spiralling-35

 シーニィは織部寧野をヴァルカたちの作戦で奪還したことを知った時、スイスの別荘に一人でいた。周りはもちろんヴァルカの部下が残っていたし、守られてはいた。けれどヴァルカだけが信頼できる人間である。
 世間では金糸雀(ジンスーチュエ)と呼ばれ、金を生むという一族。ロシアでは花(ツェピトーク)と呼ばれ、金糸雀であることを隠されていた。金糸雀ほどの大きな力はないが、三人寄れば文殊の知恵といわんばかりになんとかなるものだった。
 ロシア帝国時代、花(ツェピトーク)は金糸雀(ジンスーチュエ)の力を持っていた。皇帝一家のみが花を使えていて、一般市民は知らなかった。だが、金糸雀(ジンスーチュエ)が中国の奥地で生まれると花(ツェピトーク)の能力は衰え、帝国が一気に衰弱し、崩壊したとされる。
 だが花(ツェピトーク)の一族は生きながらえ、やがてマフィアに発見され囲われるように生かされていた。花は金糸雀(ジンスーチュエ)が育つまでの間、代理で金糸雀の力を受けているかのように力が芽生える。しかし金糸雀が能力を発揮し始めると一気に力を失う。
 この関係性がずっと謎だったのだが、最近やっと分かったのである。
 シーニィは自分の力が失われていくのを感じた。そして金糸雀(ジンスーチュエ)が生まれるのも同時に感じたのだ。
 己の力がどういう風に生まれたのかも知らないし、力を使おうと思って使ったこともない。けれど備わった力が何の理由もなくある日突然消えてしまうのは、悲しいことだった。
 いつかくると知っていたけれど、こんなにも悲しいものだと思いもしなかった。
 周りは大騒ぎをしてシーニィをさらに殴った。けれど、それでも無くなった力は戻ってはこない。もう花(ツェピトーク)としての資格すらないと分かった時、殺されるのだろうなと思った。
 その時。
「殴ったところで、何の解決もしない。花(ツェピトーク)としての寿命がきただけのこと。そんなのは前から分かっていたことだ」
 シーニィを殴る男の手を止めてくれたのは、赤い雪(クラースヌィ・スニイェク)の幹部で、次期首領だと言われているヴァルカだった。
 本名は開かしていないので皆はヴァルカと呼んでいると聞いた。
 2メートル近く、腕は丸太のように大きな大男だ。それでもシーニィには天使に見えたくらい、ヴァルカはシーニィの命の恩人だった。
 ヴァルカはシーニィを連れて屋敷を出て、首領の元へと連れて行った。そこでシーニィは花(ツェピトーク)としての教育を受け、どうにかして力が戻らないかといろいろな実験をしたのだが、とうとうあの日全ての力が消えた。
 力が消えてしまった日、日本人が首領を訪ねてきた。
 金糸雀の関係者で、花に変わる金糸雀を誘拐してこようとしていた赤い雪(クラースヌィ・スニイェク)を牽制に来たらしい。
 シーニィは自分の力が消えた原因である金糸雀(ジンスーチュエ)を見てみたかった。いったい何処の誰が自分の力を奪い去ったのか。
  何でもいいから理由を付けて、日本人に同行した。
 日本人の名前は宝生耀という。耀は日本のヤクザをやっていたというが、本人は首になってフリーになったと言っていた。
 酷く怖い人だ。見た目はヴァルカより小さくてヴァルカより綺麗だ。強そうには見えないし、むしろ弱そうなくらい貧弱に見えた。まあ、なんでも筋肉隆々のヴァルカを基準にしているのでそう見えてしまっていたのだが、それを抜きにしてもそこまで強そうに見えなかったのだ。
 けれど目を合わせた瞬間だった。ヴァルカより恐ろしい生き物であると思った。口から出てくるロシア語は少し訛があるが綺麗な発音で、声事態は穏やかなものだった。それなのに視線一つで人を恐怖に陥れるような人間がまともの訳がない。
 それでもシーニィはヴァルカの行くところなら何処へでも行きたかった。
「寧野に会わせてやる」
 そういう宝生耀の思惑も知りたかった。

  シーニィが織部寧野の前に立ったのは、寧野がスイスに来て三日目のことだ。初日は皆が疲れ切っていたのでそのまま就寝し、二日目は耀と寧野が二人で話し合っていると言われて会わせてもらえなかった。
 三日目になり、ようやく話し合いの席を設けてもらったが、シーニィの寧野に対する印象は最悪と言っていいだろう。
 ヴァルカは危険な目にあったと話していた。
  なのに織部寧野は寝ていたという。怪我をして寝ていたのではなく、普通に寝ていた。緊張感がないというべきなのか、大物なのかよく分からないとヴァルカが言っていた。
 ヴァルカを危険な目に合わせておいてその態度。
 それに自分から花(ツェピトーク)の力を奪った。
 もしかしたら織部寧野を殺せば自分に花(ツェピトーク)の力が戻ってくるかも知れない。世界でも金糸雀(ジンスーチュエ)になれるのは織部寧野の血筋だけと言われている。幸い織部寧野には子供がいない。その寧野の次に強力なのは花(ツェピトーク)であったシーニィだ。
 なら織部寧野が居なくなれば、可能性はある。
 どのみち、ヴァルカが欲しがっていた、赤い雪(クラースヌィ・スニイェク)には必要な力だ。なら取り戻せばいい。
 シーニィは目の前に暢気に笑顔で挨拶をしようとしている織部寧野に向かって、ポケットからナイフを取り出して刺そうとした。
「シーニィ!」
 隣にいたヴァルカが驚いて声を上げたが、シーニィは止まらない。織部寧野は驚いているのか身動きしなかった。
 でもシーニィの刃は寧野には届かなかった。
「おっと」
 寧野はすっと身体を左によけただけで刃から逃れ、さらに勢いで進んでいるシーニィの身体の後ろに回って身体を支えて動きを止めると、腕を掴んで背中に捻りあげてナイフを奪う。
「は、いたい! はなせ!」
 シーニィには何が起こってこうなったのかは分からない。けれど攻撃は寧野に避けられた。
「ちょっとごめんね」
 腕をひねられても暴れるシーニィに、寧野は腕を解いて肩を掴むと正面を向けてから腹に一発拳を入れた。
「……くっふ」
 軽く殴られたと思ったそれは、想像以上に重い拳でシーニィは両膝から崩れ落ちて床に倒れた。
  鳩尾が痛くて痛くてしょうがない。けど起きあがれうつ伏せになっているシーニィの背中に織部寧野が跨がって座り込んでいるではないか。
「どういうことなのか、説明できるかヴァルカ」
 さっきまでの友好モードなにこやかな声ではなかった。何処までも低く、怒っているとでもいうような声にシーニィは震え上がる。この人は本当に見た目で判断してはいけない見本のような人物だったのだ。
 姿を見ても貧弱、声を聞いても怖くなく、視線を合わせてもなんの恐怖も感じない。一般人にしか見えなかったのに急に変貌した。
 シーニィが顔だけを上げるとヴァルカが驚いた顔をしていた。彼は何も関係がないといいたいけれど、寧野に殴られたせいでしゃべろうとするとおなかに痛みが走って喋れない。
「殺せば花(ツェピトーク)の力が戻ると考えたのではないかと」
 ヴァルカは察したようにそう言った。
「本当に戻るわけ?」
「誰も試したことはないだろうから分からない。ただ寧野には子供がいない、シーニィにもいない。花(ツェピトーク)の力は強いモノの間を行き来する。だから強いモノがいなくなれば、戻る可能性もあると考えたのではないか」
 ヴァルカが状況を判断して説明をしてみせた。
「なんだ、実績があったわけじゃないのか」
 それは残念なことだと寧野がため息を吐く。
 その手にはシーニィが持っていたナイフがある。それを軽く振り回しながらなのが見えてシーニィは暴れるのをやめた。
  本当にこの人は見た目で判断してはいけなかったのだ。
 今こうやって攻撃して反撃を食らって沈められて初めて怖いと感じた。この人はヴァルカよりも強いと。
  こうやってシーニィが酷い目に合っていても、寧野が不安定な姿勢で座っているだけなのに、ヴァルカが何も出来ないで呆然と立っているのが証拠だ。何よりも早くシーニィの行動を止めなければならなかったヴァルカが呆然と見ているしかなかったほど、寧野の反撃の早さは尋常ではなかった。
「じゃあうっかり死んでやるわけにもいかないな。というわけで、シーニィ」
 丁寧な英語が聞こえてくる。
「二度とオレに攻撃をするな。次はこんなのじゃ済まないからね」
 本当に殺す気だったなら今でも容赦はしないつもりだった。でもヴァルカには助けられたから、今回は見逃すという意味であることは十分伝わった。
「それにやっと花(ツェピトーク)なんてものから解放されて自由になったのに、なぜ花(ツェピトーク)に戻ろうなんてバカなことをした?」
 寧野はシーニィの上から立ち上がり、自分は側にあった椅子に座った。
 寝転がったままのシーニィを助け起こそうとしたヴァルカを寧野が手で制止する。
 手を貸す必要はない。自分で立てというのだろう。
 シーニィは上半身をやっと起こして寧野を見上げる。
「……ヴァルカの役に立ちたかった……」
「へえ、ヴァルカが花(ツェピトーク)であれと言ったわけか」
「違う!」
 ヴァルカがそう望んでいたらきっと寧野はヴァルカをも攻撃するだろうとシーニィは思って慌てて叫んだ。
「じゃあなんて言ってくれた?」
 寧野が優しく問う。ヴァルカは花(ツェピトーク)でなくなったシーニィに何を望んだ?と。
 ヴァルカが言ってくれた。「オレの会計でもやるか?」と。あれも一つの手助けだ。何も会計だけやれと言っているのではない。当面それを目指しながらでも何かを得てくれということなのだ。
「赤い雪(クラースヌィ・スニイェク)の組織から出してやれることは出来ないが、その中でやれることはたくさんある」
 ヴァルカがそう言う。
 シーニィが一般人として生きていくことが出来ないのは仕方ない。赤い雪の内部事情や首領と関わりを持ちすぎているからだ。それでも今まで出来なかったことは沢山出来るようになる。
 それだけは事実だ。
「オレは花(ツェピトーク)であるシーニィを可哀想だと思っていた。それ以外の生き方を許されないのはつらいことだと。だから花(ツェピトーク)が消えて普通になったシーニィが解放されてよかったなと思っていた」
 ヴァルカが静かにそう言う。
「こういうことは早めに話しておくべきだった。オレはお前に花(ツェピトーク)を望んでいないことを」
「ごめんなさい」
 シーニィは呆然とした後、泣くしかなかった。
 なんて愚かなことをしたのだろうか。ヴァルカはそんなことを何一つ望んでなんかいなかったのに、勘違いして人を殺してしまうところだった。きっと金糸雀(ジンスーチュエ)である寧野を殺して、また花(ツェピトーク)に戻ったとしても、ヴァルカとは二度と一緒になんていられなくなるのに。またあの辛い拷問に似た生活が戻ってくるだけなのに。
「ごめんなさい……」
 シーニィが泣いているのを見てとうとうヴァルカがシーニィを抱き起こした。可哀想だと思ったのだろう。
「すまない、しばらくシーニィと二人で話をしたい」
 ヴァルカがそう言うので、寧野はすっと席を立ってナイフをテーブルにおいて部屋を出ていく。
 そのまま自分たちの部屋まで戻って椅子に座った。
 その部屋に耀が入ってくる。
「オレのこと殺す気満々の子をわざわざ連れてきて何のつもりだったんだ?」
 戻ってきた耀に寧野が文句を言う。
 耀はそれを受けてニヤニヤと笑っている。
 寧野の頬に手を当てて自分の方をしっかり見つめさせると言った。
「お前がただで刺されるなんてあり得ない」
 確かにその通りだった。
 シーニィが近づいてきた時にナイフを忍ばせているのはすぐに分かった。素人がナイフを持つと挙動がおかしくなる。さらにポケットに手を突っ込んだままなんてそれこそ何か怪しいモノを持ってますと言っているようなものだ。
 シーニィもすぐに行動をしてくれたので余裕で対処出来たが、もしヴァルカまで同じ気持ちだったとしたら面倒なことになっていたはずだ。
 だが、シーニィの気持ちも分からなくはない。
 花(ツェピトーク)として勤めをちゃんと果たしていたのに、いきなりその力を奪われたのだ。自分の立場を無くされて腹が立つのは当たり前だ。自分の失態ですらないのだから。
 だが闇に染まる前に毒気を抜いてやらなければと耀は思ったのだろう。せっかく花(ツェピトーク)という役割から自由になったというのに、それに縛られて苦しめられる運命なんて、寧野とは真逆だ。
 シーニィの中にある金糸雀(ジンスーチュエ)の像はかなりの恐怖で塗り替えられただろう。寧野の強さを知った。そして寧野の運命も知ることになる。
 そうしたとき、花(ツェピトーク)に戻りたいと再度襲ってくることはないだろう。何よりヴァルカが望んでいないからだ。
 これでシーニィも花(ツェピトーク)の運命から逃れ、普通ではないにしろそれなりに人としての道を生きていけるようになるだろう。
 一応、この件でヴァルカはさらに貸しを作ったことになるのだが、耀がそれさえも狙っていたとしたらかなりの策士だ。
 だが寧野はそれはそれでいいかと思った。
「そもそも耀はあってもなくてもどっちでもいいんだよね?」
 寧野がそう確認すると、耀は頷く。
「だったらあっても困らないわけだよね?」
「まあ、今回は助かっているわけだからな。そういう時はありがたい」
 耀が素直にそう言うと、寧野は満足したように笑う。
「耀の危機の時に発揮できればそれでいいや。特にリスクもないみたいだし」
 力を使った時のリスクはなかった。ただ自分ではない何かが勝手に危機を感じていただけだ。
「そうなのか?」
「こうなんていうか、アニメのような力使ってるぞーっていうようなのはなかった。ふっと数字が浮かんで焦ったくらいで……」
「つまり数字に関係する何かがあれば、自分の危機を察知出来るようなものなのか?」
「たぶんそうなんだと思う。オレにはそう使えただけだから」
「人によって違うのか、お前が違うのか分からないな」
「訓練した人としてない人の差みたいなものなんじゃないかな。オレはお金のことは簿記程度だし、どっちかっていうと武術の方が得意だし」
 得意分野で力の出る流れが違うのかどうか分からないのは、サンプルが金を呼ぶと言われている金糸雀(ジンスーチュエ)のものしかないからだ。花(ツェピトーク)も同じような使われ方をしていたが、シーニィは愛子(エジャ)どころか寧樹ほどの力もなかったようだ。だから見つからずに来たわけである。
「なんだ金糸雀(ジンスーチュエ)については情報はあるが、実際の能力に関してはまっさらなんだな」
 耀が呆れたように言って椅子に腰をかけた。どっしりと背もたれに体重をかけて座り、盛大にため息をつく。
 さんざん振り回されてきたものがいざ目の前にきたけれど、説明書が無くて使いようがないという結果である。耀が呆れたのは、誰も彼もが金糸雀(ジンスーチュエ)の都合のいいところだけしか育ててなかったことに呆れたのだ。
 お金なんて湯水にわいても結局どこまでも欲しいものであるが、耀は小さいときから自分でどうにか出来ていた。だからその価値を崩されるような金糸雀(ジンスーチュエ)には用はなかった。
  けれどその他の能力があるなら興味はある。
  寧野の危機を救えるようなものならば育ててみたいと思うのは当然だろう。病院からの脱出は寧野の言葉があったから今生きていられる。
 寧野は頭の中でカウントダウンが始まって焦ったと言っていた。それは俐皇が仕掛けた爆弾のタイマーのものであろう。俐皇は寧野を病院から出す気はなかったようで、部下が昏睡状態の寧野を確保をするつもりだったはずだ。
 そして出口も番号が関係していたおかげで寧野は危機を察知した。あのまま脱出していたら、爆破に巻き込まれていたという。さらにぎりぎりに抜け出した囮たちは、俐皇の集団に追われて殺されていた。
 二度も続いた偶然はあり得ない。
「頭打っただけで目覚めるなんてなー……予定外だ……」
  寧野はため息をつく。これからこの力がどうなるか分からない不安はある。自分が望んでいないことが起こるかも知れない。それを一生上手く付き合っていけるのかも謎だ。さらに頼って使って、いざ無くなった時に困ることになるのも腹が立つ。
  最初からないと思っていたものに振り回される人生だと言われているような気がするからだ。
「まあ、これからいい人生歩めそうなシーニィに力が戻るようなことがないようにはしたいけど」
  寧野は真面目に言う。やっとこんなものから解放されて自由になったシーニィだ。また翻弄されて監禁され自由のない生活に戻すのはあんまりだ。
「そうはならない。金糸雀(ジンスーチュエ)なんてお前で終わるよ」
  耀がそう言い切ると寧野はにこりと笑った。
  こんな能力、さっさと消えてしまった方がいい。たとえ受け継がれても分からないくらいに弱くなってしまえばいい。
  寧野はそう強く願った。


  シーニィはあれから反省してヴァルカと話し合って、寧野にも謝罪をした。寧野は二度としないなら気にしないと言っていたが、これから先、シーニィと会うことはないだろう。
  赤い雪(クラースヌィ・スニイェク)の首領の側で生きていかなければならないシーニィに寧野たちと会うような機会はない。
 でも何があるか分からない。シーニィが再び組織のために寧野を狙うことだってあるかもしれない。逆に寧野がシーニィの命を奪うことだってあるかもしれない。お互いがマフィアや裏社会に生きていく人間と共に立つことを選んだ以上、仲良し子よしは通用しない。
  そんなことは分かっているが、ただヴァルカに貸しが出来たことだけは事実だ。その貸しをいつ返してもらうか、それともヴァルカが返したと思えるかはまだまだ先のことだ。
  シーニィはとにかく先のある未来が見えたのか、あの思い詰めた顔はしていなかった。
 ヴァルカは最後まで申し訳なさそうな顔をしていたが、だからといってヴァルカにかける言葉はない。シーニィが思い詰めていることにさえ気づけないほど、俐皇への復讐にかまけていたのはヴァルカだからだ。
 未来より過去に捕らわれ、さらに他人の復讐に燃えるのを寧野は理解しがたいと思っていた。
 俐皇は好きではないし、死んだとしてもそれは運命だろうと思ってはいるが、ヴァルカの立場は理解出来ないし、しようとは思わないのだ。
 ヴァルカは耀には俐皇の情報を共有していこうと話し合っていたので、真栄城俐皇(まえしろ りおう)のことに関しては赤い雪は耀の協力者だ。それに金糸雀(ジンスーチュエ)のことや花(ツェピトーク)のことなどでも情報共有した上に、お互いにその存在を秘密にすることになった。
  寧野が金糸雀であることは有名だが、本当に金糸雀になったことを知っているのは耀とヴァルカとシーニィだけだ。
  いずれ志智や音羽などの老人には話すことになるかも知れないが、億伎や九猪以外に話すことはないと耀は言っていた。
 話題に出すことも控え、今までと同じ立場を通す。
 スイスでしばらく過ごした後、耀は全ての準備が整ったと言って日本に帰ることになった。
 実に四ヶ月ぶりの日本になる。
 まず日本に帰って行った場所は宝生本家だった。
 屋敷内に入ると寧野はホッとしたように息を吐いた。
 見慣れた日本庭園、そして日本人の顔。
 出迎えてくれた犹塚親子が二人の無事を見て喜んでいた。
「変わったことはないか?」
 耀がまず犹塚智宏、父親の方に話しかけた。
「音羽老人がお耳に入れておきたいことがと」
「分かった、寧野」
 犹塚智明(いづか ともあき)に挨拶をしていた寧野を耀が呼ぶ。これから先、耀は寧野に秘密を持つことはしないと宣言していた。必要以上に隠すことは寧野を危険にさらすことにもなる。知っておけば対処出来ることも多くなった今は、寧野を遠ざける必要はない。
 寧野が当然のように隣に並ぶのを見て、智明は分かってはいても悔しかった。離れている間に二人の絆は強くなったのだろうが、耀の失態からの寧野が身代わりになったことは、智明の中では消化しきれないことだった。
 寧野がそれを許しているとしてもだ。
 だが顔に出してしまうと寧野が困る立場だろうからと、智明は必死に隠した。それでも父親である智宏と耀には気付かれていた。
 だが耀は悪びれた様子はなく、寧野と歩いていく。それが堂々としていてさらに腹が立ったのは言うまでもない。


  音羽老人のところには志智老人や国宗(くにむね)老人や萩野谷老人と全老人が揃っていた。
 耀の救出に向かう時には国宗(くにむね)老人は不在だったはずだ。何に全員揃って座り、二人が部屋に入ってくると全員が頭を下げて言った。
「おかえりなさいませ、耀様、寧野様」
 耀は慣れたものだが、寧野はちょっと躊躇した。どういう心境で全員がそうなったのか分からないからだ。
「何のまねだ」
 用事があると早急に呼ばれてきたらこんなことになっていて、耀は用意された上座の座布団に座り、その隣に用意されているところに寧野を座らせた。
「耀様が無事に帰られたことは嬉しいことでございます。そして寧野様には大変なご負担をおかけしたことは、老院としてふがいなさを感じております。よくぞご無事で」
 志智がそう言うので、寧野はそう言えば、自分は死ぬ覚悟でここを出て行ったのを思い出した。
「耀を無事ではなかったけれど、解放できました。そしてみなさんの協力で私も命あるまま戻ってこられました。こちらこそご協力ありがとうございました」
 寧野はそう言って深々と頭を下げる。
 実際寧野の生存率は0に近いとされていた。それでも耀を必要としている宝生本家は耀を優先するしかなかった。そして当主代理がそれを望んだ。代理とはいえ、死ぬかも知れないのに送り出すしか方法がなかったことは悔やまれることだったようだ。
「茶番はいい。音羽、何か話があると?」
 耀はそうしたやりとりを無視して先を進める。志智も音羽もだが寧野に感謝しているのは間違いない。そして寧野も協力してくれた老院には感謝している。それは伝え終わったのでそれ以上労いあっても仕方ない。
「ええ……煌和会の武藍(ウーラン)が怪我をしたのを聞いた鵺(イエ)が、本国内の煌和会と抗争に入りました。元々一触即発状態で、微妙な均衡であったものですが、とうとう。理由はさもありなんだで」
  音羽は一昨日から始まった鵺(イエ)と煌和会の中国国内の抗争が海外にも飛び火することを警戒するように言う。そして均衡を崩したのは、きっと寧野のことである。
「寧野を怪我させたので、蔡宗蒼(ツァイ ゾンツァン)が切れたんだろうな。監禁されただけでも相当だったろうに」
 耀がそう言うので寧野はまさかなあと思うが、耀は真剣だ。
 それを引き継いで志智が報告する。
「嵯峨根会に警察が真栄城俐皇(まえしろ りおう)に出頭するように要請してから、嵯峨根会が俐皇を一家から破門にしたことはお伝えしましたが、それから嵯峨根会の幹部が一人変死しまして。名は十勝正己(とかち まさき)嵯峨根会最高幹部で元山崎組若頭」
「山崎と言えば、暗殺事件で死んだボディガードを組長に付けていた組じゃなかったか?」
「ええ、その後組長が責任を感じて自害。事故であるからというので、若頭が最高顧問になったという経緯がありましたが、その経緯を知る人間が一人消えたわけです」
 すると寧野がそれに口を挟んだ。
「それって、事故死ではなかったですよって大っぴらに言っちゃってるってことですよね?」
 寧野がそう言うと志智は頷く。
「やっぱり会長が横やり入れているからそうなってるの?」
 寧野がそう言うので、志智や音羽がおや?っと首を傾げる。
「寧野は会長が裏工作をしていると思っている。ついでに結局のところ飾りであることも。ただ西野亜矢子についてはまだ話していない」
「どういうこと?」
 耀の言葉に寧野はさらに首を傾げた。
 耀はまず西野亜矢子について調べられたことを説明した。
 西野亜矢子。本名はおそらく真境名(まじきな)弓弦(ゆづる)。真境名亜矢子を母親に持ち、これもおそらく光藍が亜矢子の父親であろうと言われている。近親相姦ゆえに母親るみ子はフランスへ追いやられ、そこで寧野の母親である茅乃(かやの)が生まれたという流れである。
 その亜矢子は、沖縄の高嶺会会長古我知才門(こがち さいもん)の子供を二人産み、男の子供だった紫苑は認知されて古我知(こがち)姓を名乗っている。その姉にあたるのが認知はされなかった弓弦だ。
 弓弦は東京で西野亜矢子と名乗ってキャバクラに努めていてそこで冬哩と出会い、今現在冬哩の愛人をしている。
「つまり、オレの親戚?」
 要約すればそういうことになる。ただ沖縄の高嶺会に関わっている可能性が高く、寧野とは立場が違いすぎる。亜矢子(弓弦(ゆづる))は進んで協力しているように思える。
 それが祖父のためのなのか、父親である古我知(こがち)会長のためなのかは分からない。
「そうなるな」
 思わず耀は笑ってしまった。そんな感想なのかと。案外ロシアのマフィアとの繋がりがあると分かっても、大して驚きそうもない。その話はおいおいするとしても本人はロシア人の祖父がいることは知っていた。煌和会の武藍(ウーラン)がそんな情報を話していたという。だがマトカの方にまでは繋がらなかったらしい。
「これじゃロシア人の方もそういうことなんじゃないかって思えてきて仕方ないよ」
 呆れたように寧野が言うのだが、そこで誰も笑わなかった。寧野はそれぞれの顔を一人一人眺めてから、耀の方を振り返ってひきつった笑いを浮かべて聞いた。
「……マジで?」 
 直接繋がりがあるわけではないがと断った上で耀は言った。
「お前はロシアンマフィアのマトカの現首領の孫だよ。向こうがそう認識しているかは別として、マトカの元首領の曾祖父がちゃんと知っていてオレはそこから直接聞いたことだ」
 耀が知っているのはその曾祖父が事実として知っていたことを聞いたからで、おそらく祖父本人は認めないだろうということだった。だが身内を大事にするロシア人であるから、茅乃(かやの)が自分の子供であることは認めるであろうということだ。だがそれを公にして騒動にする必要はなく、おそらくるみ子自身も口を割ることはないだろうということだった。
 ただでさえ鵺(イエ)というマフィアと血縁であることが大問題である寧野である。今更というところだろうし、さらにややこしくなっても仕方ないという感じである。
「そっかー……なんかもうどうでもいいかな。で、その西野亜矢子は分かったけど、嵯峨根会の方、他にも何か?」
 寧野がそう軽く流して先を進めるので、皆少しだけホッとしたようだった。真剣に受け止めてないわけではなく、今それを真剣に考え込んでも仕方ないと判断して打ち切ったにすぎない。
「副会長の吉徳渉洋(よしとく しょうよう)が一ヶ月前に射殺されて殺されている。こいつは理事長の秋篠啓悟(あきしの けいご)とは懇意にしている間柄で、理事に押し進めるのに音頭をとったのも吉徳だと言われている。その吉徳を銃殺したと犯行声明がきたのだが、その名前が九十九だったそうだ」
「へえ、九十九を嵯峨根会から追い出したかったからなんだろうけど、余計な喧嘩売っちゃってるね。たぶん俐皇がそうしたように見せかけたいのかな?」
 寧野がそう言うと志智も頷いている。
「実際俐皇を疑っている流れになっている。表向き破門にしたけれど、裏では俐皇の方が愛想吐かせて、煌和会に宣戦布告した結果、銃殺事件が俐皇の仕業にしか見えなくなった」
「でも俐皇はそれも利用するつもりだと思う」
 寧野はそうとしか思えないと言うと耀も頷く。
「まあ、犯行声明文なんか誰にでも書けるもので逮捕は出来ないだろうから、気にはしないところだが、問題は会長暗殺のことだな。警察もいい感じに秋篠を疑っていて俐皇は利用されていると読んでいるだろうし、もう少ししたら植野千代を渡しても大丈夫だろう。久山の方はどうだ?」
 植野千代の関係は志智の思惑と組長代理の嵯峨根会の鬱陶しさから出来れば規模を小さくする目的で始めたものだ。組を破門された耀にはもう関係がない話になってしまったが、嵯峨根会の事件は少なからず煌和会や沖縄の高嶺会の元会長が絡んでいることもあり、無関係では居られない。
 ヤクザの枠を越えた干渉はこれからその世界で生きていく耀には出来れば消えていてほしい存在だ。
 裏で真栄城光藍(まえしろ こうらん)が動いている以上、妨害は十分にあり得るのだ。
 そこで欲しいのはヤクザの知識もあり、人望や情報筋をしっかりと確保出来る人間。本家が耀の宝生組破門と共に、宝生組から切り離された組織として独立した結果、久山のような人材を老後の楽しみに生きる老人として生かすにはもったいなさすぎるのだ。
 何より、志智がそう願っている。
「この間の連絡で、植野千代の安全が確保されたら、老院に来てもいいと言ってました。所詮抜けられない道でしょう」
 志智はそういう。ヤクザな世界を引退したからといって、久山ほどの男が放置されることはない。引く手あまたであるし、宝生組の最高顧問を務めた男だ。どこも名誉顧問に欲しがる。
 出来れば宝生組の名誉顧問に収まってくれればよかったが、年のせいか現役は無理と考えての引退だ。それならと耀は老院に来てくれるように何度も説得をしたが、ヤクザの世界を抜けたかった久山には耀の口説き文句も右から左に流れてしまっていた。
 だがこの事件でヤクザのやり口を知っているからこそ対処出来たことで、やりがいのあることを見つけてしまった。 
  志智が言うように所詮抜けられない裏社会というわけだ。
「そうか……」
 耀もまた破門されて自由になっても、裏社会から抜けられないことを身を持って知っているだけに、久山の決意もよく理解出来た。この道でしか生きられないのは耀だけではないが、ここにいる老人たちも、そして恋人である織部寧野もとうとう裏社会から抜けることが出来ずに身を投じている。
 一般社会で生きていくなんて、きっと出来やしないのだ。