Blueシリーズ innocent indigo blue

5

 玻璃が雨宮のところに来てから二年があっという間に過ぎた。
 二年目に突入した日は、ただただセックスをした。
 雨宮はそういう約束だっただろうと平然といい、たっぷりと玻璃を抱いた。
 年齢的な何かが関係してはぐらかされるのだろうと玻璃は思っていたが、雨宮はそういう貞操概念はなさそうだった。
 それからは毎日のように雨宮は玻璃に手を出した。
 仕事から帰ってくると、玻璃が寝ていようがどうしようが起こしてでもセックスをする。まるで箍が外れたように雨宮は玻璃を求めてきた。
 それは玻璃には嬉しい変化で、雨宮がいつでも盛ってくれることが楽しみだった。


 二年も経てば、玻璃も外へと出ることができた。
 ただ雨宮が同伴している時だけ、カツラや変装をしての外出であったけれど、それはそれで玻璃は楽しかった。
 人が少ない公園、海が見える桟橋、そうしたところばかりを雨宮は選んでいたけれど、玻璃にはむしろそうしたところの方が珍しく楽しかった。
 黒のカツラは雨宮が選んだ短髪で、流行のマッシュルーム系のウエーブが掛かったものだ。男物ではなく女モノに近いジャンルの服を選んで、二人でいてもおかしくはないようにコーディネイトされていた。
 玻璃はずっと女モノを着せられてきたせいか、抵抗なくそれを受け入れて着た。
「壮さん、カモメに全部、エサ取られたー」
 桟橋の観光地で玻璃はカモメを相手に楽しんでいるが、餌を全てかすめ取られてしまい、周りから笑われている。
 季節は秋から冬になりかけていて、海辺は寒かったけれど、その寒さは生きている証であるから玻璃はそれも楽しんだ。
 雨宮は大して表情は動かない。笑っている時もあるが、大抵は表情を動かさないで何を考えているのか分からない表情をしている。
 けれど、それは人前でのできごとで、笑えと言われたら笑う。実際ホストクラブにいる時は常に笑っている人だったという。
 しかし普段はそんなに感情が動く人ではなく、驚いたり噴き出して笑うような場面でも彼の表情は変わりない。
 それでも玻璃は些細な雨宮の感情が出る瞬間が好きだった。
「……もう一袋買ってくればいい」
 そう言って小銭を玻璃に与えるのだが、言葉の先の沈黙は少しだけ笑っている沈黙だ。それが分かるようになって、玻璃はその瞬間を逃さないように雨宮の感情に敏感になった。
 機嫌が取りたいのではなく、ただ感情を知りたいから玻璃はそれを伺うようになってしまったが、雨宮はそうした玻璃に気付いても嫌ではないので何も言わない。
 もし玻璃が機嫌取りにそうしていたとしたら、雨宮は止めさせていただろう。
 玻璃はもう一袋、餌を買ってきて、今度は取られないように上手くカモメに餌を投げてやる。
 カモメは餌をくれる玻璃に群がるように飛び、上手く餌をキャッチして飛び去っていく。そんな姿を誰かがスマートフォンで撮影をしているが、玻璃は顔をマスクで隠し、更にフードを頭から被っているので撮られても玻璃と見抜ける人はいないだろう。
「壮さん、終わったよ~。カモメ凄い。生きるために必死だもん」
 玻璃は言いながら雨宮の隣に座る。
「……さっきから写真撮られてるけど、壮さんは大丈夫?」
どうやら雨宮が玻璃を心配しているよりも、雨宮を写真に収めている人が玻璃からすれば多く見えたのだという。
「やめろと言って聞いてくれる相手なら、そもそも写真なんて無断で撮らないだろう」
「まあ、ああいう人は消してくれないよね……変装してきてよかった」
 そう言って玻璃はサングラスも掛ける。こうすれば目の色の違いも誰にも分からなくなる。
 夏はこうはいかないので、外には出ないのだが、冬はこうやって着込めば誰にも肌について言われることは減る。
 さらには肌が目立たないように白で統一された服を着させられているのも、目立たない理由かもしれない。雨宮が黒で統一された服を着ているから玻璃とのコントラスト的には合っている。
服をユニセックスにしたお陰で玻璃が雨宮にくっついていても誰もおかしいとは思わない。
 外で誰かと一緒にいて楽しいのも、玻璃には子供の頃以来だった。
「あの時、僕が変な人にあんなことされなかったら、僕は普通に暮らせたかな?」
 そう玻璃が雨宮に聞いた。
「もし、何てことを考えるのは無駄だ。もしは起こらないし、最善を尽くしても駄目なときは駄目なもんだ。自力でできることならば努力次第でどうにかなるだろうが、それをしても他人の力に敵わない時は、どうにもならないもんだな」
 そう雨宮が言うので、玻璃は雨宮に聞いた。
「それは経験から? それとも?」
「……経験だな」
 少しだけ雨宮は遠い目をした。
 ここまで生き残ってきたけれど、よく生きていたなと思うのは誰にでもある。
 玻璃もそうであるし、雨宮もそうだった。
 お互い、この世に信用できる人なんて存在しなかった。
 ただ玻璃は変わっていた。
 慌てて雨宮の手を取って、玻璃は言った。
「僕は、ずっと壮さんの味方だよ……絶対!」
 玻璃がそう言うと雨宮は目に見えるように目尻を下げて笑った。
「……そういうのは要らないんだよ。お前が側にいればいい、それだけだ」
 雨宮のその言葉は、玻璃にとって一生涯忘れることができない言葉だ。
 味方じゃなくてもいいから、側にいて欲しいと雨宮が思ってくれていることが玻璃には想像もしていなかったことだった。
 とっくに雨宮は玻璃を受け入れていて、ちゃんと約束通りに手を出した。
 それが雨宮にとって破滅への道だったとしても雨宮は後悔しないという現れだ。
 年齢的に大問題の子供に性的なことをするという犯罪を雨宮はしているのだけれど、玻璃はそれを絶対に同じ虐待ではないと思っている。
 けれど世間はそうは言ってくれず、法律は保護者である養父母が警察に訴えたら雨宮が犯罪者になってしまうというのだから、おかしな世の中だと玻璃は思った。
「僕は、壮さんが好きだよ……」
「……そういうのは要らない」
 雨宮は言葉を一番信用しない。
 人間、口からでまかせをいくらでも言う。態度や行動で示してくれた方が一番分かりやすい。
 愛なんてモノは語るものではないし、感じるだけのものだと雨宮は思っている。
 唯一、雨宮が感じた愛情は、雨宮を助けてくれて引き上げてくれたあの人だけだった。けれど、何年も経って自分がそういう存在になれていることに気付いた。
 玻璃にとって、雨宮があの人に感じたように思ってくれていることが嬉しかった。しかし、それは玻璃が旅立つまでの僅かな間の幸福なのだと、雨宮はやっと気付いた。
 だから、愛情は要らない。
 玻璃はいつか雨宮から巣立っていくのだから。
 かつて自分がそうだったように、玻璃も大人になるのだ。


頑なに玻璃の愛情を受けないことに、玻璃は少しだけ落ち込んだ。
 外に出られるようになってから、玻璃はよく雨宮の事務所に出入りしていた。そこは従業員と関係者しか入ることができない場所で、雨宮の仲間しかいない安全な場所だった。
 事務所までは外階段で非常口から入っていけるので、玻璃は誰にも会わずに忍び込めた。
 最初に事務所で会ったのは、クラブ経営者の本部の社長である緒方遼介(おがた りょうすけ)だった。
「なにこれ……どこから入ったの?」
最初に玻璃をみた瞬間の緒方は、子供が紛れ込んでいると思ってそう言った。
「この人だあれ、壮さん」
 玻璃がそう尋ねると、雨宮が言った。
「緒方さん、それはうちで預かっている青年です。玻璃、緒方さんは俺の雇い主だ」
 仕事を進めながら平然と雨宮が言うので、緒方が驚いている。
「お、お前……これは駄目じゃないか……幾つだよ……」
「十六。もうすぐ十七になるよ」
 玻璃がそう答えたので、緒方が目眩を起こしそうになっている。
「お前、これは犯罪だろう……なんてことを……親はどうした、探してるなら誘拐監禁だろうが……」
 緒方がそう言ったのだが、それは玻璃が少しだけ嫌悪した顔をした。
 表情が表に出やすくなってきた玻璃は、昔ほど内面に感情を溜めないようになった。
 緒方はそれだけですぐに察した。
「悪い、そっちはそっちで問題なんだな……」
 玻璃の親は探していないし、玻璃をむしろ虐待していた方なのだと緒方は分かってしまった。
「か、門井さんは、これを?」
「その門井さんからの預かりでもあります」
「もう、何でうちに面倒ごと持ち込むんだよ……」
「気にしないでください、もう二年も一緒に暮らしています。今までバレてなかったんだから、バレようもないです」
 雨宮が平然とネタバレをしたので、緒方はあまりのことにソファに座り込んで頭を抱えた。
「うっそだろ。二年も、一緒に住んでた? 気配も何もお前の態度も何も変わってなかったじゃないか……うっそぉ」
 緒方は二年も雨宮に黙っていられたことにショックを受けたわけではなく、その異変に全く気付かなかったことにショックを受けていた。
「また、特殊なもんに手を出したものだ……こういうの一番好みから外れていると思ってたんだけどなあ」
 緒方がそう言うけれど雨宮が言った。
「年を取ったんですよ、それなりに」
「……よう言う……それは俺が大人になれてないって言いたいのか」
「別に攻めてないですよ。人それぞれってことです。恋人が去ったからって腹いせで元恋人の会社を潰そうと画策するような人と、未成年を監禁していることも個性です」
 そう雨宮が言うと玻璃がうわ~とどん引きしている。
「こわ~緒方さん、こわ~」
 玻璃の言葉に緒方もさすがにこれは引かれるものなんだなと認識した。
「……分かったから、やめるからそれ……もう何なんだよ」
 緒方が落ち込んでしまうも、玻璃はニコリと笑って緒方に飴を差し出した。
「甘いの食べたら気分も上がるよ。ご飯ちゃんと食べてる? お腹が空いてると、つまらないこと頭でぐーるぐる考えちゃうよ」
 玻璃がそう言うので、雨宮は笑ってしまう。
 そんな雨宮を見てしまった緒方は素直に玻璃から飴を貰って食べた。
「……甘すぎる……歯が溶けそう」
そう言いながら緒方はガリガリと飴を噛んで食べてしまい、すぐにコーヒーを入れ直した。
「確かに下らない、こんなことに無駄な時間を使うよりもやることはある」
 コーヒーを一口飲んだ緒方は、シャキッとしてしまうとやる気を出してパソコンを使い始めた。
 目の前に詰まれていた書類の束が一気に減っていき、緒方の当面のクラブ経営に関する仕事がすべて綺麗に終わってしまった。
「あとは何かあったら呼んで~じゃ、帰る。バイバイ、玻璃」
 緒方があっという間に去っていくと、玻璃はぽかんと見送ってから呟いた。
「お仕事できちゃう系なのに、何であんなにぐにゃっとしてるの?」
「せめて感情が豊かだといいなさい。そう思って見下してると上から噛みついてくる人なんだよ」
「分かるけど。逆らったらよくないことくらい~。怒らせると一番面倒なタイプ」
 玻璃がそう言うので、雨宮は少し笑う。
 その通りの人で、感情で動いてしまうところがあるけれど、普段は有能すぎて平社員からたった三年で社長にまで登り詰めた人である事実は実績として十分である。
 とにかく敵に回さないで良かったと言われる人で、感情のせいで恨んでいると最後の追い込みが激しいタイプ。
 そのせいで敵に回したくないと避けられるようになって、業績はアップし、最後は会社の社長までもその気質で追い立てて会社を三年で乗っ取った人である。
 いいところの坊ちゃんでもあるので色々とバックが怖い人でもあるので、恨みは買っても大抵逆恨みにしかならない。
 実力で相手から立場を奪う人ではあるが、それ以上にできる人なので敵には回したくない人である。
「緒方さんには、なるべく弱く接してろ。あの人は立場的に圧倒的に弱い人に強く出られない。特に子供には弱い」
「あー、そういうのか。でも見破られたら、ころっと変わっちゃうよね?」
「だから油断はするなよ。何のために会わせたのか分からなくなる」
 そう雨宮が言うので玻璃はやっと理解をした。
 仕事場に出入りすることは従業員に顔を晒すことになってしまうので大丈夫かと思ってしまったが、雨宮は玻璃を緒方に合わせておく必要があったようだ。しかも子供であることを強調し、玻璃の保護者が酷い人であることも伝えた。
 行く場所がないことも緒方はそれで察して、出て行けとは言わなかった。
 ここを追い出せば玻璃が補導され、親権者に戻されるけれど、決して幸せにはなれない。さらには雨宮に対して従っているわけではない、自由であるという玻璃を見せたので、この状態から緒方は自分の一言で玻璃を不幸にたたき落とすには、玻璃は緒方に何もしていないことが問題だった。
「僕が緒方さんに何もしてないから、緒方さんは僕に何もできないってこと?」
「そういうことだ。その代わり、味方だと圧倒的に強い相手だ」
「ああー、そっか」
 玻璃を守るために雨宮が緒方を利用しているのは玻璃にも理解できた。
 ということは、雨宮に守り切れない事態があるかもしれないということなのだ。
 玻璃はそれがすぐに来ることだと覚悟を決めた。

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