Fearless

3

 そのパーティーの日だった。
 氷室家が開いたパーティーは総帥の誕生パーティーだった。氷室宅で開かれる年に一度のパーティーには政界やあらゆる業界の人間が集まってくる。
 ここで商談する人間もいるし、顔を合わせて挨拶をし、今後のためにと根回しの営業をする人もいる。そして氷室家に関わる人間と顔を合わせておくと、のちのち役に立つと思う人間が念を入れて挨拶をして回る。
 緋織は家族と共に出たのだが、御堂家も氷室グループの一員なのでどうしても挨拶に回ってくる人間が沢山いる。その一人一人に挨拶して回り、辟易しながらも顔に出さずにいるのは苦労する。
 特に氷室家の人間と婚姻を望んでいる人間は多いのは分かっているが、御堂家もその類から外れていない。妹の都亞などは男性には人気だったし、兄の伊嗣も同様だ。
 そして緋織もその対象から外れてはいなかった。
 しつこく娘と友達になってやってくれと言われていた。緋織が御堂家の次男であることは、相手からすれば持参金を沢山持った将来有望な金づるに見えているのだろう。
 政略結婚を考えるものもいたし、婿養子にとダイレクトに言ってくる者もいる。それに笑顔で断りをしたりするのも苦痛であるが、断っておかないと後が怖いのも知っている。
 女性は大抵緋織の外見に見惚れ、熱心になってくるが、緋織はそれがどうしても苦手だった。
 自分の容姿に興味を抱くのは人の好き好きだろうが、まったく違った妄想を抱かれることもある。顔が綺麗だから性格もいいと。これが相当間違っているが、ここでそれを暴露するのは駄目で、回りくどく逃げ回ることになる。
 そうした紹介お見合いから逃げ回っている時に気付いた。
 戌亥がそのパーティーに居たのだ。
 綺麗な女性を数人引き連れ、派手に登場した為、周りが皆綺麗な女性に魅入っている。ここにはかなりの美女も沢山いたが、戌亥が連れている女性はグレードが違うといえた。
 周りの客たちが一斉に戌亥の周りに集まって女性を紹介して貰ったりしているものだから、周りの女性陣からは不満の声が漏れている。
 だが、緋織が知っている戌亥はこういう派手なことは嫌いな方だと思っていた。だから緋織も呆気にとられてその様子をじっと眺めてしまっていた。
 今日の戌亥はやはり黒のスーツだったが、いつも着ているのとは微妙にデザインが違っていた。仕事用とパーティー用ではやはりデザインはパーティー用がスッとしていて見栄えがいいように見えた。
 なので緋織がいつも見ていた戌亥とは少し違った風に見え、緋織は少し不安になった。
 戌亥は本当はああいう風に人前に出るような人間だから、自分なんかと付き合っているのはやはりただ御堂家の次男だから仕方なくなのだろうかと。 
 そう思ったとたん胸に何か嫌な重いものがズシリとあるような気分になっていた。
「なんか派手ね、戌亥さん」
 側に居た都亞が派手に登場した戌亥を眺めてから緋織に言った。
 戌亥の登場で男性たちの輪から抜けられた都亞が緋織の側に来ていた。
 緋織は都亞を見下ろして眉を顰めた。
「……都亞?」
「まるで誰かに見せつけてるみたいね」
 都亞は戌亥を睨んだまま言い、その後緋織を見上げて不快そうな顔を一瞬した。都亞は戌亥のことはまったくと言っていいほど気にしてもいないし、ただの見合い相手だったという認識でしなかったはずなのだが、今日は機嫌が悪いそうだった。
「どういう意味だ。俺にはさっぱりだ」
「分からないならいいんじゃない?」
 都亞は謎かけしたまま緋織の側を離れて、従姉妹になる摩鈴のところに行ってしまった。
 その様子を見送って緋織はチラリと戌亥を見た。そういえばここに来てから戌亥とは視線の一回も合ってはいない。
 いつもだったら一回くらいはこっちを見ただろう。前に他の場所でパーティーがあった時は、今回のように近寄れはしなかったが、視線は何回か合っていたと思う。今日はそれが一度もない。
 あのメール以来、戌亥からの接触がなかったから、たぶん戌亥はガキ相手にしているのに飽きたのだろうかとふと思い、緋織は妙に一人で納得してしまった。
「まあ、こうなるよな」
 そう呟いた後。
「わざと見せつけるって誰にだ?」
 緋織は一体戌亥の意中の人は誰なのかを探してしまった。あれだけの美女を連れ回っているところを見ると、相手もそれなりに綺麗な人物なのだろう。
 だがここにはそれなりの美女は沢山いる。氷室から呼ばれら、美女も沢山付いてくるだろう。何せ金持ちが沢山揃っているからだ。玉の輿を狙う人間もいるから普通だろう。
 だが、この中に戌亥が狙っている相手がいる。
 戌亥が気を惹きたい相手、それは誰なのか。それが少し気になってきた。
 周りを見回してみたが、戌亥が誰かに視線を送ることはなく、淡々とパーティーは進んでいく。
「重里さんの娘さんは婚約者したし、まさかそれ狙ってるなら女性は連れてこないよな。あー、他には不動産関係と言えば、東山不動産……でもあそこの娘さんは……」
 色々候補を探してみたが、戌亥が政略結婚を考えるなら、どれも小物過ぎてるような気がする。
 それに戌亥の性格からして、自分のやっていることに不利になるような結婚はしないだろう。大物を狙うならやはり緋織の妹の都亞になる。
 だが戌亥の視線は一向に都亞には向けられていないし、こんな作戦をしなくても、戌亥から御堂家に再度見合いを申し込めば、親は間違いなく飛びつくだろう。
 それに都亞はさっき明らかに不快感を表していたから、これは逆効果にしかならない。
 それでは、他に誰が……と考え込んでいたが、段々苛々してきた。何故自分が戌亥の意中の相手を探すような真似をしなければならないのか。
 戌亥が結婚しようがどうしようが自分にはまったく関係ないことなのだと悟ると、緋織はふうっと息を吐き出してしまった。
「馬鹿馬鹿しい……休憩室行こう」
 熱気を帯びたパーティー会場にいるのが苦痛になってきて緋織は会場を抜け出して控え室のある部屋の前まで来た。
 休憩室のドアを開けようとした時、人の声がしてはたとそれ以上開くのをやめた。少し開いたドアから中を覗くと氷室家の次男が居た。
 彼が連れている彼と何か深刻な話をしているようだった。内容は聞こえないが、入るのも邪魔をする形になるので緋織は入るのを諦めた。
「ここでも邪魔か……」
 そのままもう一つの控え室がある玄関の方まで戻ってきたが、なんだかここにいるのも苦痛になってきた。
 パーティー会場に戻る気もなく、暫く玄関近くで立ちすくんでいたが、パーティー用の自己紹介もすんだのだからここに居る必要もないことに気付いた。
「……帰ろ」
 タクシーでも呼んでもらえればそれで家まで直行だ。玄関に居るパーティー主催者にタクシーを頼むと、すぐに呼び出しをしてくれ、控え室で待つようにいわれ、緋織は玄関脇にある控え室のソファに座って待った。
「……なんだろうな、これ」
 一人で呟いてみて、緋織は自分が妙に気分が沈んでいることに気付いた。
 だがその沈む理由が分からず、緋織は少し戸惑っていた。
 こんな気分になったのは、親兄弟が居なかった時だ。
 父親や母親がアメリカに居る間に、伊嗣と都亞が水疱瘡になり、隔離されるように祖母宅へ行った時だ。
 祖母は優しかったし、その家も居心地は悪くなかったが、そこを自分の家だとは思えなかった。何か足りなくて寂しくて、一人で布団で泣いた。
 そんな寂しさがある。
 その時の寂しさと似た、何かを恐れる寂しさが自分を不安定にさせているのだ。
 だが一体自分が何に寂しいと思っているのかが分からず、緋織は戸惑っていた。
 この気持ちは一体なんなのだ。
 それが余計に緋織を不安にさせて、座っていることさえ苦痛になる。
「くそ……なんなんだよこれ……」
 胸が苦しくて息が荒くなって、自分でも気付かないうちに心臓当たりに手を当て、そこをギュッと握ってしまっていた。
「大丈夫ですか……?」
 俯いて心臓を掴むような体制でいたところにさっきのパーティー主催者がやってきて心配した顔で尋ねてきた。
「あ……大丈夫です。すみません」
「そうですか? タクシーの方、門を潜りましたのですぐ玄関口に到着します」
 主催者にそう言われて緋織は玄関の方へ移動した。すぐにタクシーは玄関前に着いていてドアを開けてくれた。
「お待たせしました、どうぞ」
 それに緋織が乗ると、誰かが閉まるはずのドアを押さえつけているのに気付いた。
「ちょっとお客さん」
「……戌亥?」
 タクシー運転手が焦ってドアを掴んでいる客に乗るのか乗らないのか尋ねると、戌亥は緋織を奥に押しやって乗り込んできた。
 どうして戌亥がここにいるんだ?と混乱する緋織を無視して、戌亥は行き先を戌亥の家の住所にして伝え、タクシーは同席するのだなと納得して発進した。
「ちょっと、戌亥、どういうことだよ」
 驚いてタクシーが走り出してからハッとして緋織が文句を言うのだが、戌亥は無言で座っている。
 その戌亥の横顔を見ていて戌亥の機嫌はどうやら悪いらしいことに気付いた。
 背もたれにしっかり体を預けて腕を組み座っているが、戌亥の視線は前を見ている。一度も緋織に視線を合わせようとはしてこないし、会話をしようともしてこない。
 一体何がどうなってこうなっているのか、緋織には理解出来ない。
 何が気に障ったのか分からずに緋織は尋ねた。
「あのさ、何か怒ってんの?」
「分かってないならいい」
 戌亥はふうっと息を吐いて、そう言うだけで後は何も言ってこない。黙ったまま車の中には沈黙だけだ。運転手も気まずいのか話しかけてこない。
 緋織は一応下手に出て尋ねて見るも取り付く島もない。何に怒っているのか分からず、緋織はいつもより怯えたように戌亥を盗み見していたが、戌亥の家が近づいてくると考えるのを止めた。
 どうせタクシーだから言わないだけで、家に帰ったら言うのだろうと思ったからだ。
 タクシーの中で喧嘩をするのも外聞が悪い。緋織は諦めて前を向いた。
 タクシーは戌亥のマンションに着くと、さっさと緋織たちを下ろして去っていった。
 戌亥は緋織を逃がさないように腕を強く掴んでマンション内に入った。
「ちょっと……」
 強引な行動に緋織は文句を言いそうになったが、ここで文句を言っても無駄なのは分かってしまったので黙ってついて行く。
 マンションの出入り口のセキュリティーを外す時も、エレベーターに乗っても強く掴んでいる戌亥の手は離れない。
 部屋のドアの前に来ても戌亥は手を離さないままで鍵を取り出して開けて入る。
 一体何に警戒しているのか、緋織には分からない。 逃げないようにしているのかと思うが、緋織には逃げる理由がないのでやはり意味が分からない。
 玄関が開いて中に入っても戌亥は緋織を引き摺るようにして引っ張り、ベッドがある部屋まで緋織を連れて行き、ベッドに放り出すようにしてきた。
「……っ!」
 ベッドに倒れ込んだ緋織はさすがにこの扱いは無いだろうと戌亥に怒鳴った。
「何で怒ってるのか知らないけど! こんなことしなくてもちゃんと付いてきたって! 一体何に怒ってるんだよ! この扱いはさすがに頭に来る!」
 ベッドから起き上がって緋織が戌亥を睨み付けると目の前に居た戌亥から怒りが少し切れたようになった。
 戌亥の怒りがどこにあるのか本当に緋織が分かっていないことにやっと気付いたのだろう。だが緋織は叫び続けていた。
「お前が意中の相手の気を引けなかったからって俺にあたるなよ! つか、なんで俺がお前に怒られきゃならないんだ!」
 緋織は理不尽な扱いをする戌亥を睨み付ける。今は感情など抑えられないし、パーティー中からずっと苛々していたのも手伝って、緋織は怒鳴り続けた。
「お前が誰と寝てようが俺には関係ないだろう! いちいちセックスであたられたらたまらない!」
 ここまで言うと、戌亥は戦意をそがれたようになって、なんというか、呆れたような顔をしていた。
「……お前は、まったく……」
 はあっと息を吐いて戌亥がベッドに腰を掛けた。
 怒鳴っている間、かなり支離滅裂になってしまっていて緋織も自分が何に怒鳴っているのか訳が分からなくなっていた。
 吠えることで不満を沢山言ったつもりだったが、戌亥の戦意が削がれたのが意外だった。
 けれど戌亥の戦意がなくなっても緋織の怒りの頂点は下がってこない。理由を聞くまで、納得できるまではだ。
「一体何に怒ってるんだよ!」
「お前だお前」
 掴みかかるようにして緋織が聞くと戌亥は緋織にだと言った。
「俺? 何した?」
 緋織は自分に非はないはずだと首を少し傾げた。
すると戌亥はボソリと言った。
「約束をしてくれなかっただろう」
 どうやら戌亥はあの約束のメールを反故したことからずっと緋織に怒っているのだというではないか、。そんなことを言われても緋織はちゃんと理由を説明したはずだ。
「それはメールで言ったじゃないか。というかお前もパーティー会場に居たじゃん!」
 戌亥だってパーティー会場にいたのだから結局のところ行く先は一緒だったに違いない。
 だったら何も怒る必要はない。
 緋織がまたヒートアップして吠えると、戌亥はまだ緋織が意味を理解していないという顔をして溜息を吐いた。
「そうじゃない。お前は……その、俺との約束は何を置いても一番にしてくれていただろう?」
 戌亥が言いにくそうに言ったがそれは本当のことだったので緋織は頷いた。
 それが何だというのか。ただ戌亥と居るとそれなりに楽しかったからだ。約束した相手よりも。
「だから、今度も俺のことは優先してくれると思いこんでいた。だが結果は違った」
 戌亥がそう言うので緋織はうん?と考え込んだ。
 どうやら話の食い違いは、あの約束を断ったこと自体にあったらしい。緋織はまさかそんなことが原因だとは思いもよらずに聞き返していた。
「ちょっと待てよ。俺が今までお前のことを優先していたのに今回は違ったから怒ってたって?」
「そう言っているだろう」
 戌亥が開き直って言うので、緋織は呆れた顔をして怒鳴った。
「だったらあのキラキラした女を何人も連れて行く意味は何なんだ!?」
 あんなややこしいことしてまでやってくる意味が理解出来ない。ああやって緋織を驚かそうとしたなら、あそこで話しかけてきてびっくりとかはありそうだが戌亥はずっと緋織を無視し続けていた。
 怒っていての仕返しなら、女性を蔓延らせてどうするっていうんだと緋織が言う。
「…………」
 さすがの戌亥もアレの意味を理解してくれてないとは思わなかったし、緋織にはこういうやりとりはまったく通じないことを戌亥はやっと悟った。

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