switch外伝9 play havoc22

その年の春になると、鬼柳恭一(きりゅう きょういち)と榎木津透耶(えのきづ とおや)はアメリカに向けて旅行に出かける。
 自宅は宝田が手入れをして整えてくれるので任せた。清掃は業者との契約にして、宝田は郵便物や宅配などの対応、現地の二人との連絡係になる。
 もう一人の執事である松崎は二人の旅行に同行する。SPはアメリカで雇った人間になるため、石山や富永は日本支社に戻って別の仕事についた。
 本当は二人にはついてきてほしかったのだが、二人はあの事件の時の自分たちの無力さを嘆いていて、訓練を積みたいと言って辞退したのである。
「アメリカなら、アメリカに詳しいニューヨークで雇ったようなものがいいと思います」
 日本なら自分たちに任せてくれと言えるが、アメリカではそうはいかない。これから透耶たちは世界中を旅行する、そうするとその土地のボディガードが必要になる。それに慣れるためにも今は離れるべきだと考えたようだ。
 透耶は残念がったが、六年も付いててくれたのだから無茶を言うのはいけないことだと透耶は我慢をした。普通はなれ合いを避けるために交代の期間を過ぎても無理を言ってたため、何も言えない。
 メイドである山田司(やまだ つかさ)は、二人が家を空けることになって退職を願い出た。
「実は報告が遅れましたが結婚をしまして……」
 これは透耶には寝耳に水の出来事だった。
 事件の前に入籍していたが、透耶が大変なことになり、その関係で報告が遅れに遅れたのだというから、文句は言えない。
「松崎か?」
 そう言ったのは鬼柳だった。
「あ、はいそうです」
 司はそれがバレているとは思わず、顔を赤らめた。
「え、松崎さん!?」
 意外な盲点に、透耶だけが驚いている。
 いわゆる職場結婚であるのだが、二人がそうした素振りをしているのはみたことすらない。さすがプロである。仕事中に主人に怪しい行動は見せなかったのだ。毎日見ている透耶に悟らせなかった。ただ鬼柳にはその変化は分かってしまったらしい。
「さすがに職場で一緒に暮らすわけにもいかないので、私が退職して家を構えることにしたんです」
 職場であるこの家には、地下に部屋が余っているので司はそこに住んでいた。執事補佐の松崎は通いであるため、二人が休みの間に外で会っていることには気付かなかったのである。
 結婚をするということは、子供も欲しいと思っていることになる。そうなると、子供を抱えて家に住み込むのは無謀だと誰にでも分かることだ。貴族の屋敷だったら違ったし、別宅を構えてやれるわけでもないため、司(つかさ)が家を出ることが一番の解決になる。ちょうど透耶たちも出かけてしまい、仕事が暇になるのもあっての決断だ。
「そっか、嬉しいけど残念な気持ちが……」
「そう言っていただけると嬉しいです。身勝手なことですが、これまで大変お世話になりました」
「ううん、今までお世話になったのは、俺たちの方だから! 司さん、幸せになってね!」
「はい」
 司は透耶と握手をしてにっこりと笑ってメイドを辞めていった。
 とはいえ、松崎とは繋がりがあるので聞けば司がどうなってるのかは聞けるし、子供が生まれれば見せてももらえる間柄だ。
 透耶たちがやりたいことをやるように、皆自分のため、他の人のためにやりたいことが出てくる。出会いがあれば別れもある。仕方がないことだが、先に動き出したのは透耶たちの方だ。
 悲しい別れではないから、そこまで悲観していないが、それでも当たり前にいた人がいなくなるのはさみしいものだ。
 その司と付き合っていた松崎はこのことには。
「一目惚れでしたので、休暇中にアタックしてました」
 と言うのだから、呆れた鬼柳である。
 宝田の紹介で来た松崎は英国の執事学校を出た人だ。そこから松崎の母親の繋がりで宝田を紹介され、この家に補佐として入った。その時に、紹介された山田司に一目惚れして、休暇にデートに誘ってみたりしていたそうだ。そして司は暫くは素っ気なかったが、そのうち会ってくれるようになったのだという。
「ぜんっぜん、分からなかった……」
「そりゃ仕事中にそんな雰囲気出してないしな」
 鬼柳が当たり前のように言う。
「透耶は松崎が司のこと好きだと知ったら、くっつけようとするだろ?」
「……しないと思うけど、司さんにどう思ってるのかは聞きそうです、はい」
 透耶がそう答えると鬼柳は。
「松崎はそれをされると困るからしなかった。司が透耶が勧めるものを断れるわけないことを知っていたからな。まあ簡単に言うと、松崎のプライドの問題だ」
 松崎は自分の魅力だけで司に選んでほしかった。司も松崎のことは自分でどうにかしたかった。だから透耶にだけは気付かれないように気をつけた結果、透耶には悟られなかったわけだ。
 さすがに鬼柳を謀れるとは松崎も思ってなかったようだが、鬼柳が他人の恋愛に首を突っ込むことはないと知っていたので、害はないと思っていたらしい。
「えー俺、いわゆる無謀でお節介な仲人みたいなものだったんだ。気をつけよう」
 一人、お人好しを超えて迷惑をかけていることに気付いて、透耶は反省した。


 透耶たちがこうして変わっていく中、榎木津光琉(えのきづ みつる)が仕事をセーブし始めた。綾乃のコンサートに同行するようになっていき、周りは驚いていた。
 光琉に聞くと。
「いや、将来的にな。綾乃の活動がしやすいように、俺、芸能人辞めて主夫になろうかと思って」
 と爆弾発言をするようになった。
「彼方(かなた)さんみたいについて行くの?」
 透耶がそう聞くと、光琉は。
「どっちかっていうと、子供を見てようかなってやつ。俺は彼方さんみたいに子供放置は無理みたいだから」
 事務所とは既に話し合っていて、事務所は何とかして止めたいのだが、本人が真剣であって考えを変えるとは思えないと諦めた。光琉に来る仕事を若手に振って調整を立てている。コマーシャルなども契約中に辞めることはしないが、更新はしないことは伝えてあるという。
「ほら俺等って結構放置されてたじゃん。俺は当時さみしかった。透耶がいたから耐えられてた。そういうさみしいのは、あまり子供にはさせたくなくてな。綾乃か俺かどっちかがついててやらなきゃって思った。でも俺には綾乃に才能を潰せなんて言えない」
 光琉はそう言う。
「結婚を覚悟した時から考えてたんだ。綾乃の世界公演が成功したら、俺、芸能人をやめようって」
 光琉は笑っている。初めから綾乃の音を聞いてから、世界で成功する人間だと。だから手を出すのは駄目だと思っていたらしい。せっかく良い兄でいようとしたのにだ。
「こうなった以上、俺が覚悟を決めるしかないなって」
 光琉の覚悟に綾乃は何も言えなかったという。
「もう光琉くん、仕事セーブし始めてて、今更戻してって言えるような状況じゃなかった」
 と言った。
 仕事を断って他をあてるということは、先方から光琉の印象が悪くなっているはずである。二度と同じ仕事は来ない。芸能界はそれは厳しい。
 光琉が始め、光琉が終わらせようとしているなら、綾乃に口を挟めることはない。
「光琉くん、先生に親のこと押しつけたとかずっと思ってて、芸能界は好きで入ったところだけど逃げたところでもあるって思ってるんだと思う。だからそこを辞めてちゃんと埋めたいんだと思う。心の隙間、家族っていう欠けたピース」
 綾乃はそう分析している。
 光琉は早くに家族から離れ、自分だけで生きてきたと思っている。家族なんて持たないと決めたのもその時かもしれない。けれど、いざ家族を持ってみたら、いろいろな思いが出てきた。自分は思ってた以上に家族にこだわっているのだということに。
 光琉には後十五年しか残っていない。その十五年で子供たちにすべてを注(そそ)がなくてはならない。とても時間が足りない。そう考えたとしても不思議ではない。
 それは綾乃にピアノを辞めてもらって家に入ってもらうことでは解決しない、光琉の心の問題だ。だから綾乃(あやの)には何も言えなかった。
「光琉くん、家族っていうちゃんとしたものを味わいたいんだと思う」
 綾乃の分析は間違っていないと透耶は思った。
 光琉には家族は必要で、それは妻や子供もそうであるし、妻の両親という存在も祖父という存在も必要だった。
 来年には光琉の仕事はすべて他に回せ、ほぼ引退状態にできるのだという。明確な引退をする必要はないし、テレビに光琉が出なくなると次第に世間は新たなアイドルを見つけることになるだろう。
 五年も経てば、あの人は今くらいには露出がなくなる。
 綾乃にピアノを辞めさせないのは、今でも光琉がピアノに対してコンプレックスがあるからだと思われる。どんなに弾けたとしても透耶には遠く及ばなかった記憶、そして妻がそれを凌駕(りょうが)しそうなほどの勢いで成長していく。それを止めてしまうことへの罪悪感や後悔ができることへの恐怖。自分の中で育っていたピアノへの憧れもまた問題だった。
綾乃(あやの)はそれが手に取るように分かっていて、光琉の好きなようにさせている。一見、聞き分けがいいように見えて、そうではない関係。
「光琉のやりたいようにやらせてあげる綾乃ちゃんの余裕が、とっても大人に見えて、ああ、あの少女も人の妻になったんだなぁって思えた」
透耶の感想に鬼柳は微笑んでいるだけである。
 真貴司綾乃(まきし あやの)現榎木津綾乃(えのきづ あやの)と出会ったのは、彼女が十四歳の時だ。
 それからずっと彼女を見守ってきた透耶は、自分の手を離れていった少女を思って微笑む。
 それぞれが新たに進む道を決めて、それぞれに進むのも未来へ向かっていること。
 透耶や鬼柳だって、そうだ。
 未来の自分の後悔にならないように、今を生きている。
 
 今回の事件で皆がそれぞれ考えた。
 嵐が去った後の晴れやかな空、鬼柳と透耶はアメリカに向かって出発した。様々なところを回る旅行。ずっと鬼柳が計画していたものを実行する時が来た。
 透耶は空港で宝田に大きく手を振って。
「行ってきます」
 と言った。
 宝田はそれに頭を下げて。
「行ってらっしゃいませ、透耶様、恭一様」
 と言った。
 二人を乗せた飛行機が視界から消えるまで宝田は見送り、ふっと息を吐いて空港を後にしたのだった。

それぞれの新たな日常が始まる。