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順調に二人の関係が進んでいるはずの、騒動の一ヶ月後。
真野の会社に、ある女性が尋ねてきた。
会社の社長の知り合いだという女性は、着物を着た女性だった。
佳麗な女性。年齢は三十前。着物に似合った髪を結い上げている。そのシルエットが美しいと真野が思ったのだが、相手の女性が真野を見て言った。
「男性でも美しいと感じる人がいるのは知っていましたが、真野さんは、本当に女性的な美しさを持たれている方でしたのね。写真ではそこまで分からなかったのですが、実物は圧倒的で……」
そんな自分を絶賛する言葉に、真野は笑みもしかめっ面もどんな表情も動かさずに聞いた。
聞き慣れた言葉であるというのが一番の理由だが、その言葉を使う人間がまともなことを口走ったことが一度もないという経験から、警戒をしているのだ。
「何かご用でしょうか?」
真野は仕事中に呼び出され、仕上げていたことを中断されて、ただでさえ機嫌が悪い。
「あ、ごめんなさい。私……」
そういうと、女性の隣に立っている執事らしい若者が、すっと真野に名刺を差し出してきた。
「津浦秀美と申します。成原知晃(なるはら ともあき)さんの婚約者の一人です」
そう言われて、名刺を受け取って眺めていた真野の手がピクリと動く。
婚約者と名乗る女性が現れることは、ずっと予想をしていたが、案外早かったなという気持ちだった。
「それで? そんな方が何用で?」
「あの。単刀直入に申します……知晃さんと別れてください」
女性はそう意を決したように言った。
「あなたと……知晃さんが付き合っていることは知っています。その男性同士でもそういうことはできると……聞いたので、それは否定は致しません。しかし、成原グループのためには世継ぎが必要で、その男性では子供は産めません。将来的なことを考えても、真野さんでは知晃さんと一緒にいることはできないと思います。だから別れてください。私が知晃さんと結婚をして、子供を……」
そう女性が言うのだが、真野は全く動じた様子もなく、その女性を見て少し笑った。
「成原グループの会長の言葉なら、筋が通っているのでしょうが、たかだか婚約者ごときが、会長のプライベートに踏み込んで掻き回すとは……一族のどちらさんだかは、まだ懲りてないと見える」
真野は、成原が一族に振り回されて一生癒えないかもしれないトラウマを植え付けられたことを知っている。
その傷もやっと癒えるかどうかという段階でこういう輩が蠢くことが、心底腹立たしかった。
成原の努力をすべて無にする行為を真野は許せないと思った。
真野の言葉に、秀美は一瞬で言葉を失うが、気丈にも噛みついてきた。
「わ、私は、知晃さんの未来のために……」
「あなた、成原グループのためにと、さっきおっしゃっていたじゃないですか?」
「それは……将来的には知晃さんのためにもいいことで……」
「どうして、婚約者ですらないあなたが、会長の未来など決められるのですか? 成原は自分に婚約者ができれば、隠し立てはしない。僕は聞いていない、つまり、あなたの婚約者発言は嘘ということになる」
「それはあなたが、知晃さんに隠されているだけのことで! 私は知晃さんの婚約者です!」
女性は立ち上がってそう叫んだ。
さっきまで品が良さそうな態度だったが、怒りに顔が歪み、躰が震えている。
「思い上がりもいいところだ。どうせ、何処かの幹部か何かにすり込まれたのでしょうけど、成原はもし婚約者を選ぶならば、本人と意思疎通をしてから決める。決して、誰かを仲介して物事を進めることはしない」
真野はそう言って婚約者と名乗る偽物に、成原が絶対にそうするとはっきりと言った。
「思い上がっているのはあなたの方でしょ! 子供も産めないゲスな一般市民が……!」
女性は真野のことをそう思っているようで、はっきりとそう言った。
本性がわりと早く判明して、真野は満足する。
「思いのほか本性が見えてきて、ありがたい」
真野の言葉に、秀美はハッとする。真野がわざと自分を煽るようなことを言っていたのかと、今更気づいたのだ。
「あなた……まさか」
「そもそも、僕に会いに来る成原の婚約者に、僕が成原の許可なく会うわけもないだろう? もちろん成原には連絡済み。その上で言っている」
「な……っ!」
「誰の許可を得て、成原の婚約者を名乗っている? 一族の誰からそんな与太話を仕込まれた?」
真野がそう言い切ると、秀美は蒼白な顔になり、すぐに荷物を持った。
「か、帰ります!」
「成原に会っていかないんですか?」
真野はそう言って、座るように秀美に言う。
秀美はまさか成原が来るのかと、更に慌てた。
真野は携帯を操作して、また少し笑った。
「なるほど、津浦秀美さん、本名を名乗ったわけだ。ということはここを抜け出しても、あなたのところに成原が赴いて、事情を聞くわけだけど、二度手間になるのだから、ここで話をつけていけばいい」
つまり、ここから逃げても無駄で、成原一族から誰がそんなことを吹き込んだのか問い詰められる事態は避けられないと真野は言った。
「ことを大きくするより、ここで成原の温情に縋って、背後にいる人間の吹き込んだことを洗いざらい吐いた方が、あなたの今後のためだと思いますよ」
真野がそう言うと、執事はやっと意見をした。
「真野様の言う通りです、お嬢様。お嬢様は騙され、利用されたのです。ですから、和英(かずひで)さんの言う妄言は聞いてはいけないと……」
「木崎……」
「お嬢様、真野様の言う通り、ここで会長を待ちましょう」
そう言われて秀美は憑き物が堕ちたように、ソファに座り込んだ。
さっきまでの酷い形相から、最初に会った時の佳麗な女性が落ち込んでいる形になる。本当は普通のお嬢様なのだろうが、嘘の夢を見させられたことで醜態をさらしただけのようだ。
「も、申し訳ありません……恥ずかしい。本当に失礼なことを私は……」
執事に諭されて、やっと自分を取り戻したのだが、一度口から吐いた言葉は元には戻らない。
「構いません、慣れていますので、お気になさらず。正論を突きつけただけのことです。僕は子供は産めませんし、後継者を残すことはできません。だからあなたの言い分は正論なのですが、成原自身がそれを望んでいないことが問題なのです」
「……知晃さんが、望んでない……こと……」
「散々苦労して、一族に裏切られ、傷ついた成原が同じ思いをするであろう自分の分身を一族のために用意するとは考えにくい。幸い、成原には弟がいて、弟を会長にすることもできるし、その弟が結婚をして子供ができれば、その子供に後を継がせることもできる立場にある。割と選択肢が多い方だから、成原もそこまで焦ってはいなかったようです」
真野がそう言うと、秀美は更に憑き物が堕ちた顔をした。
「……私、何も分かっていないのですね……知晃さんが苦しんでいることも、私は知っているのに私は自分のために……なんて愚かなことをしたのでしょう」
恥ずかしいと秀美が顔を覆ってしまう。
愚かな行動をしたさっきまで自分を恥じているのだが、真野は正直にいうとうらやましかった。
誰かを思って一途になることは悪いことではないと思う。それ自体は否定をしないのだが、真野は自分がそれに当てはまらないことを知っていた。
成原が不当な扱いを受けることが、さっきまで酷く腹立たしかった。その怒りが成原を守るために使われたのだろうが、それが少し満足している自分がいる。
そこで真野はふと気づく。
そうか、成原と恋人になりたいのではないのだ。相棒になりたいのだ。お互いのピンチの時に助けられる存在。ただセックスをして遊んでいるだけの関係なら、成原を選ぶことはなかっただろう。
立場が違えと、虐げられるのが許せないのだ。
男同士で恋人をやると、受ける側が必ず苦労をする。結婚するから別れてくれと言われて泣いているのはいつも受ける側だ。そうした人を見てきたから、セックス以外で填まるのはイヤだった。
だから割り切った関係を選んだのに、そのとたんに刺され、愛を強制された。お前は俺のモノだから、俺の言う通りにしろと、虐げられた。そのことに腹が立っていたのだ。
そうしていると、成原がやってきた。
成原の婚約者がきたという情報は副社長から成原に伝えられている。そんな大嘘を吐いてやってくる人間がまともとは限らないから、何か仕掛けられるかもしれないと成原に用心させた上での行動だ。
「真野……大丈夫か?」
成原は部屋に入ってくると、真っ先に真野のところに来た。
「大丈夫だ。何ともない」
「そうか、良かった」
成原はそう言うと真野の頬を撫でた。それに真野はその手に頬を擦りつけてから言った。
「それより、こっちのお嬢さん。誰かに騙されてきたようだよ?」
真野がそう言うと、秀美が飛び上がりそうなほど怯えていた。
「誰に?」
「和英さん、でしたっけ? あなたに嘘を吹き込んで騙したのは?」
真野はそう誘導すると、執事の木崎が心得たように話し始めた。
「はい、津浦和英(つうら かずひで)様です。津浦グループの次期総裁候補の一人です……秀美様とは幼なじみです。和英様から、お嬢様は知晃様の婚約者の一人にお嬢様が選ばれたと言われ、お嬢様は信じてしまったのです……っ!」
さっきまでの秀美の様子から、秀美が成原に気があるのは明らかだった。だから易々と騙されて、話を信じてしまったというのが発端らしい。
「和英か……あいつ」
成原が盛大に溜め息を吐いて唸った。
「成原、そいつはどういうやつだ?」
真野は一人だけ話が見えないので、成原に隣に座るように言い、説明を求めた。
「私より一つ年上なのだが、父親が元気で津浦グループの実権を握れないことを不満に思いながらも、後継者という立場を使って好き放題し過ぎ、最近、その後継者候補に別の人物が加えられ、地盤も危うくなっている愚か者だ」
成原がそう簡単に身も蓋もない言い方をすると、秀美が苦笑した。木崎が吹き出しそうになっているのを我慢している。
どうやら本当にそういう人間で碌でもないという青年らしい。
「申し訳ありません。私は……こんな嘘も見抜けず……失礼の数々を……」
「あなたほどの人が……あの暴言は許されないことです」
どうやら成原は秀美の評価は高くあったらしく、秀美があんな暴言を口にするとは思ってもいなかったらしい。
「僕は許したから、お前が怒ることはない。ところで何処から話を聞いていた?」
かなり早く着いていたことが分かって、真野は話をどこから聞いていたのか尋ねた。
「最初からだ。たまたま近くにいたんだ。ちょうど佳が話を聞いていたところだったので、目的を聞き出してもらった方が早いと思って任せた」
「まあ、確かに話は早かったな」
秀美があっさり崩れてくれたお陰で、目的も早く分かり、どうやら何かありそうだったが阻止できそうである。
「真野、助かった」
「松阪牛で手を打つ」
「分かった。後で連絡をする。話もあるし」
「じゃ、後は任せた」
真野はこれ以上ここにいても、自分はすることはないと判断して部屋を出た。そこには社長と副社長が二人して壁に張り付いていた。
「何をしてるんですか……」
呆れた様子で真野が言うと、二人は笑いながら言った。
「気になるから。それにしても真野君、いい感じに収められたね。さすがだよ。うんうん」
社長が上機嫌でそう言う。
真野はあれが上手だと言われたら、少し心が痛い気がした。
「……成原に関して、真野は割と心が狭いんだと思ったけどね」
副社長にそう言われて、真野は立ち止まる。
「普段の真野なら、怒ってあの子を煽ったりしないだろ? ま、その心の成長に免じて、誰にも言ってないけど」
副社長はこっそりとそう言って、真野を解放した。そのまま真野は部屋を出て研究室に戻った。
副社長に心の奥の動きを悟られるような発言をしていたことに、真野は少し驚く。確かに腹が立って、わざと目的を知るために秀美を煽った。成原の意志を無視した言動が許せなかった。
それは認める。そう思ったことは認めた。
対等でいたいと思っている心があることは認めた。
恋はしたくない、愛もいらない。けれど成原は欲しかった。
「……僕は、かなりの我が儘だ……」
あんな嘘を言う女性に渡すわけにはいかないと思ったし、成原の現状が厳しいことも理解した。けれど、成原が結婚すると言い出したとしても、真野はそれを承諾して別れることができそうになかった。
「なんて、ことだ……」
あんな浅ましい願いなど、切って捨ててきたのに、今様に自分を刺した男と同じ感情でいるのだ。泣いて縋った母親と同じことを思っている。
同じだ、この心はあの浅ましいことと同じだ。
絶対にあり得ないと思っていた心の変化に真野は戸惑った。
成原に執着している理由なんて、口に出して言えばセックスが良かったことや、都合がいいときに抱いてくれて、適度に距離があったことくらいだ。それを愛していると言わないことは分かる。
けれど、成原を誰にも渡したくはないという感情は、絶対、あの男が言っていたことと同じだ。
そう思ったのだが、真野が誰にも成原を渡したくないと、あの男のように叫んだ時、真野の中の成原が言うことは決まっていた。
そう一つだけ違っていることがある。
そうした思いが一方通行ではないという事実を真野が知っていることだった。
真野は自分の体温が上がっていくのを感じた。
けれど、真野の変化と同じく、成原にも変化が訪れていた。
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