Together
8
父親はそれを最後まで聞くことが出来ずに、すぐにイヤホンを外した。
「なんだこれは! こんなことをこんな暴言を!」
吐き気がするのは当然だ。息子が登校拒否になってからずっと、この卑猥な言葉を吐く茅人(かやと)が迎えにきていたというのだからぞっとする。
しかも心配するフリをして、そういうことを言っていたことを隠していたのだから、怒りも増すものだ。
「よくも、ぬけぬけと心配するふりなど出来たものだ……!」
父親がそう言ってくれたことで緒都(おと)は少し冷静になれた。あれを聞いてもなお、茅人の言葉を信じるなどと言われたら絶望してしまうところだった。
「緒都……なぜ言ってくれなかった……」
こんな扱いを受けている息子が相談してくれなかったことを父親は責めているわけではない。そう相談して欲しかったと思ったのだ。
「……さっき言おうとしたけど、俺がそんなことを言われているって証拠がないのに、お父さんが信じてくれるわけないじゃないか。証拠があったって、お父さんは茅人の言葉の方を信じると思ったんだ」
緒都は父親を見ずにそう言った。
信じてくれるわけない。
「まさか、学校でもこんなこと……」
父親はハッとする。
こんなことを言われているとなると、緒都が学校に行きたがらない理由もこれに近いものがあるはずなのだ。
「襲われはしたが、寸前で逃げたそうです。それから怖くて通えなかったと」
永哩(えいり)がそう言うと、父親はその場にへなへなと座り込んでしまった。
まるで一気に老いたみたいな印象だ。
自分の息子がそんな目に合っているとき、自分は忙しいからといって、何か言いたそうにしている緒都を無視してきたのだ。その裏で息子がこんなことを言われて苦しんでいるのを見ないできたのだ。
現実にぶつけられる言葉は暴力よりも酷いことがある。これがそうだ。
茅人は緒都にとって、唯一と言えた友人だったはずだ。それがこんなことになって緒都が誰に相談できたというのか。父親さえ味方にはなってくれないと思わせるほど追いつめておいて、他人に相談したからと激高した自分が恥ずかしくなる。
「不登校児が通う学校に行って、大検を取ればいいと言ったのは私です。今の時期に転校ではいろいろ都合で無理ではないかと思ったからです。私もそういう経験があります。だから相談にはのれました。けれど、最後は貴方に相談しなければならなかった」
そう永哩が言うと父親は、うなだれて言うのだ。
「私がずっと緒都の相談を無視してきたんですね……忙しいのを理由に……」
「貴方は社会人で地位のある人である前に、一人の父親であることを放棄していた。緒都なら大丈夫だと思いこんでいた。それがこうなった結果だと思います」
永哩がそう切り込むと父親は何度も頭を振った。
直面した衝撃が大きすぎてどうしていいのか分からないらしい。
緒都も父親はすぐには信じられないでいたから、どうしていいのか分からない。
父親を慰めなければならないのだが、今までのことを考えてもなかなか上手く慰めることはできなかった。
「こういうのもあれですが、暫く緒都くんを預かってもいいですか?」
永哩はそう切り出した。
「え?」
となったのは全員だ。
「私が忙しいことは、それほどないので、緒都くんの相談には乗れると思うんです。今までもそうだったように。それに、あなたと緒都くんは距離を置いたほうがよさそうです。貴方は衝撃を受けすぎて緒都くんに何をいうかわからない。緒都くんもそれに反応してなにを言うかわからない。少し危険だ」
この後、残されても緒都はもう何も言えないし、父親は混乱を自分で沈めたいから殻にこもってしまう可能性もある。
そうしてまた緒都は取り残されるのだと思うと、永哩はお節介をするしかなかった。
急に居なくなる自分と、殻に閉じこもってしまう父親。
それでは緒都が可哀想すぎる。今までだってずっと耐えてきたのにだ。
「もし信じられないなら、明日出かけたフリをして裏口から戻り、インターホンで直接聞いてみるといい」
そういう非道なことを言うのは、八百だ。
直接緒都が受けていたことを受けてみろと言うのだ。
八百(やお)は父親が落としたテープを聴いたらしい。
反吐が出るというような顔をしてそう言うのだ。
「……茅人くんには私から……」
「接触をさせない為にも、緒都をここに置いておくわけにはいかないのは分かりますか?」
永哩がそう言うと、父親は頷いた。
家が近所にあるだけでも十分、報復してくる可能性もあるからだ。
「ああ……確かに、先に緒都の安全を……」
父親は壊れた機械のようにそう呟く。
もう何をどうしたらいいのか分からないらしい。
「永哩さん、いいの?」
緒都がそう言うと、永哩はにっこりとして言う。
「話は聞くと言っただろ。これからも変わらない。休暇中ずっとよくしてくれたのは緒都だけだからね」
そう永哩は言った。
これから忙しくはなるが、緒都に構えないほど忙しいわけではない。
八百が副社長に就任したら、永哩が社長になるだけのことだ。
采配は八百がやってしまうから、決断だけは永哩がやるだけのことだ。
「随分仲良くなったものですね。ですが、貴方がやる気になってくれて嬉しいですよ」
「やる気はあんまりないが、緒都と一緒にいるにはやっぱり無職じゃなあ」 永哩はそう言って笑っている。
緒都は少しだけ父親に話をした。
「落ち着いたら、また一緒に考えよう」
「緒都……」
「お父さんが悪いわけじゃないよ、俺も言えなかったから。仕方ないんだって思う。それから俺、永哩さんのこと好きなんだ」
「……緒都?」
「お父さん、それ許せないなら、俺のこと、放り投げていいからね」
緒都はにっこりと、ここ数ヶ月で初めて父親に向かって笑顔を見せた。
その笑顔を見ると父親は何も言えなかったようだ。久々に見た息子の笑顔を取り戻してくれたのは、これから自分が仕えることになる社長だったからだ。
結局、緒都は身の回りのモノを整理して、父親と距離を置くことにした。この家から出られることはとても嬉しいことで、窮屈な思いをしていたこころが解き放たれるような気がした。
「緒都」
そう永哩に呼ばれるのが好きだ。
いつの間にか慕っていた心が恋に変わった瞬間だ。
受け入れられなくてもいい、思っているだけで、心がこんなに穏やかになるのだ。
人を好きになるのがこんなにすごいことなのだと思う。
「うん、ありがとう」
緒都は車に乗って永哩の隣に座ると、そう言って微笑んだ。
さっきまでの不安はない。
ずっと永哩と居られるわけでもないだろうが、けれど、永哩と縁が切れるわけではないのだ。それだけでも嬉しい。
「俺の名を呼んでくれたらいつでも緒都の味方だから飛んでくるよ」
永哩はそう言って笑っていた。その笑顔が印象的だった。
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