君に触れたい 1

寄りかかりたくなる背中

 水上元晴(みずうえもとはる)の背中はなんだか気持ちいいものだった。
大学の講義が終わった後に暇になる向井志音(むかい しおん)はいつも水上と元晴と一緒に校庭にあるグラウンドの影でお昼を食べたりする。お昼を用意するのは志音の役目で、毎日弁当を用意してくる。作るのは高校時代から変わっておらず、母親が忙しい両家では、いつの間にか志音がご飯を作ったりするようになった。
 父親はすでにおらず、母親に育ててもらった志音が家事が得意になったのも仕方ない。そうなるきっかけはあった。

 中学のころ、元晴が風邪を引き、それなのに両家の母親が居ないとき、必要に迫られた志音はご飯すら炊くことが出来ず、元晴のためにレトルトのおかゆを買う羽目になったから自分でもおかゆくらい作れた方がいいとは思った。人に食べさせるのにレトルトでは恥ずかしい。

 だから料理本を買ったり、せめて病人くらい気楽にさせてあげたいと思ったことから家事もすることを覚えた。元晴は、何故いきなり志音が家事を始めたのかが不思議で何度も聞いてきたが、志音は元晴のために作ってあげたいものがあったのだ。それが高校から給食がなくなるので弁当というわけだ。

 昔から元晴にいじめから守ってもらったり、友達が作れない時にはかまってもらっていたし、家も隣同士、幼なじみとあって、ずっと一緒に学生生活も送ってきたから、高校ももちろん同じで、大学まで一緒のところに行くことが出来た。

 しかし大学生になると元晴の友達も増え、次第に志音との時間も合わなくなる。元晴はサークルに入っていたり、友達から誘われたりで、忙しい毎日を送っているが、志音はそういう人たちとは何故か上手くいかず、一人で家にいることが多くなった。段々、元晴との時間もなくなっていくなかで唯一志音が元晴を独占出来る時間がお昼の時間だった。

 学食にするよと最初言っていた元晴も、学食では口に合わなかったのか即日それを撤回し、やはり志音のじゃないともう口に合わないようになっていると言ってまた弁当を作って欲しいと言ってくれた。

 それは志音には嬉しいことで、頼まれなくてもずっとやってきたことだ。当然そうなると元晴の友達もついてくるのだが、こういう時に志音は話には入れずに一人黙ってご飯を食べることになる。その時、邪魔にならないようにと元晴の背中にもたれてちょっとだけ甘えてみせる。

 僕もいるんだけどな。そういう意図もあったけれど、元晴はただ苦笑しただけでずっと背中を貸してくれていた。
 そうして友達がご飯を食べ終わると、一斉に去って行くのは少し志音に気を遣ってのことだった。普段自分たちが元晴を独占しているから志音が段々と可哀想になってきたのもある。

 志音には元晴以外に心を開くことはあまりないらしく、話しかけても良い返事が貰えないことが多い。子供の頃から守ってくれる存在はずっと元晴だけだった。
 しかし今日は違った。一緒に食事をしていた一人、北村がいきなり言ったのだった。

「ちょっと俺、向井借りていいかな?」
「は?」
 それに即座に反応したのは元晴だった。志音は何を言われたのか分からず、片付けていた弁当を持ったままぽかんとした。
 すると北村はちょっと照れたように頭を掻いて、再度言う。

「一度ちゃんと話をしてみたいと思ってな。いつも水上とばかり話してるじゃん。たまには俺だって話してみたいよ」
 北村はあっけらかんとしてそう言うのだ。それに戸惑ったのは志音だ。北村はちょっと前から元晴たちと行動するようになった人。それまでは別のグループにいたのだが、何故か志音には何度か話しかけてくれる人でもあった。でもちゃんとした話はしたことなく、北村が一方的に話してそれに志音が苦笑するだけとなっていた。

「借りるって……」
 志音がそこを突っ込むと、北村は少し笑って言う。

「いつも向井って、水上の言う通りにするだろ? だから一応保護者には話しつけておいてと思ってね」
 そう言われても元晴は保護者ではないし、そんなつもりで側にいるわけでもなかった。
 これを聞いた元晴は何故か機嫌が悪くなり、ぶっきらぼうに言った。

「俺の許可なんていらねーんだよ、勝手にしろ」
 そう言うとその場に寝転がってしまった。どうやら昼寝をするらしい。
 他の人たちは志音に元晴が取られることがなくなったと思ったのか、すぐに元晴に話しかけていた。
 それを見ていて志音は少しがっかりしていた。元晴なら断ってくれたと思っていたのだ。

 人と話すことが苦手で、気が合う人としか話せないのは問題かもしれないが、それでも人間嫌いではない。ただ慣れないだけなのだが、それを理由にして元晴に迷惑をかけていたのだろうかとふと志音は思った。
 これではいけない。そう志音は思うと北村が手招きする方に少しだけ近寄った。

「えっと……なんですか?」
 志音は座った北村の隣に立ったままで用件を聞いた。すぐ済む話ならばさっさと終わらせたいと思って。
 しかし北村は隣に座るように言う。

「ちょっと話長くなっちゃうから、座って」
 隣をポンポンとされて座るように勧められた。志音は仕方なくそこに座る。

「長くなる話ってなんですか?」
 志音がそう切り出すと北村は苦笑した。

「そんなに話早く終わらせたい?」
「え?あの……そういうわけでは……」
 志音は内心がばれていてびっくりして慌てて付け加えた。
 北村は気分を害したようではなく、クスッと笑って話を始めた。

「水上とは家が隣同士の幼なじみなんだって?」
「ええ、そうです。それが?」
 こんなことは少し誰かに聞けば分かることだし、周りはそう認識している。それをわざわざ確認するのは何故だろうと志音は思う。

「いやね、ただの幼なじみにしちゃ、君の方は水上にしか心開かないし、水上は水上で全然君をみんなに紹介しようともしないから、何かあるんじゃないかってね」

「あの……何もないんです。ただ僕がちょっと人が苦手なだけで……それで」
「うん、それで?」

「元晴くらいしかマトモに話せないだけなので、それを分かってくれてるだけです」
 志音はそう認識している。自分が苦手なのを知っているから元晴はそうしてくれているだけなのだと。すると北村は首をかしげて言うのだ。

「でも、苦手でもいずれは水上とは違う社会に出るんだから、今から慣れないといけないんじゃない?」
「……」

 そう言われ、志音は日頃自分もそう思っていると思った。いつまでも元晴にだけ頼っていてはいけない。それは分かっているのだけれど、元晴だけは特別仕様なのか、他にはなかなか馴染めない。

 高校にだって友達はいたが、それは全部元晴経由の知り合いだ。今だって元晴がいないと遊びに行くことはないし、連絡だって元晴がらみのものしかしていないように思う。
 これがいけないと思うところだ。
 元晴がいなくなったら、自分は本当に一人になってしまうのだ。
 そう考えると少し怖い気がする。

「そうあんまり深刻にならないで、俺は水上とは別に君の友達に、いやもっといい関係になりたいんだよ」
 北村はそう正直に言い出した。
 元晴とは別の友達。それは思いもしない言葉だった。今までは全部元晴経由でしか知り合いはいない。だから自分と友達になりたいという人がいるとは思わなかったのだ。

「僕と?」
「うん、俺がね」

「北村さんと?」
「あ、ちゃんと名前は覚えていてくれたんだ」
 北村の名前を呼ぶと北村は嬉しそうににっこりとしていた。名前を覚えているのは当然で、それくらいは誰でも出来ることだろうと志音は思う。

「そりゃ、元晴にはたくさん友達がいるけど、ちゃんと覚えてますよ」
 ちょっとむくれてそう言うと、北村は大いに笑った。

「なんか関心ないのかと思っちゃってた、ごめんね」
 素直に謝られて志音はいえと答えた。そんなに自分はこの人たちを邪険に扱っているように見えたのだろうか。そう考えてこれはマズイと思った。

「それで友達になりたいんだけど。もちろん水上抜きでね」
 北村は元晴抜きでを強調する。本気で志音と友達になりたいらしい。そう感じ取った志音は北村のことを考える。
 いつも笑顔でくったくない人だ。話題も多いし、人当たりはいい。そんなに苦手でもないから、北村が友達になりたいと言うなら、ちょっとは自分も進んで友達になろうかなと思えた。

「あ、はい。でも友達って何するんですか?」
「ん? 水上と同じでいいよ。だって幼なじみとは言っても、友達だろ。そういう感覚で付き合ってくれるといいなって思う」

「よく、分からないですけど……それでいいなら」
「そうかありがとう、向井はいいヤツだな」
 北村はにっこりとしてそう言った。
 その後ろで、元晴が複雑な顔をしているとは知らない志音は、にこりとして北村が出した手を握って握手していた。

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