raging inferno-05

 髪を染め直した葵依は、警戒しながら自宅まで戻ってきた。
 周りを観察して駄目なら逃げようとしたが、どうも自宅までは割れてないらしい。それもそのはずで、葵依は引っ越したばかりで、会社でもまだ自宅の変更を出していない。出す予定だったのに出張に駆り出されてしまい、書類の提出が間に合ってないのだ。
 橙李には先に連絡を入れていたのもあって、住所は新しい方を教えていたが、橙李は葵依の自宅を危険とは判断しなかったらしい。
 どうやら危険の順位が変わってしまったのか、ロシア人の方が遙かに危険で葵依が関わっていた渡真利関係のヤクザのことは命までは取られない危険だと判断したらしい。
 それが分かってきて、葵依は自宅に取りあえず戻った。
 しかし玄関の鍵は閉まっていたのに、玄関を入った瞬間の異様さに、葵依は唖然とした。
「あ、荒らされてる……」
 部屋の中は、引っ越してきたばかりであったから、まだ荷物が玄関先から段ボールに入ったままのものが多かった。
 仕事での出張が終わったら片付けようと思っていた段ボールが、見事に誰かが開けた形跡がある。ガムテープは綺麗に戻してあるが、さすがに剥がすときに急いでいたのか、張り方も雑で、葵依の性格からしてこんな雑なことはしないためにすぐに異様さに気付いた。
 葵依はそのまま部屋に入っていって、貴重品を入れている棚を開き、中に入っていた貴重品の袋の中を確認した。
「……何もなくなってない?」
 貴重品は何も盗まれてはいないので、泥棒が入ったわけでもなかった。
 部屋の中も普通の人なら気付かない程度にしか物は動いてなかったが、圧倒的に違うものがあった。
 それは空気だ。
 葵依も香水を使ってはいるが、明らかに自分とは違う匂いがこの部屋に充満しているのだ。侵入者は気付いてないかもしれないし、まさか空気が動かない部屋でそんな匂いがいつまでも残るとも予想してなかったのだろうか。
 だが明らかに香りの良い匂いが部屋に残っている。
 葵依は急いで貴重品を持って、そのまま旅行の姿のままで家を飛び出した。
 行き先はないが、とにかく駅前の人通りが多いところまで戻ってホテルを探した。
「何だ? これ、あいつなのか?」
 怖くなって葵依はパスケースに入った渡真利蓮の名刺を取り出した。
 絶対に連絡を取ることはないと思っていたのに、まさかこんな早々に連絡を取る羽目になるとは思わなかった。
「あいつなら、いいんだ……」
 橙李を探す時に葵依の自宅まで彼らが行ったことは分かっているが、橙李は家に入る前に捕まったので、あの匂いは橙李ではないことになる。もちろん蓮の部下の可能性も低いが、その前に彼らが中に入っていたと言われた方がまだ今は怖くなかった。
 葵依は散々悩んでから、蓮の連絡先に電話をした。


 相手はすぐに出た。
『どうした、葵依?』
 朝に別れてから十時間以上は経っているが、それでも今日中に連絡をしてくるとは向こうも思っていなかったような驚きの声が少しと、携帯電話の番号は既に蓮に把握されているという事実と、少しだけ蓮の心配する優しさが混ざった声が聞こえて、何故か葵依は安堵してしまった。
「……あ、のさ」
『何かあったのか?』
「あー、俺の気の迷いかと思ったんだけど、お前の部下は橙李を拘束するのに俺の部屋に一旦入ったりしてない?」
 そう葵依が確認をすると、蓮も葵依が何を言いたいのか分かったらしくすぐに確認をしてくれた。
『入ってないそうだ。その前に橙李が現れたからな。それでどうした? 自宅に誰かが侵入した形跡でもあったのか?』
 そう蓮に問われて葵依は少しだけ考えてから話した。
「家に入ってすぐにおいてある段ボールのガムテープに剥がした痕跡があった。引っ越したばかりで、荷ほどきはまだしてないやつ。俺が開ける必要がまだないものだったから……おかしいなって思って。それで、部屋に入って貴重品が盗まれてないか調べたら盗まれてはなかったけど、部屋が密閉されていたからなのか、侵入者の付けてただろう香水の残り香がした。俺が付けているものじゃないし、橙李もお前の部下も家に入ってないなら、他の誰かってことになる」
 葵依がそう言い切ると、蓮も頷いたようだった。
『侵入者が何者か分からないが、お前の周りで何かを探しているものが存在するようだ。思い当たることはあるか?』
「ない。てっきりお前の部下が橙李を捕まえるのに入ったのかと思ったくらいだ。合いカギを持ってるのは管理人だけだけど、入ったなら入ったと受付にいたんだから言うだろうし……俺には橙李以外に家族はいないから、身内ってこともない」
 葵依の言葉に蓮も何か思いついたようだった。
『まだ家にいるのか?』
「いや、何か薄気味悪いから事の真相が分かるまでホテルにいようと思って、今はホテル」
『その自宅付近で怪しい者はみなかったか?』
「いや、見てない。それで思い出したんだが、橙李が俺の会社近くで見かけたという危険そうなロシア人のことを思い出したんだ。橙李が自分に関係のないことで危険を感じることはないんだが、そのロシア人に俺にせよ橙李にせよ。どっちかが探されていると考えた方が、今のところ流れ的には正解かと思っている。理由は分からないが」
 葵依がそう言い切ると、蓮もその可能性が一番濃厚だろうと言った。
『どうやら、得体の知れないロシア人がお前たちを探しているという事態なわけだ。それでどうしたい?』
「え?」
 急に蓮に言われて葵依はキョトンとしてしまった。
『このままホテルに籠もってロシア人が去ってくれるのを待つか、それとも俺の提案の一つを受け入れるかだ』
 そう蓮が言い出して葵依はハッとした。
 そうだ、蓮が部下を葵依の部屋に入れていないというなら、この話は既に蓮の管轄から一切関係のない話になってしまっているのだ。
「あ、悪い。お前の部下が入ったんじゃなければ、お前には関係のない話だったな」
 葵依はそう言って慌てて電話を切ろうとした。
 けれど、それを蓮が止める。
『成り行きはどうであれ、こちらとしても橙李を預かっている手前、全く関係がないわけでもなさそうだ』
 そう言うのである。
 確かにその通りで、葵依が逃げるのに成功したからと言って、安全になるわけでもない。相手は葵依が見つからないからと橙李に矛先を向けるかもしれないのだ。
「取りあえず、俺の行き先を誰かが探っているのは確かみたいだ。知られてる行き先の様子を探ってみないことには……」
『行き先がないなら、俺のところにこい、葵依』
「いや、それはさすがに」
『迎えに行くからホテルで大人しくしていろ、いいな、葵依』
 とにかく蓮は葵依の身柄を確保したがっているが、葵依はまだやることがあった。
「二度の失敗はしない。まだ確認することがあるから後でまた連絡する」
 葵依はそう言うと携帯を切ってしまう。
 蓮との合流は最終手段だ。
 そこまで追い込まれたわけではないから、ヤクザと関わるわけにはいかない。
 ロシア人のことが葵依には関係がない出来事であったなら、会社関係者に蓮と関わっていることを知られる訳にはいかないのだ。
 葵依はすぐに携帯のメモリーから知り合いの番号を探して電話をかけた。
『あ、葵依さん』
 出たのは榧(かや)流本家武術の道場を管理している管理人だ。
 師範代で経営者になるのは葵依であるが、管理は他のものに任せている。道場を使いたい門下生や指導員などもいる。その人たちが自由に使えるようにしてある。
 葵依が榧流本家武道の全てを継いだことになっているが、経営の部分ものし掛かっている。道場の維持費や管理など、門下生ではいたいが経営者にはなりたくない師範代が多くおり、維持するためだけに葵依を最高責任者として担ぎ上げた人もいる。
 結束はほぼ葵依への嫉妬によりないと言っていいが、道場責任者である師匠が亡くなってからというもの葵依の奮闘のおかげで道場が持ち直していることは一応の評価はされている。
「難波さん、ちょっと聞きたいのだけど、俺について何か尋ねてきたりした人いる?」
 そう葵依が問いかけると、難波は正にそのことを聞こうとしたと言い出した。
『葵依さんを訪ねてきた外国の方がいたんですよ。榧流本家の道場に興味があってとか言って……でもうち海外の人は今迎えてないでしょ? あの乗っ取り騒動があってから』
 そう難波が言い出して葵依はやはりと思った。
 道場の乗っ取り騒動は、師範代の海外在住の榧流本家武道を囓った程度の人が、榧流本家を名乗って本家を乗っ取ろうとした事件だ。幸い、奥義を獲得もしていない者が認められるはずもなく、その時になって本家道場の人間も葵依を毛嫌いしている場合ではないと思ったのか、葵依を矢面に立たせてしっかりとした本家債権に協力する羽目になった騒動である。
 そのお陰で師匠の遺言通りに本家の相続をすることになった葵依は、その海外の者と格闘して圧倒して勝ち、本家の顔になってしまったわけだ。
 そのせいで海外の人間に対して師範代数人が難色を示し、日本人以外の門下生を嫌うようになってしまったせいで、海外の人は道場に入ることすらお断りとなっている。
この時代になって時代錯誤ではあるが、事情が事情なので周りも仕方ないと思っている。
 いずれは緩和できるといいと思っている葵依であるが、これでまた何かありそうだと溜め息が出そうだった。
「海外の人って、どこの人とか分かる? 何人って」
『多分、ロシアの人じゃないでしょうか? ガタイも良かったけど、北の人だなっていう感じだったし、多分ロシア語っぽい言葉を仲間内で話してたから』
「……そうか。それでいないって分かってあっさり引き上げた?」
『あ、うちは海外の方は今は入会をお断りしていると伝えたら、本家の師匠に話をしたいと言い出して、けど、師匠にはその権限はなくて師範代数人からの許可がないと無理なんですって説明をしたら、関師範代がうちの道場は、本家師範代五人による話合いで入会者を決めていることや、今はごたごたしていて海外の人まで面倒を見られる余裕はないことを静かに告げてましたら、そこでやっと引き下がりました』
 そう言われて葵依は頭を抱えた。
 一番本家師範代の中で葵依のことを毛嫌いしているのが関だ。
 関は体格の良さ故に、軽さが足りずに奥義に挑戦した者の中では最も奥義継承者に近い存在としてやってきたのだが、その座をあっさりと葵依に奪われたことを未だに恨んでいる。
 はっきりと本人からいけ好かないと言われたこともある。
 実力は認めた上で、感情で納得できない部分が多々あるのは、武術者として失格であるのは分かっているが、それでも納得できない部分はあるのだそうだ。
 関はそう言っても、葵依は一番に道場の経営のことを上手く回せることも知っていて、そこには信頼をおいているというから、ややこしい人なのだ。
 その人に海外の人間とトラブっているかもしれないと知られると、のちのち面倒なことになりそうだった。
「それが昨日?」
『はい、それからは誰も尋ねてきてはいません。周りでそういう人もみないようですし……何かトラブルですか?』
「あー、いや、トラブルというか向こうがこっちを探している感じで、理由が分からないから気味が悪い状態」
『なるほど、こちらは特に問題はないので、葵依さんの方こそ気をつけてください』
「うん、ありがとう。事情が分かったらまた連絡する」
 そう言って葵依は電話を切った。
 道場まで人が行っていたとなると、橙李のところまで人が行くのは時間の問題だった。
 幸いと言っていいのだろうか、橙李はヤクザの屋敷に連れて行かれたらしいので、安全と言えば安全だった。
 そこで橙李もヤクザと揉めていたとなれば、ロシア人たちはどうするのだろうか?
 何に巻き込まれているのか分からないが、葵依は一晩をホテルで過ごし、貴重品は銀行の貸金庫に預けてきた。
顔を知られているだろうからとマスクを付け、街中を歩いた。
東京駅付近まで戻って葵依はこれからどうしようかと考えた。
 会社は既にロシア人が張っているだろうし、出社するにも気をつけないといけないが、その前にトラブルを解消しておきたいのが本音だ。
 そのロシア人を捕まえて話を聞いた方が解決が早そうであるが、橙李が危機感を覚えたという理由でそれは最悪のシナリオであると葵依は思っていた。
 橙李の危機管理は本当に外れたことはなく、幾度も危険を察知した。
 両親の事故ですら、橙李は泣いていかないでくれとまで言ったのに、両親は仕事だからと二人が学校に行っている間にこっそりと行ってしまい、事故で死んだ。
 とにかく危険であることは分かっているが、葵依はホテルを移動して東京駅の近くのホテルに宿泊した。
 ホテルに入って何気なしにテレビを付けると、ニュースがやっていた。
 リアルタイムで起こっている火事についてであったが、その場所が問題だった。
「え……俺のマンション?」
 ニュースでアナウンサーが繰り返している内容は、葵依が住んでいるマンションの火事の情報だ。
 午後六時に葵依の隣の部屋が燃え始め、延焼し、爆破までしたようだった。
 もちろん葵依の部屋も爆破で吹き飛んでいた。
「何で……」
 ニュースの音を大きくしてみると、火事は葵依の部屋の隣から発火し、葵依の部屋に延焼した結果、ガスに引火したのか爆破で炎上が更に広がってしまい、マンションの四階から上が全焼していた。