raging inferno-02

 ホテルに戻った葵依は、何とか部屋まで戻った。
 相手がヤクザであるなら下手に外を出回って、相手に有利にさせることはない。
 明日は素早くここを去って、東京に戻って橙李と合流した方が良さそうだ。
 葵依はそう考えながらスーツの上着を脱いだが、服は着たまま、靴は履いたままでベッドに横になった。
 そうして十分ほど立つとホテルの部屋のドアがノックされた。
 葵依はハッとして起き上がった。
「まさか……」
 付けられたか? と不安になってドアに近づいてみるとノックをした人が言った。
「藤宮様。受付でございます。お手紙をお預かり致しております」
 そう言うのでのぞき穴から見ると確かにホテルの従業員の制服を着ている人だ。
「あの、誰からですか?」
 誰が手紙なんて寄越すのかと尋ねると、従業員は言った。
「山瀬課長さまからお預かりしております」
 それは今回の営業のために同行していた課長の名前だった。
何かあったのかもしれないので、受け取るしかない。
「……はい……」
 葵依は安堵してドアを開けた途端だった。
 ものすごい勢いでドアが押されて開き、ドアのストッパーすらも勢いで壊れて吹き飛んだ。 
「……くっ!」
 ドアから飛び退いたのはよかったが、その後に入ってきた黒い人影に葵依は気付いたがその時には既に遅かった。
 飛び込んできた人影が既に攻撃態勢に入っていて、気付いた時には拳が腹に入っている。
「……ぐっ」
 間に合わないと腹筋に力を入れて後ろに飛びながら衝撃を和らげようとした。
 しかし入った拳の強さに葵依は吹き飛び、壁に叩きつけられそうになる。けれど、気を失うほどの強さを一歩下がるジャンプで軽減し、そのまま回転して壁に両足を突くと、飛び上がって入ってきた男を蹴り上げる。
「……!」
 しかし蹴り上げた足を男の顔に向けたが、男はそれを腕でカバーして撥ね除ける。
「しまっ……」
 相手がここまでの強さを持っているとは葵依も思っておらず、跳び蹴りを撥ね除けた手でバランスを崩した葵依の足を男が掴んで、そのまま葵依は振り回され壁に叩きつけられた。
「……ぐっあっ」
 体中に痛みが走り、息が詰まった。
 叩きつけられた時の衝撃は葵依を気絶させるだけの力はあった。
 床に倒れた葵依はそのまま薄れゆく意識の中で男の顔を見た。
「……なかなか面白い動きだったぞ、その武術の話も聞かせてもらおうか」
 その男を葵依はしっかりと記憶に焼き付けながら気を失った。


 気を失った葵依を抱え上げ、蓮は比嘉に渡して縛らせた。
 正直殴って弱らせる予定が、後ろに逃げられ衝撃を弱められた上に飛んできた。
 それに驚いて咄嗟に受け流せたが、それでも無傷ではなかった。
 あの蹴りを食らっていたら、きっと脳しんとうを起こすような蹴りだ。
「蓮さん、?に傷が……」
 比嘉がそう言うのでそこを触ると、滑ったモノが付いた。
 それを見ると血だ。
 あの蹴りの余波で?が切れたのだ。
「面白い……」
 その血を舐めながら蓮が笑う。
 ここまでの好敵手に出会ったことが蓮にはなかった。
 蓮は道場で一番強く、師範代よりも強い。ただ実家がヤクザのせいで大会などには一切でてなかったが、それでも沢山の人と手合わせをした。だがそれでも蓮が一番強かった。
 ここではこの男に不意打ちをして勝ってしまったが、それが納得できない感情を生んでしまった。
 真面にやりあったとして、自分はちゃんとこの男に勝てたのか?という疑問だ。
 この場はこれでいい。状況判断は間違っていない。
 けれど武術を習っていたものとしては、これは納得はできないことだった。
「連れて行け」
 それでも蓮は、葵依を連れてホテルのスイートに行った。
 スイートルームに到着してから、気絶している葵依をその場で起こした。
 葵依はハッとして目を覚まし、周りを確認した後に蓮を見た。
 葵依のその目は最初こそ驚きだったが、次第に状況を判断して言った。
「それで橙李に何の用?」
 はっきりとした声でそう問われ、蓮は部下に命じて日向を連れてきた。
 日向は部屋に入ってくると、葵依を見つけて飛びついてきた。
「やだー橙李くん、髪の毛染めちゃったの! やだ似合ってる!」
 そう言って葵依に抱きついてきたが、葵依にはこれが誰なのか分からない。相手が橙李と間違えているのは分かる。だから葵依は知らないと言うしかなかった。
「……誰だっけ?」
 葵依がそう問うと、日向が言った。
「忘れちゃうのも無理ないよね、私、渡真利日向(とまり ひなた)。あなたと出会ってからずっとアピールしていたのだけど、橙李くん照れちゃってすぐ逃げちゃうから、全然話ができなかったものね」
 そう日向が言い出して、葵依はこれはもしかしてと思う。
 この日向の一方通行の恋愛感情に危機を察して橙李は逃げたのだ。しかも日向が連れているのは確実にヤクザだ。そりゃあの橙李なら危険を察知して速攻で逃げるやつである。
 けれどちゃんと日向を振ってないせいで、こんなややこしいことになっているのは確かである。
「申し訳ないのだけど、俺は橙李じゃない」
 そう葵依が言い出して、日向がキョトンとする。
 それには蓮や比嘉も驚いた顔をして葵依を見た。
「な、何言ってるの? どう見ても橙李君だよ? 何の冗談?」
 日向が焦っているのだが、葵依は言った。
「俺は、その橙李の兄で葵依という。今日は弟の部屋を訪ねてきた。普段は東京で暮らしているから、弟が君と喋ったこともないなら双子の兄がいることも知ってるわけないよね」
 そう葵依が言うと日向が葵依をやっと真正面から見て、気味が悪いものを見るようにして下がっていった。
「……やだ、あなた誰? 橙李君じゃない……」
 日向がそう言うので蓮が確認した。
「こいつはあの男じゃないんだな?」
「う、うん……でも似すぎてる……ふ、双子って言ってたからかな……全然分からなかった……双子の兄がいるのも聞いたことなかったし……家族はいないって言っていたから」
 日向が焦って慌てているのを蓮が落ち着かせてから椅子に座らせると、蓮は葵依に向かって言った。
「兄なら弟の居場所を知っているだろう?」
 そう言われて葵依は首を振った。
「居場所は教えて貰っていない。どうせあいつのことだ。俺が捕まる危険も察知していたんだろうな……携帯を見てくれれば分かる。ちょっと前に連絡は取ってみたから」
 女絡みなら正直言って橙李を庇う気は一切なくなった。
 もっとやばいことに手を出したのかと思っていたが、そうではないようだ。
 蓮たちは葵依の携帯を操作して、さっき葵依と橙李が会話した内容を読んでいる。
「……この流れだと、お前の自宅に向かっていると予想できるが?」
 行く場所は書いてないが、それでも唯一、知られていないはずの身内がいるなら、そこに雪崩れ込むのが逃亡者の心理として一番あることだった。
「どうかな。俺が捕まる可能性を考えたら家にはいかないかもしれないから、九州の友人関係で探した方が早いかもしれない。東京の友人たちとはもう繋がりはないようだし……」
 葵依は床に座った状態でペラペラと喋った。
「弟を売るんだな」
 蓮がそう言うと葵依は少し笑った。
「理由が分からないというのが嘘だったからな。この子に強引に言い寄られて、しかもその手下がヤクザだったから逃げ回ってるってことだろ? そう最初に言えば庇ってやったけれど、こっちの身を捨ててでも自分の身を守ろうとしてるのだけの身内をわざわざ庇ってやる理由はないんじゃない? 所詮恋愛関係、しかも手を出したわけでもなさそうだし、恋人関係ですらないみたいだし?」
 葵依がそう言うと、日向がそれに噛みついてくる。
「橙李君と同じ顔でそんなことを言わないで!! ひどい!」
 そう言うのだがそんな日向を蓮が睨んだ。
「俺もよもや嘘を吐かれているとは思わなかったぞ、日向」
 蓮の地を這うような言葉に、日向の身体を震え上がる。
「あ、や、その、そうなる予定だったんだけど、橙李君、逃げるの早かったんで……まだ寝てませんし、子供もできてません」
 そう日向が言うので比嘉はホッとしたように息を吐いている。
 ただでさえヤクザの家の子供を妊娠させて逃げた男では、殺しても済まない出来事であったから家には内緒で探していたが、それは正解だったことに比嘉はほっとしたのだ。こんな騒動で部下を連れ回して動いていたなど、組の連中には知られるわけにはいかなかったので、何もないということが判明しただけでも最悪の事態は避けられた。
 蓮は呆れた顔をして日向に言った。
「嘘で俺を動かし、部下を怪我させた責任は取れないよな?」
 蓮の言葉に日向はテーブルに頭を擦りつけて謝ってくる。
「ごめんなさい……嘘吐きました。でも橙李君が見つからないし、何かあったんじゃないかと思って調べてほしかったの……」
 そう言う日向であるが、葵依も蓮も呆れてしまう。
 何だったんだ、この妙な緊張感はと思っていると蓮が言う。
「どちらにせよ、橙李の居所は探る。どうするかは本人同士にして貰うとして、話合いは必要だろう。そっちも逃げるだけの弟のことには手を妬いているようだしな」
 確かにその通りである。
 普通に探しても橙李は見つからないので、よほど重点的にしなければ探し当てられないと葵依も思う。だから橙李のことはこちらの二人に任せることにした。
「名は葵依と言ったか……藤宮、葵依……? その名、聞いたことあるぞ」
 そう言われて葵依はキョトンとする。
 蓮はその名前を復唱してから、どこで聞いたのか思い出したようだった。
「……確か、東京の榧流本家奥義の使い手だ……」
 蓮は葵依を睨み付けてそう言った。
 武術をしている人間として、榧流本家と榧流古武術は知っていなければならない武術の一種だ。
 両方とも同じ榧流と呼ぶが、本家は兄が継ぎ、古武術の方は弟が家を出て作ったとされる。現在はどちらも榧の名を継ぐものは本家も道場も継いでいない。
 榧流は基本的には空手や柔道などをやってきた人が到達する総合格闘技の一種で、あくまで素手でするというのが基本。道具を使ったりとなるとジークンドーあたりの流れになるとされる。
 様々な使い手が在籍したお陰で、ブラジリアン柔術やジークンドーの流れもあり、空手や柔道も含まれている。相手の力を利用する方法もあるので合気道なども含まれているだろう。
 その素手の攻撃に置いて少ない力での一撃必殺であり、相手に次の手を与えない素早い動きが必要になる。けれど、完全に身体が出来上がってきた時には身体の軽さと手足の長さがモノをいう。
 飛んだり相手の身体を使った技、とにかく身体が忍者の如く動くことが奥義到達の条件とされるために、あまりにも難しいので奥義取得者がほぼいない状態だ。
 その中に於いて、若干二十歳にして榧流本家の奥義をモノにしている者がいる。
 榧流本家の当主が惚れ込んで自ら仕込んだという噂であるが、奥義を使う場所はないので普通に師範代に収まっていると言う。
「……へえ、凄い詳しいな。お前は琉球空手の使い手っぽいけど、多分一番強いだろ?」
 葵依はそう言って蓮を見上げた。
 蓮はそんな葵依を眺めて言うのだ。
「もう一度お前と戦いたい」
 そう蓮が言うと葵依が言った。
「勝敗は付いてるだろ?」
「いや、あれは不意打ちだ」
「その不意打ちに殺られる程度だってことだよ、俺の腕ってのは」
「それは絶対あり得ない」
 蓮はそれこそ譲らない。葵依はそれに対して文句を言う。
「あのな、不意打ちだろうが、何だろうが、勝ちはお前だって言ってる。何度やっても結果は同じだ。お前の方が強い」
 そう葵依が言うと蓮は苛立ったように言った。
「お前は奥義すら使ってない!」
 奥義を使えと言われてしまい、葵依は呆れ果てた。
「あのなー、そう都合よく奥義とか使えるわけないだろ。実践で出てくるようなものでもないんだよ……ヒーローの必殺技じゃないんだし」
 葵依がそう言うと蓮もさすがに無茶を言っている思ったのが言葉に詰まった。
「いや、それでもお前ともう一度戦いたい」
「俺にまた負けろって言ってるわけだけど、やなこった」
 真面目に言う蓮に対して、葵依は一度負けたのでまた負けるのが嫌だと言い出した。
「どうしてもいやだというのか?」
「だから、勝敗は付いてるって言ってる」
 葵依がそう言い切ると、蓮はニヤリとして言った。
「なるほど、戦いたくなる理由ができればいいんだな。分かった」
 急に理解したとばかりに比嘉に命じた。
「比嘉、葵依の身体を押さえていろ。戦いたいと言わせてやるからな」
「……へ? ちょっと!」
 いきなり変な危機が訪れて葵依は逃げようとするも、縛られたままなので逃げることもできなかった。
「日向、今日は帰れ。明日中にその橙李というヤツは見つけて連れてきてやるから好きにしろ」
 蓮がそう言うと、日向は頷いて部屋から出ていった。逆らうと怖いのは分かっているし、今はそれどころでもなかった。
「うそ、マジで?」
「さあ、俺と戦うか、それともこのままなのか。どうする?」
 葵依を上から蓮が睨み付けながら言うのだが、葵依は戦うとは言わなかった。
「嫌だ。絶対」
「いいだろう。覚悟しろ」
 蓮はそう言うと葵依をベッドに運んだ。