継者は絶対に必要で、今まで自由にできていたのも、私に同情する部分があるからだと言われた」
「……」
「私の力の及ばないところがまだまだあるってことだ。成原が自由になるのは、後ろ盾があったからで、その後ろ盾がすべて弟に付くとなると、私の意志や弟の意志などどうにもならない」
そう成原が言うのだが、それは真野にとって、違う意味に聞こえた。
「まさか、お前。成原家より僕を取ったのか?」
単刀直入にそう真野が言っていた。
「正しくはないな。その言い方は」
成原は結果的にはそうなったけれど、違うと言った。
「私が女性を愛せないということが、成原家にとって必要な存在ではないってことを突きつけられ、そこで私は二択しかできなかったんだ。成原を取って結婚するか結婚をしたくないなら成原を捨てるか。その二択だ。結果、結婚はできないし、後継者は残せない。だから成原を捨てるしか道がなかった」
成原はそう言う。
苦笑している顔が寂しそうだった。
三十年も成原の家のために生きてきた。そのすべてをたった一度の失敗、その時のトラウマのせいで捨てなければならないのだ。
「多少の援助はしてもらえるが、一年後にはすべてをやり直さなければならない。真野、だから今日でお別れだ。明日から忙しくなり、こうした時間も取れなくなる。成原を出たら、それこそ世界がすべて変わる」
成原はそう言って、驚いている真野にキスをした。
触れて離れるだけで、それ以上はしてこなかった。
成原がすべてを捨てる。それが成原が生きるために必要なことで、止めることはできないのだと真野は思った。
真野の力で何かできることなんてなかったし、成原が決めたことに真野が口を挟む権利はなかった。
元々、成原が止めると言ったら終わる関係だったのだ。いくら成原が真野を愛していると口にしても、これから進む不安定な世界に連れて行くことはできない。
「……僕は……こんな、待遇をいつも望んでいたわけじゃない……」
ただ出会った時から成原は成原で、それ以外考えたことはなかった。
成原が、そうしたモノを捨てて一人になるというのに、真野は連れて行ってももらえないのだと知った。
成原は、真野に本当に別れを告げているのだ。
気づいたのに、成原が大事だと、誰にも渡したくないと思ったのに、それをたった一日で、成原から切られたのだ。
「知っている。佳が何を望んでいるのかなんて、知っている。けれど、私は一人で這い上がってくる。そうしないと佳に甘えて、そこでいいと満足してしまう」
甘えたくはないのだと成原が言った。
成原らしい、台詞だった。
現状に満足することなく、向上心を持って自分のトラウマにも向かい合ってきたのだ。だから、成原家を出ても、そうして生きていきたいのだ。そこに真野が付いていくと、成原はそこで終わってしまう。
「……やっと……分かったのに……お前が、大事だって……」
真野は泣いていた。
勝手に涙がぽろぽろと溢れて落ちて、次から次へと溢れてくる。
そんな真野の様子に、成原は優しく微笑んだ。
真野がやっと見せた心の奥が見えたからだ。しかしここまでしなければ、きっと真野は成原に本心を見せることはなかったのだろう。
それが成原には残念だった。
「佳、やっと本音が聞けて嬉しい。けど、待っててくれとは言わない。いつまでかかるのかどうなるのか、私でも想像ができない。そこに佳を連れてはいけない」
成原はそう再度言った。
真野がいればいいと満足して終わったら、きっと真野を傷つけてしまうと思ったし、真野はそれで満足する成原を見てはいられないだろう。
「……お前は、何も言わずに去ろうとしていたのか……」
「佳が気がつかなければ。言わなくても自然と耳に入るだろう。私が成原出たことなんて、あっという間に広まるだろう。そこで察してもらえるかと」
「僕は嬉しくない。そんなことで察しても、納得はできないままだった……中途半端なことをして、僕を掻き回して……そして置いていくんだ」
真野が混乱しかけていた。
やっと認めた部分をさらけ出しても、成原は去って行く。
それがどれだけ苦しいことなのか、それがどれだけ悲しいのか。真野はやっと本当の苦しみを知った。
「佳……お前は自由でいい。私のことは忘れていい。佳が生きたいように生きていい。ただ無茶はしないでくれ。それだけが気掛かりだ」
「……そんなこと気にする必要はない……今日はもう、無理だ……お前は記念にとか、僕を抱きたいのだろうけど、僕には無理だ……」
最後の思い出に抱かせてくれとか言われたら、真野には殴る自信があった。そんな大層なものでもない行為をしてやれるほど、心も広くなかったし、捨てていく男に抱かれるのも嫌だった。
心を掻き回して、仕舞い込んだ気持ちを引き摺り出して、散々振り回しておいて、すべてを終わらせて去って行くなんて、そんなことをするなら、最初からなかった方がよかった。
「酷いことを言う前に……解放してくれ……」
真野は口に出しそうだった酷い言葉を飲み込んで、成原のせいにして怒鳴りつけたりしなかった。
まさか別れるときに泣いて縋るのが、自分だとは真野も思いもしなかったことだった。
成原は必死に感情を抑えて、別れに応じようとしている真野を素直に解放した。
「今まで私の我が儘で、たくさん傷を付けて悪かった。それでも私は佳、お前を愛している。それだけは変わらない」
「愛なんてクソくらえだっ!」
真野はそう叫ぶと、部屋を出た。
涙が止まらなかったが、最後に叫んだことで吹っ切れた。
ほら見ろ、愛なんてこんなものだ。自分で思い通りにすらならない。
いつも誰かに振り回されて、気づいた時にはボロボロにされる。
刺された時よりも、もっと深い傷を真野は受けた。
成原に捨てられた。何よりも残酷に甘い言葉を与えられて捨てられた。
その傷は、一生真野を苦しめる傷であることは間違いなかった。
それから半年して、成原知晃が、成原グループから出奔したことが業界で噂になった。
何をやらかして一族から追い出されたのか、知りたがった人たちが噂を流し、様々な噂が流れたが、どれも否定されたり、信憑性がなかったりして、やがて噂も消えた。
真野佳は、成原と別れた日から一週間だけ仕事の休みを取って、家を引っ越しをした。唐突に思い立ったのだが、成原一族に知られている住所に住み続けているのが単純に不快だった。
成原の思い出が少しでも残るものは捨て、すべての服を新調した。
芳香剤を変え、シャンプーやリンスすら種類を変え、長くなった髪も切った。
すべてを新調して、成原を切り捨てにかかった。
使っていた通勤路線も変えた。最初は会社も辞めようとしたが、さすがに副社長に泣きつかれたので、それだけはできなかった。
成原に繋がるものをすべて捨てたが、成原のために作った香水だけは、捨てられずに研究室の私物入れに仕舞ってある。
最初のうちこそ香水を眺めて嫌な思いをしたが、そのうちにその存在も忘れていった。
半年して、成原の噂が出た時には、真野は成原のことで動揺はしなくなった。
その間に心を落ち着かせることができて、副社長や友人の須佐に散々問い詰められたのだが、もう半年も前に別れていることを告げると、二人はそれが一週間も真野が会社を休んで、そして出てきた時にすべてが変わっていた理由だと気づいて、それ以上に何も言わなかった。
真野も成原のことは何も言わず、別れたことだけを告げた後は、平常心で仕事をこなしていた。
一年も経つと、真野は成原のことを懐かしむことはあっても、当時にあった熱い思いがすっかり鳴りを潜めていることにホッと胸を撫で下ろした。
その一年で変わったことがある。
成原との関係の後、真野は誰とも寝なかった。
セックスへの興味が一切失せ、そうした関係でまた傷つくのが怖かったから、二度と店にも顔を出さなかった。
今は会社で研究をして、仕事が終われば家に帰り、自宅で自分のご飯を作り、一人の時間を楽しんだ。香りの勉強も新たに始め、企画書もたくさん作った。前よりも意欲的に仕事をして、休日もスポーツクラブに行き、適度に運動をしてストレスを発散し、体作りもした。
すべてが順調で須佐すら気味悪がるほどの真野の変わりようだった。須佐はそうでもしないと真野が自分を保ってられないほどの衝撃が、成原との別れにあったのだなと、すぐに気づいた。
真野が誰かと別れて、次を探さないのは、きっと成原との別れで傷ついたからだ。少なからず、成原に捨てられた形になった真野の心が傷ついたことで、通っていたバーの人間は笑っている人も多かった。
真野はそれを自業自得のことで、笑われても仕方がないことだと思っているようだった。
心を早く開いていたら、何かが変わっていたのは間違いなく、そうすればもっと違った未来が見られたのも間違いなかった。
その変化を嫌った結果、成原は真野を連れてはいけなかったのだ。
「真野くん、この間の香水、評判がいいよ~。フランス、イギリスでも取り扱いが始まって、取引先もじゃんじゃん売れてるって」
社長が上機嫌でそういっている。
仕事に打ち込んだ結果、真野の功績は挙がり、一人で研究している方が合っていると言ったお陰で、一番いい施設の機械を使える特別室の住人になった。
この移動で、すべての成原との繋がりが、仕舞い込んだ香水のみとなり、思い出のものは新しいものに切り替わった。
成原に自由に生きろと言われた。その通りにした。
鬱屈したものはなくなっていたから、それを埋める行為は必要なくなった。
まさか、こうして改心したように荒いことをやめ、仕事に打ち込めるようになるとは真野も思いもしなかったことだ。
あのまま成原について行っていたとすれば、きっとこんな充実した日々はやってこなかったのだろう。成原はそう言った。辛くてきっと駄目になる。それは成原だけではなく、真野も目的を失って、駄目になってしまうことなのだろう。
実際に、真野はこの仕事が好きだった。他の仕事をしようなんて考えたことはなかった。だから残ったモノが仕事だけだったとしても、ここまで正常な日常が送れている。
だから今はあの時の成原の決断を、認めることにした。
成原は何も間違ってやしない。
双方が駄目になるならと、真野を守るためにああ言っただけなのだ。
それがよく理解できたから、真野は成原を追うこともやめた。
真野自身のためではなく、成原のためだ。
成原は一人で頑張ってくると言った。
待たなくてもいいと言ったけれど、真野は待っているわけではないけれど、成原以上の誰かが現れるとは思いもしないから、結果的に待っている形になった。
それから更に一年が過ぎ、真野も一人に慣れた。
友人の須佐が結婚をして、身を固めたのを見届けた。
須佐は真野のことを心配していたけれど、真野が落ち着いたことは、結果的に良かったと言った。
そんな須佐の結婚式の二次会を抜け出して、真野は帰ってきた。
引き出物がパンフレットになり、荷物が軽い時代になったなと真野は思いながらエレベーターに乗った。
その日は少し雪が降っていて、いつもより寒かった。
交通が麻痺する前に戻ってこられてよかったと、部屋の鍵を取り出してエレベーターを降りた。
すると、部屋の前に人がいる。
何かの勧誘かと思いながら近づいた真野は、振り返った人物の顔を見て、立ち止まった。
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