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12

「失礼します」
 那央(なお)はそう言って副社長室に入る。しかし、いつもの椅子には座っていなかった。

「こっちだ」
 そう言われて見ると、侑(ゆう)はソファに寝転がっている。
 どうやら仮眠を取っていたようだ。

「寝ているところおじゃまします」
「ああ、那央、ここに座って」
 侑は起き上がってそう言う。那央が言われた通りに座ると、その膝に侑が頭を乗せる。どうやら膝枕をしてほしかったらしい。

「ずっと那央を呼びたかったのに、伊達が仕事の邪魔になるからなんて……」
 すっと伸びてきた手が那央の頬を撫でる。

「ああ、那央だな」
 侑はそうほっとしたように言う。
 いつもよりぐったりとしたような仕草が珍しくて那央はどきりとした。
 
「そうですよ。どうしたんですか? お疲れですか?」

「ああ、ちょっと徹夜の仕事があってな。那央が来た時には終わってたんだが、休めと言われてちょっと寝ていた」

「ご苦労様です」
 那央はそう言って、さっき言っていたことを思い出した。
 疲れている人を撫でたくなる。その人は目の前にいる。

 思わず手が伸びて、そのままゆっくりと侑の頭を撫でだした。
 侑は何も言わなかったので、那央はそのままなで続けていたが、暫く撫でた後で侑が言った。

「……びっくりだな」 

「え、あ、すみません」
 撫でられることが嫌なのかと思い、那央はすっと手を引っ込めようとするがその手を捕まれた。

「いや、いいんだ、やってくれ」
「あ、はい」
 那央はやってくれと言われて嬉しくなってする。

「……撫でられるなんて、本当に二十五年くらいぶりだな」
 侑は昔を思い出したように呟いていた。二十五年とはずいぶん昔過ぎるし、年齢を考えればまだまだ母親に甘えていたころのはずだ。

「お母さんは撫でてはくれなかったんですか?」
 那央はそう言ってからハッとして口を押さえた。失礼なことを聞いたのがすぐに解ってしまったからだ。侑の経歴は事細かに経済誌に出ていたから一般人の那央でも詳しく知っている。それなのに母親はなんて言ってはいけないことだった。

 恐縮したようになった那央に侑はにこりとして構わないと言う。

「母とは離れて暮らしていたのでね。氷室の子供達の話は知っているか?」
 そう侑は聞いてくる。氷室の子供関係のことは経済誌では普通に有名で知らない人はいないようなものだ。

「あ、はい。失礼ですが、事実の範囲で……妾の子の集まりだと」
 普通に育った子供ではないと聞いたことがある。特に長女が生まれて母親の元で暮らすまではずっと三男まで氷室の本宅に引き取られていたはずだ。

 そうすることで氷室の後継者にふさわしいものを作ろうとしたらしい。その思惑は、成功していると言えよう。しかし生まれてからすぐに母親から引き離されて本家に来た長男と三男とは違い、本当の母親から奪うように引き離された侑だけは、少し特殊だった。

「失礼ではないよ、本当の話だからな。私はその次男として引き取られた。氷室の子として認知されるのには、DNA鑑定やらするのだが……見事証明されてね」

 その言い方は昔を思い出すものだったらしく、懐かしいというような言い方で、何も自分を幸福だの不幸だの思っているわけではなさそうだった。
 まるで、思い出を語っているかのようなそんな感じだ。

「嫌だったんですね?」
 でも氷室の子供だと認められたことは、侑にとっては幸福なことではなかったはずだ。

「ああ、母親を一人にしたくなくてな。けれど、うちは貧乏で、生活保護を受けていた。母は働けない身体になっていたが、子供を身ごもっていた。次に結婚する相手の子を。私は結婚を勧めたが、母は更に身体を崩した。緊急の手術が必要で、お金も必要だ。しかし結婚相手にだってそんな金はなかった。母と新しく生まれる子を諦めるしかない。そんな時、私が何を思ったか分かるかい?」
 侑はそう言って、那央に話を向ける。

「自分が氷室に行くのに、援助を。いえ、自分を売ったんですね」

 那央はそう言った。自分でもきっとそうしただろう。
 なにせ、氷室は侑を欲しがっていた。学校での成績は良くて、しつけもちゃんとされている評判のよい子供。氷室は直系の血を引く子なら、誰でも受け入れる用意があったらしい。元々正妻は子供を産むことが出来ずにいた為に妾の子を多く望んでいた時期だ。

 実際、長男の母親は有名な芸術家であったが、子供を差し出したことでより一層の援助を受けて世界で有名になっていた。

 侑の母親も芸術面では有名な人だったが、身体が弱く、家が没落してからは、放り出されるようにして孤立無援になったそうだ。

 その一つに、侑を産んだことがあるのだという。それは有名な話だ。その子供が氷室の子だったことは実の祖父母は知らなかったらしい。母親はその子供が誰の子供であるかをずっと隠してきたのだという。


「ああ、そうすることで母は助かると聞いてね。実際、そうしたところ母は最新の医療を受けられ、子供も助かり、その後は幸せに暮らせた。が、私が勝手に決めたことを最後まで悔やんでいた」

「自分が枷になり、侑さんが氷室へ行くしかなかったからと思っていたからですね」 

「その通り。私は別に氷室を嫌がっていたわけではないのだよ。最良の場所だったと今でも思っているし、環境にも感謝をしていた。母が助かるなら、どうなってもいいと思っていたから、案外環境がよくて拍子抜けしたくらい。でも母はそうは思ってなかった。氷室から支給されるお金はほとんど手を付けずにやってきたらしい。そう言われて、昨日、弟に、そのお金を突っ返されてきたところだ」  
 そう言われて見ると、机の上に封筒がある。
 あれがそのお金が入金されていた通帳か何かなのだろう。

「そんな……弟さんは事情を知らないんですか?」
 弟を助けるために、母を助けるためにしたことだ。そのお金はずっと感謝を込めて送ってきたものだったはずだ。
 それを知らないのだとすると悲しくなってしまう。

「私が貧乏が嫌になって母を見捨てたのだと思いこんでいるらしい。まあ、事実はどうでもいいのだが、母が悔やみながら死んでいったのには間違いはないわけだ。そう言われたからね」
 そう言って侑は苦笑いをする。
 弟はなかなか頑固なもので、真実を受け入れることは出来ないだろう。

「だから落ち込んでるんですね……」
「……ああ、まあそういうとこだ」
 侑はそう言って黙った。
 本当に落ち込んでいるのだろう。力が出ないという勇者のようだ。

 戦いたいのに、すでに力を奪われてしまっていてというそんな感じだ。

「弟さんには真実を話された方がいいですよ。勘違いしたままでは、両方とも苦しいままです。もしかしたら弟さんは真実を聞きたいだけなのかもしれません」
 那央はなんとなくではあるがそう言っていた。

「何故そう思うのだ?」
 侑は不思議そうにそう聞いてきた。

「弟さんがそうやって、わざわざ見せつけるかのようにして、怒りを表しているから。そう感じるんです。侑さんから真実が聞きたいって……そんな風な」
 那央はそう思った。

 弟は兄を恨んでなどいなかったはずだ。母親が最後に悔やんでいたということを聞いて、そうして死んでいく母親を兄のように助けることもできず死なせてしまい、その怒りをどこへ持って行けばいいのか分からずに、侑に向けているに過ぎない。
 それを甘んじて侑が受けているから更に腹が立ってくるのだろう。
 本当のことを言えと。

「そうか、真実か……言ってやってもいいかな。那央がそう言うなら……」

 侑はなんだか偉そうな言い方をしたが、隠すことによってより相手を怒らせているとは気づいてなかったらしい。家族に向ける愛情というものを彼は本当の意味で知らなかったようだ。
 那央はそんな印象を受けたが、この感じどこかで誰かのような雰囲気がした。

 自分が吐露した言葉で相手から、しかもつらい人からもらった優しい言葉。
 あれは自分もまた母親を亡くした時だったはず。けれど、その時の目まぐるしい変化の日々でその重要な人の顔を覚えてなかったことをこれほど後悔したことはなかった。

 あの人にちゃんとしたお礼をしたいのに……。
 そう思っても見つかるはずない。 
 そう簡単に見つかったら苦労はしなかっただろう。

「……侑さんに似てたかな……もしかして」
 声の雰囲気は似ていると思う。だから気になっていたのだろうが、まさか同じような境遇の人だなんて、まさかと那央は思う。

 けれど、聞こうとした相手はすでに眠ってしまっていて、話をすることは出来なかったのだった。
 

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