switch外伝6 We can go19

「あれ、鬼柳さん、珍しく眠そうだね」
 そう言ったのは真貴司綾乃だった。

 ボストンでの休暇も妙なことになってきたので、鬼柳と透耶はロサンゼルスに滞在をしていた真貴司綾乃がエドワードに用意して貰っていた別荘に邪魔することになった。

 とにかく鬼柳はこれ以上自分の過去関係に透耶を巻き込みたくなかったし、たまたま綾乃からエドワードの別荘を借りて、やっと貰った休暇をしていると透耶に連絡が来たのを聞いて、鬼柳がスペースがあるなら邪魔していいかと問うた。

 綾乃はアメリカで最後になる舞台が昨日ロスで終わったばかりで、さらにまた休暇を取ってやってきた光琉と新婚旅行のような団らんを楽しんでいたらしい。

 光琉は最初と最後のコンサートくらいは出たかったようで、その辺は調整し、遅めの夏休みをもぎ取っていたらしい。子供の方は相変わらず、綾乃の母親や祖父が面倒の一切を請け負っていて、さらには光琉の祖母までやってきてしまい、光琉は追い出されるようにして飛行機に乗せられたそうだ。

 ロスなら鬼柳の過去関係で邪魔するような無粋な人間はいないし、透耶は綾乃のコンサートの成果を気にしていたので、ここはもうこれに乗るしかない。

 そういう訳で、残りの一週間程度をロスで過ごすことにしたのだが、そこで三日経ったくらいから鬼柳に異変が見られたのである。

 ロスの別荘は静かな住宅地で、騒音など気にする必要もない。部屋も二棟あったので片方は綾乃たちが使い、片方を透耶と鬼柳が使っている。食堂や居間などは中央にあって同じスペースを使うことになるが、その辺はみな慣れていたので誰も気にしていない。

 だから騒音はしないし、綾乃たちがうるさいわけでもないので、原因は一つしか思いつかないのだが、そのせいで鬼柳が寝不足になるような事態になったことは一度としてなかったので、不思議で仕方ないのだ。

 例え、ここに来てから透耶の姿を三日見ていないとしてもだ。

「ああ、まあ、眠いな。さすがに今回は」
 ここでは鬼柳や綾乃以外に料理を作ったりする人間がいない。だから自分たちが何か食べたいと思った時は各々が準備して勝手に食べている。

 綾乃たちは鬼柳の手料理の余りを貰ったりもしていたが、それは夕飯だけに限られている。ここへ来て二日目に鬼柳がそう言い出したからだ。

「夕飯くらいなら作れるだろうが、他は無理だと思ってくれ」
 そう言われたので、また彼らのお得意の引きこもりだろうと思っていたが、透耶が完全に引きこもるのはよくあることだが、鬼柳までもそれに付き合うのは珍しい。

 基本的に鬼柳は夜は遅くに寝て、誰よりも早く起きてくる。鬼柳の睡眠時間はかなり短いようで、鬼柳が眠っている姿を見たことがあるのは透耶くらいらしい。何度か旅行にも行ったことがある者でも、鬼柳がいつ寝ているのか謎だと言われるくらいだ。
 それでも鬼柳が眠そうに欠伸をしているところは見たことはなかったし、寝起きらしい時でも鬼柳はいつもしっかりと起きている。

 その彼が、眠そうにしていて、食事も簡単なものしか作らなくなっているのは異常だ。
 鬼柳の趣味は家事だ。昔から料理を作ったりするのは得意だったようで、透耶の食生活に関して彼は妥協することは一切無い。

 どこであろうと何があろうと、鬼柳は透耶には美味しいものを食べさせ、健康管理をしている。その鬼柳が簡単な料理で済ませていることもおかしいのだ。

「透耶になんかあった?」
 光琉がコーヒーを飲みながらそう尋ねると鬼柳が言った。

「まあ、あったといえばあったかな。俺には別に問題ないからいいんだが。さすがに日本の家じゃないと、ちょっと不便になってきた」
 鬼柳がふうっと息を吐いてそう言うと、光琉と綾乃が顔を見合わせる。

「鬼柳さんは気にならないけど、不便って、宝田さんがいないからとか?」
 光琉がそう聞くと鬼柳は頷く。

「お前らを召し使いみたいに使うと後で透耶に怒られるしな。宝田とか司みたいに使える人間がいるといいんだが」
「出張メイドとかは?」

「いや、それだと色々マズイ。この状況を理解している者じゃないと、今の透耶は安心しないから」
「なんだ、また人見知り発動ってやつ?」
 光琉がそう言うと鬼柳が妙な顔をした。

「なんだそれは?」

「ほら、あの高校の時の事件以来、透耶はさ、他人を傍に置くのを酷く嫌がったんだよ。俺でも駄目で、もちろん玲泉門院でも駄目でさ。あの時一人にしておくのも怖かったけど、透耶は死なないからって言うから仕方なく一人にしたんだ。本当は見張ってないと危ない状態だったけど。高校を卒業した日からもちょっとおかしかった。俺らが卒業で盛上がってる中に入ろうとはしなかったし、携帯かけても繋がらないし、一応はその時は家にいたんで留守電確認はしててくれて返事は留守電に入ってたけど、その後、鬼柳さんも知っての通り、ふらりと失踪。この時もたぶん一人になりたかったんだろうし、考え事してるのに邪魔する俺の電話もうざかったんだと思う。斗織の時もマズイかなと思ったけど、鬼柳さんが居たし、葵さんの失踪の時は宝田さんや司さんにSPの人も傍にいたけど平気みたいだったから、治ったのかな~って思ってたんだけど。鬼柳さん、なんか最近透耶が凄く不安になるような出来事でもあったの?」
 光琉が一気に説明すると、鬼柳もやっと何のことか分かってきた。

 透耶の人見知り発動。それは斗織の事件の時もあった。一週間くらい引きこもったようになったが、それくらいで済んだ。そして二度目は鬼柳の渡航先での内戦で5ヶ月帰れなかった時。透耶が事実を知ったのはついこの間のことだが、あの時も透耶は引きこもりをした。だが、今ほど酷くはなかった。

「なるほど。極度の不安や恐怖があると透耶はああなるわけか……」

 現在の透耶は鬼柳以外の人間と会おうとはしない。ずっと鬼柳の傍にいるが、部屋の外には出ようとしない。そして鬼柳の存在を確かめるように抱き合うことを望んでくる。
 その行為に疲れて気を失うように寝て、起きたらまたその繰り返しだ。鬼柳はそれで透耶の不安が収まるならいつまでも付き合ってやれるが、その不安は今回は大きかったかもしれないと思えてきたところだった。

「ただし、今は鬼柳さん関係なんだ。鬼柳さんが居なくなるとか、傍に居ないことが不安になるとか。そういう引き金みたいなのがあるとだけどね。その辺鬼柳さんは上手く立ち回ってるんだと思うよ」
 光琉がそう言った。
 すると鬼柳がまずかったかという顔をしていた。

「何か思い当たることがあるの?」
 鬼柳の表情を見て綾乃が聞く。

「ああ、さすがにアレはまずかったかなと」
 鬼柳はそう言ってソファに座り込んだ。

「何が?」

「俺が、ある女にストーカーされていた過去があって、今現在、その女の両親がその女が産んだっていう子供が俺の子だって言っていちゃもん付けてるっていう内容」
 鬼柳がさらっと言った内容に光琉も綾乃もぎょっとしてしまった。

「あんた……まさか……」
 綾乃が怒りを表して鬼柳を見下げると鬼柳は特に慌てた様子もなく続きを言い放った。

「俺にはその女を妊娠させられる時期に、中東に居たっていう鉄壁のアリバイがあるから、向こうがでまかせ言ってるのは分かってるんだ。透耶にも俺と弁護士のやりとりは聞かせたし、向こう側も金でも取れると思っての勇み足ってところだったから、なんら問題はないうちに解決してんだけどな」
 鬼柳がそう続けると光琉と綾乃は拍子抜けした。
 だが、すぐに綾乃が疑いの目を向けた。

「でも鬼柳さん、女関係無茶苦茶だったって言うじゃない。もしかしたら隠し子が突然現れたりとかありそうで先生不安になってるんじゃ?」
 それはあり得そうで光琉も笑えない。
 だが、鬼柳はそれはないと断言した。

「俺が付き合っていたのはほとんどプロが相手だ。もし妊娠出産なんかあったらその道で噂になってる。俺もその辺は気をつけていたから、その後にやった女がどうなっているかはちゃんと知ってる」

「でも、把握してるとは言っても誰か見逃したとかありそうじゃない?」

「いや、それはないな」
「なんで断言なんか出来るんだ?」
 光琉が不思議そうに聞くと、鬼柳はもっともな説明をしてみせた。

「俺のアメリカ時代のそういうので関わった人間は日本に行く前に全員調べ直したことがある。全員、白で、妊娠出産した人間はいなかった。俺の調査だけで心配なら、親父や宝田やエドあたりも把握しているだろうから聞いてみればいい。日本に行ってからは男がメインだったから、妊娠しようがない」
 鬼柳がそう言うものだから光琉は呆れてしまった。

 鬼柳は鬼柳家を出て日本へ行くことを決めた時に、そういう騒動に巻き込まれて鬼柳家に連れ戻されるのを警戒して、先回りして自分で調査をしたというのだ。

 鬼柳家は財産目当ての人間がいないかを調査しなおしただろうし、宝田は当時一緒に住んでいたこともあり、鬼柳のそういう関係先は常に把握していたようだ。エドワードは大学にいた時に出た噂などから、そういう人間がいないことは知っていただろう。妊娠出産となれば、当然鬼柳と付き合っていた人間は自然と消えることになるだろうし、噂だって出回るだろう。
 つまり、鬼柳には子供はいないと証明出来ているということなのだ。

「大体、俺が透耶と本格的に付き合って住むようになった時にもう一度調べ直したんだから、間違いないんだけどな」
 どうやら調査は二度したらしい。
 透耶と真剣に付き合うには、自分の周辺を完璧に綺麗にしておくべきだと鬼柳は考えたわけだ。
 過去のことは過去のことだが、その未来に繋がる不安要素を徹底的に排除して置いたというのだ。

「あんた、寝た女とかそういうの全部、何処の誰か覚えてたの?」
 綾乃が気味悪そうに聞くと、鬼柳は当然とばかりに頷いた。

「何処の誰だか分からん相手と寝るのは馬鹿のすることだ。後で何かあったとしたらどうするんだ。それに相手はプロだって言っただろ。住所氏名と所在ははっきりと確認してある。後で俺の実家のことを知って難癖付けないようにな」
 その言葉に綾乃は呆れるどころか、この男の警戒心の酷さを実感した。最初から謎な部分が多かったが、分かってきた今でも謎の部分が残っている。

「鬼柳さんって、ドアに鍵かけた後に更に椅子でドアノブ回らないように椅子置くタイプでしょ」
 光琉が面白そうに尋ねると、鬼柳はそれにも頷いた。

「そんなの常識だ。透耶と住むようになってからはやってないが」
 そこまでやるとは思わなかった綾乃である。だが光琉は真面目に言った。

「それ、一時期透耶もやってた。あのマンションから引っ越しするまで」
 それを聞いて鬼柳も綾乃も驚いた。

 だがすぐに思い出した。透耶は防音された室内で友人に襲われたのだ。室内にいても安心できない。見えない人間に怯え続けた。
 ピアノのある光景が透耶を更に不安に陥らせていた。だから、透耶は遺産を受け取るのも待てず光琉に借金してまで引っ越したのだ。

「引っ越してからも少し続いてた思う。だけど透耶は自分を落ち着かせる為に、小説を書いてた。小説は全部空想だから。本当にありそうな事件にしても、全部透耶の空想だ。怖いことはないんだと言い聞かせてたんだと思う」
 光琉がそう言うので鬼柳はやっと気付いた。

 前に一週間引きこもった時も現実に戻るきっかけは、小説だ。不安がいっぱいの時はどうにもならないが、少し落ち着くと何かメモでも何でも書いていた。
 あれは現実逃避するためのものだけではなく、現実に戻るために必要な作業の一貫だ。

「今は仕事になったから一生懸命やってるけど、その仕事と関係ないモノたくさん書いてたら、ちょっと何かあったと思った方がいいかも」
 現実に戻るために、その場に鬼柳がいなかった場合、透耶は自力でその作業をする。だから仕事ではないモノを書いている時は要注意というわけだ。

 透耶が仕事ではないモノを書いていたと宝田が言っていた。鬼柳が帰ってきてからはそれはなかったが、それまで透耶は不安を書くことで紛らわせていたことになる。

 だが今回はそれすらも出来ていない。鬼柳が傍にいても透耶の不安が収まらないのは別のものにも原因がある。

「じゃ……今回のことは、俺の過去の話じゃなくて、二年前に俺の身に何があったのかを知ったからか?」
 鬼柳は思い当たることがあったのでそう呟くと綾乃が尋ねた。

「さっき言ってた中東に鉄壁のアリバイがある話? そういえばその時って鬼柳さん、年末まで忙しかったよね?」
 そう言われて鬼柳は頷いた。

「その時、中東のある国に入ったとたんに空港閉鎖になって空港爆破で飛行機なくなるし、内乱が酷くて街中戦争モードで銃弾が飛んでる状態で、やっと海外と連絡取れたと思ったら、レベル4が出てて、やばいなとなって隣国に逃げるのに一ヶ月かかったんだが、そこから四ヶ月動けなくて、アメリカの軍事介入やらなんやらで戦闘機が爆撃してくるし、更に混乱してもうここに居ても無駄ってなって、やっと脱出して隣の隣の国からイギリス行きのを捕まえて日本に戻った。その国は未だに内乱中でレベル5が解けないままで、方々の報道人が身代金目的で誘拐されて殺されてるから、俺らでも取材に入るには国の助けなんか当てにするな、身代金は払えないと思ってくれって言われてるところになってるという話を簡潔にしたんだが、やっぱ駄目か」
 鬼柳が更に詳しくその状況を話すと、光琉も綾乃も天を仰いだ。

「……生きてるのが不思議……」
 いくら中東情勢やその環境を知っているとはいえ、普通の人が現場にいたらそれは耐えられない状態であろう。

 ニュースでもそれはやっていた。光琉も綾乃もそこに鬼柳がいたとは予想もしてなかったから、今から考えればかなりの出来事だ。
 あの時、報道の人が何人か死んでいるはずだ。そういう映像が流れたこともあった。

 透耶がそれを気にして今更怖くなっているのは当然だ。
 鬼柳にはそれは普通でもないが、あり得ることだったから気になるものではなかったし、死ぬなとは一度も思いもしなかった。それに生きて帰ってきているのだからもう問題にもならないと思っている。

 それに二年前の出来事だ。もうその地帯には行く予定はなかったし、死ぬのが分かっていて行くような探求心や真実には興味がない。
 それに確かではないが、鬼柳が絶対に確かだと思っていることがある。

「あんなことがあっても俺は生きている。呪いは本当なんだなと感心した」
 鬼柳がそう言って笑うので、光琉も綾乃もなるほどと思った。
 その呪いがある限り、二人一緒に死ぬはずなのだ。だから鬼柳は仕事先で一人で死んだりしない。

「そうだ」
 鬼柳は名案だとばかりに頷いて、そのまま軽食を持って自分たちの部屋の方へ歩いて行った。
「何、思いついたのかな?」
 綾乃がそう光琉に尋ねると、光琉は笑って言った。

「最高の口説き文句と、透耶の精神を安定させる方法だろうな」