一瞬の夏

3

 五日目。

 それは、律里(りり)の初めての門限破りの日だった。それを計画した律里が何を考えているのかは、貴史には解らなかった。いきなり、羽目を外すことを覚えて、家に反抗でもしてみようかとでも思ったのかもしれない。そうだとすると、自分は悪い友達ということになってしまう。

 まあ、それは構わないのだが、門限破りを何処までやるのかが問題だった。時間は聞いていないし、勢いで外泊なんてことにでもなったら、家の者は大騒ぎだろう。

 でも、今まで律里を縛ってきたのだから、少しの自由を与えてやってもいいのじゃないかとさえ思える。
 あそこまで何もしたことがないというのは異常かもしれない。どこぞの御曹司か?とさえ疑ってしまう。

 とにかく、律里は門限破りをするのだ。それに貴史は満足するまで付き合うという約束である。約束は約束だから守らなければならない。
 やっと補習が終わって、いつものように玄関まで行くと、ちゃんと律里が待っていてくれた。

「何、可笑しそうな顔して」
 律里が貴史を見ると、貴史は何か面白そうな顔をしていた。

「いや、家出する時も制服なんだなあと思って」

「だって、家出る時、学校行くっていってきてるんだよ。普段着なんか着ていったら怪しんでって言うものじゃないの。それに貴史だって制服のまんまなんでしょ?」

「ああ、俺は慣れてるからいいんだ」

「慣れてる?」

「夜遊びに慣れてるって事」

「制服で?」

「今時、制服でうろついてる奴なんか五万といるぞ。女子高生なんか、それで男釣るんだしよ」

「へえ……」

 律里は制服で夜の街を歩くのは、変だと思っていたようだ。本当に門限は7時なんだろうと貴史は確信してしまった。

「で、何処行こうか。まだ昼だしなあ」

 校門を出ながら今後の予定を立てる。とりあえず、まずは昼食だが、これは律里の希望で、ファーストフードになった。後は食べ歩きをしながら、ゲーセンに入って遊び、街をぶらぶらとする。お決まりのコースだ。

 そうしているうちに、段々日が暮れてくる。いつもなら、この時間には律里とは別 れているところだが、今日は無礼講である。

 律里は、街並みが変わっていく様子を喫茶店の外にあるテーブルでコーヒーを飲みながら眺めている。
 その横顔はとても綺麗だ。知らない世界を知っていく。そうして吸収していく姿を見るのは、意外に楽しいことなのだと貴史は感じた。

「ほんと、制服の子多いね」
 ポツリと律里が呟いた。今居る喫茶店にも制服の子が沢山いる。そうした異次元を見ているような感想を漏らす。

「珍しいことじゃないさ。今時間なら塾もあるし、その前に腹ごしらえする奴もいるもんだしな」

「塾って学校から通うの?」

「家に帰って準備する時間がない奴だっているんだよ」

「へえ……。僕、ずっと家庭教師だったから塾ってよく解らないや」
 この発言でお坊ちゃま決定だ。

「さて、門限破りさん。7時を越えましたが、これから何をしましょうか?」
 貴史が時計を確認して、おどけて言ってみる。すると、もうそんな時間なのかと、律里は驚いて、自分の時計で時間を確認している。

「は……ほんとだ。門限破り出来た」

「ま、このまま変な場所をぶらついてたら、律里の場合危ないかもしれないから、場所選ばないとな」

 貴史は、きょとんとしている律里を見てから、自分の行動範囲を思い浮かべる。結構危ない場所もあるから、そこには律里を連れて行かないようにしなければならない。

「制服じゃ、いける場所なんて、そんなにないんだけど」

「やっぱり、私服の方がよかった?」

「まあ、仕方ないさ。なんて言っても学生丸出しのまま、居酒屋なんていけないしなあ」

「居酒屋?」

「酒飲むところ。結構学生も多いけど、さすがに制服じゃ入店拒否される」

「へえ、貴史はお酒飲みたい?」

「あ?」

「ホテルでいいなら、部屋取るよ。ちょっとお願いしていいかな?」
 律里は少し上目遣いで貴史を見てくる。その顔はグッと下半身にくるものがある。

「お、お願いって……?」

「無断外泊も一緒にやっちゃおうかなあ、なんて思ってるんだ」
 律里は悪戯でも思いついたような顔でそう淡々と言った。

「貴史は、このまま家に帰らなければならない?」

「い、いや、電話入れりゃ、友達のところでも泊まるって言えば、うちの場合はいいんだけどさ」

「じゃ、無断外泊もお願い、一緒にして」
 律里は、そう言って頭を下げた。

 ほんとにどうしたものかと貴史は考えたが、場所がホテルなら、たぶん律里的には後で説明がしやすいのだろうと思った。
 その辺ぶらついて夜が明けたというよりは、遥かに安全ではあるのだし。

「解った。律里の言う通りにしよう。もう何言ってきても驚かないぞ」

「……ほんと?」

「ああ、ほんとだ」
 貴史がそう断言をすると、律里はほわっと笑って頷いている。まだ、何か考えているような感じだ。

「じゃ、部屋取るね。この近くなら、あそこかな」

 律里はそうと決まると、さっさとほんとにホテルの部屋を取ってしまった。それも簡単に、碧海ですけど、部屋お願いします。と言っただけで、出たのはたぶん支配人なのだろう。そんな人が部屋を用意してくれたようだ。
 ほんとに坊ちゃんなんだな。と、貴史は呆れてしまった。




 歩いて、ほんの十分くらいのところに、少し高級なホテルが建っている。もちろん、貴史は外から眺めるだけで中には入ったことすらない場所だ。

 律里(りり)はそこを慣れたように進んでいく。それに付いて貴史も進む。明らかに学生がいる場所じゃない。それなのに律里は気後れしないで、フロントに話しをつけると、直ぐに部屋の鍵を渡されていた。

「貴史、いこ」

 律里はそのままエレベーターに歩いていく。それを追って貴史も走った。エレベーターに乗ると、すぐに最上階を押している。部屋は超高級の部屋が用意されているらしい。

「大丈夫なのか?」
 貴史はやっと二人っきりになったところで律里に聞いた。

「うん、ここ、親がよく使ってるところなんだ。だから、僕も顔見知りだし。家に通 報されることもないから安心して」

「わ、解った……」
 しかし、なんだか落ち着かない貴史である。

 そのまま最上階に出ると、部屋はいくつも無い。人と出会うこともなく、一つの部屋の前で律里は足を止めた。そこが今日泊まる部屋だ。

 さっと開けて律里が入った後、貴史も続いて入る。すると、そこには日常ではあり得ない光景が広がっていた。部屋は、リビング風の部屋と隣にも別 の部屋がある造りになっている。そこを全部開けてみて、貴史ははあっと息を漏らした。
 とても庶民の来る場所ではない。そう自覚したのだ。

「貴史、お酒あるよー」

 暢気な律里の声で、貴史はやっとわれに返る。こうなったらとことん付き合って楽しむしかないだろう。
 そうなるととたんに貴史はいつもの調子に戻っていた。

「酒って何がある?」

「いろいろ。ワインも冷えてるし、ウイスキー類もあるよ。あ、氷もちゃんとあるし、好きなだけ飲んで大丈夫だよ」

「でも、金どうすんだ?」

「こんなこともあろうかと、親のカード、失敬してきた。大丈夫、僕も使ったことあるものだから、上限はないよ」

「へえ……用意がいいな……」

 貴史はそう呟いて、それからハッとした。もしかしたら、律里ははじめから無断外泊するつもりで、それもホテルに泊まるつもりで来たのかもしれないと。そう考えた方が都合がいい気がしてきた。

 とにかく今は楽しむしかない。

 そのまま、珍しい酒をどんどん注いで貴史と律里は酒盛りをした。音は何もなかったけれど、ずっと貴史が話していたと思う。律里は貴史の話を面 白そうに聞いて笑って、時には爆笑までして喜んでくれた。

 かなり酔っていたと、今なら思える。いきなり律里があんな事を言い出したのはきっとそうだとしか思えないからだ。

「あのね、こんな事言ったら、貴史に嫌われちゃうと思うんだけど……言うね。僕、貴史のこと、友達以上に好きだよ」
 そう律里の告白だった。

 一瞬、貴史も驚いてしまったが、そこは酒の勢いとでも言おうか、普段自分が思っていたことが口に出てしまったのだ。

「俺も、お前のこと、すげー好きだ」

「ほんと? キスとかしたいくらい?」

「ああ、したい。全部したい」

 貴史は正直に答えていた。その言葉を聞いた律里は、本当に嬉しそうに笑ったと思う。

「ああ、よかった。嬉しい」

 律里はそう言って貴史に近付いてくると、そのまま触れるようなキスをしてきたのだ。

 離れていった律里を見上げて、貴史はニヤリと笑っていた。

「なんだ。そんなキスしか知らないのか?」
 その言葉に律里は首を傾げている。

「あのな。好きのキスはこんなもんじゃねえんだよ。ちょっときな」
 貴史は再度律里を呼ぶと、今度は律里の後頭部に手を当て、引き寄せるようにして、その唇を奪った。

 それは律里がしたようなキスではない。俗に言うディープキスだ。
 律里の口内を舐め回して、舌を吸い、歯をざらりと舐めていく。
 口の向きを何度も変えて、キスを繰り返すと、律里の口から甘い声が漏れてきた。

「あ……ん……は……」
 唇を甘噛みして、唇を解放してやると、律里は貴史に凭れ掛ってきてしまった。余程衝撃的だったのだろう。

「どうだ? 本気のキスは?」
 耳元で囁くと、びくっと律里の体が震えた。意外に感じやすいのかもしれない。
 貴史はそのまま、耳たぶを舐め、首筋にもキスを落としていく。

「あっ……ん」
 ぴくりと律里の体が反応しているが、嫌がっている様子はなかった。

「どうする? 続きをするか?」
 ここで止まらなかったら、もう止められないと貴史は本能でそう思っていた。このまま律里を食らい尽くしたいと思ってしまっている。今なら、律里が嫌がるなら
、引き下がることが出来るギリギリのラインだった。

「あ、あの……お風呂入ってくる」
 これが断りの答えかと貴史が思ったのだが、律里は意外なことを言ったのである。

「だから、続きはその後で……して」
 悩殺されるとは、こういうのを言うんだと貴史は悟ってしまった。

「あ、ああ……」
 思わず返事を返してしまったが、律里はさっと風呂へといってしまった。今更嘘でしたではすまない状況になってきている。

 だが、これは本来の自分が求めていたものじゃないか? と貴史は気づいてしまった。
 初めて会った時から、妙に惹かれていたのは、こういうことだったのじゃないかと。

「くそっ思い通りかよ……」
 自分の願望が今、まさに達成されようとしているのだ。下心を隠しつつ付き合ってきたというのに、これでは何の意味もなかったことになってしまう。



 今は律里も酔っているから大胆なことを言うのかもしれない。冷静になるとそう思えてくる。

 でも、それでも止まらない自分がいることに気づいてしまった。

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