The Garden of Eden-02

 雲峰雪月の評判は、すこぶる悪い。
 それが大学に入って雪月が聞いた噂だ。
 元々、そこまでよかったわけでもなかったけれど、更に評価は下がっている。
 理由は知っている。
「お前がおっさんに中学の時に犯されたの知ってんだよ……この淫乱が!」
 この間、雪月と付き合いたいと告白をしてきた男がいたのだが、雪月にはそんな気が一切なかったので男を振ったらこんな捨て台詞を吐かれた。
 だから言い返した。
「残念だったね、おっさんみたいに犯せなくて。どうせ、一発やったら満足して言いふらすんだろう? 知ってるよ童貞君」
 これが相手の地雷を踏んだようだった。
 雪月はこれまでこうした輩にやたらと告白をされるようになった。
 顔は流行の小さな顔、目鼻口と見目良く配置されたそれは、美しいという表現にぴったりな顔になった。身体も小さいまま育つことがなく、肌は焼けることがないので白く、そしてしなやかな肢体をしていた。
 そんな身体を組み敷いて犯したいと思う輩が、気軽にやれると思い込んでいる。
 性犯罪の被害者という事実を使えば脅せると思うのだろうが、あいにくそうした輩の処理は高校時代には撃退する方法も確立したくらいに慣れていた。
 雪月に言い寄って成功した事例は実は一個もない。
 大学生相手に雪月が寝たことはなく、大学で尻軽として出回っている噂は百パーセント嘘だった。
雪月はあの日から、迂闊な行動を絶対にしないようにして生きてきたつもりだ。

 あの日、あの事件から、雪月は母親の和加奈に捨てられた。
「やっぱり、あの男と同じ。寄りにも寄って父親と同じになることはないでしょ! この淫乱が!」
 雪月の母親、和加奈が警察に呼び出されて、最初に雪月を見た時に言った言葉だ。
「……え? お母さん……?」
「私を母なんて呼ばないで! 汚らしい!」
 やっと助けて貰えたと思った。母親とは仲が良くなかったけれど、まさかこんな事態に罵声を浴びせられるとは思いもしなかった。
 結局、和加奈が発狂してしまったために和加奈の母親である琴乃が呼ばれ、雪月は琴乃に引き取られた。
 琴乃は雪月に言った。
「だから和加奈には言ったんだ、やめておけって。真則さんは駄目だって。なのに言うことを聞かないから、こんなことになったんだよ……自業自得だよ。でもあんたは違う、あんたは和加奈たちの被害者だ。あの男も、よー子供に手を出す。皆、狂ってるよ。だからあんたはそんな人たちの被害者だ。けどね、これから辛いよ? 一生懸命生きても誰かがこのことを知ってる。一生付いて回ることになる。だからこそ、あんたは強くならんといかん。強くないと生きていけない。分かるかい? 泣いている暇はないよ」
 琴乃は身体が悪く、地元の専門病院に通っている。なので、物理的に引っ越して噂を消してやれる環境が整わない。
 雪月は中学を出るまでは、そのまま不登校で過ごし、高校になってから全寮制がある隣の県の学校へ通った。もちろん噂はなかったけれど、そこで雪月はまた被害に遭った。
 先輩に目を付けられ、無理矢理、身体の関係になってしまい、それで噂が広がった。
 もう貞操概念の話は遠く彼方になってしまって、雪月は上手く学園のOBなどを利用して守って貰う方法を取るしかなかった。
 助けてくれたOBの一人とセックスフレンドを続けていたから、どこに行ってもきっとバレてしまうのだと思い、偏差値は高いけれど地元の大学に戻った。
 琴乃に強くなれと言われて、こういう方向に強く出るしかなくなってしまったが、それはそれで最近の性の事情や同性愛なども理解が深まっている世界では、大学生でホモ程度ではさほど驚かれはしない。
「また噂で「セックスした」ってことになってるけど、どうなん?」
 そう言って聞いてくるのは、大学に入ってからバイト先で知り合った国崎大樹というセンパイの恋人である上坂純という子だ。
 複雑な知り合い同士で繋がって、お互いがお互いを知っていたので繋がった一人だ。
 ゲイであるし、ネコであることも同じ関係で、雪月は上坂と親しくはしている。
「してないし。興味ないんだよ大学生には……」
 雪月がそう答えると、上坂はやったと喜んで何処かにスマホでメッセージを送っている。
 すると周りで聞き耳を立てていた人たちの数十人に一斉にメッセージが届いて、叫び声があがる。
「くそっまた負けた」
「やったー勝った! 十一連勝中」
「うそ、今回はいけると思ったんだけど」
 などと声が上がっているのを聞いて、雪月は溜め息を漏らす。
「また賭けしてたんだ?」
「うーん、どうしても噂が出ると皆興味が出るわけ。今回はどうなんだって。相手、モデルもやってるらしいし?」
「へえ、そうなんだ、知らないから別にどうでもいいけど」
「うわ、読書が趣味で様々な雑誌を読むために百近くある雑誌が読めるアプリを定期購読してるくせに、その中ですら興味が湧かないとか、一回二回程度雑誌の載った程度のモデルの顔なんて覚えてませんてか~」
「……というか軽い系のファッション誌は、あんまり読まないだけ」
 聞こえが悪いとそう否定をすると、周りがなるほどと頷いている。
「モデルなんだろうけど、モデルとして自慢していいのは、レギュラーを持つか、大々的なイメージキャラとかになってからだと思うんだけど?」
上坂がそう言うけれどそれに雪月はちょっと考えてから言った。
「さあ。どの業界にも詳しくないから一回でも載ったら自慢していいんじゃない? だけど、あの人、僕には自慢してなかったよ?」
「知ってるもんだと思い込んでいた可能性はないか?」
 そう言われて雪月はうーんと考え込んでしまった。やたらと顔をアピールしていたとは思うが、それがそういう意味だったのか、雪月には判断はできない。けれど、世間的にはそういうことなのだろう。
「あー、やっぱり、有名人だって自分で思ってたパターンなんだ……」
 上坂がそう言うので、また新たな賭けが始まっている。
「お前、僕で遊ぶなよ」
「いいじゃんいいじゃん……ほら、やっぱりあいつがモデルで有名だとかいう噂、あんまりないもん。自信満々過ぎてヤバイヤツじゃん」
「いいから、その人のことは」
 とにかく雪月に振られた腹いせに、雪月とセックスをしたなどと噂を流すような嘘を平然と言う人であるという認識はこれで三分の一の学生には植え付けられた結果だ。
 上坂がやっている学生参加の投票システムと闇賭けサイト。学生が面白がって盛り上げてきたお陰で金銭関係がある闇賭けサイトとは別に投票システムアプリは大人気である。
 知りたいことやどっちが正しいのかなど、気軽に遊び感覚で投票できて、それを全部公開できるので大学生の間では必須のアプリになっている。
 しかしそのせいで雪月の昔のことが明るみになってしまった過去もある。
 雪月が性被害者であることを示唆する投票が行われ、雪月の地元で知っている人が昔の新聞を掘り起こしてきたのだ。
 そのせいで大学の一部の人はそれを知っている。
 またそのせいでもう一人、被害に遭った人がいる。
「あ、例の彼、また睨んでる」
 そう言われて見る先には、見知った顔がある。
 名前は登澤清瀧(とざわ きよたき)。
 昔は那智という名字だったが、あの事件の後両親が離婚、母親の姓である登澤を名乗っている。
 父親が中学生に性的なことをして逮捕されたことは巡り巡って知っている人がいる。
 大学が都心から離れている場所であるが、同じ地方の人が沢山通っている。
 那智の名を覚えている人も多くいて、清瀧という特殊な名前とあいまってすぐに雪月の事件と結びついてしまった。
 そのせいで清瀧は大学で浮いてしまったが、既に過去は清算されていて、清流の刑執行から三年はとっくに過ぎていることから、刑を終えた人間に対する差別に相当するために大っぴらには叩けない。
 また清瀧の事情をよく知っている友人が彼の周りを固めていて、普通に人が近づけるものでもなかった。
 五人ほどいる友人が清瀧を守るようにしているため、人も口々には何も言えない。
 もちろん、雪月に対しても彼らが警戒しているのは雪月も気付いていた。
「まさかおんなじ大学になるとは思わなかった。というか、帰ってくるとは……思ってなかったから」
「だね。父親が犯罪を行った街に戻ってくるとか、どうかしてる」
 その上坂の言葉に雪月は頷いた。
 どういう事情があるのか分からないのだが、雪月はあの家から引っ越したし、清瀧たちも引っ越した。ただ家は那智清流の持ち物なのでそのままで、清流が刑を終えて帰ってきているらしいと聞いた。もうあの事件から四年目で刑は終わっている。
 周辺の人は口々に言って警戒をしているが、清流には親族によってその家に留め置かれてしまっているらしい。けれど元々金持ちの家系で、資産も雪月への保証と離婚時に求められた慰謝料なども簡単に払ってもまだ余裕を持って残っている資産で悠々自適に暮らせているらしい。
 そんな街に、清瀧は戻ってきた。
 わざわざこっちの方の大学を受けるということは、それなりの覚悟がないとできないことだ。どういう事情があってそうなったのかは分からないが、清瀧はことあるごとに雪月の前に姿を見せるようになった。
 学部は違うので、講義で重なることはないのだが、それでも会う機会が増えてしまった。
「どうかしてるって思ったから調べたんだけど、何か、親が親権のことで揉めてなんかあったみたいよ」
 そう上坂が言い出した。
「え?」
「うん、近所の人が言ってたらしいんだけど、母親が親権を手放したって。貰うもの貰ったら子供を寮に入れて放置したらしい、それで父親が確かに自分が悪いけれど、それを理由に放置しているのは虐待に当たるって言って裁判して、母親が負けたんだって」
「おばさん、負けたんだ?」
「何か若い男と住むために、息子に医療的なケアも受けさせずに寮に放り込んたのも印象が悪かったし、離婚前から単身赴任先で堂々と不倫していたことも発覚したし、養育費は父親の実家が全額肩代わりしていたけど出所した父親がそれを全額、実家に支払って養育権っての取得したのが大きな理由かな? あと莫大な養育費も計算が合わなかったようだよ。なので結果母親は親としての役割を果たしていない、何もしていないという判断をされたって」
「ああ、おばさん、養育費もほとんど使い込んじゃったんだ?」
「みたいだね。だから親権が父親に移って、行かせてやる大学はここだけみたいに出し渋ったのかもね。本人の意思とは別にこっちに来るしか大学に通う道がなかったって感じ?」
「可哀想に……」
 雪月は人ごとながら道がなかった清瀧に同情した。
 きっと清瀧は雪月を恨んでいるだろうと思った。
 あの時、雪月があのコトがバレなければ、清流に脅されてあんな関係になることはなかったし、清瀧の家庭が壊れていたとしても、あそこまで壊れる関係にはならなかったかもしれない。
 雪月は清瀧の母親である陽菜に、嫌われていることを知っていた。
 小さい時から可哀想にと、和加奈と清流の間に入ってくれて庇ってくれたけれど、その可哀想にという口調がどうにも本当にそう思っているとは思えなかったのだ。
 その違和感は、すぐに理解した。
 清流に脅されて犯された後、陽菜はすぐに雪月が被害に遭っていることを察していた。
 それでも彼女は助けようとはしてくれなかった。それもそのはずで、その後自分が有利に財産を貰って離婚するために、清流を填める目的で雪月を利用したのだ。
 あの時は混乱していたので許さないと言った彼女に謝ったのだが、その後噂で聞いた那智家の転落は、正直利用されたんだなと分かってしまった。
「あの女も大概だよ、子供が可哀想だ。あんたらは親のつまらない喧嘩に巻き込まれただけや。お互い喧嘩したらあかんよ。あの子も可哀想な子や」
 琴乃はそう言って、基本的に力のない大人に振り回されてしまった子供の味方をした。
 だから雪月は、清瀧には申し訳はないと思っているが、他の人間に対して罪悪感は一切持っていない。なので強くなれることができた。
 だから一生清瀧とは会うことはないだろうと思っていたら、大学で再会をしてしまった。
 けれどそれでも雪月は清瀧とは一生話すことないだろうと思っていた。


 運命は何があるか分からない。
 それが訪れるのは運命だろうか。

 ある日、雪月は上坂主催の飲み会に参加をした。
 周りは知り合いばかりで楽しいと思っていたのだが、その隣で飲んでいたのが登澤清瀧たちのグループだった。
 とにかく関わらないようにして飲んでいたが、トイレに行って戻ってくる途中でばったりと清瀧と遭遇してしまった。
 こんなタイミングで会ってしまうのは気まずくて、すっと雪月が横を抜けようとすると、清瀧が雪月を引き寄せて、横の個室に雪月を連れて入ってしまった。
「……あの……」
 雪月は引き摺られても騒ぎにしたくなくて文句を言えず、そのまま個室に入ってしまってドアまで閉められた。
 もちろん、騒げば誰かに助けて貰えるが、清瀧に対して何かできるほど雪月は切羽詰まってはいなかった。
 ただ困惑をして清瀧を見上げた。
 清瀧は雪月を見つめ返して、何か言おうとして言葉を失っている。
「……何か用?」
 そう雪月は落ち着いてから尋ねた。
 用事がなければ、もちろん清瀧もこんなことはしないだろう。
 こうする用事があり、誰にも知られずに雪月に何か言いたいのだろうと、雪月はそう思った。
「……雪月に後で話がある」
 清瀧がそう言う声に、雪月の胸がドキリと鳴った。
 変声期を過ぎ、大人の男になった低い声で名前を呼ばれ、さらにはあの時からは十センチ以上伸びたであろう身長から覗き込まれるようにして耳元で囁かれたら、雪月の心は動揺した。
「あ、うん。でも」
 雪月が連絡先は知らないと続けようとしたら、先に清瀧がスマホの連絡先を教えられた。
「そっちが終わるのが遅いと思うから、終わったら連絡をくれ」
「わ、分かった。後で」
 連絡先を登録してから雪月は個室を抜けた。
 幸い通路には誰もいなかったのでトイレから戻ったように席に戻った。
「長かったね、どうしたの?」
 上坂に心配をされたので雪月は誤魔化した。
「あー吐いてる人がいて、それがトイレを占拠しててさ」
「あ、まだいたんだその人。店員さんに話しておいたんだけど」
「うん、だから連れて行かれてたよ」
 その人は本当にいたけれど、雪月がトイレに入る前に運ばれていっていたので誤魔化せた。
 そのまま酒を飲む振りをして、何とか酔いを覚ました。
 飲み会はそのまま一時間ほど続いたが、三十分前に清瀧たちは帰って行った。
「なんだ、何もないんだ?」
 上坂が残念そうに言うので、雪月はドキリとしながら聞き返した。
「何が?」
「うーん、何でもない。二次会どうする?」
 雪月がいつも通りに返事をしたので、何もないことを察した上坂は話を変えてきた。
「えー、もう酒はいいよ。カラオケも別に歌いたくもないし、帰って寝たい」
 元々数合わせに呼ばれただけで、知り合いばかりであるが、そのうちの誰かと付き合う気はなかった。
 上坂には上坂の彼氏、国崎と共に世話になっているので付き合って出ただけである。
「じゃあ、後で連絡するね」
「上坂も飲み過ぎないうちに帰りなよ」
 駅前を通った時にカラオケに行く上坂と別れて改札を潜った。
 電車のホームまで上がって誰も後ろにいないことを確認してから、さっき清瀧に教えて貰った連絡先に連絡を入れた。
 それはメッセージアプリで、個人的な会話が可能なものだ。
 ポンと終わったと入れると、返事がすぐに来た。
 地図と場所と、そこに来てくれという内容で、雪月は電車で移動して次の駅で降りた。
 繁華街はさっきまでの学生が多い繁華街ではなく、大人の人たちが巣くうような繁華街であるが、清瀧が案内してきたのは明らかにホテル街だった。
「……」
 ラブホテルばかりがある界隈に入り、雪月はここから先に行くのかどうするのか迷った。
 これはもしかしなくても、だ。そういうことなのか。
 清瀧がそんなことを望んでいるとは思いもしていなかったので、雪月はそこで五分ほど迷ってしまった。
 するとメッセージアプリが音を立てる。
『十一時まで待つ』
 清瀧からの連絡で、そういう内容だった。
 帰ろうと思ったけれど、催促の連絡が来てしまったので、帰れなくなった。
 雪月は覚悟を決めて、ホテル街に足を踏み入れた。
 ここで逃げたらきっと一生後悔をするかもしれないと、そう思ったからだ。