carry off
1
湊谷峻(そうや しゅん)は学内を歩いている時に、阿達辰也(あだち たつや)を見つけた。
パッと笑顔になった峻はすぐに阿達に駆け寄って声を掛けた。
「辰也~」
阿達はその時は誰かと話をしているところだったが、すぐに峻の声に気付いて振り返って手を振ってくれた。
「おお、峻、こっちこいよ」
阿達がそう呼び寄せているので峻はニコニコとして近寄った。
峻は、阿達とは三年前からいい仲になり、ただの友達ではなくなった。
峻から告白をして阿達とは恋人同士という関係だった。
ただまだセックスなど、そういうことはしていないが、それでもデートは何度も重ねている。そういう身体の関係になる機会は幾らでもあるし、今は就職活動の時期だから、控えているのもある。
就活が終わってしまったら、改めてということで話は付いていた。
そんな関係だから、峻が阿達に見せる表情は別物である。
「何してんの? 辰也?」
可愛く首を傾げて峻が言うと、阿達は少し顔を赤らめて咳払いをして言う。
「峻も会ったことあるだろ? 真中先輩」
そう言われても峻は咄嗟には思い出せなかった。
「……? 真中先輩って?」
先輩にそういう人がいただろうかと自分の記憶を漁ってみるも思い出せない。
知り合った先輩は忘れたことはないくらいに、可愛がって貰っているから、名前に聞き覚えがないということはないはずだった。
「ほら、俺らが一回生の時に四回生だった、真中先輩だよ。かっこよくて評判だった人だよ」
「え、四回生って、一回生のほぼ終わりに、追い出しで会ったくらいの人はさすがに覚えてないんだけど……?」
峻がそう言った。
峻は阿達に誘われて入った温泉同好会という所謂温泉にかこつけて飲み会をする集団に入ったのは一回生の終わりだ。それも四回生を追い出すパーティーに参加しただけだ。
しかもそれから三年も経っていて、峻たちは四回生になっている時期である。
そんな瞬間に会っただけの人を覚えていられるほど峻も記憶力は良くなかった。もしその後もOB会などで会っていればもちろん覚えているけれど、真中という名前に聞き覚えはなかった。
「あーそっか、先輩、OB会もすっぽかしてたもんね」
やっと阿達はそう言って、峻が真中を覚えていないのも仕方ないと言う。
すると阿達の隣にいた人が言った。
「酷いなー、トイレで吐いていた阿達のこと介抱してやって、ちゃんと君に渡したのに、覚えてないのか」
そう言われて峻は改めて隣の人を見上げた。
モデルではないだろうかと思えるほど、綺麗な顔立ちにかっこいい容姿、高そうなブランドのジャケットに時計、靴までもピカピカとしており、明らかに峻のような貧乏学生とは違う世界の人が立っている。
その人に峻は一瞬も気付くことなく、阿達に夢中だった。
さすがにそれはその人物も気付いていたようで、なんだか機嫌が悪そうである。
「あ、ごめんなさい……あの時は俺も酔っていて、なんか覚えてなくて……」
あの時はとにかく知らない人たちに飲まされ続けて、気付いたら隣の部屋で酔い潰れて寝ているところを起こされて阿達を連れて先に帰ったのだ。
「あ、そうだったね。気持ちよさそうに寝てたなあ。そっか覚えてなかったんだ」
その人はそう言い、ニヤリと笑った。
それがなんだか嫌な気分だったあの時の酔いを思い出し、峻は少し怯える。
あの時はとにかく悪い酔い方をしてしまい、記憶が曖昧だった。
さらに身体があちこち痛くて、びっくりするほど寝込んだ。お腹を下したし、悪いモノでも食べたのかという下し方で丸一日寝込んでしまい、酔いから冷めた阿達に看病をして貰った。
だから思えばあの時のことがあるから、阿達とはよい関係になれたけれど、あの不気味な体調不良はしばらく思い出して気分が悪くなるほどに酒も飲めなかった。
峻はそれを思い出したが、それと同時にこの人が真中先輩なんだと気付いた。
「えっと、もしかして、真中先輩ですか?」
恐る恐るというように峻が言うと、真中はニヤリとして言った。
「そうだよ、俺がその真中。まさか、俺を覚えてないとは思わなかったなあ」
真中がそう言うので阿達を見ると阿達が慌てて言った。
「あ、こいつ、高い服のファッション雑誌は読まないんで……先輩の活躍は見てないもんで……まさか覚えてないとは……」
「だって、十人くらい一斉に紹介されて、三回生も二回生も紹介されて、四十人以上初対面で覚えろって無理」
峻は開き直ってそう言うと、それには阿達も仕方ないという顔をした。
「すみません、先輩。他の四回生は集めますんで」
「いいよ、別に。ちょっと教授のお祝いで顔を出しただけだし、それに次のOB会は参加するから、その時で」
「あ、そうですが分かりました」
阿達と真中が二人で少しだけ話して、真中はさっと帰って行ってしまった。
その様子を見送った阿達が、はあっと深い息を吐いた。
「どうしたの?」
「いや、心臓に悪いってお前……」
「なんで? 俺が覚えてないから?」
「それもあるけど、真中先輩を覚えてないどころか、見ても何にも言わないからさ」
そう阿達が言うのだけれど、峻には何が言いたいのか理解ができなかった。
「何もって、何を?」
本当に何が言いたいのか分からないけれど、阿達はそれにも驚いている。
「いや、あの人、かっこいいじゃん……だから」
「……あーそういうこと? 俺の好みじゃないんだよね。ああいう人なんか、こうかっこいいの分かってて行動してるから、自信満々で自分に何の不満もないって感じで、向上心がきっとない感じ。完成しちゃってて、俺がどう思ってても関係ないってところが、そそられもしないんだよね」
そう峻が言うと、阿達はキョトンとしている。
「それって、お前が真中先輩を好きになっても、どうにもならないからつまらないって聞こえるんだけど?」
「まさにそういうことだよ。俺で変化する人じゃないでしょ? それじゃ俺が楽しくないもん。阿達は違うじゃん、俺がこうした方がいいよってアドバイスしたら考えて直してくれたりするけど、あの人、そういうところ一切なさそうで、きっと生まれた時から特別枠でやってきたんだろうなーって思うと、俺の兄貴に似ててやな感じ」
峻の兄は優秀であり、イケメンで何でもそつなくこなし皆の人気者である。
そのせいで峻は比べられて育ってきたせいで、とうとう大学では遠く離れた東京に進路を変えた。
兄は地元の有名大学に進学をしていたので、やっとその環境から逃げられたわけだ。
「そうか、峻は苦労したんだよな~。俺もあのお兄さんはちょっと苦手だから、分かるかな。でも真中先輩がそういう人でも、峻もあからさまに態度に出さないでな、一応卒業生で偉い感じなんだ」
そう阿達に注意されて峻は頷いた。
「分かったって、もうたぶん会うことないんだろうし、会っても年一くらいだから、その日は我慢するよ」
峻があからさまに真中に興味を持たないことで阿達はホッとした様子だった。
それもそのはずだ。誰でも真中には興味を持ったし、惚れる人もいる。元同好会内では、そのせいで恋人関係だった人たちが何人も別れて、クラッシャーという名前が真中についてしまったのだが、それでもそういう事例は後を絶たず続いたせいで、真中だけが悪いわけじゃないというのが一般の人の解釈である。
恋人同士という関係にありながら、真中に靡くのも貧がない、その程度の思いだったのだと言われたらその通りで、大抵恋人同士が喧嘩別れをしてしまうが、もちろん壊した真中は知らん顔どころか、自分がどうして関係しているのかと平然と言うような人である。
大学を卒業してからモデルになって結構売れているのだが、それは峻にとって元から居ない人なのでどうにも感じようがないらしい。
「まあ、そうしてくれ」
阿達はそう言って笑った。
その後二人はいつも通りに授業を終えてから、阿達の家に行き、二人で楽しいデートをした。
デートとはいえ、キスをしたりするくらいでその先の関係にはまだなれない。
お互いが落ち着いてからという約束であるが、ほぼ就職が決まっている峻とは違い、阿達の面接具合は芳しくはなかった。
息抜きで会っているうちに、関係は少しだけ悪くなっている。
峻のように、就職が簡単に決まる人は少ない。
峻はバイトに入った先で紹介されて、そのまま社員に昇格が確約されたという特殊な環境で決まったもので、普通に面接を受けている阿達は、妥協をしないせいで現在十者以上をお断りされている。
ランクを落とせばもちろん、すぐに就職先は見つかる立場であるのに、峻よりも良いところに就職をしたい阿達のプライドが高いせいで、余計にこじれている。
だからなのか、大学で会う時は普通に接してくる阿達であるが、二人きりになると峻を召使いのように扱い始めていた。
「辰也、また散らかしてる」
部屋に入ると、前回来たときに掃除をしたままのようで、部屋がゴミだらけだった。
「あー、忙しかったしな。やっといて」
「あーもう、洗濯も溜まってる!」
「回しといて~」
「部屋の中にもゴミだらけじゃん、座るところないし!」
「掃除やっといて~」
「……ほんとにどうしようもなくなってる」
最近はこの流ればかりである。
食事や風呂、洗濯物まで阿達の分を峻が全部まかなってしまっている。
それを阿達は当然と思っているようで、その感謝もなくなってきていた。それでも峻は阿達のことが好きだったので尽くしていた。
このことを誰かに話したことはなく、峻はそれが普通だと思っていた。
しかし、そのことを最初に指摘してきたのは、苦手なはずの真中からだった。
阿達に強引に誘われて出席を余儀なくされた、OBの同窓会。
追い出し会の前に四回生が開く習わしであるが、そのほとんどは出席はしていない。それどころではなかったし、大学を卒業してOBとして顔を出すことはない人は、基本出ない。
それでもOB会は卒業から十年以上経っても毎年出席している人もいたし、気が向いたらやってくる人も多かったので、毎年必ず開催されている。
四回生がこれを実施してメリットがあるのは、就職活動が上手くいっていない人が、そのOBの力を借りて良いところにコネで入社させてもらうことくらいだ。
しかし今年は阿達だけが就職が決まらず、他の四回生も峻も全員就職が決まっていた。
だから卒業ができるかどうかに掛かっている四回生は、このOB会で不祥事を起こして取り消しになることを怖がって誰も手伝いにはこなかった。
阿達は一人でそれを取り仕切り、どうやら真中の力も借りていたようだった。
OBたちはその立食パーティーを喜んで受け、会場はいつもよりも人が多めに参加しており、二回生や一回生は給仕に必死だ。ここでコネを作っておく目的もあるので、無給ではあるが、一応のメリットはある。
四回生で参加しているのは、阿達と急遽手伝うことになった峻だけだ。
峻は同好会を引退しているので、手伝う必要はなかったのだが、阿達があれだけ頑張っているなら何かの助けになると思って手伝った。
「助かる、受付は任せるな。終わったら、帰っていいから」
そう言われていた峻であるが、帰る時に会場を覗こうとしたら真中が阿達を連れて会場から出てくるのに出くわした。
「え……あれ、阿達?」
なんだかぐったりとしている阿達に気付いて峻が近寄ると、真中が言った。
「なんか飲み過ぎたみたいだ……体調でも悪かったんだな、息はちゃんとしているから急性アルコール中毒でもなさそうだから、どこかで寝かせておこうと思うんだが」
そう真中に言われて峻は焦った。
そういう段取りは全部阿達の管轄である。
「あ、でも、俺そういうの聞いていなくて……」
「そっか、じゃ二回生の幹事呼んで」
「え、あ、誰だったかな……」
「こういう時のために受付に幹事の子一人置いていくんだ。だから受付にいる二回生」
真中がそう言い出したので、峻は慌てて受付に戻って二回生を呼んできた。
二回生は阿達が酔い潰れている様子に驚いたようであったが。
「あ、ここ最近忙しそうだったし……昨日も徹夜だったから、そこに酒が入ったら……さもありなんですかね」
二回生がそう言うので、峻は驚く。
どうやら阿達は会場の設置から全てホテル任せではなく、自分でやっていたというのだ。それは峻にも秘密だったようで、二回生も引退した峻が知らないのも仕方ないと言う。
「湊谷さんは早々に引退してるし、阿達先輩はOB会が終わってから引き継ぎするまで引退できないから仕方ないですよ」
峻は就職活動が始まった時に早々に引退をし、いざ就職活動をしようとバイト先を辞めようとしたら、会社に引き留めて貰えたのである。
だから暇もあるのだが、引退を一度して追い出し会もやってもらっていたので、復帰はしないままである。
知らないのは当然で、今日の手伝いも緊急のことだった。
そのまま控え室に案内されたが、急に真中が言った。
「このまま寝かせていても、邪魔にしかならないな。一人で自宅に帰しても何かあった時が怖いから、俺が阿達を預かるよ。酒を進めたの俺でもあるしな」
そう真中が言う。
「それ、めちゃくちゃ助かります」
二回生にとっては、このまま阿達を置いていかれるよりは、責任を持って引き取って貰った方が有り難いに決まっている。
「あ、でも、俺が自分の自宅に連れて行くので……」
峻がそれなら自分がと言うと、真中が言う。
「じゃ、君に看病を任せて、俺は家を提供する。で、何かあったら二人で対処するってことでどう?」
そう真中に言われた峻は一瞬訳が分からずにキョトンとするも真中が言った。
「人間、一人で死にそうなことがあったらパニックになって意外に行動できないもんだよ。大の大人ですら、そうなんだから、ここはこの提案に乗った方がお互いのため」
真中は真剣に提案をしてきて、峻はそういうことならこの提案を蹴る意味はない。
阿達の安全を考えれば、真中の提案はしっかりとしているものである。
だから、峻はその提案を受け入れた。
「分かりました……、それでいきましょう」
峻がそう言うと、真中はうんうんと頷いた。
「俺のマンション、隣に住んでいる医者がいて、さっき電話したら診てくれるっていうから、もし何かあっても救急車も呼べるから大丈夫」
そう真中が言ったので、峻もそれなら真中の家に行く以外道がなかった。
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