Fearless

2

「そんで、ご飯じゃなくてお前が食われたのか?」
「うん」
 大学のお昼休みに食堂で学部が同じ藤木東依(ふじき とうい)が緋織の話を聞いて呆れたように言い返してきたので緋織は素直に頷いた。
 緋織は基本的にはオープンな性格なので、秘密と呼べるものは持っていない。友達なら緋織の詳しいことは知っていたりする。中でも東依は小学部からずっと一緒にいたクラスメイトで、それが長く続いた結果、一番の親友になっている。
 あまりに緋織のあっけらかんとした言いように、長く付き合ってきた東依でも驚く。
「一年前にいきなり出会い頭にやっておいて、それ以降何もなかったのに、一年後にいきなり……そういう流れにっておかしいよな?」
「うん」
 今度は東依が即答した。
 あまり悩みがない緋織でも悩むほどおかしいと思える状況である。だから相談をしたのだが、その相談そのものがすでにおかしい。
 男と寝たということは幸いなことに緋織だったらあり得ると皆思っている。だからそういう相談を出されても誰も驚かないが、相手が問題だ。
 起業家とはいえ、雇われ社長でヤクザ関係。それだけでも関わるべきではないと思うのだが、御堂家自体がその会社を認めている経緯もあり、付き合いは緋織を通してまだあるらしい。
 目に見えてヤクザではないから問題にもしないらしいが、やり方はかなり鬼のようだと言われている。だがそれは見る人がみれば、やり手なのは確からしい。最近ではその企業に入りたいという大学生もいるというから、有名企業にはなってきている。
 不動産関係と金融業なのでヤクザっぽく見られるのは仕方ないだろう。元がヤクザなだけに。
 そんな男と知り合いでたまに会っている緋織だが、本人は飯に釣られているらしいが、男の目的が最初に分かっていたのに、それくらい問題にはしていない。
 実際やったことはやったが、あれ一回で終わっていることだったから緋織も悩まずにいたのだ。だが一週間前から事情が変わった。
「大体何なんだよ、戌亥のやつ。いきなり携帯は絶対オフにするなとか、メールで毎日返事寄越せとか。意味分からん」
 緋織がそう言い切ると、そこまで聞いてなかった東依がまさかという顔をした。
「その戌亥さんとやら、お前の行動を知りたがっているってことか?」
「そうじゃないのか? 今日何やってたとか聞きたがるし、どこかへ出かけるなら連絡入れろとか言い出すし、その必要性が訳分からん。俺の兄や母ですらそこまで過保護じゃないぞ。大体今まで無関心だったくせに何言い出してんだよ、たくっ!」
 緋織はまったく戌亥の行動の意味を理解出来ずに一人で文句言っているが東依には分かってきた。
「それ……お前の行動を監視してるんじゃないか?」
「はあ? なんの為に?」
 緋織は不審な顔をして東依に尋ねる。
「だから、お前のこと、好きなんじゃ……とか」
「まあ、抱くくらいに気に入って貰っているんじゃないかとは思ってたけど、好きとかないない」
 緋織は自分のことは食事に誘ったり、抱くくらいだから一応は気に入って貰っているとは思っているが、恋愛のように好きなどという感情は戌亥にないのは今までの一年でよく知っていることだった。
 緋織は東依の言葉に手を振ってあり得ないと答えた。
「東依おかしいこと言うなよ。戌亥にその気があるわけないじゃん。普段近づかないガキが珍しかったんじゃないか」
 緋織は自分のことを特別だと認識したことはないのでそんな感覚になるのだが、東依からすれば緋織のその自分を特別だと一度も思ったことはないという感覚がおかしいと思っていた。
 今回のことにしても、どう考えても相手が緋織を束縛しようとしているのに緋織は気付いてないからおかしい。
 緋織は特殊な環境で育っているので思考回路もおかしいのだが、束縛されることに対しても嫌々ながらも対応しているところを見ると、戌亥相手だと仕方ないと思えるらしい。
「お前はさ、戌亥さんのことどう思ってるわけ?」
 気になった東依が尋ねると、緋織は一瞬だけハッとした顔をになりうーむと考え込んで言った。
「飯おごってくれる人。大人の知り合いって多いけど、戌亥ほど俺のことを適当に扱うヤツは居ないからちょっと面白かった」
 一年前から戌亥に呼び出されて出かけてしまうのは、戌亥が緋織を御堂家の緋織として扱わないことが気に入っていたのだろう。それが分かっていたから戌亥と他の大人との付き合いは断然に違っていた。
「それは気になる人ってことじゃねーか。相変わらず鈍いなお前は」
「あーそうか。確かに気になるから一緒に居ようとしてるんだよな。人との約束あっても戌亥を優先してる……つか、気になる程度でなんで俺は戌亥を優先してたんだ?」
 根本的に何か違う疑問だ。
 さすがの東依も呆れてしまった。そこまで気になるから一緒に居ようとしているのに、優先するのがおかしいと今更言うところが緋織らしい。
 そんなおかしな状況に一年も付き合っておきながら本人が深く考えたことがないというのだ。
「お前はさ、そういうの考えたこと今までなかったんじゃないか? 誘われれば大抵乗ってたし、付き合いも悪くはない。けど、相手から誘われて嫌々ながらも飯が食えるからとはいえ、自分を抱いた相手に一年も足繁く通ってるんだもんな」
「うーん」
「付き合いはいいのは認めるが、お前は面倒なことになるのを嫌うんだよ。これ駄目だなーと思うとさっさと身を引く。そういう諦めの良さは昔からあるよな」
 つまり戌亥は緋織にとって面倒なことであり、駄目だから身を引くことでもある。なのにそれすらせずに戌亥に付き合って来たのだ。
「そういうの抜きにしてでも戌亥さんと付き合ってみたいって思ったのはある意味進歩だけど……お前のうち、こういうの大丈夫なのか?」
 つまり男同士で付き合うことである。
 御堂家は確かに婚姻によって色んな力を手に入れてきた。それは生まれた女の子を婚姻させてであるが、男でも婿養子に使う手は残っている。
 長男である伊嗣がいる御堂家は、緋織をその対象にしているはずなのである。
「うーん、その辺は自由にって。伊嗣さんが家を継ぐから家は問題ないし、都亞もいずれはどっかに嫁ぐだろう。けど、俺を婿養子には使えないって誰も彼も思ってるらしいよ。ほら、俺性格悪いし」
 家族や親戚には緋織の性格はさっぱりしているので人気があるのだが、女性に受けたことはない。緋織の自由気ままな性格や、やることなすこと無茶苦茶なところは女性には好まれないのだ。
 それに約束をしていても今の緋織の優先順位は戌亥が一番上にある状態で、約束を突然反古にすることもあることが分かって、更に女性には約束を守らない人間とされてしまっている。
 ただでさえお坊ちゃんで自由気まま過ぎるところで感覚のずれを感じている人はここで完全に脱落する。
「まあ、お坊ちゃん体質で金の出所を気にしたこともない、そんなヤツが婿養子で勝手気ままにやるのは無理だよな……お前、女の子の受けが悪いし」
「そうそう、なんでか女の子は友達だったら上手く行くけど、恋人って無理だよな」
 東依はそんな緋織の性格は知っていたし、昔から変わっているのも分かっているから付き合えているし、元々べったりとくっついて遊び回っているような関係ではないから、緋織くらいに自由な人間の方が付き合いやすいと思っている。
 だが中には約束を反古にしただけで、もう友達じゃないと言い出す人間には緋織と付き合うのは無理だった。
 元々家の用事などで抜けることが多かった緋織の事情が分かってないと理解出来ない行動にしか見えないだろうし、女性は自分を優先して当たり前という考えがあるらしく、緋織の行動を理解出来ないから批判する者が多く、緋織の評判は頗る悪い。
 よって大学に入ってからというもの、緋織のちゃんとした理由で抜けることを理解出来ない人たちはすっかり緋織から離れてしまっている。
「金持ってるのに、お前、変なことに使うのは嫌がるし、奢ると言っても居酒屋でだけだもんな。そういうところ俺は好きだからいいんだけど」
「そういうのならいいんだよな。つーか俺奢ったことないし。皆割り勘でやってくれるから好き」
つまり御堂家の金目当ての女なら寄ってくるが、緋織のいい加減な性格についてこれるほど、金目当ての女はなかなかいないということだ。
 友達になりたいという人間ももれなくこれに当てはまり、緋織が散々して遊んでいると誤解して、実際は緋織が遊んでないことを知り、そういう遊びにはまったく付き合わない性格なのを知ると、面白くないし、カモにもならないと離れていく。
 そうして残ったのは、緋織を理解して仕方ないなあと笑って許してくれるような人間ばかりになった。ある意味、金目当ての人間は一掃した状態だが、緋織はそうなっている事実を実はあまり理解してない。
 しかしこうなると緋織のことを振り回せるのは、緋織の家のように金持ちで、緋織が興味を失わないような人でないと無理ということなのだ。
今のところ緋織が興味があるのは、戌亥だけである。あの男が何を考え何を言ってくるのか、それだけにしか今は興味がない。
 そうし向けたのは戌亥だ。
 散々緋織を振り回してきた相手。
 その昼が終わったとたん、緋織の携帯に戌亥から何をしていたのかというメールが入ってきていた。緋織の携帯は一日それほど鳴るわけではないが、今日だけでも朝一回、授業が終わった後ごとに一回、そして今かかってきているので、合計4回目だ。
「あーもー、なんで戌亥ばっかなんだよ! もうなんでいきなりそうなるんだよ!」
「吠えるな。お前はパニックになるといつもそれだな」
 普段淡々とした性格の緋織がパニックになるといきなり大声で吠えるように怒鳴り出す。これになれてない人はその変貌ぶりに呆気にとられて、実は怖い人なのだろうかと不安になるらしい。
 東依はいつものことだったので苦笑していた。
 緋織の携帯には見事に戌亥という名前が並んでいる。あまりに腹がたったので今度は「馬鹿ヤクザ」と入れて置いたところ、その「馬鹿ヤクザ」が沢山入ってしまっている。意味はないし余計に腹立ってしまったのは本末転倒だ。結局昨日あまりの不毛さに名前を戌亥に戻した。
 飯食ったとメールを打って返すとそれで終わる。たったこれだけの作業だが、緋織には面倒なものだったし、ここまでこまめに誰かにメールを打ったことはない。親友の東依にだってこれほどの間隔でメールを出したことはない。
「そういや、俺のことはなんて言ってるんだ?」
 緋織が昼食は時間があればいつも東依と取っている事は戌亥も知っているが、東依について戌亥は何も言ってなかった。
 緋織が友達だと言うのを信じているらしい。まあ、そういうことで緋織が嘘を言ったことはないからだろう。何より、緋織が戌亥を優先していることが関係しているのかもしれない。今まで一度とて緋織は戌亥に誘われて他の人を優先したことはなかったからだ。
「普通に友達だって。小学校の時からのクラスメイトで、面白いヤツだって言ったけど、戌亥はそうかってだけ」
「ふーん、俺はお前の側にいる相手としては合格らしいな」
 緋織の言葉を聞いて東依は苦笑していた。
「合格って何だよ」
 緋織がキョトンとして尋ねる。
「まあ、お前は知らなくていいってことじゃね?」
 東依は笑い、眉を寄せている緋織の肩を叩いて、次の講義に間に合うように時間を知らせた。
 戌亥から次の呼び出しの連絡がきたのは、週末のことだ。ちょうど連休になっていて三日大学は休みになっている。だが戌亥が誘ってきたその日には御堂家一同が氷室家のパーティーに出ることになっていた。
 そのパーティーには緋織も出るように言われていて、戌亥から入れられた後の約束を守ることは出来ない。よく考えてみれば今まで戌亥の呼び出しと御堂家の行事が重なったことはなかった。
 この場合はどうしても戌亥を優先させることは出来ない。パーティーをキャンセルして戌亥を優先させる大した理由がなかったからだ。これでは家族を納得させることは無理だった。
 その旨を伝えると、戌亥からの返答はなかった。
「一応伝えたし、大丈夫だよな?」
 別に待ち合わせ場所を決めたわけでもないし、緋織には抜けられない用事があることは伝えた。その返事はまだないが緋織は大丈夫だろうと思った。
 その日から戌亥の執拗な状況連絡のメールが入らなくなった。だが緋織は戌亥がまた以前のように戻ったのだろうと思い、少し鳴らない携帯が寂しかったが気にしないことにした。

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