switch外伝6 We can go23

「鬼柳家ってのは、じじい一人の力で戦後、かなり苦労したけど、銀行やカジノで成功した家なんだ」
 鬼柳がそう語り出したのは、二人で寝室に入ってからだ。透耶が気にしているわけではなかったが、鬼柳の方がすっきりとしたかったらしく、珍しく鬼柳家のことを語り出したのだ。
 ちょうどこのアメリカ旅行で鬼柳の父親や祖父にも会ったから、たぶん話しやすくなったのだろう。

 透耶は基本的に鬼柳家のことは聞いたことはあまりない。今回の旅で大体のところは分かってきたが、鬼柳が戸籍から自分の戸籍だけ別にすることは、なんとなくであるが、鬼柳が言っていた便利性だけではなさそうだった。

「恭のお祖父様って凄いんだね」
 透耶がそう言うと鬼柳はああと頷いた。

「じじいはな。だけど、それについてきた親族っていうのが、まあだらしないわけだ。じじいは最初は親族だから仕方なしに面倒を見ていたらしいが、これがどいつもこいつもじじいの血を引いてるのかと疑いたくなるほど才がない」
「へえ……」

 透耶にはそうした親戚がいたので思い当たることがある。お祖父様の親戚も確かにそういう人が多かった。お祖父様の力を借りないとどうにもならないところがあって、透耶も現在はやっと手が離れたが、お祖母様のところにはたびたび金の援助を申し出る人間もいる。

「無駄にじじいが出来るものだから、全員頼りない。何かに失敗してもじじいが助けてくれると思ってるわけだ。そうした原因を作ったのはじじいだから、じじいは仕方ないと思ってるらしいが、親父からすれば集るハエみたいに見えたらしい」

「それで一成さんは独立して、新聞社の社長になってるのか……普通銀行に入るんじゃと思ってたけど、そういう訳があったのか」
 透耶はやっと納得した。
 そういえば、鬼柳も出来は良いが跡を継げなどとは言われてはいなかったようだ。

「親父も反抗期があったらしい。じじいも自分に頼らずにやっていく親父のことは気にしてはいたが、放っておいた。そうすれば親類たちは親父に集らないだろうと思ったからだろうな。そうやって親父は自分の力だけでやっていった。だが、親父に子供、まあそれは俺が出来ると、親類は心配したわけだ」

 一成に子供が出来たが、妻は出来なかった。
 すると親類は財産欲しさに子供だけ作ったのではないかと一成を攻撃し始めた。祖父は事情は聞いていた為、鬼柳を孫だと認めた上で名前まで付けた。それが原因だったらしい。二人がこれを機に和解してしまったのだと思ったらしい。

 その頃には一成も新聞社の中では社長候補と言われるほどの力を付けていて、その時の現社長からも有望な青年として目を掛けて貰っていた。
 そうすると親類たちは、母親が居ないことを理由に鬼柳を勝手に連れ去ろうとしたりもしたらしい。両親揃ってこその教育だという勝手な理由を付けていたから一成も呆れたそうだ。

 その鬼柳も親戚が心配するようなことはなく、母親が居なくても子供の頃から優秀だった為に、親類は苦々しい思いをしていたらしい。だが、鬼柳は金持ちの息子によくある非行を繰り返すようになったとたん、親類は甘い言葉をかけては鬼柳を取り込もうと考えたらしい。

「俺と親父との仲に亀裂が入ると、親類は俺に直接甘い言葉をかけるようになってな。じじいに取り入ったらいいじゃないかってのが大半で。でもその頃には俺はじじいとも亀裂入ってたから、親類のことも邪険にしてた。だから被害はなかったんだがな」
 どうやら鬼柳が自分の母親が自分を捨てたことを知った頃に、鬼柳は祖父とも喧嘩をしていた。素行が悪い孫を叱ったのだろうが、そんなことを聞ける状態じゃなかった鬼柳は反発したままだった。
 それから20年、鬼柳は祖父のところには近寄りもしなかった。

 そして鬼柳が大学を卒業して居なくなると、親類も居所が暫く分からず、鬼柳に接触することはなくなった。やがて鬼柳が報道カメラマンをしていることは知ったらしいが、彼らは低俗な仕事と見ていたようで鬼柳も日本にもあまり居着かないものだから接触しようがなかったらしい。

「だから、親類も諦めて俺のことには口出しもしなくなったんだけど。ここにきて、親父に子供が、それも息子が出来た辺りからやたらめった俺に接触を取りたがる奴らが出てきたんだ」
「なんで?」

「長男の俺が、じじいの財産を受け取る可能性が出てきたからだろうな」
 そう鬼柳が言うのだが、透耶はキョトンとした。

「へ? だって一成さんがいるじゃない」
 普通の感覚なら透耶と同じ感想を言うだろう。

「だが、あいつらは親父とじじいの仲が良くないと思っているから、じじいが親父に遺産を残すわけないと信じているわけだ。で、その他に遺産を渡しそうな相手として、親父の監視下にいない俺が候補になったわけだ」
 鬼柳はそう言った後、煙草を一服した。
 自分で話していても胡散臭いことこの上ないと思っている。だが、親類がこれを信じているから鬼柳の周りは面倒くさくなっている。

「今回の戸籍を抜くのには、便利性と別に、鬼柳家とは一切関係がない立場を作るのが目的だったんだ。親父はそれが分かっているから承諾したし、じじいも分かっていたから何も言わなかった」
 鬼柳はそう言って苦笑していた。

 透耶はその苦笑の意味をすぐに理解した。鬼柳が鬼柳家と関係ない立場になりたがっていることを知っていて、二人とも快く承諾してくれたのだ。血が繋がってないからではなく、本当に息子だと孫だと思っているからこそ、これ以上親類からの攻撃を向けさせたくないからだ。

 そんな心が分かってしまって、鬼柳は今更ながらに感謝しているのだ。ここまで好き勝手出来ていたのは、彼らがそうしたことを強要しなかったからだと。
 普通の家なら評判が悪くても大学を優秀な成績で卒業した子供をカメラマンにして、好き勝手しておくわけがないからだ。
 家に連れ戻して家督を継ぐようにさせるところだが、鬼柳家は自分の力でどの道に進もうが、成功しているなら何も言わない家系らしい。特に直系ほどその傾向が強いようだ。

「結局、俺はあの人たちに何の恩返しもしないままだ」
 鬼柳がそう言うと、透耶はニッコリと笑って言った。

「これからだって出来るでしょ? それに大丈夫、恭がどれだけ感謝してるのかなんて、二人とも分かってるはずだよ。だって、なんといっても恭のお父さんとお祖父様だよ? 恭の性格一番よく分かってる人たちじゃない」
 透耶は鬼柳の頬に手を当てて、目を見てそう言い切った。二人に会ってみて、透耶は感じるところがあった。二人とも男だからと言って透耶を邪険にするどころか、息子や孫と一緒に居てくれてありがとうといわんばかりの態度で接してくれた。
 その態度だけで、透耶は自分が思っているよりも受け入れられていることを感じた。そしてその二人とも鬼柳のことを大事にしていたし、落ち着いた今のことを殊の外喜んでいた。
 だから分かる。彼らがどれだけ鬼柳の行く先を案じていたのか。あの時、どうすることも出来なかったことを後悔しているのかも。
 だが、その全てを知っても透耶が受け止めるつもりでいる覚悟を見てくれていた。

「俺、恭のお父さんにもお祖父様にも凄くよくして貰ったよ。どんなに罵倒されても仕方ないって思ってたけど、全然だったからびっくりしたのと同時に、凄く感謝した。恭がどれだけ愛されているのかも分かったし」
 透耶の機嫌が凄くいい理由を鬼柳はやっと理解した。

 透耶は素直に嬉しいのだ。自分が認めてもらったことよりも、鬼柳が逃げ出してきたこの地にいる誰もが鬼柳のことを心配して、立ち直るのを見守ってくれていたことが、自分のことのように嬉しかったのだ。

「恭には沢山味方がいるよ。俺が筆頭だけどね」
 透耶がそう言ったので鬼柳は柔らかな笑みを浮かべて透耶にキスをした。
 透耶と出会わなかったら全部気がつかないままでいた家族の思いや心遣いが沢山あった。それに後悔していたのだが、透耶はこれからだって恩返しは出来ると笑ってくれる。
 戸籍を抜いたとしても、彼らが鬼柳の育ての親や名付け親であることは変わらない。鬼柳恭一という人間を作ってきたのは彼らが居てくれたお陰だ。
 その鬼柳恭一をそのまま愛してくれるのが、今自分の手の中にいる榎木津透耶だ。

「透耶……」
 嬉しくなって鬼柳は透耶の顔中にキスをした。

「くすぐったいよ」
「そりゃ、わざとくすぐったくしてるんだ」
「あはは……ん、あっ」
 笑って避けていたら鬼柳がいつの間にか透耶の服を脱がしていた。パジャマのボタンが外されていて、中に着ていたシャツの中に手が忍び込んでいた。

「今日は、透耶をずっと抱いていたい気分だ」
 鬼柳は透耶の首筋にキスマークをつけるとそう静かに言った。

「俺も、恭を抱いていたい気分」
 透耶がニコリとして、鬼柳の頭を抱いた。
 思いは一緒だ。嬉しい気持ちが溢れて溢れて、何かに感謝したい気分。それはお互いを抱いていると余計に感じる幸せが溢れているからだ。
 この幸福の中に身を落としたい。
 鬼柳は透耶の服を徐々に脱がせ、乳首に指を這わせて捏ね回した。びくびくと透耶の体が震えて、胸を突き出してくる形になると鬼柳は乳首に吸い付いた。

「あっん……あぁっ」
 片方を指で片方を口で転がしてやると、透耶が甘い声を上げる。乳首に集中している間に、余っている手で透耶のズボンや下着も一気にはぎ取った。
 すでに立ち上がっている透耶自身に鬼柳の立ち上がったものをつっくつけてそこに体を合わせて腹で擦ってやる。

「は……あぁっんぁ……あっあっ……それ……んん」 鬼柳の先走りと透耶の先走りが混ざりあってぬちゃぬちゃとした音が響いてくる。透耶はそれが少し恥ずかしいのか顔を背けている。
 道具を使う以外のことなら透耶はどんなやり方でも鬼柳に合わせてくれる。多少の無茶でも最近はかなり寛容になってきているのは、透耶がそれだけ鬼柳を求めてくれている証拠だ。
 乳首から下がって口づけをしながら透耶自身まで辿り着くと、さっきまで擦り合っていたから完全に透耶自身は立ち上がっていた。
 それを口に含んで扱いてやる。

「あっ! んんぁあっやぁああ」
 驚いて動こうとする腰を掴んで、しっかりと吸って舐めてやると透耶は鬼柳の髪の毛の中に手を入れて我慢できないとばかりに腰を振っていた。
 亀頭を舐め、窪みを舌でなぞり、指で尿道を弄り脇を舌で舐めながら下がって袋まで愛撫していると、透耶はとうとう我慢出来なくなってしまった。

「あっあっんぁあ……もうだめ……あぁっあぁあ!」
 透耶が達すると、鬼柳の口の中に性が吐き出される。初めから分かっていたが、透耶は直接舐められるのには弱い。
 吐き出された精液を吐き出して鬼柳は透耶の孔の方に手を伸ばした。昨日まで散々やっていたこともあって滑りがあれば簡単に一本の指は入り込める。
 中を広げながら透耶自身を悪戯するように舌で弄って太ももも撫でてやる。

「んぁあ……」
 中に入っている指だけに集中させないようにして、徐々に孔を広げていく。指が三本入るようになると鬼柳は透耶の腰を持ち上げて孔に顔を近づけた。

「……え、やっ……それは……あぁああっ」
 指を抜いて透耶の孔の襞を舌で舐めて広げる。透耶は孔を舐められるのはあまり慣れていない。普段はローションを使って指で広げてしまう方が多いからだが、舌で孔を舐めると透耶は感じてしまうからだ。
 舌を孔の中に突き入れて掻き回すと、ざらついた舌の感触がいつもと違うのか、透耶の腰がひくついている。滑りを作るように涎を入れては指を入れて掻き回し、舌で孔を舐めてと繰り返すと透耶の息が荒くなっている。

「そろそろいいよな」
 腰を抱えたまま鬼柳は、鬼柳自身を透耶の中に突き入れる。
「あ……あ……は」
「透耶、上手くなったな」
 大きな鬼柳自身を奥まで呑み込むように透耶が深い息を吐きながら受け入れている。

「は……あ……ん」
 奥までしっかり入ってしまうと、鬼柳は透耶の頬を撫でて良くできたと褒めてやった。
 中がなじむまで動かずに透耶にキスをしたり、乳首をさらに弄ったりと繰り返して落ち着かせると鬼柳は尋ねた。

「透耶の中、やっぱり気持ちいいな」
「ん、もう……なにいって、あっ!」
 急に鬼柳が動いたので透耶はそっちの快楽に一瞬で突き落とされた。文句を言おうとした口からは、喘ぎ声だけが漏れてくる。

「や……だめ……そこばかりっあっあっ」
「ここ、透耶のいいところだからな」
 そこばかり突かれるとすぐに達してしまうから抗議をしたのだが、鬼柳は実に楽しそうに却下してきた。
 透耶がある場所だけを鬼柳が突き上げてくるので抗議したのだが、鬼柳はそれを分かっていてやっているのだ。わざとだ。
「分かってて、んぁっ」
「一回達った方がいいだろ? 可愛くエロく達くところ見せてくれ」

「ば、莫迦ぁ……ああっ!」
 罵倒しながらも透耶は達かされてしまった。
「……く」
 鬼柳は透耶が達くと中が締め付けられて、いつもつられて達してしまうのだが、今回は耐えた。透耶を先に達かせる作戦だったのに自分まで達してしまったら意味がない。
 それに透耶が達くところを見るのは好きだった。快感で達する透耶はかなり色っぽい。達したあと、透耶は時々柔らかに笑うことがある。この表情が最初のころに比べ、色っぽさや艶っぽさが増しているのに気付いてから、鬼柳は透耶を一回先に達かせるのが楽しみになった。

 透耶とセックスする時はいつも余裕がない。だが主導権だけは渡せないから、余裕のない中でも余裕を見つけるのに一苦労するが、その楽しみもまたセックスに組み込まれたものだと思っている。
 弛緩した透耶の体を起こすように背中をいやらしく触ったり、首筋にキスをして舐めて誘う。

「ん……あ」
 透耶の意識がこっち側に戻ってきたのを確認して。鬼柳は腰を動かし始めた。

「あっあっん……あっあぁ」
「一回達った後の透耶の中は、締め付けがすごくてたまらない」
 締め付けが強くなって鬼柳は額に汗を掻きながら、強く奥まで押し込んでいた。さっきよりもペースを上げて挿入を繰り返す。追い上げられて、透耶もまた同じ快楽を追い続ける。
 鬼柳が与えてくれる快楽は時には辛いが、それでもそれを超えた先にあるものは透耶は好きだった。鬼柳の手によって作り替えられたこの体がもたらす快楽に慣れてしまった。
 ベッドにしがみつくようにしていた手を鬼柳が気がついて鬼柳の肩に回してくれる。こうしている間も鬼柳はずっと透耶のことを気遣ってくれている。だから多少の無茶でも透耶は許してしまう。
 結局、惚れた弱みだ。

「恭……もう……あっ」
「……透耶……くっ」
 透耶が達すると同時に鬼柳も締め付けられて達した。透耶の奥深くに性を吐き出して、性器を抜き取ると透耶を抱きしめて息を吐いた。
 深呼吸をしている透耶の肩にキスをすると、透耶が鬼柳の頭を抱きしめた。

「もう、飛ばしすぎだって……」
「悪い……だけど透耶エロイから」
「それ、俺が悪いことなの……?」
 鬼柳がまだ満足しきっていない様子で透耶のウエストあたりをいやらしい手つきで撫でて言う。
 でも昨日まで透耶は鬼柳に自分が分からなくなるまで抱いて貰っていたから、文句もそれほど言えない。
 正気に戻ってみるとあの行為は結構恥ずかしかったが、鬼柳の体に慣れてしまっていたから、求めずにはいられなくなっている。

「透耶、この一ヶ月でかなりエロイ体になったけど、俺なしでやっていけるか?」
 鬼柳がそう言ってまた透耶を誘っているが、その手を拒めなくなっているから鬼柳の言うとおりだ。
図星過ぎて恥ずかしい。

「…………莫迦」
 透耶がそう言って鬼柳の首筋にキスをしてみると、意表を突かれたのか鬼柳がびっくりしている。
 透耶はそれをいいことに、更に鬼柳を誘った。

「だったら、いっぱいしていってよ。次まで忘れられないくらいに」
「……透耶」
「恭でいっぱいに」
 透耶はそう言うと鬼柳が俄然やる気になった。

「透耶がそういうなら遠慮なく」
 ガバッと起き上がって透耶をベッドに押しつけると深いキスをしてきた。そのキスに透耶は応えた。
 いっぱい愛してもらって、また離れても大丈夫だと、そして帰ってきたらまた愛して欲しいと透耶は鬼柳を求めた。
 どんな未来があるのか分からないけれど、二人一緒ならばなんだか上手くいきそうな気がするのだ。

 今は仕事などで離れているが、鬼柳が壮大な計画を用意してくれている。
 それはそれで楽しみだから、未来に不安などない。鬼柳が言った、絶対に離れている間には死なないのだから心配することはないと。あの呪いがあるなら、絶対に透耶の目の届かないところで鬼柳が居なくなったりしない。
 そして鬼柳は透耶に沢山予定のある未来を用意してくれている。
 それを楽しみに生きるのは、また楽しい。
 この愛しい人の手を取っていれば、間違いなんてないとはっきり言える。
 透耶は鬼柳を抱きしめて言っていた。

「愛してる……恭、愛してる」
 その言葉を受けて鬼柳も言った。
「俺も、透耶を愛してる」
 真剣な眼差しは最初の頃から変わらない。一途に自分を見つめてくれる視線を受けて、透耶は安堵してしまった。
 この人の手を取ったことを後悔しない。
 もう絶対に離すことは出来ないなら、絶対に後悔しない道を進もう。
 そこには沢山の人がいる温かい場所があるから。

「んで、透耶の機嫌が悪いのはなんでだ?」
 ぷりぷりと怒ってソファに座っている透耶を見て、光琉が鬼柳に尋ねる。鬼柳の方がご機嫌なのは見て分かるから、何があったのかは予想はつくが、一応である。

「ああ、昨日透耶がいっぱいしてって言ったからしたんだが……腰が立たなくなって観光が出来なくなったから怒ってるんだ」
 鬼柳がそう言うと光琉は呆れた顔をした。

「あーなるほど。自分で誘っておいて、自分で計画駄目にしたんで機嫌が悪いのか。ばっかだなあ」

「別にいいんじゃないか。ああやってる透耶可愛いし。前はよくああやって怒ってたから懐かしい」
 鬼柳は出会った頃の透耶は始終怒っていたのを思い出して言っていた。宥めるのは大変だったが、それはそれで楽しかったのだ。
 鬼柳が自分から誰かの機嫌を気にして何かをしたことがなかったから、その楽しさに目覚めた時期でもある。

「なるほど。こっちもこっちで楽しんでるから透耶は余計に怒ってるんだな。まったくお前らはいつまでたっても変わらないな」
 光琉は更に呆れてしまっていた。

 光琉たちは一昨日観光したばかりだったが、今日はお土産を買いに出かけてきたばかりだ。帰ってきたら、居間で透耶がぷんすか怒っていて、鬼柳が苦笑していたので何事かと思ったが、いつも通りだったというわけだ。
 鬼柳はそんな光琉に苦笑して、怒っている透耶に構いに行った。話しかけると透耶は最初は無視していたが、鬼柳の手がどんどんいやらしく触ってくるので無視できず、最後には怒鳴りながら鬼柳に抱えられてキッチンに消えた。
 翌日、ヘンリーに案内された場所とは違う場所を観光し、鬼柳に写真を撮られながら、光琉や綾乃とも一緒に買い物もした。

 そして、日本へ帰る日。観光する時間は残っていたが、鬼柳が透耶を連れて行った場所は、観光をするような場所ではなかった。
 周りは緑が沢山あって、風が吹き、なんだか落ち着く場所だった。でもそこは公園でもない。沢山の白い十字架の墓石が沢山並んでいる墓地だった。

 鬼柳に墓参りするような誰かが居ただろうかと考えても透耶には分からない。けれど鬼柳が最後に寄っておきたいと願った場所がここだった。
 その鬼柳は墓の場所が分からないのか、墓石に書かれた名前を一々見て確認している。大体の場所は紙に書いた地図で分かっているみたいだが、どうも変だ。一体誰の墓を探しているのだろうかと思っていたが、鬼柳が切り出すまで黙ってついて行くことにした。
 暫く歩いて、鬼柳が立ち止まった。

「ああ、ここか」
 鬼柳は立ち止まり、ゆっくりと膝をついて墓石に書かれた名前をなぞっている。その墓の周りには沢山の花があった。昨日あたりに誰か来て、花を沢山供えていったようだった。

「……キース・スプリングフィールド? 亡くなったのは30年前の昨日……」
 透耶はその刻み込まれた名前を読んで、没年を逆算してみたら30年前だった。どう考えても鬼柳がアメリカに居る間に知り合った誰かの墓ではなさそうだ。

「俺の本当の父親の墓だそうだ。と言われても全然実感すら沸かないけどな」
 鬼柳がそう言ったので透耶はやっと意味が分かった。鬼柳の本当の父親はニューヨークで事故に遭って亡くなっている。だがそのお墓はロスにあったのだ。

「一昨日じじいが教えてくれた。俺が落ち着いたら教えるつもりがあったんだろう。俺は親父が教えてくれるまで鬼柳家と血が繋がっていると信じていたし、勘違いもいっぱいしてたからな。墓参りは昨日は避けるように書かれていたけど、昨日が命日だったから、そっちの親族に会わないように気を遣ってくれたらしい」
 鬼柳は実の父親が何者なのか知らない。母親が語っていることでしか知らない。キースがどんな人で、どんな家柄の人間だったかは分からないままだが知らなくてもいいということなのだろう。それに今更過ぎる。30年も黙ってきたのだから、このままにしておくべきなのだろう。

「恭の本当のお父さんのお墓……そっか、お祖父様、そのことも教えに来たんだ。お墓綺麗だね、花が沢山あるよ。30年経っても誰かがちゃんと来てくれている」
 膨大な量の花に埋もれるように墓は立っている。家族だけの訪問だったらここまでにはならないほどの量だ。だから友人も多い人だったのが分かる。

「どうやら、生前のキースは人格者だったらしいな。まあ、あの母親と付き合うようなヤツだったようだし、寛容なんだろうな」
 鬼柳が呆れたようにそう言うので透耶は鬼柳の母親を思い出して苦笑した。確かに強烈な性格の持ち主だった。それも鬼柳によく似ていたというおまけ付だ。

「そうか、恭の名前、一つだけ本当のお父さんからも付けられてるんだ。きから始まるし。それに一という漢字は、淳一さん、一成さんの一からだから、二人のお父さんの字から付けられてるんだね」
 透耶がそんなことに気付いて言ったので、鬼柳もそれに気付いたようだった。

 鬼柳はふっと笑うと、すぐに立ち上がった。
 透耶は少しだけ座ってお祈りをしてから鬼柳に続いて立ち上がった。

「悪いな。色々面倒なことがありそうだから、次はいつになるか分からないが、また来るよ」
 鬼柳はそう呟くと、すぐに踵を返した。透耶は鬼柳の言葉を聞いて、ホッとしたように微笑んでから鬼柳の側に駆け寄った。

 鬼柳にとって全ての事情が明らかになった今回の旅行は、自分の気持ちをがんじがらめにしていた過去からの完全なる解放の旅になった。

 そうしてその日のうちに、全員が日本への帰国となった。
 沢山のことがあったアメリカ滞在であったが、透耶には楽しい思い出と、自分の気持ちを再確認する旅になった。鬼柳の気持ちや自分の中にあった黒く深い溝。怖いと思った気持ちすら、全てさらけ出した。

 その全てを鬼柳は知っていて自分も同じものだと言い、全て受け入れてくれた。そして透耶が残酷だと思って口に出さなかった言葉まで鬼柳は言ってくれた。
 降り積もっていた不安な心は、鬼柳の存在だけで透耶を満たしてくれることも確認した。

 飛行機の中で鬼柳がせがんで繋いだ手。
 それを透耶は見て微笑む。
 この手を離さなければ、ずっと一緒にいられる。
 隣に並んで一緒に歩いていけるようにもっと強くなろう。鬼柳を守れるくらいに強くなろうと思った。

 今なら、神様がいる天上に近いこの場所で誓ったら叶いそうな気がした。
 透耶はその手をしっかりと握り替えして、肩にもたれている鬼柳の頭にもたれて眠った。
 起きた時には、日本の空の下。
 いつもの日常が始まる。 
 
 了