Eureka

4

 真希が目を覚ましたのは、次の日の朝だった。
 しかし明るくなって目を覚ましたのではなく、お腹が鳴った音とそれを引き起こした、美味しそうな食べ物の匂いのせいだ。
「……なんか……美味しそうな匂いが……する」
 起きだしてふと気付いたが、真希は誰かの服を着せられている。
「……あのまま寝たんだ、僕」
 ゆっくりとベッドから出ると、パジャマの上着を着せられているだけであったが、真希はここがどこだか思い出して、このままでいいかと部屋を出た。
 昨日、伊計(いけい)に呼ばれて、この部屋にセックスをしにきた。それが長引いて、気絶するまで追い詰められた。それに関しては、後で伊計に文句を言うとして、今は腹を満たしたい。 躰は綺麗に洗って貰えたのか、べた付きは感じず快適だったので、そこの辺りは気にしてなかった。
 部屋に入ると、伊計の部屋のリビングに出た。大きな十二畳のリビングで茶色と白で統一されている家具が並んでいる。そこからダイニングに入ると、伊計が朝食を用意していた。
「起きたか。昨日は悪かったな、ちょっと制御ができなかった」
 伊計が先に謝ってきて、真希は文句を言う口が少し出遅れる。
「あ……うん、でもね……気絶は困るので」
 そう真希が言うと伊計は頷いた。
「そうだな。後がかなり大変だったし、お前も気分はよくないだろうしな。悪かった、次は気をつける」
 更に謝られて、真希は言葉をなくす。
 真面目に反省をされて、真希は怒る気持ちが一気に削がれた。
 呆然としている真希に伊計は言う。
「座って、お腹空いているだろう? レンジで温めただけだけど、食べよう」
 そう言われて見ると、テーブルには日本食がある。どうやら冷凍の焼き魚などを電子レンジで温めると本当にすぐに焼いた状態になるものらしい。他の付け合わせなども全てそれであるが、弁当などに入っていた揚げ物の冷凍食品とは違う。
「最近の冷凍食品って、凄いんだね」
 レンジで温めるのさえ面倒だと、こういうものさえ目にしなかった真希は、これなら自分でも用意できると興味が湧いた。
「最近は何でも冷凍とかチルドなんだが、こういうものが増えてきていて充実してる」
「今日にでも買い込んでこよう」
 真希はそう言うと進められるままに椅子に座り、朝食を頂いた。
「いただきます」
 真希はそれを食べ始めると、作りたての味がして感動した。出されたものは全て完食してしまい、伊計が苦笑している。
「そういえば、お弁当を食べてたな」
「うん、近くにあるからなんだけど……こっちの方が魚がいい感じだから、ご飯だけ炊けばいいし、ストックもできるし、こっちの方がいい」
「買い出しに行くなら、車を出してやろうか? この製品が揃っているところ、ちょっと遠いから電車じゃキツイだろ」
「……え……でも」
 そう真希が言うと、伊計は笑う。
「転入生に店を教えてやっていたという理由が成り立つ。別にやましいことをしてるわけじゃないからな、買い物してるだけだ。やましいと思う人間もそうそういないだろ」
 そう伊計は言うが、伊計の噂が学生を食うので有名らしいので、一緒にいればもちろん食われたという噂が立つだろう。伊計はそれに気付いていないのか、それともそんなのは建前で、ただ一緒に行動がしたいだけなのか。
 目的は何であれ、車を出して連れて行ってくれることは真希には魅力的で、とても嬉しいことだ。しかもお願いしたわけではなく、伊計が申し出てくれたことだから断る理由は世間体くらいのものしかない。
「お願いします」
 真希がそう言うと、伊計は食事が済んだ食器を片付けだした。
「じゃ、三十分後に裏口の玄関に集合」
 時計を見ると九時を回っている。店が開くのが十時らしく、そこまでの移動時間を考えたら、ちょうどいい時間だ。
「分かりました、それじゃまた後で」
 真希は食事のお礼を言った後にそう了承して、非常階段を使って自分の部屋に戻った。


 その三十分後に服を着替えて、真希は伊計の車でショッピングセンターに出かけた。
 休みの日であるから人出は多く、開店と同時に目的の商品は飛ぶように売れている。セールもやっているので、真希は掴めるだけ掴んで伊計に案内されるまま買い物をし終えた。
「は、セール時は地獄だね」
 やっと会計をして外へ飛び出して、車に荷物を運んで乗り込むと、もう真希の体力はゼロだった。こんな状態で一人だったら電車に乗って重い荷物を持ってまだ家まで歩かなければならなかったと思うとゾッとする。
 真希が車に乗り込むと、伊計がペットボトルに入ったお茶を渡してくれた。どうやらこうなるのを想定して用意してくれていたらしい。
「あ、ありがとうございます」
「休みの日は結構地獄だからな。俺が買い出しに行く時は声をかけてやるよ。一人じゃ辛いだろ?」
「さすがに……辛かったです……」
 ただでさえ体力がないところに、昨日の伊計の暴走に付き合ったせいで、更に体力が削られていたせいでもある。
 お茶を飲んでふっと息を吐いていると、伊計が真希に覆い被さってキスをしていった。
「なっ……なにしてんですか!」
 さすがに不意打ちに、真希は反応できずに受け入れてしまったが、よく考えたら、ここは車の中で、店の駐車場である。誰が見ているのか分からない場所でいちゃつける立場ではない。
 しかし伊計は悪いと思ってないようにニヤリとして言うのだ。
「隙があるからいけないし、お前の唇が誘ってくるからな」
「外ではしないんじゃなかったんですか?」
 真希が警戒して文句を言うと、伊計はそれでも笑っている。
「少しくらいなら、誰も見てない」
 駐車場は人が沢山いるが、皆自分の荷物と格闘していてこっちに気付いてはいなかった。だがそれでも、これに慣れるのは嫌で真希は文句を言う。
「次はしないでください」
「分かった分かった」
「分かってないでしょ……その言い方」
「分かったって」
 真希が文句を言う前に、伊計がニヤリとしているが、あれはまたやる気はあるという感じだ。
 しかし、そんな状態を硬直させることが起こる。
 いきなり車の窓がコンコンとノックされたのだ。
 ハッとして二人がその窓を見る。真希の助手席側の窓がノックされていて、そこに一人の痩せ型の中年男性が立っている。
 真希はその人物を知っていた。
 伊計が慌てて車から出て、外にいる人と対峙した。
「こんにちは、伊計先生」
「ああ、こんにちは、加藤先生。ああ、上沢(かみざわ)先生も一緒でしたか」
 伊計がそう言うので、真希はギクリとする。
 加藤忠、学園の化学教師だ。もう一人は現代社会史の上沢弘城(かみざわ ひろき)だ。
 一番、顔を覚えていろと友人の濱田に注意された二人組の教師だ。よりにも寄って伊計といるところ見られるとは思いもしなかったことだ。
 真希は加藤の授業は受けているが、警戒して目立たないようにしていたので、加藤と目を合わせないようにしていた。なので、相手は真希を転入生としか認識していないと思っている。
 伊計といるところを見られるのは非常に厄介なことであるのは、濱田達に聞いた話の時に言われていたことだ。伊計が食った学生を彼らが脅して食っている。その標的に真希がされるかもしれないのだ。
「今日はデートですか?」
 加藤がそう尋ねている。
「いえ、頼まれて友人にこのショッピングセンターを案内していたんですよ。引っ越してきたばかりで便利な安い店を知らないっていうので」
「へえ、そうですか。私はこの友人という人を知っている気がするのですが?」
 加藤がそう言うのと同時に、上沢が真希の座っている助手席を覗き込んでいる。
 真希は上沢の授業の現代社会は選んでいないので、上沢とは面識はない。
 顔を見ないように伊計の方を見ていると、上沢が真希をじっくりと眺めているのが視線の圧で分かる。
「そりゃ知ってるでしょうね。学園の学生です。たまたま家が近所で同じところに出かけるから一緒しているんですよ」
 伊計がにっこりとして加藤にそう言っている。
 確かに怪しくはない言い訳だ。偶然一緒のところに行くのに、一緒に来たと言えば、角は立たないし、怪しまれはしない。
 実際荷物は後部座席に載せてるし、怪しいことはさっきのキスを見られているかいないかの一つにかかっている。
「ああ、なるほど。しかし学生を特別にしていると問題になりますよ」
 そう加藤が言い出したのだが、伊計はカチンときたらしく言い放った。
「やだなぁ。放課後、特別に学生を視聴覚室に連れ込んでいる方が問題だと思いますよ。視聴覚室の使用は授業に限るっていう、理事の指示があったばかりじゃないですか」
 伊計がそうはっきりと言った。
 お互いがお互いのやっていることに口出しをしないことで関係性が成立している。その関係性を崩すなら伊計にも考えがあるという意志だ。
 加藤の勝手過ぎる行動が一時的ではあるが問題化しており、悪行がバレるのも被害者次第という事態になっているようで、伊計はそのことで牽制をしてきたのだ。
「私が近所の転入生に親切にしたからって、問題になるとは思いませんけど?」
 そう伊計が言うと、誰のことを言っているのか加藤にも分かったようだった。
「それもそうですね。まあ、伊計先生がお困りのようなら私がその後を引き継ぎますよ。こうやって連れ出しても問題はなさそうですし?」
 加藤も伊計の相手である真希には興味があるのが、それとも伊計が頑なに真希を渡そうとはしない意志を見せたせいなのかは分からないが、とにかくそんなにいいのならお下がりを貰うと宣言している。
「大丈夫ですよ。私だけで間に合ってます」
 伊計はそれでも断っている。
 珍しく伊計が執着し始めている真希の存在に加藤が興味を持つのも仕方がないことなのだが、それが真希には分からない。
 伊計がいつか飽きて、真希とは寝なくなるかもしれないが、だからと言って真希を抜きにして勝手に受け渡しができるわけではない。
 真希は段々腹が立ってきて、加藤に言い返していた。
「勝手に僕を右から左にしないでください。僕にだって意志はあります。いい加減にしてください二人とも」
 頭の上で喧嘩が始まってしまい、真希も大人しくしていたが、自分を抜きで話がどんどん進んでいることは我慢できることではない。
「……なるほど、確かに。今日はこの辺で」
 加藤の方が先に引き下がった。
 真希が首を突っ込んでくるとは思ってなかったようで、助手席から真希を覗き込み、ニヤリと笑った。
 ちょうど真希がそちらにいた上沢が引っ込んだのにホッとしていたところだったので、真希はビクリと震える。細く長い瞳がしっかりと真希を捕らえている。
 正直に言って加藤は好みではないので、加藤と寝るなんてことは天地がひっくり返ってもあり得ないのだろうと思うほど、真希の好みからは外れている。
 冷静に考えても加藤の誘いだったら殴ってでも逃げたほどに、真希は加藤に対しての恐怖の方が強かった。
 教師に対してこんな気持ちを抱くのが初めてで、真希は戸惑った。
 しかし加藤は真希の顔を確認するとすっと顔を上げた。
「それじゃお邪魔しました、伊計先生」
 加藤はそう言うと上沢を連れて駐車場を奥の方へ歩いていく。
 伊計はそれを見送ってから車に乗り込んだ。
「……たく、嫌なヤツに見つかったな」
 伊計がそう言うので、真希が言った。
「僕の意志なく、僕の取り合いをしないでください。馬鹿じゃないので分かります」
 真希がそう言うと、伊計は真希を見て言った。
「選ぶ権利があったら、加藤と寝るのか?」
 伊計がとんでもないこと言い出したので、真希は起こる。
「あのですね。僕にも好みというものがあります。正直加藤先生を不気味には思っても、寝ようなんて思いませんし、無理矢理だったら殴って逃げます。それくらい、嫌です」
 真希がはっきりと加藤が嫌いだと言うと、伊計はぶっと吹き出して笑う。
「あははは、そこまで嫌なのかっ」
 伊計はそこまで嫌われる加藤の存在がおかしくて笑っている。
 しかし真希には笑い事ではない。
「なに笑っているんですか。あなたが僕に飽きて関係が終わったら、無理矢理でも食ってやるって僕は宣言されたんですよ。ふざけないでくださいっ」
 冗談じゃないと鳥肌が立つほどおぞましいと真希が躰を震わせて、手で自分の躰を何度もさすった。
 思い出してもゾッとする獲物を舐めるように見る加藤の目。
 あの目に見られるだけで、心底おぞましいモノを見たという気になるのだ。
「とにかく、加藤の周りに気をつけろ。部屋に呼ばれたら俺を呼ぶか友達と一緒にいけ。加藤に手出しができないように、一人で行動は避けた方がいい」
 そう伊計が言い出して、真希は拗ねながらも言った。
「最初から気をつけてた。今日、目を付けられたんだ。先生のせいでね」
 真希がそう言って文句を言うと、伊計は確かなと納得する。
 そもそも用心してお互いの家に裏口を使って移動しているくせに、こういうところでイチャついていたら、そもそも意味がないのはさっきの加藤の言動で分かったことだ。
「その、買い物は素直に嬉しかった。ありがとう」
 真面目に伊計が反省していたので、真希がそう今日の買い出しのお礼を言うと、伊計はふっと笑って言った。
「どういたしまして」
 そう言うと伊計は車を発進させた。


 ショッピングセンターから出て行く伊計の車を、上沢が運転する車が跡を付けていく。伊計がどこに住んでいるのかは、教員用のアドレスで知っているが、問題はそこではない。 伊計の家の近くに住んでいるという手島真希の家の方だ。
 手島真希は、一人暮らしであることは知っている。学園に転入するために親元を離れて一人で暮らしていることは、話に聞いていた。
 少し特殊な理由で転入しているようであるが、その理由は明かされてはいなかった。
 よほど偏見を与える理由なのだろうか。それは分からない。
 しかし、今日伊計と一緒にいる真希を見ていると、理由が分かった。
 真希と伊計はキスをしていた。それも少しだけだったが、そういう関係になっていることは明らかだ。
 更に伊計が異様に学生を庇った。
 普段なら興味をなくした後の学生には一切の興味を持たないし、付き合っている間であっても庇うような神経はしていなかった。
 上沢は伊計と付き合っている学生に手を出したこともあるが、伊計の方がその後の関係を切ってしまい、学生は傷ついて退学をしてしまったこともあった。
 基本的に伊計は上沢や加藤にとって、ゲイである生徒、しかもネコである確認に使っている存在だった。
 だが、前回の伊計の相手と言われていた学生の原は、その後バイになりタチとして、同級生を食っているという。これではネコとしてはあまり好みではない存在だ。
 なぜ伊計がこの原と付き合っていたのかは分からないが、伊計の心情の変化があるのか。しかし転入してきた真希と接点はほぼない状態なのに既に手を出していたのは意外だった。
 用心して真希を食うのは後回しになるかと思っていたのだが、速攻に手を出し、休日に連れ回すような関係になっている。
 今までの伊計は、学生を外で連れ回すことなんて一度もしたことはない。これまでの相手も皆学園内でしか関係を持ったことはないという。
 それが家が近いというだけで、こうまで対応が変わるのだろうか?
 何かあるのではと加藤が疑い、跡を付けるように上沢に頼んだ。
 上沢はこういうことは得意だった。レンタカーを借りていたので、それで跡を付けた。
 二人は真っ直ぐに住宅街に戻り、伊計の住んでいるマンションに入った。
 そのまま荷物を持って上がるようなので、上沢は宅急便の人が出てきたところを上手くマンション内に入った。先にエレベーターに乗って伊計の部屋の一階上で降り、階段の方で待ち受ける。
 するとエレベーターが降り、上がってきたエレベーターは一回下で止まった後に少しだけ開いていて、伊計と真希の話し声がした。
「今日はありがとうございました」
「どういたしまして。またな」
「はい」
 そう言うとエレベーターが一階上に上がって止まる。
「どういうことだ?」
 上沢は首を傾げていたが、降りたのは真希だ。
 真希は上沢の気配には気付かずに、一番奥の突き当たりの部屋まで重い荷物を両手に持って歩いていき、その部屋に入っていった。
 上沢がそれを確認してから部屋に近づくと、その部屋の表札は手島になっていた。
「同じマンションに住んでいるのか……なるほど」
 上沢はそれを確認するとすぐに階段に移動して加藤に電話をかけた。
「自宅は分かりました。はい伊計と同じマンションです。最上階の部屋で……ええ、多分親の持ち物ではないでしょうか? それじゃ戻ります」
 上沢はそれを報告すると、マンションを後にした。

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