一瞬の夏

2

 次の日、暑い中、貴史(たかし)が教室を出ると、玄関で律里(りり)が待っていた。

「お、今日も図書室か?」

「うん、今日は早目に終わらせた。貴史と一緒に遊びたかったし」
 少し照れたように律里は言った。
 昨日の貴史の言葉を本気にしていたらしい。

「じゃ、今日は何処行く?」

「ゲームセンターとか行ってみたいんだけど……いいかな?」
 たぶん、その言い方だと、一回も行ったことがないのだろう。   

「オッケー、任せな。俺の守備範囲だしな」

「やった。僕、嬉しい。凄く楽しいよ」

 律里は本当に嬉しそうな顔でそう言った。いけないことをしている感覚が楽しいのだろう。優等生によくある現象とでもいえようか。
 羽目を外しということが、律里の心を軽くしているのは確かなようだった。

 貴史は、いつも行くゲーセンに律里を誘って、色んなゲームを教えた。律里はまったくゲームをしたことがないので、シューティングからガンゲームには夢中になって楽しんでいた。

 お金だけは、必要以上に与えられているのに、まったく遊びには使わなかったらしく、ここでも結構使ったのだが、それでも気にした様子はなかった。
 それから、門限だと言う7時まで、喫茶店に入ったり、街をただブラついて、クレープやらを食べたりしたりした。
 それすら律里には新鮮だったようで、始終笑顔だった。

 その笑顔を見ているのが、貴史には嬉しい事なのだと気がつかせてしまった。このまま律里の喜んでいる姿を見ていたい。そう思ってしまうのだ。

 それは律里も同じだった。貴史の楽しそうなことをする前にする顔が好きだった。悪戯を思いついたように自分には思いつかないことを言ってくるから、驚きと共に楽しみでもあった。次は何が出てくるんだろう? なんだだろう?となってしまうからだ。


 そうして二日目は終わった。


 三日目もやはり、天候は良過ぎて、カンカン照りで、蒸し暑い。

 その頃になると、貴史も補習が終わるのが楽しみになってきた。

 秘密の友達が出来たような気がして、そして更にそれ以上に大事だと思うようになっていっていたからだ。

 律里(りり)のような人は自分の周りにはいなかった。自分の行動にいちいち驚いてみせて、そして微笑んでくれる。それは悪い気どころか、嬉しさに変わっていた。

 そして四日目には、とうとう貴史は自分が恋をしているのではないかという錯覚に陥ってしまった。

 男相手にどうかと思うが、ないというわけでもなかった。ましてや相手が律里ならあり得ても不思議ではないような気がするのだ。
 ただ、向けてくれる好意を無駄にはしたくないとは思う。

 ここで下心を出したら、律里は貴史を軽蔑して去って行ってしまうだろう。

 律里はそういうことには厳しいような気がするのだ。
 直感ではないが、そんな雰囲気があるとでも言おうか。

 無理をしてはいけない。向こうが意識しない限り、この関係は成立しないのだと貴史にも解っている。
 まあ、時間はあるのだから、これからという気分でもあった。

 この学校では、男子同士というのもありという風習がある。だから、たぶんこれもそうなのだろうと妙に納得できてしまうのが恐ろしいところだ。

 今日もまた暑いな。

 貴史はそう思いながら、最初に律里を見かけた校庭をぼんやりと見ていた。
 そう、あの突風がなかったら、律里とは出会わずにいたのかもしれないのだ。

 神なんて信じないが、これは神様の悪戯だと思えてしまう。

 そうでなければ、律里とは会うことすらなかったし、言葉を交わすことも、一緒に遊ぶこともなかったのだから、不思議だと思うのは仕方ないのかもしれない。

 今なら、神に感謝してもいいかな?

 なんて、らしくもなく貴史はそう思っていた。



 今日もまた律里(りり)を連れて出かけることになっている。

 今日は、渋谷まで足を伸ばして、服を見ようと言ってある。ちょうど、貴史が服を買おうと思っていたことを律里に話したところ、律里が興味を示して、一緒に行くと言ったのだ。今流行の服が解らないとももらしていたから、洋服すら親から与えられたものを着ているのだろう。律里はそうしたことさえ普通 にさせて貰えない立場にあるらしい。

 補習を終えると、いつものように、玄関で律里が待っていて、貴史が出てくるのを待っている。
 その立ち姿は、周りの通りがかりの生徒が見惚れる程だった。

 あれは一体何者とも思っているが、声をかけるまでに至らないのは、律里が出している雰囲気だろう。

 人懐っこいのに、一人で立っている時の律里は、人を寄せ付けることをしないのだ。凛として立っている。まるで、一輪の百合の花のようだ。 それに自分が声をかけると、ぱっと顔が笑顔になって、人懐っこい顔が貴史を見つめてくるのだ。
 これを優越感というのだろう。

「律里。待ったか?」

「ううん、来たばっかりだよ」

「じゃ、行くか」

「うん。あ、貴史の服って渋谷じゃないと売ってないようなものなの?」

「いや、他でも売ってるけど、近いのが渋谷の支店で、今ちょうど流行りモノが入れ替わりしてるところでさ。さっそく欲しいわけ」
 貴史がそう答えると、律里はふうんと納得したようだった。

「貴史の私服って楽しみだな。僕、見たいなあ」
 と、律里は口にしてから、ハッとした顔をした。

 まるで口にしてはいけない言葉をうっかり言ってしまったかのように固まってしまったのだ。
 でも、貴史はそれに気がつかなかった。

「補習と追試が終わったら、私服で遊んでやるって。心配しなくても見られるぜ」
 貴史が笑いながらそう言うと、律里はハッとしてから、にっこりと微笑んで返した。

「そうだね……」
 その声は、少し遠いところから聞こえてきたような気がした。




 渋谷に出て買い物となると、かなりの人出で、このクソ暑いのになんで人がこんなにいるんだと言いたくなる程だった。

「こんなに人がいるんだね。何処から来るんだろう」
 律里(りり)は不可思議な出来事に出会ったような感想を漏らした。

「いるところには居るって感じだな……とに、休みに入ったところも多いから学生が多いんだな」

「へえ、皆、こんなところで買い物するのかあ。僕、来たことないから解らないんだけど」

「律里の来たこと無い発言もかなり珍しいな。おっと」

 並んで歩いていたのだが、律里が人にぶつかってよろめいてしまったのだ。
 貴史はさっと腕を取って、体制を整えさせた。

「大丈夫か。あんまキョロキョロしてっと人にぶつかるぞ」
 そう律里の顔を覗き込んで注意をすると、律里はさっと顔を赤らめたていた。

「あ、ご、ごめん。僕……」

「いや、いいんだけど。このまま腕取ってた方が安心だな」
 そう言って、貴史は律里の腕を掴んだまま歩き出した。
 それにはさすがに律里も驚いたらしい。

「そ、そんなことしなくても……」

「気にするな。はぐれるともっと大変だしな」

 まったく気にしてない貴史を仰ぎ見て、律里は思わず微笑んでしまう。なんか自分を心配してくれるのが嬉しかったのだ。
 律里は、貴史に掴まれた腕が異様に熱く感じていた。外温の暑さよりももっと熱い何か。それを感じていたのだった。
 



 貴史の服を決める時は、かなり好みがあるらしく、一着づつしっかりと吟味して、値段交渉までしているのは、律里には新鮮だった。
 自分では服は買わないが、母親が買うようなやり方ではないのは解った。

 ここからここまで包んで頂戴。そういつも母親は言うのだ。こんなウインドウショッピングなんてしない家系で、デパートで一室に通 されて、そこに出てくる最新のブランドものを値段も見ずに買うのだ。

 自分が服に愛着を持たないのは、貴史のように、こうして気に入ったものを吟味して買うようなことをしてこなかったからなのだろう。
 こういう買い方をしたら、たぶん自分はその服を大事に着たりもするんだろう。そう思うと、何故か悲しくなってしまった。

 貴史からは、一般的な高校生というものを教えて貰っている。それは律里には新鮮で新しい発見でもあった。毎日待ちどおしくて堪らない。
 朝起きるのがこんなに楽しいことなのかとさえ思ったりもした。

 そして、自分は貴史に友情以上のものを抱いている。

 貴史の期待を裏切ってしまってはいけないと思っているから、友達から抜け出さないようにしているのだが、巧くいっているのだろうか。
 そんなことを考えていると、近くに貴史が寄ってきて聞いてきた。

「なあ、こっちとこっち、どっちがいいと思う? つーか似合うと思う?」

 貴史がそう言ったので、瞬時に律里は現実に引き戻された。
 なんとか笑顔を作って。

「こっちの方が、貴史には似合う気がする」
 と、赤とオレンジの明るい色のTシャツを指差していた。

「お、やっぱこっちか。律里のお勧めの方に決めたっと」
 ニヤリとして貴史が言うと、律里は驚いた顔をしていた。

「そんな、僕のセンス信用していいと思ってるの?」

「だって、似合いそうって言ったじゃん。だったら似合うんだろ。ま、気にするほどのことじゃないって 」

「そ、そんなもの?」

「そう、そういうもの。じゃ、これ買ってくるから」
 貴史は、もう一枚のTシャツを戻すと、律里が選んだ方のシャツを持ってレジに向かった。

 貴史の言葉を聞いて、律里は嬉しかった。初めて自分の意見を受け入れてもらえた嬉しさもあるし、自分が選んだものを貴史が着てくれるのかと思うと、胸が熱かった。

 貴史も、律里が選んでくれたことを喜んでいた。こういうのは苦手かと思ったが、意外にセンスがいいようだ。本当は値段の関係で、もう一枚の方にしようかと迷っていただけに、自分が欲しかった方を同じように選んでくれたことが嬉しかった。 価値観が違うとは思うが、こういうところは案外似ているのかもしれないと。


 そして、その日は、そのまま渋谷でお茶をして別れることになった。
 乗っていく電車が違うから仕方ない。
 貴史は本当はもっと律里と一緒に居たかったのだが、門限があるという律里に無理を言うのは、やはり出来なかった。

「服、大事に着てね」
 別れ際、律里がそう言った。

「ああ、せっかく律里が選んでくれたものだもんな。大事に着るよ」
 貴史がにこりと笑うと、律里も満足したように、にっこりと笑みを返してきた。

「じゃ、また明日な」

「うん……。明日で補習終わりだよね?」
 律里がそう聞いてくる。

「ああ、そうだけど」
 貴史は首を傾げて、律里を見た。 もうすぐ、律里が乗る電車がやってくる時間だ。

 律里はその電車がホームに見えた頃にやっと言葉を口にした。

「明日、門限破りしたいんだ」

「え!?」

 驚いて貴史は律里を見てしまう。いきなり何を言うかと思えば、門限破り宣言とは思わなかった。
 律里が何を思ってそう言ったのかが解らない。意図が解らない。

「それでね。その門限破り、貴史にも付き合って欲しいんだ」
 再度言われたことに貴史は言葉が出なかった。
 補習が終わって土日が開けると追試があるという日程になっているから、律里の門限破りにも付き合ってあげることは出来る。

「あ、ああ、いいけど……どうするんだ?」

「それは……もし、途中で気が変わったら帰ってもいいから。途中まででも付き合って欲しい。お願い」
 こうお願いされてしまっては断るわけにはいかないだろう。貴史は、にっこりと笑って頷いた。

 それを見た律里はぱっと笑顔になって、門限破りの予定など決めずに、さっさと帰りの電車に乗ってしまった。


 そして、四日目が終わった。

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