Allegro vivace

9

 春休みの休日。
 バイトの終わり時間頃になって、阿古の電話に今川からメッセージが入っていた。
「ちょっと、この後時間あるか?」
 というのである。
 阿古は今川のマンションをこれから尋ねようとしていた。
 一昨日旅行から帰ってきて、そのお土産を渡そうと思っていたのだ。賞味期限が短いおまんじゅうが土産なので、早めに渡した方がいいだろうと届けようと思ったのだ。
 そんな中、今川の方からの連絡で、阿古は今川と外で会うことになった。
 今川のマンションでいいと言ったのだが、今川が家は都合が悪いと言うので、近場のお食事処で、個室を借りられた。お酒が多く出るファミレスみたいなところであるが、個室まであって便利だったのだ。
 その個室に先に今川が入っていて、阿古が後から到着した。
「お待たせ」
「おお、悪かったな。急で」
「ううん、これ、旅行のお土産。まんじゅうだから賞味期限が短いから早めに渡そうと思って今日家を訪ねようとしていたんだ」
「お、そっか。サンキュな」
 そう言って従業員に食事を頼んだ後に、静かになると今川が言った。
「お前、旅行先で、遠田に会ったのか?」
「……あ、うん。偶然来ていたみたいで。向こうから声かけてきて……」
 そう阿古が言うと、今川が更に突っ込んで聞く。
「それで、お前自分がゲイだって言ったって?」
「あーうん。裕輔……嗣永もいたし、もういっかなーって付き合ってる恋人だって言った」
「それだけか?」
「それだけって?」
 そう阿古が言うと、今川が言った。
「阿古がおかしくなってる。付き合っているヤツが悪いやつなんだろ。噂を聞いた。別れさせた方が阿古のためだ。そう遠田が俺に言いに来た」
「はあああ?」
 今川の言葉に阿古が意味が分からないと大きな声を上げた。
 幸い、あちこちから聞こえる声が大きいので、大したことはなかった。
「どういうこと?」
 阿古がそう尋ねると、今川が話し出した。
「昨日、母親からさ、遠田が俺の住所を知りたがって会いたがっているって電話があって、まあ何かあるんかなと思って、教えていいって言ったら尋ねてきたんだ。昔のことは自分の勘違いで悪かったとか簡単に謝ってきてな。まあ、それはどうでもいいんだけど。そしたら、阿古のことだけとって言い出して、旅行先で阿古に会ったって言い出したから、家に上げて詳しく聞いたわけ」
「うん」
「阿古にはゲイだったって言われてショックで暴言吐いて不快な思いをさせたから、翌日に泊まっている宿を調べて会いに行ったら、お前が恋人に虐待されているって言い出して、あれじゃ阿古が奴隷にされるとかなんとか。意味が分からないこと言い出してさ。俺と遠田で二人を阿古達を別れさせようとかいう話になった」
「あ……あー、うん、まあちょっとあって、タイミングが悪くて……その」
 やはりローターを入れていたずらされていることには気付かれていたのだ。
「お前、それを嫌がってたわけじゃないんだろ?」
「も、もちろん。そりゃ外へ出るのはちょっととは思ったけど……その後言い聞かせて、もうやらないって言ったから、それはいいんだけど……なんで、遠田が俺のためとか言い出して口出しして当然になってるの?」
 阿古が訳が分からないと言った。
 あの時、阿古は遠田を許してはいないのだ。
 過去のこともなかったことにはしていないし、前日の暴言云々も許す許さないの話は付いていなかった。
 なのに遠田は当然とばかりに、今川まで巻き込み始めたのか。
 どうして急にそんな気になったのか理解できないのは阿古の方だ。
「俺だって訳わかんねえよ。だから、二年以上音沙汰なかった縁を切った友人の戯れ言なんて聞くわけないじゃんって言ったんだよ。そしたら、俺がいつも流れに身を任せている傍観者気取りだの、誤解だったんなら、お前から連絡できただろうとか。今のことだか昔のことだか、訳分からん暴言を言い出したんで、二度と来るなって追い出した」
 今川がそう言った。そして続けた。
「それから毎日、俺が帰宅したら遠田がやってきて、一緒に阿古を助けようとかチャイム鳴らしてくるんで、俺、今青柳のところに避難してんだ」
「あ、だから今日……」
「そう、鉢合わせたら痴話げんかレベルの騒動になるだろうから」
「……なんか、ごめんね」
 阿古がそう謝ると、今川は顔の前で手を振った。
「いや、半分はそうでも、もう半分は俺が火に油を注いじまっただけだし……あいつ、全然成長してねーんだなって。昔から思い込んだら一直線、こうだと思ったら聞かない。昔は融通が利かないくらいだと思ってたけど、妄想も入っててヤバイわ」
 そう今川が言った。今川ですら対処できないほどに遠田は暴走しているらしい。
「でも、俺に直接言ってはこないのは、何でだろう?」
 阿古がそう言った。
 阿古の住所など、高校時代の友人に聞けば割とすぐ分かってしまう。同窓会の案内もちゃんと新しい住所に届いていたから、誰かが知っているはずなのだ。遠田なら、なんだかんだで調べられると思う。
 だがどういうわけか、今川のところで結託してから行動をしようとしているのだ。
「そりゃ、お前の親はお前の味方で、門前払いが分かってる上に、お前は絶対遠田の言うことなんて聞くわけない。共通の友人で阿古が嫌われて困るのが、俺しかいなかったってことじゃね? 俺が何か言ったら、阿古が考え直すとかそういう甘いこと考えてるんじゃねーの?」
「そんなことあるわけないのにね……」
「そうなんだよな。なんでそれがわかんねーのか」
 阿古と今川は二人で溜息を吐いた。
「で、どうする? 遠田は今のところ毎日俺の家に来ている。隣のヤツが同じ大学のヤツなんで、様子見ててくれて、二時間くらい玄関で待ってるらしいんだ。一応、最近帰ってきてないからとは言ったらしいけど、それでも来ているから、あそこまでしつこいなら警察に一言言って貰うって友人も気持ち悪がっててさ」
「……それも手だけど」
「それで俺のところに来なくなるだけで、話は終わってないんだよな」
 今川がそう言ったので阿古も頷く。
「直接、はっきりと関わらないで欲しいって言った方がいいね……」
 そう阿古が言い出した。
「だけど、あいつ、絶対に聞かないぞ」
「それでも、迷惑であることを告げて、それでも駄目なら警察を挟んで親御さんに止めて貰うようにお願いするしかないかな……」
「あー……面倒が目に見えて分かる」
 そう今川が唸る。確かに遠田の両親は偏見の塊の思考を持っている。阿古がゲイであることを知れば、当然阿古が悪いことにされてしまう。遠田の妄想が消えない限り、遠田の両親とも揉めることになるだろう。
 今川は小さい頃から遠田の両親のことを知っているので、その面倒が分かるのだ。
「……このこと、裕輔……嗣永に言ってもいいよね?」
 阿古がそう言い出した。
「あ、まあ、元はといえば、あいつのせいだしな」
 今川が思い出したようにそう言った。
 阿古がその嗣永に電話をかける。
 今川のところで起きている遠田の件を話し合いたいと言うと、嗣永はバイト終わりに駆けつけてきた。
「よう、今川、大変だな」
「お前のせいでな」
 二人はそう言い合ってから、本格的な話に入った。
「要は遠田が何もする気がなくなるような、妄想すら壊す出来事があればいいんだな?」
 嗣永は話を詳しく今川から聞いて、そう言い出した。
「何する気?」
 阿古が心配になって不安そうな顔をしているのだが、嗣永はニヤリと笑っている。
「阿古が心配するようなことじゃないよ。ただ大騒動ではあるかな」
 そう嗣永が言うので、今川と阿古はキョトンとしてしまう。
 大騒動ではあるが、遠田が毒気を抜かれしまうが、警察沙汰にはならない出来事を嗣永が起こそうとしている。
 その出来事を嗣永が説明してきた。
「とりあえず、今川。お前は遠田に尾行されてくるという大役がある。それがないと話は進まない」
「分かった分かった、俺が餌なんだな?」
「阿古と会う予定を匂わせてくれたら、絶対針が食い込んでくれると思う」
「まあ、そりゃなあ」
 遠田が阿古に会う機会を逃すとは思えない。まして今川と会う阿古が嗣永を連れてくることはないはずだと思うだろう。
「阿古にも協力をして貰う。今回は全員に話を通しておいて、遠田を罠にかける」


 嗣永がそう告げた日から一週間後。
 阿古は今川と密に連絡を取って、遠田を挑発しないように計画を実行した。
 阿古はバイトが終わるとすぐにタクシーに乗って、嗣永のバイト先に急いだ。嗣永のバイト先で嗣永を拾って、そのままタクシーは都内のホテルに滑り込んでいく。
「今日で終わらせるぞ。面倒ごとは」
 嗣永はそう言ってタクシーを降りて、阿古の手を取った。
「うん」
 阿古はニコリと笑ってその手を取った。
 さあ、茶番の始まりである。


 遠田晴輝(えんだ はるき)は、その日も今川のマンションを尋ねた。
 今日も帰ってはいないのだろうと思っていたら、マンション前にタクシーが止まっていて、そこで今川が電話をしながらタクシーに乗ろうとしている。
「阿古、今からそっちに行くから、うん、大丈夫一人だって」
 そう今川は言うとタクシーに乗った。タクシーは駅の方へと進んでいくので、遠田は周りを見渡した。すると、ちょうど今川のマンションの住人がタクシーで戻ってきたところに出くわした。
 慌てて駆け寄って、客が降りたタクシーに乗せて貰い、前のタクシーをすぐに追って貰った。
 幸い、横道から大通りに出る信号で今川が乗っていたタクシーが止まっていた。そのままそのタクシーを付けてくれるように頼んで、遠田は阿古のことを思った。
 阿古に再会してから、阿古のことが気になって仕方がなかった。あんな裏切りをした阿古が、実はゲイで悩んでいて進路を変えたと言っていた。
 もしかしてと遠田は思った。阿古は遠田のことを好きだったのではと。まさかと思いながら、確認しようと阿古の元へ行くと、阿古はあの恋人という男に性的な虐待をされていた。
 あの時の阿古は、目に涙を浮かべて助けを求めていたと思う。
 だから、阿古は助けなければならない。それには今川の協力が必要だ。
 だが今川は協力をしようとはしない。あの男は昔から他人が決めたことを馬鹿正直に真に受けて、口出しをしない。
 阿古のことも黙っていられなかったのか、受験が終わってから報告したりしてきて、とにかく大事な時に役に立ったことがない。
 しかし阿古の今を詳しく知っているのは今川しかいない。阿古を説得するには、今川の力も必要だった。
「絶対、助けるからな阿古」
 遠田が今川のタクシーを付けると、都内のあるホテルに止まった。
 どうやら今川はここで阿古に会うらしい。ホテルの入り口を外れたところで止まり、降りて尾行した。幸い冠婚葬祭のパーティーがあるのか、白や黒と様々なドレスや着物姿の人が出入りを繰り返しており、今川の跡を付けるのは簡単だった。
 今川は三回のパーティー会場に入っていく。立食パーティーが多くあるエリアだった。今川は受付で名前を書くと、そのまま会場に入っていく。遠田はそれを見ていたが、招待状は必要ではなさそうだった。
「名前を書けばいいの?」
 そう受付に聞くと、にっこりと「はい」と言われた。
 名前を馬鹿正直に遠田晴輝と書き込んで、一緒に受付をした人と共に部屋に入った。
 パーティー会場は、満員と言ってよかった。
 五十人ほどが各々のテーブルの食事を摘まんでおり、会場内は人の声が大きくて、周りの音が聞こえないほどだ。
 壇上には地元の有名政治家が様々な人と話し込んでいる。
 このパーティーの名前は「親しき友とパーティー」と題されていて、正直、何のパーティーなのか分からない。
 大学生の集団が盛り上がっていたり、壁側の椅子には老人が座って談笑していたり、老若男女が様々な場所で様々な話で盛り上がっている。
 その中を探していくと、今川がいた。その先に阿古もいる。
 阿古は既にお酒を飲んでいるらしく、楽しそうにしていて、今川が耳打ちをすると指を差して先を進んでいく。
 人の波をかき分けて前の方に行くと、そこには阿古の父親が立っていた。阿古の父親は細身の男と若そうな女性との夫婦と話し込んでいて、そこで阿古が今川を紹介すると、その夫婦までもが驚いたようになりながら、笑顔で今川を迎えた。
 阿古の父親は泣きそうな顔をしていて、阿古に笑われているし、今川は照れて嬉しそうである。
 どうしてだ。
 遠田は思った。
 そこは俺の場所だったはずだ。
 阿古の隣で笑っているのは、俺のはず。
 そう思った時、遠田の肩がぽんと叩かれた。
 遠田が振り返った時、そこには嗣永裕輔が立っていた。
「よう、あれを見てどう思った?」
 嗣永は叫びそうな遠田にシッと指を口元に当てて、壁側に連れて行く。
「で、どう思った?」
「何だこのパーティーは……」
「議員さん主催の交友パーティーだよ。議員さんの部下の親しい人や家族なんか連れて、全員で馬鹿騒ぎするだけ。春先によくやっている」
「家族ぐるみ……? 確かに阿古の父親もいるが……まさか、阿古がゲイなのを知っているのか?」
 そう遠田が言うので、嗣永は頷いた。
「阿古が悩んでいるのを知っていて、阿古もとうとう耐えられなくてカミングアウトしたらしい。それからずっと応援して貰っていると言っていた」
 それを聞いた遠田が少し怒りを見せる。それに嗣永が言った。
「湊人が幸せになるなら、どんな形でも祝福するんだそうだ。お前のうちとは違う」
 嗣永の言葉に遠田はギクリとする。
「別に調べちゃいない。湊人や今川がそういう親だって話していたからな。湊人のお父さんはとてもいい人だ。こんな俺でもお願いしますって頭を下げて、協力してくれると言ってくれる。とても強くて凄く格好いい人だ。さすが湊人のお父さんだ」
 そう嗣永が誇りに思ったように熱を込めて言う。
 それに遠田はグサリと心に矢傷を負ったように痛みが走った。
 さっき、遠田は阿古の父親の態度に腹を立てて暴言を吐こうとしたのだ。それを嗣永が止めて褒めちぎった。
「今川もいいやつだ。湊人がカミングアウトした時、既に知っていたけど、そんなことかと笑ったらしい。察しのいいやつだから、湊人がそうだって知っても偏見も持たず、説教もしなかった。湊人は湊人でそれで何かが変わるわけじゃないってさ。まあ、俺のことは散々胡散臭く思ってくれていたけどな」
「当たり前だ。お前こそ、親に言えるような関係じゃないだろ?」
 遠田が吐き捨てるようにそう言うのだが、嗣永は笑う。
「湊人のお父さんと話しているのがうちの両親。とっくに顔合わせはしたし、家族ぐるみで付き合っている」
 遠田はまさかと阿古達の方を見た後、嗣永を見た。そんなことが可能なのかという顔をしている。遠田にはできないことだからだ。
「俺は湊人と付き合う時に、親にカミングアウトしてから湊人と付き合い始めたからな。隠しておいても親は察してくれる。けど、それじゃ誠実じゃない。俺は親にも誇って欲しかったからカミングアウトをして、湊人と付き合っている」
 嗣永がそう言うと、遠田は奥歯を噛みしめた。
 気付いたのだ。自分はきっと阿古と何かあっても隠して付き合っていくしかないという事実を。
「俺は湊人を日陰者にはしない。お前が俺を気に入らなくて、邪魔をしたいのだろうけど。邪魔したって俺は屈しない。それに俺と別れたからって湊人の性癖が変わるわけじゃないのは分かってるか?」
「……いや……でも」
「お前は湊人を湊人として、よりを戻したいわけじゃないんだな」
「そんな……ことは……」
「お前の高校時代の阿古は都合がよかったんだろうが、今の阿古湊人は、ゲイで男の恋人がいて、家族にカミングアウトしていて、相手の家族ともああやって笑顔で会話してるヤツだ」
 遠田がそうじゃないと言おうとするのを遮って言った嗣永の言葉は、遠田には効いた。
 遠田の視線の先には、阿古が嗣永の両親と仲良く話している。笑顔になったり、顔を赤らめたりしているが、高校時代に見られないほどの優しい笑顔がそこにある。
「今川はそれを祝福しているいいヤツだ。お前の戯れ言に加担するようなヤツでもない」
 嗣永がそう言うと、遠田はハッとする。嗣永は遠田を睨み、強い口調で言った。
「お前の両親は、お前が高校時代に友人にストーカーのごとく張り付き、毎日部屋前で待ち、妄想を繰り返しているなんて聞いたら、どうしてくれるんだろうな?」
「……お前っまさかっ!」
 遠田がギクリとして周りを見回すが、それを見た嗣永が苦笑する。
「さすがにそこまで俺もしねえよ。次に今川の部屋に訪れたり、湊人の前に現れて余計な暴言を口にしたりしなきゃな。今川は今や俺の友人でもある。今度見かけたら、弁護士を用意して乗り込んでやるから覚悟しろ」
 嗣永は本気でそう言っていた。
 遠田のやっていることは既にストーカーの域に達している。ここまで今川を付けてきて、パーティーにまで入り込んだことは証拠がある。遠田が違うと言っても、ここ一週間ほど今川にやっていたことは隣人すら心配するほどだった。
「お前はさ。湊人の性癖が認められない時点で、湊人の友人には戻れもしないんだよ。そういう立場になったんじゃなくて、最初からそうだったんだ。途中で湊人も気付いて離れたけだ」
 確かにそうだった。遠田もそれには納得できなくても、そうなのだろうと思う。
 いくら遠田が阿古のためだと言っても、阿古は遠田を必要とはしていないのだ。あの笑顔がそう言ってくる。遠田がいなくても阿古は笑っている。
 もうそこに遠田がいるスペースはなくて、阿古と遠田の間には超えられない大きな谷が存在している。
「もう、湊人も今川もお前のことは、高校時代に遠田ってやつがいたなあって程度の認識しかしてなかったんだ。お前、よい思い出になっていたのに自ら最悪の傷跡を残してる。まだ未練があるなら、ここで醜くあがいてみてもいいが、その度胸がないなら、このまま回れ右して会場を去れ。ここにはお前の席はないんだ」
 嗣永がそう言うと、遠田は暫く阿古たちを眺めていた。未練はある。だがあの阿古の隣に立ったところで、阿古が喜ぶ顔が思い浮かばないのだ。
 それに意外だった。
 嗣永という男が、ここまで話し合いでまともに話ができる人間だとは思いも寄らなかったのだ。もっと傍若無人で親でさえ食い物にしているイメージが先行していた。
 だが阿古に対してもここまで心を砕いていて、真剣さを見せる。
 阿古を大事にしようとして、親まで巻き込んでいる。
 遠田にはそこまでして阿古を囲うことはできない。なのに阿古を助けるなんて、よくも思い上がった行動ができたものだと、今更気付いた。
 未練がましく阿古を眺めていたが、遠田はゆっくりと踵を返した。
 ここに自分の居場所はない。それがよく分かったからだ。
 その去っていく遠田に阿古が気付いた。
「……」
 阿古はその隣に嗣永がいるのに気付いて、近寄っていく。
「……話してきて、いい?」
 阿古がそう嗣永に言うと、嗣永が言った。
「会場を出る前に」
「うん」
 阿古は嗣永に礼を言ってから、遠田を追いかけた。
 遠田にはホテルのロビーで追いついた。
 階段を下りて声をかけた。
「遠田っ!」
 少し大きな声だったので、その近くの人が全員振り返ったが、阿古は気にしなかった。遠田はまさか阿古が来るとは思ってなかったようで、びっくりしている。
「……阿古……」
 今にも泣きそうな遠田に阿古はロビーにあるソファーの一つに座って貰った。
「その……ごめんね。裕輔が、強く言ったと思うから」
「いや……俺こそ、酷いことをしていた。さっき気付いた」
 遠田はそう言うと、眩しそうに阿古を眺めてから言った。
「……阿古は今、幸せか?」
 そう遠田が聞くので、阿古は最高の笑顔を浮かべて答えた。
「うん、凄く幸せだよ」
 阿古のこの答えに遠田は妙に納得ができた。阿古は本当に幸せで笑っていたのだ。
 高校時代の遠慮した笑顔ではなく、心の底から信頼できる人と笑顔になって、今を生きている。それがよく分かる顔だった。
「これから色んなことがあると思うけど、それすら楽しみだと思ってる」
 阿古の言葉は希望に満ちていた。
「そうか……なら、いいんだ。阿古、幸せに」
「ありがとう。遠田もね」
 阿古はニコリと答えてから、遠田と握手をした。
 この先、遠田と会うことはないが、こうやってわだかまりもなく別れることができる。高校時代の苦い思い出が、本当に今度こそ綺麗に昇華された瞬間だ。
 それは遠田も同じ思いだったらしく、すっきりしたような笑顔を浮かべて、遠田はホテルから去っていった。
 阿古がそれを見送ってから階段に戻ると、そこに嗣永が待っていた。
「心配してくれたんだ?」
 阿古がニコニコしながら近づくと、嗣永はニッと笑って言った。
「当たり前だ。まあ、俺の言葉があいつの気力をなくしたのは分かったが、湊人と話していてまたおかしくなったら困るからな」
 その辺の心配はあるだろう。それも当然のことで阿古は笑う。
「俺はその心配はしてなかったよ。裕輔を信じていたもんねー」
 阿古がそう言うと嗣永が阿古を引き寄せて階段を上る。パーティー会場に戻っていった。 パーティーは盛り上がっていて、賑わいは最高潮である。その輪の中に二人は入っていった。
 パーティーは三時間続いた。

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