carry off

6

湊谷峻が大学に出てきたのは、阿達と別れてから一週間後だった。
 とっくに単位も取ってしまい、就職も決まっている峻には大学に来るのは、提出物を返還される時だけだった。
 今日も提出したノートの返還があり、そのために大学に出てきた。
 歩いていると同じ同好会に参加していた今宮成希が峻を見つけて近寄ってきた。
「おお、湊谷じゃん、久しぶり」
「あ、今宮、そういや就職いいところに決まったって聞いたよ」
 峻も和やかに話しかけると、今宮はにこりと笑った。
「そうそう、第一志望に受かったわけ、まさかね~とは思ったけど、受かったのそこだけだからラッキー中のラッキーなわけ」
「そうだったんだ、それは本当にラッキーだったな」
 そう話していると今宮が少しだけ表情を暗くして言った。
「あのな。お前、阿達となんかあったん?」
「……あー……うんまあ、喧嘩したというか」
 今宮の心配事は何のことか峻には分かっていた。
 峻と阿達はまだ喧嘩したままである。
 峻は一度自宅に戻ったけれど、そのまままた真中のマンションに入り浸り、着替えや要るものを持ち込んでほとんど住んでいる状態になっていた。
 なので阿達には会っていない。
 それからスマホは真中が買い換えてしまった。
 番号も変えてしまい、アプリも新規でIDを取り直した。
 なので阿達からは峻に連絡をする手段がなくなっている状態だ。
「あとスマホをお風呂に落としちゃって、水没で買い換えたから誰の連絡先もわかんない状態」
 そう峻が自然に言うと、今宮がああっと納得したように言った。
「だよな、連絡先あるのに使われてないとか言われたし、阿達が連絡取れないって言ってくるから、おかしいなあって思ってて。でもお前の自宅知らないから、わざわざ尋ねなくても大学に来るときに聞けばいいかって思ってたんだけどさ……」
 そう今宮が言うのだが、その先はさらに怖いことになっていた。
「阿達がさ、お前と付き合ってるって言い出して……」
「……え? 阿達が?」
「ああ、なんか三年くらい恋人だからって言い出して。確かにお前たち仲良かったけど、そういう雰囲気なかったから、何言ってんだってなってよ……で、どうなんだ?」
 そう今宮が言うので峻は頷いた。
「た、確かに付き合っていたんだけど……その、喧嘩した後、会ってないし、その別れたくて、それで……皆にバレないうちに別れた方がお互いのためかなって思ってたんだけど、あれだけ他に知られるの嫌がって三年も黙ってたのに……別れられそうになったらそうするんだ……あいつ……」
 峻は落ち込んでそう言っていた。
 嘘を吐いているわけでもない。本気で阿達とは別れようと思っていたし、連絡を取れない間に先に阿達の方が呆れてしまうだろうと思ったのだが、事態は違う方へと進み始めていた。
 まさかあの阿達が、別れを察知して周りに峻との関係をバラすとは思いもしなかったのだ。
これで計画通りに別れることはできなくなった。
 だから峻は正直に話した。
「実は、喧嘩した後にずっと真中先輩と先輩の家で一緒にいて、その、告白されて付き合うことにしちゃって……」
 そう峻が言うと今宮が唖然とした。
「え、なに、真中先輩ってあのモデルの!? マジで? あの人そっち系だったんだ!?」
「俺もそうだと思わなくて……阿達のことを相談していたら、その阿達を辞めておけって言われて」
 そうして峻は自分が奴隷のように阿達に使われていたことを正直に話した。
 これは真中にそう言った方が同情が得られると言われたことだ。そうすれば大抵の人は、峻が乗り換えた理由に納得してくれると言った。
 案の定、峻が阿達の掃除洗濯から全ての家事をやらされていた上に、付き合っているけれどキスしかしてなかったことまで暴露すると、今宮は物凄く同情的になった。
「なんだそれ、奴隷がいなくなるから、関係を今まで隠してたのにバラして自分の同情を誘うために、大したことじゃないことで喧嘩して怒らせたって言ってんの?」
「えーと、俺が真中先輩を睨んでたとか、苦手だってことでちょっと避けてたのは事実なんだよ。態度悪かったと思うし、それで阿達が怒ったのは仕方ないんだ。けど、それで冷めたとかあり得ないから離れて歩けとか言って、俺が具合悪くなって座り込んでいるのを見ても放置して帰ってしまって、それをたまたま見ていた真中先輩が察して助けてくれて、それで……」
 阿達のことも相談をしたという流れになったと言った。
 そして真中は峻のことをずっと好きだったけれど、阿達のことが好きだろうからと諦めていたが、そういう状況なら別れて俺と付き合った方が千倍も幸せだと言い、付き合おうと猛アタックしてきて、一人にすると危ないからと自宅に泊めてくれ、色々と二人で楽しく一週間を暮らしてしまったと峻は言った。
「なんか、二人で色んなことやってたら、すごく楽しくて、そしたらなんか好きって気持ちが湧いてきて、いつの間にか先輩の優しさに……その……ころっと」
 峻は惚れっぽい自分も悪いけれどと言い淀むのだが、今宮はそれを聞いて言った。
「いや、それもうDVみたいなもんだし、真中先輩かっこいいし、断然俺はそっちの方を応援する」
「え?」
「前から、阿達の湊谷に対する態度、酷いなって思ってて、でも湊谷がそれでいいなら口を挟むことでもないかなと思ってたけど、今回、あいつOB同窓会もしくじって、後輩からも総スカン食らってるんだよ、責任放り出して事後処理もしてないらしくて。それってお前のこと探してどうにかしたいから、全部放り出したってことだよな? さすがに阿達の肩は持ちたくないなって」
全てが繋がったと言わんばかりに今宮が言い出した。
 そこに他の同回生がやってきて、峻を見つけて阿達のことを聞いてくるが、それを今宮がさっき受けた説明を蕩々と話して聞かせてくれ、全員が峻に同情的になった。
「なんだよそれ、阿達ひでーな」
「そりゃあいつ、就職先も見つからねーわ、態度にでてんだろうよ」
「前からそういう感じだったし、OB同窓会も一人で勝手に盛り上がってやり始めて、俺らの力は要らないとか言い出して、一切手出しさせないから、手柄総取りしたいんだろうなと思ってたけど、しくじっているし」
 どうやらOB同窓会の話が聞こえた時に手伝おうかとここにいる人たちは阿達に相談はしたようだった。けれど高圧な態度で断られたらしい。
「お前さ、阿達はやめておけ、マジで駄目。友達ならまあ、仕方ない部分もあるけれど、恋人はあかんやつだ」
「完全に阿達はDV男だろ、洗脳されてないか湊谷~」
「そこを颯爽と掬う真中先輩、かっこよすぎだろ~さすがイケメンだ~」
 どうやら同回生たちは、真中が用意した嘘のないシナリオ部分、阿達の酷さの方が腹が立っていて、そこに共感して悪口合戦になってしまった。
 峻と真中が付き合うことにしたという部分はもはや些細なことで、峻を颯爽と助けた真中先輩という存在は英雄に映ったようだった。
 まさか、欲だけで繋がっている二人が付き合っているとは思ってもいないらしい。
 真中への信頼が高いようで、阿達の評価が下がっていることもあり、真中が狙った通りにその話はあっという間に広がってしまった。
峻は同情をされ、阿達と会うこともなく二人は別れたことにされた。
 多少は峻の薄情さもあってか、阿達が峻を寝取られたと思った人が阿達の味方になっていたが、その味方にも阿達は暴言を吐いたらしく、阿達の味方は一斉に消え、さらに同好会の引き継ぎをせずに雲隠れしてしまった阿達は、後輩からの信頼も一切合切失った。
 峻はそれを恐ろしいと思った。
 ただ真中の言う通りにすれば、阿達とは別れられると言われたのでその通りにした。
 真中と本気で付き合うつもりはなかったけれど、真中の言う通りにしていれば、阿達との縁は切れる。
 それだけだったのに、阿達は自ら招いた結果でもあるが、大学卒業だけはなんとかできている状態で就職活動さえどうなったのか分からないまま、住んでいたマンションから引っ越して田舎に帰ってしまっていた。
「なんか、親御さんに連絡入れた人がいたらしくて、それで卒業式には出ないまま地元に連れ帰られたみたいだって」
 同じマンションに住んでいる後輩がその引っ越しを見て声を掛けたところ、実家に帰るのだと親御さんから話を聞いたらしい。
 実家に帰ってから見合いして結婚をし、家業を継ぐことまで決まっていたらしい。
「なんか、男同士で付き合っていたこと知ってたんじゃないかって、それで慌てて地元に呼び戻して結婚ってことらしい」
 と言われて峻はホッとした。
 ホッとしたのは、親御さんに迷惑をかけてなかったことだけだ。
誰が連絡をしたのか分からないが、阿達は身動きができないままに追い詰められていただろうから、何か起こる前に実家に帰ることは悪いことではないと峻は思った。
 それに見合い結婚をするということは峻のことにこだわっている状況でもなくなるだろうし、何より就職が決まっていなかったことから、追い詰められて阿達が自殺なんてことになったら目覚めも悪いことだった。
 その全部が実家に帰ったことで解消されるなら、それでよかったと思った。

 けれど、そんな峻が久しぶりに自分のマンションに戻ると、その玄関ドアの郵便受けにたくさんの手紙が入れられているのに気付いた。
 玄関を開けたら手紙が雪崩れるように玄関まで溢れたのだ。
「……え?」
 真っ白な紙に直接何か書いている用紙が百枚くらいはあった。
 それを峻は拾い集めて、とりあえず部屋の中に入れた。
「……なに、これ」
 一瞬で恐怖になるも、その手紙を開けてみて分かった。
 手紙には「悪かった」と書いてあったり「お前が悪い」と書いてあったり「何処に居る、なんで電話に出ない」などスマホを買い換えたことで連絡が付かなくなってからの二週間以上、手紙を入れることで連絡を取ろうとした阿達の乱れた文字が書かれているものばかりだった。
 一度目に帰ってきた時はまだスマホが使えたけれど、すぐに真中が買い換えてしまい、元のスマホも携帯会社をも変えたせいで、連絡先も入っているのにスマホごと水没させられたせいで、分かる連絡先以外は誰とも繋がっていなかった。
 阿達以外に友達らしい友達がいなかった峻なので、連絡先を覚えてられる同回生はいなかった。
 それもこれも全部阿達が嫉妬をするので連絡をしなかった結果、誰の連絡先も覚えてられるほどの付き合いもなかったせいだ。
 阿達は峻のことをどう思っているのか分からないが、混乱した様子は手紙で見て取れた。
悪かったと言いながらお前も悪いと言う。そんな混乱から、実家に帰ること、就職先は見つからなかったこと、幼なじみと見合いすること、そして峻とは縁がなかったのかと言う自問と、親が察していて到底峻とは暮らせないなど、この手紙を通して阿達がだんだんと追い詰められるも、峻から解放されていく様が読み取れた。
「もしかしなくても……話し合いであっさり別れられたのかもしれない……」
 自然と縁が切れる形にしなくても、ちゃんと別れることを言えば、阿達だって我が身を振り返って応じてくれたんじゃないかと思えるほどで、最後の日付はちゃんとした文字で乱れもなく書かれていた。
『きっと巡り合わせが悪かったのだと思う。もう会うこともないだろうし、峻はきっと俺のことは嫌いになっているだろう。それでいいと思う。俺は碌でもなかったし、何も考えていなかった。峻との未来もまた考えていなかった。見合いをした。いい人で、峻のことを話したけれど、きっと恋をしていただけで愛していたわけではないのだろうと言われた。その通りだったと思う。だからここでお別れだ。楽しかったのは俺だけかもしれないけれど、それでも峻と居た日々は宝物です』
 それが最後の手紙だったのだけれど、それを読み終えた時に玄関先の郵便受けに手紙が入った。
 カタンと音がして峻はハッとする。
 しばらく眺めていると玄関先にいる人が去って行く音がした。
 階段を下りていく音がして、峻はゆっくりと玄関先に近づいた。
 郵便受けには手紙が入っている。
 真っ白な手紙はさっきまで読んでいた手紙と同じだった。
「……っ」
 それを峻は手に取り、手紙を開いた。
「……ひっ」
 それを見た瞬間、峻の手から手紙が落ちた。
 手紙には一行だけ文字が書かれている。
 それは。
『峻を諦めない、絶対に諦めない。まさか真中先輩に寝取られてたなんて許せない』
 そう書かれている。
 どうやら阿達は噂を耳にして、峻と真中が付き合っている事実を知ったようだった。
 もちろん、それも峻が真中と計画した、阿達と別れるために用意した関係であるが、それを阿達は許さないと言い出したのだ。
 さっきまで読んでいた手紙にはちゃんと別れることを望んでいたのに、いざ峻が誰かのモノになっている事実に阿達は耐えられなかったようだ。
つまり綺麗に別れてやるけれど、峻に新しい恋人ができるわけもないという、峻を見下した上での別れの宣言だったのだ。
 何処までも峻を見下している阿達の態度が透けて見える内容だ。
 しかし田舎に帰っているはずの阿達がまだこの辺にいるのもおかしな話である。
 それが気になって窓から外をスマホの写真機能を使って見てみると、女性が一人立っていて、こっちを見上げている。
 あの人が手紙を入れた人だったのかは分からないが、いつまでも峻の部屋を睨み付けているのだけであるが峻はそれを拡大して写真だけは撮った。
しばらく睨み付けていた女性はそれから五分くらいすると、近所の人が歩いてきたことに気付いて慌てて駅の方に去って行った。
 それを見てから峻は荷物を大きなバッグに入れ、持ち出せるものをありったけ持って部屋を飛び出し、すぐに反対側の駅に向かって走った。
駅に着いてから、どうするか悩んだが、結局真中を頼る以外の道が峻にはなかった。

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