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「真野じゃないか」
 その声を聞いたのは、ホテルで食事を済ませてから電車に乗っていた時だ。
 たまたま近くの駅から乗ってきたのが、友人の須佐史博(すさ ふみひろ)だった。
 大学時代は同じ研究室で、同じ香料の研究をしていたのだが、同じグループにはなかったことは一度もない。だがその後就職した先で須佐と同じ研究班に入ったのである。話はしたことはなかったが、名前や存在は知っていたから、須佐から話しかけてきて、今でも普通に友人をやっている。
 須佐は、百八十近い身長をしているが、運動は一切したことはないと本人が言うように痩せていてスラリとしている。顔が今風のイケメンというさっぱりとした風貌であるので、人受けがしやすい。真野のように、実家に日本庭園があって奥ゆかしい生活をしていそうだと言われるような、純粋な日本人のような姿はしておらず、須佐はそのままヴィジュアルバンドをしていると言われても不思議ではない顔立ちだった。
 そんな須佐が香水を作っていると言うと、女性に受けるのは当然で、彼の周りには自分の香水を作って欲しい女性が常に一緒にいたくらいだ。
 だがそんな須佐は珍しく一人だった。
「須佐、今日は一人なのか?」
「ああ、映画だったからね。さすがに」
 須佐の映画好きは有名だったが、彼が誰かと映画を見ることはない。その映画の世界に入り込んでいるのに隣から話しかけてくる存在がいるだけで、不機嫌になる。邪魔だというわけだ。だから須佐が一人の時は大抵映画鑑賞である。
「今日からだっけ、スターなんたらの最新作」
「そうそう、それ。小学生の時から見てるやつだから初日にいかないと翌日にはネタバレされて最悪だからね」
 さほど映画には興味がない真野は、そんなものかと言った。
「お前は例のやつ?」
「ああ、その帰り」
 須佐は、真野が男と付き合っていることや、その相手のことまで知っている唯一の友人である。それもそのはず、真野をあのバーに連れて行ったのが須佐だったからだ。
「さすがに半年続くとは思わなかったな」
 須佐がそう言う。
「お前が薦めておいて」
「そろそろ終わるだろうなと思ってたんだ」
「別に僕は不満はないよ?」
 須佐がそう言うので真野はどういうつもりだと隣に座った須佐に聞き返す。これまでに成原について須佐に愚痴をこぼしたことはなかったからだ。
「あっちの方が音を上げると思ってたんだ」
 須佐の言葉に真野が眉を顰める。
 真野について過去を知っている須佐の言葉は、結構重い。
「お前はあいつを甘く見ていたんだよ。トラウマレベルならあっちが上だ」
 真野がそう言うと、須佐はそうかなと納得しない。
「僕は今の関係で十分満足している。愛だの恋だの僕の知らないところで盛り上がられて、逆ギレして刺されても仕方ないと言われる心配がない」
 真野がそう言うと須佐が顔を顰める。これを言われると須佐は何も言葉を返せなくなることを真野は知っていた。

 真野は、大学を卒業し、研究所に就職した年に須佐の友人の紹介で知り合った男と恋愛ごとで揉めた後、その相手に刺されたのだ。
 真野は体の関係だけでいいと思っており、相手を毎回探すよりはと相性のいい相手を選んでセックスフレンドになったかと思ったら、恋愛感情を抱かれたのだ。とはいえ、恋人のような関係を求められた段階で、真野は関係を絶ち、別の相手を探していたところを浮気していると言われて刺されたのだ。
 だが、周りは真野とその男が付き合っていると聞かされていたため、別れに失敗した真野が刺されたことになっている。
 しかし真野がそうした関係を望んでいないことは、相手を紹介する手前で真野に確認していて相手も知っていた。真野は都合いい相手を望んだのに対して、須佐は面倒な相手を紹介してしまったわけだ。
 これに関して須佐には責任はないのだが、責任はないとはいえ、心中は穏やかではないだろう。真野の言い分を知っていただけに。
 真野は体調が元通りになると、仕事に励み、しばらくは相手を探さなかった。それに対して須佐は、そろそろ恋人探しをした方がいいのではないかと持ちかけたのだが、真野は都合がいい相手しか望まなかった。
 その時に言うのが、「また刺されてはたまらないからな」というのだ。
 だから相手に感情がないことを寝た後も確認しない限り、同じ相手とは二度と寝なかった。そのうち真野の真意がバーでは広がり、真野の恋愛嫌いは有名になった。
 そこで、最強に都合がいい相手として成原が紹介された。
 成原も恋愛に対してのトラウマが、拘束という手段で出るほどの闇の深さを感じさせる相手で、真野は同じトラウマ持ちなら同じ鉄は踏まないと思ったのである。
 そして半年、何の変わりもなく関係が続いている。
 相手に多少の感情は芽生えるものだが、真野は相手に不満は一切ないといい、関係を気に入っている。だが、成原はどうだか分からなかった。
「お前が何を企んでいるのかは知らないけど、僕に感情を持たせるのは無理だと思うよ」
 昔から感情が欠損しているかのように、恋をすることを知らないままきた。
 最初の相手はゲイの先輩、もちろん寝るだけの関係で、卒業したら関係は自然消滅し、その先輩も今や結婚して一児の父親になっている。
 真野は父子家庭で育ち、愛を知らない。ただ生きてきただけだ。食欲のように性欲もあり、それを処理する相手に男を選んだのは、女性では幸せな家庭を夢見る女性に対して酷い態度で接するのはさすがにマズイと思ったからだ。
 男との関係なら、将来の心配をする必要がない。関係の先なんてない。そう割り切りやすかったからだ。
 その真野の感情を須佐はそこまで根深い物だとは思ってなかったのかもしれない。須佐には恋人がいるのだが、自分が幸せなので友人にも幸せになって欲しいと思っているのだろうが、それが最初の失敗の代償が大きかったといえる。
 あの刺された事件で、真野はますます相手に恋愛感情を求めなくなったのだ。
 だが、成原は少し異なると須佐は思っていた。
 何の感情も持たない相手、裏切ることはないが愛してくることもない相手と、関係を長く続けることはできないのではと思ったのだ。真野を最初に選んだのは成原だ。容姿なのか、何か察したのか分からないが、成原は何かの感情を持って真野を選んだと思ったのだ。
 須佐は成原が真野の心を変えてくれるかもしれないと少しの期待を持っていた。
 だがそれは期待外れとなってしまったようだった。
「お前が何を考えているのか知らないけど、余計なことはしないでよ」
 須佐の気持ちはありがたいが、それでも生まれない感情は元からそうできているのだと真野が告げる。
「気にするな。責めているわけじゃない。ただ成原もいい年だろう? そろそろどっかのいいところの女性と結婚するんじゃないか?」
 成原は今年で三十二になる。さすがに未婚で一族を背負うのはないと真野は思っている。あれだけ打算的に行動できる人間が自分の結婚の有利性を理解しないとは思わないのだ。
 だから、成原の素性が分かっている以上、恋愛に発展しないことを真野が一番理解していたことになる。
「お前……分かってて?」
「当たり前だ。そういうのをだから選んだんだ」
 真野のオッケーという軽い言葉にはそういう意味が含まれていた。
 相手が大企業の人間なら、結婚をしてもまだ求められても恋愛には発展しない。もちろん、妻となる人間もそれくらいは承知している相手になるはずだ。だからそこには感情的なもので人を刺すような人は存在しないはずなのだ。
 愛人という立場でも甘んじて受ける気でいる真野の覚悟はある意味、成原への執着だ。
 その執着の意味を真野が理解できるかは、成原の行動にかかっていると言ってよかった。
 須佐にはその執着だけは見て取れていた。

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