Allegro vivace

1

 その日は合コンだった。
 彼女が欲しかったわけでもなかったのだが、人数合わせであり、さらには一次会の飲み代をチャラにしてくれると言われて、阿古湊人(あこ みなと)はアメフト部が開催した合コンに出席をしていた。
 本来誘うはずだったのは、阿古の友人、今川の方だったらしいのだが、今川には既に恋人が存在しており、合コンには参加をしない。
 そんなわけで阿古に行ってこいと言ったのは、友人の今川だった。阿古は最初こそ断っていたのだが、どうしても人数がそろわなかったらしく、その合コンの日に道を歩いていたら、そのまま拉致されるように連れて行かれた。
 散々道中でごねていたら、飲み代をチャラにしてやると言われて、結局それに阿古は釣られた。
 今月は授業の参考書を買ったせいで食費もカツカツで、なんでもいいから肉が食べたかったのだ。その日の合コンはどういうわけか、肉食男女の集まる焼き肉パーティーという、何でそうなったのかわからない内容だった。
 最近は普通の合コンでは、楽しみが少ないことと、普通一般の学生と運動部主催の合コンでは違うところがあるということなのだろうか。
 その特殊な焼き肉パーティーは何故か上手くいっていた。
 どういう策略か分からないが、十人同士のはずが女性側の参加者が二人減っていた。それなのに、男性二人を除いた全員がカップルになっていたのだ。
 これなら来ない方がよかったのではないと思ったが事情が少し違った。
 余った男性を連れてきたのは、女性陣の方だったのだ。
 アメフト部の方で余ったのが阿古だった。
 阿古はまだ分かるのだが、どうしてこの男性、名前は嗣永裕輔(つぐなが ゆうすけ)が女性側で来て、余ったのかが謎だった。
 阿古は百七十センチもない身長で、小柄だった。その時点で筋肉隆々のアメフト部の男性が多い参加者の中では問題外になっていたから納得はできた。
 しかし、嗣永は、見た目も読者モデルでもしていそうなほどにスラリとしていて、女性が放っておかないほどイケメンと言えた。細い顎、すっとした鼻筋、配置良くパーツが顔に収まっており、綺麗だった。
 阿古がそう思うほどだったのだから、女性陣にはもちろんそう見えていたはずである。
 だが、女性陣は嗣永には一切興味を見せなかったのである。
 阿古が不思議に思っていると、嗣永が阿古に余ったモノ同士で焼き肉を食べようと誘ってくれて、二人で席に座って黙々と焼き肉を食べた。
 嗣永は気を遣ってくれたらしく、焼きに徹してくれて、どんどん阿古の皿に肉を積み上げてくれる。阿古はお礼を言ってそれをどんどん食べていく。
 ただでさえ肉に飢えていた阿古は、焼かれるだけ肉を平らげていった。
 周りでは、カップルになった人たちが同じようにお肉を食べているという妙な合コンだったのだが、大成功のうちに焼き肉のパートが二時間続いた。
 さすがに二時間も食べ続けることはできないので、満足するほど食べ終わると、阿古は嗣永と話し込むことになった。
「女性が余ってなくて、残念だったね」
 阿古がそう言うと、嗣永はそれに対して、少しだけ驚いた顔をした。
「……あーお前、俺のこと知らないのか……なるほど」
 嗣永は阿古の言葉に対してそう言い、阿古の反応の薄さに納得したらしい。
「え? どういうこと?」
 阿古が不思議そうな顔をして嗣永を見る。
 全く気付いていない顔に、嗣永は意地の悪い笑みを浮かべてから、そっと阿古の耳に告げた。
「お前、ゲイだろ?」
 阿古の耳にだけ聞こえる音量で、嗣永が言った。
 周りは焼き肉の焼く音や人の声などの喧騒で、周りは誰も気付いてない。こそこそ話していても誰も不思議には思わないのだろうが、その時の阿古は、その言葉を聞いて顔から血の気が引く音がはっきりと聞こえたくらいの衝撃を受けた。
「……な、何言って……」
「俺が呼ばれたのは、男側ではなくて、女側から参加だから。俺が男しか抱かないのは女どもは皆知ってる。可愛いのが参加すると聞いたから、俺が呼ばれた。つまり、お前の相手は俺なんだ」
 嗣永がそう言うので、阿古は更に困惑する。
 どうやら女性側の参加者が減るのに対し、男性側の参加者が増えたことで、女性側が誰かを補充しなければならなくなったが、参加するのが阿古だと分かった時点で、他の女性が選ぶことはないだろうと、嗣永を誘ったのだという。
「俺の好みが俺より小さくて可愛い顔をしたヤツっていうのは知られているからな。可哀想かと思ったが、お前、確実に女に興味がないって顔してたぞ。あれじゃ、ゲイだって言っているのと同じことだ」
 嗣永がそう言うので、阿古は更に唖然とする。
 自分は確かに女性に興味はないゲイだ。しかし、それを悟られないように行動してきたつもりだ。彼女ができないのも、この低身長と顔のせいだと言うと、大抵納得されるようなほど、阿古はひ弱な男だった。それを利用して、彼女を作らない理由を付くって誤魔化してきた。だから今日の合コンもお金がないと言えば断れたことだった。
 しかし空腹に耐えられずに出席したが、まさか初対面の相手にゲイであることを見抜かれるとは思いもしなかった阿古である。
「その様子だと、誰にもバレたことはないようだな」
 嗣永の言葉に反論しようとすると、嗣永に更に言葉を重ねられた。
 まさにその通りだ。
 ゲイである事実は誰も知らない。友達にだって喋ったことはなかったし、親にも言えないままだった。だが親は騙しきれず、最近は父親にはバレたところだった。しかし、父親には理解が得られて、好きなように生きろと応援はしてもらった。まあ、仲違いで両親が離婚し、阿古を振り回してきたと感じていた父親だから、好きにすればいいと慰めてくれたのだろう。
 ただ、誰かにカミングアウトをするつもりがないことも、父親は理解してくれ、そういう時期や、生きていく上で気持ちもいろいろと変わるだろうと言ってもらった。
 だから、この世で知っている人は阿古の父親だけだ。
 なのに初対面の相手にすぐにゲイだとバレ、問い詰められるとは阿古は思いもしなかった。
 言葉が出ないまま、阿古は嗣永の顔を見つめた。
 その綺麗な嗣永の顔が、意地悪な笑みを浮かべている。
 周りは楽しそうな話し声が聞こえてきて、笑い声も響いている。その中で阿古はこの世の終わりでも迎えたような顔をしていた。
「……このまま一次会を終えたら、俺とホテルに行くこと。そしたら他の奴らには黙っててやる」
 嗣永がそう言いながら、席を離れた。
「……っ」
 どうやら嗣永デザートを取りに行ったようで、デザートのケース前に立っている。
 阿古は心臓が張り裂けそうなほどの音を立てていることに気づき、気持ちを落ち着かせようと、やっと息を吐いて吸ってと深呼吸をした。
 嗣永が何を考えているのか、そして阿古に何を要求したのかは分かっている。
 これは脅しだ。
 ゲイだとバレたくなければ、嗣永と寝るしかないということなのだ。
 そして嗣永はその返答を今求めている。デザートを取りに席を離れたのは、きっと阿古に逃げる隙を与えたのだろう。
 このまま逃げればきっと嗣永は追ってはこない。
 けれど、嗣永は阿古のことを何処かで喋るかもしれない。
 阿古にとっては誰かに知られることが恐怖であるのを、嗣永は知っているのだ。阿古は絶対に逃げないと確証を持っているのだろう。
 阿古は思った。
 逃げたとしてもきっと嗣永は誰かに喋る。故意にではないにしても自然と阿古がゲイであることを口にしてくるだろう。
 阿古はそれでも逃げた方が、まだ問題がないのではないかと思いだした。ここで寝たとしてもきっと後で誰かにバレることだったあるのだ。
 一旦、逃げた方がいいとそう阿古は思った。
 だが、席を立とうとした阿古の目の前のテーブルに、デザートのパフェがドンと置かれた。
「タイムリミット、これからは合意ってことだな」
 嗣永はたっぷりと時間を使ってデザートを持ってきたのだろう。その時間の間に阿古が逃げていることも想像していただろうが、席から動けない阿古に微笑んで言う。
「脅して、合意なんて、おかしいだろう……」
 阿古はそう言い返していた。
 そもそもおかしいのだ。そんな脅しに屈しないといけないのが納得がいかない。
 しかしそれに嗣永が言う。
「逃げるチャンスは与えたし、今時ゲイくらいでガタガタ言うやつもいないのに、そこまでひた隠しにして生きていくってのも、割と辛いから、仲間になってやろうとしたのに、お前は俺と寝て、俺の口を塞ぐことを選んだんだ」
「え……?」
 嗣永の言葉に阿古はハッとして顔を上げる。
「俺だってゲイだが、誰に何を言われても気にしないし、ゲイのやつは結構いるから、困ったらそのグループに入ってやり過ごすこともできたってことだ」
 嗣永はネタバレのように、もしゲイだとバレて居場所がなくなったら、阿古をグループで引き取って不自由しないようにすると言った。
 しかし、阿古にはそこまでの覚悟はなかった。
 今いる友達をなくすことの方が怖かったのだ。
「ま、今回お前は俺と寝ることを選んだ。それは実行させてもらう。その後、お前の中の気持ちがどう変化するのか。お前も知ってみたいとは思わないか?」
 嗣永は暗に阿古がまだ誰とも寝ていないことを示唆した。
 阿古は自分がゲイだと知ってから、ずっと誰にも言わなかったので、誰かと寝たこともない。そういう場所に出入りしたりすれば、誰かに知られる可能性があがる。それは困るのでできる限り避けた。
 だからゲイとは言っても、好きになったのが男性で、その男性を思いながらオナニーをして抜ける。普通に男性の写真でもそうで、女性の躰に反応しない自分に気付いて、ゲイだと判断しているにすぎない。
 だからセックスはしたことはない。
 けれど、それを前提とした行為はしていた。
「本当にそういう行為をしたいほどのゲイかどうか、お前も知りたいだろう?」
 嗣永の言葉に、阿古は誰かに知られることよりも、更に踏み込んで分かるかもしれないことが気になりだした。
「か、躰の関係になったとして、それで気持ちまで変わるものなのか……?」
 やっとの思いでそう阿古は聞いていた。
 そうした変化というものがあるのだろうか。やっぱり男性に抱かれることが思いのほか気持ち悪いことで、耐えられないほどの苦痛で、女性を抱けるようになるのだろうかという、阿古にとってはまさに人生がまた変わる瞬間が訪れるのだろうかという質問だ。
「どうだろうな。俺は攻める側だから、気持ち的には女をどうこうするのは、自分に合ってないと思っていた。それは間違ってないと気づけたから、こうやって男としか寝ないでいる。どっちも経験はあるからバイなんだろうが、俺は男がいいとはっきり認識できたな」
 嗣永がそう言うので、阿古は不思議そうな顔をする。
「躰をつなげることで分かることもある。お前の場合、受ける側になるから、更に気持ちも強く表れるんじゃないか?」
「何で僕が受ける側なんだ?」
「突っ込みたいってやつは、男を試す前に女と散々セックスしまくってる。違和感の正体を確かめたくていろいろやった後なんだ」
 嗣永はそうはっきりと言った。
「お前、明らかに童貞って顔してるしな」
「……悪かったな」
 阿古はムッとしたが、気分的にはそこまで最悪な気分ではなくなった。
 ちゃかしてくる嗣永が割と普通に接してくることに、妙な安堵をしたのかもしれない。
 確かに言われた通りに、阿古は自分が抱かれる側でずっと考えていたことに気付いた。おかしなもので、男を好きであるが抱きたいという気持ちが今はないのだ。女性を抱きたいと思わないのと同じで、抱かれたいと思う気持ちしか持っていなかった。
 嗣永と話していている間にだんだんと心が決まってくるのを感じた。それは今までの後ろ向きな気持ちではなく、前向きな考えだ。
「…………くそっ」
 阿古は目の前にあるパフェを勢いよく頬張った。
 焼き肉屋のパフェにしては美味しい甘さを持っていて、阿古はそれをあっという間に平らげた。それを見た嗣永がくくっと笑っている。
「そういう気の強いの、いいと思うぞ」
 そう言われて、ふと阿古は昔の友人を思い出した。
 顔や身長の割に、はっきりとして気が強いところがいいと、褒めてくれたのがその友人だ。
 高校を卒業してから二年以上、会ってもいない。
 阿古は、自分がその友人を好きなことに気付いて、自分がゲイである可能性を考え始め、とうとう最後には認めたことだった。
 その友人に知られることが怖くて、側を離れ、大学も受験先をこっそり変えた。
 受験先を変えたことで友人は怒り、仲違いしてそれ以来、話もしていない。連絡も知らず、話かけるきっかけすらないままでいたらもう二年が経っていた。
 友人と離れたことは正解だったのだと、今では本当に思っている。自分はゲイで男が恋愛対象であることははっきりとしていたからだ。きっと側にいたら苦しくて、耐えられなかったと思う。そして友人に告白でもしていたら、きっと酷く侮辱されて終わっていたと思う。友人はそうしたゲイを容認できる性格ではなかったのを知っていたからだ。
 下手なことをして友情が壊れるなら、このまま仲違いしたまま終わった方が、気持ち的には楽だった。
 嗣永と話していると、少しだけその友人を思い出した。
 少し強引で、思ったことを有言実行する強いところに惹かれていたのだなと、今更ながらに思い出したのだ。
 そうしたところが、好きだった。
 でもそれももう過去形になっている。
 初恋がいつの間にか二年も経って終わっていたことに、阿古は嗣永と話していた気付いたのだ。
 その区切りに、どっちに転ぶか分からない人生を選ぶのも、阿古には新しい一歩になることだった。
「お前が遊びのつもりでも、僕にはきっと貴重な体験なんだろうと思う」
 阿古がそう言って嗣永を見ると、嗣永はフッと笑った。それは優しい笑顔だった。
 きっと嗣永にとってもあったであろう初めてという経験。それを嗣永が遊ぶつもりであったとしても、阿古には今後の気持ちすら左右する問題であることに、嗣永が気付いてくれた瞬間でもあった。

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