switch外伝9 play havoc15
透耶はふと目を開いた。
天井を見て、見たことがないところだと溜め息を吐いた時に臭ってきた匂いに視線を下げる。嗅いだことがない香水。肌触りが違うシーツ。どれも不快にしか感じない原因は分かっている。
腕を動かそうとして、チャリッと金属がすれる音がして腕を見た。片腕だけベッドに固定された鎖に繋がれていた。
自分は誘拐犯に捕まったのだと、いやでも分かる。
体を動かそうとしてびくりとする。隣に誰かが寝ている。
びっくりして自分の体を見たが、服は着ていた。それもちゃんと家を出た時のだ。それにホッとして隣を見ると寝返りを打った相手の顔が見えた。
「……真下……柾梓?」
やはり犯人の一味だったんだと思った瞬間、自分が気を失う前に見た物を思い出した。「……!」
息が深く肺に入り込む。
あれは夢だったのか。それとも。
部屋の中を見回すと、見たことがない部屋だ
窓の外が見えないかと見回してみたが、カーテンは分厚い物が閉まっている。
場所を確認するのには風景を見るのが一番だが、それもさせてもらえないようだ。
時計はないかと探すと、ベッドの上に掛け時計があった。
時間は三時。透耶がホテルに向かったのは一時だった。
空腹ではないことに気づいて、あれから二時間しか経っていないことが分かった。
ゆっくりと起き上がって、隣で寝ている人間を起こさないようにした。真下柾梓(ました まさし)が何のつもりで隣に寝ているのか不明であるから、ただ気持ちが悪かった。
鬼柳恭一以外の温もりなんて必要ない。
腕をひねらないようにしてベッドから立ち上がると腕がどうなっているのか分かった。少しの余裕がある程度の鎖しかなかった。だが余っている鎖があるから交渉次第ではどうにかなりそうではある。
透耶はベッドに腰をかけて慎重に周りを見回した。
静かにして音を拾ってみようとしたが何も聞こえなかった。防音なのか、それとも周りに誰もいなくて聞こえないのかは判断できない。
これは困った。自力逃走が不可能に近い。
慌ててポケットを探るが、当然携帯電話はない。取り上げたというよりは捨てたのだろう。
「………」
持っているだけでも十分だったのだが当てが外れて透耶は溜め息を吐く。
やっと隣で大胆に寝ている真下柾梓を見た。
どういうつもりなのか、納得できる説明が聞けるとは思っていない。あんな狂った手紙を寄越す相手がまともな回答をくれるなんてことあり得ない。
何度も顔を見て、ここまで似てない兄弟も珍しい。
だがそれ以上に似ている人を見た。
あれはなんだったのか。
考えて分かることは、あれが柾梓の共犯者で、殺人犯だということだけだ。 またベッドに腰をかけると、後ろから腰に手が回ってきた。
「うわっ!」
慌てて立ち上がろうとしたがそれができないほど強い力でベッドの中央に引きずられた。
「やっ!」
暴れて逃げようとするも腕が固定されているも同然なのでベッドの上の方へ行くことしかできない。だがそれすらさせてもらえなかった。
「……!?」
なおも暴れようとするもがっしりと腕は腰に回っていた。だがそれ以上その手が何かをしようとはしていなかった。透耶はおそるおそるであるが、暴れるのをやめてみた。
腰に抱きついていた柾梓は、透耶の腹に顔を埋めると満足したように二度寝を始めてしまった。
「え? え?」
訳が分からず透耶はその体制のまま動けなかった。
(何これ? どういうこと?)
まるで大きな子供が母親に抱きついているような感じである。柾梓は言葉を発することなく、小さないびきをかいて寝ている。
それから一時間ほどして透耶は寝ている柾梓を起こした。
「……起きて、あの」
声を出して柾梓を揺らすと柾梓がゆっくりと顔を上げる。
「何?」
柾梓が初めて声を出した。
もちろん骨格が違うから声も柾登には似ても似つかない。だが、それでもいわゆるいい声というトーンだ。さすが声楽首席である。低いトーンの声が少し眠そうにけだるく言う。
「どうした?」
「あの……トイレに……」
何時間もトイレにいっていないから、さすがにいきたい。自力でいけるなら行くのだが、鎖がそうはさせてくれない。
「ああ、そうか」
時計を見上げた柾梓は、相当時間が経っていることに気づいた。
のそのそと起き上がり、透耶を拘束している鎖を解こうとしてから透耶に向かって言った。
「逃げたら、痛いよ?」
そう言って透耶に向けられたのは、あの石山が一瞬で気絶した改造したスタンガンだ。透耶は目を見開いてそれを見てから、ゆっくりと頷いた。
ここがどこだか分からない。走っていった先がこの部屋の出口であるとは限らない。そして透耶は柾梓を見る。
真下柾梓は、柾登とは違った青年だ。柾登が華奢(きゃしゃ)な青年であったが、柾梓は運動をしているような体育会系の青年に見える。走って逃げてもこの部屋を出るまでに追いつかれて終わりだ。
それがすぐに予想できて透耶は素直に頷いた。
さすがに目の前で威力を見せつけられただけあり、スタンガンは怖かった。
ベッドがあった部屋は二十畳もある広い部屋だった。普通はリビングなどにしてしまうところにベッドだけ並べたような感じだろうか。もちろんテーブルなどもあったが、誰かが使っているような形跡はなかった。そんな部屋を眺め確認しながら、透耶は柾梓に腕を捕まれてトイレに放り込まれた。
トイレはさっきの部屋を出た突き当たりだった。横にバスルームや化粧室があり、まるでホテルのような作り。もちろんトイレの中も広く、化粧ルームも中にあった。トイレをして鏡を見ながら透耶は手を洗う。
自分の顔は蒼白だった。当たり前だ、自分はまた誘拐されたのだ。しかもまた殺人犯。今度は二人も犯人がいる。
今のところ一人は出かけているのか別の部屋にいるのか分からないが、透耶の目の前に現れてはいない。
どうにか外に出られないかとトイレの中を調べたが窓自体がなかった。簡単に前にやった脱出方法である、トイレの上の通気口を探してみたが、何か上から重しがしてあるようで扉がピクリとも動かなかった。
ごそごそとやっているとトイレがノックされる。
「そろそろ無駄なことやめて出ておいで」
それに透耶の心臓がヒヤリとする。脱出しようと試みることなんて知っていると言わんばかりの言葉だ。
透耶は大人しくトイレのドアを開けて外へ出た。怖いし、スタンガンはいやだが隠れていてもきっとドアは壊されて連れ出されるに決まっている。
ドアを開けた瞬間、柾梓が持っていたスタンガンを透耶の首にあてた。透耶はぎゅっと目をつむったが、いつまで経っても痛いことはなかった。
おそるおそる目を開けると、柾梓が真顔になり言った。
「次は本当にするからね」
それは警告だ。
柾梓は首からスタンガンを外すと、透耶の腕を掴(つか)んで元の部屋に戻る。ベッドまで行くとさっきと同じように鎖に透耶を繋ごうとした。
「いやだ」
透耶はそう言って柾梓から逃げようとする。
その瞬間だった柾梓が透耶の逃げる背中にスタンガンを当てて本当に電気を流した。
「あぁぁ!!!!」
強烈な痛みが背中を襲い、透耶はその場に倒れ込んだ。体の力が抜けてしまい、息も上がり動けない。はっはっと息を吐いて吸ってを繰り返しているうちに、透耶はベッドの鎖に繋がれていた。
柾梓は倒れている透耶をベッドに仰向(あおむ)けに寝かせると、さっきと同じように透耶に抱きついて寝ようとする。
透耶の目には涙が浮かび、泣きたいわけじゃないが涙があふれた。痛みで泣けてきただけなのだろうが、次第に悲しくなってきた。
動く手を使って涙を拭く。
怖い、恭怖いよと叫んでも誰にも聞こえない世界。
そんなところに閉じ込められて気が既におかしくなりそうだった。
ガサリと音がして透耶は目を開いた。
さっきの痛みから気絶をしていたらしいと気づいたのは、確実に自分が寝ていた感覚があるからだ。周りは既に暗く、カーテンの隙間から見えていた太陽の光は既に人工の光のような色になっていた。
部屋の中は真っ暗で何も見えないと思っていたが、誰かが部屋のドアを開けて立っているのが見えた。隣の部屋の間接照明が、その男を照らしているのだが、陰になっているため顔が見えない。手にはビニールの袋を持っていてそれがガサリと音を立てたようだった。
その人物が手探りで電灯のスイッチを探し当てて部屋の電気をつけた。
パッと目に入る光の量に透耶は目をつむる。眩しいから手で目を覆ってからうっすらと目を開けた。
「何だ起きてるのか?」
声がした。青年の声であるが、透耶にはいやと言うほど聞き覚えがある声だった。
「……!」
心臓が飛び出そうなほど音を立ててその音が内側で大きくなり耳が聞こえないほどになる。
ゆっくりと男が近付いてくる。ジャンパーのすれる音がしてシャカシャカと規則正しく鳴っている。それが近付いてきて大きく音を立てる。それが半分ほど聞こえないくらいに透耶の心臓は音を立てていた。
「おい、起きてんの?」
顎を捕まれてぐっと男の方に顔を向けられた。その顔を見た透耶は目を見開いた。
目の前に成長した真下柾登がいる。
「……ひぃ」
恐怖のあまり声が出なかったが、やっと悲鳴が出た。
「あぁぁぁぁ!」
男の手をふりほどいてベッドの端まで逃げた。そこで柾梓が透耶を押さえ込んだ。パニックになり暴れる透耶を力尽くで押さえつけ、疲れて大人しくなってから透耶を抱き寄せた。
透耶はその柾梓の手を振り払うことができないほど怯え、息を荒くしている。
「……ちょっと整形して近づけたとはいえ、声まで似てるからな。目の前で死んだ人間が現れたらこうなるだろ」
透耶を慰めるようにしながら柾梓が言った。
「そりゃお化けみたいなもんだしな。さすが死ぬところ見てただけのことはあるな。反応強烈」
耳の中に指を入れて首を傾げた男は、透耶の反応を面白がっていた。真下柾登の顔に更に近づけた現在だと、必ず弟と間違われる始末だ。だがそれを男、島田洋司は楽しんでいた。
「可哀想に、兄さんなんかに振り回されて」
その言葉に透耶は不審な顔をして柾梓を見上げた。
「俺にしておきな? 兄さんみたいな妄想じゃなく、本当に愛してるから」
「いやだ!」
透耶はそう叫ぶと柾梓の腕の中から逃げ出した。しかしベッドから降りたところで、鎖がめいっぱいに引っ張られ、ほとんどベッドから離れられない。
「はははは、兄弟揃って振られてやんの!」
島田は体をくの字に折って笑う。
自分と同じ顔をした柾登があれほど拒否された上に、柾梓も同じ目に遭っていることが単純に面白いのだ。
「何言ってんの。兄さんはみんなに認めてもらわないと触れもしなかったんだ。俺はこうやって手に入れた」
「俺が、だろ?」
「洋司くんは透耶に興味があるのか?」
急に透耶のことで関心を見せた島田に柾梓が問う。
「あるよ、じゃなきゃ協力してないし。何よりさっきの反応で余計にだな」
島田はにやりとしてそう言う。透耶の拒否が思った以上によかったのだという。柾梓は首を傾げる。
「だから勃起してんの?」
そう言われて透耶はびくりと体を震わせた。
島田はそう言われてケラケラと軽く笑いながらベッドに腰掛けた。
「いやー俺もびっくりよ。嫌がってんの見たらこうよ」
シッパーを下ろしてそそり立つ己を出してみせる。透耶はさっと目をそらせた。とてもじゃないが見たいものではない。島田はあの真下柾登の同じ顔をして同じ声をしてそう言っているのだ。
透耶からすれば死んだはずの人間が目の前にいて、逸物(いちもつ)を掴んで見せびらかせてきたら、どんな人物でも卒倒するだろう。透耶もさっきの叫びがなかったらここで卒倒していただろう。それくらいにパニックであり、理解すらできない出来事だ。
どんなに今回の犯人が常軌を逸脱していると思っていて覚悟をもしていたが、これは許容範囲をやすやすと超えているものだ。
島田はそれをこすりながらまだ笑っている。
「洋司くん下品」
つまらなそうに柾梓が言う。だが透耶の方を見ると笑顔になる。
「洋司くんは下品だけど、俺は違うからね」
そう言って突きつけられるのは、さっき使われたスタンガンだ。
「!」
びくっと体が震え、さっきの恐怖を思い出す。ガタガタと体が震え、息が乱れる。
「おいで」
スタンガンを握っている手を引っ込め、違う手を出して透耶を招く。その手に透耶は震えながら自分の手を重ねた。震えている手を握った柾梓は透耶を抱き寄せる。
「いい子だね」
柾梓の肩に顔を埋めながら透耶はただ震えていた。
その透耶の後ろに回った島田が小さなうめき声を上げて、透耶の背中に精をはき出した。何をされたのか分からなかったが、匂ってきた生臭い匂いに透耶は精液を背中にかけられたのだと悟った。
「透耶、着替えようね」
柾梓は島田のやることに文句をつけずに、何のことはないとばかりにそう言った。透耶はその言葉を聞いた時に、柾梓の意図が理解できた。着替えをさせたかったのだ、最初から。しかし透耶がそうそう言うことを聞くわけではないことも理解していた。ならば着替えをしなければならない状況を作ろうとしたのだ。
それが島田のした行動に何も言わない理由だ。
そしてそれを透耶はいやだと言えない。
怖いのは島田だが、恐ろしいのは柾梓だ。
真下柾梓は透耶がどういう行動を取って、どういう結論にたどり付くのかすべて見透かしている。
兄である真下柾登は透耶の何も理解しなかったが、弟の真下柾梓(ました まさし)は透耶のすべてを理解して行動をする。
自力で逃げるためにする努力はすべて潰されていると考えていた方がいい。
透耶が頭をフル回転させて思ったことはそれだった。