spiralling-15

 滋賀県には県内に暴力団組織は嵯峨根会系列になる組織がいくつかある。ほぼ第三次組織で、他にある二次組織とは微妙な立ち位置だ。その他の組織は嵯峨根会とは遺恨があり、さらには如罪組とも遺恨がある。そのため、直接的に関わりを持つのはいやだけれど飲まれるのも嫌だった。そこで各組織は乗っ取られないために宝生組組長宝生高(ほうしょうこう)と兄弟杯を交わしたりしてなんとか自分たちの守れるようにしてきた。
 その甲斐は十分にあって、双方の組織からの接触はほぼないくらいだ。棲み分けも出来ていてもめ事も小さなものだ。
 そうした中で小さな異変が起こっていた。
 元々は造船業をしていた火浦組は、時代の流れで暴力団と呼ばれるような組織になってしまった。しかし表向きとしては中古船を修理して売ったりしていた。その収入源は組を維持するのは十分なほど稼いでいたが、それでももっと儲けたいと思うようになった。
 そこで宝生組の二次団体にあたる久山組組長に相談をした。火浦組組長火浦隆は、父親からすべてを引き継いで組長をしている。だが彼は非常に商売上手だった。だから暴力団とは言っても正当な商業を起こっている数少ない組織だった。
 久山組長と火浦組長は年齢が近いこともあり、兄弟杯を交わしたこともあり仲がよかった。さらに久山組長は奈良の人間で、滋賀でのもめ事で二人が諍いなどしたりはしない距離。だからたまに会合という名目で普通に飲んだりしていた。そのときの相談だった。
 話を受けた久山は海外に輸出すれば日本製だからという理由でそれなりに売れるのではないかと持ちかけ、妻にタイの知り合いがいることを思い出す。そのタイの知り合いが港で船を売っている人間だった。
 そこに中古船を輸出した。日本製の質のいい船が結構な値段で手に入ると噂が広がり、タイ以外の東南アジアで売れ始める。それは膨大な収入源になった。さらに違法なことはしておらず正攻法だった為、やましいことはなかった。
 けれど火浦が組長を辞める頃には、ほぼ中古船は改造された盗難品になっているとは火浦も知らなかったらしい。
 その火浦組組長が引退をした。70歳を越えるとさすがに若者の考えが理解できなくなる。そうしたことと同時に体の自由が利かなくなってくる。そしてそれとなく引退を勧められる。拒否しようと組の存続を考えれば自分の引き際は理解しなければならない。
 その翌年には久山も組を若頭に譲って引退するつもりでいることを知る。それを知った火浦も自分がそういう年齢になっていることを悟った。
 自分が組を継いだのは40代の時、父親はやはり70歳になっていた。それを思い出したとたん、引退は現実となった。
 火浦組には火浦が組長になる前から活躍していた組員、根本秀道(ねもと ひでみち)が若頭から組長になった。根本は父親が拾ってきた人間で非常に優秀な組員だった。火浦の力になってくれ若頭になってからもそうだった。だから組員たちもこれには納得していた。
 火浦は引退すると妻と共に久山の友人を頼ってタイに渡った。老後に日本で住ることはほぼなく、タイでは自分がヤクザの組長だったことなど誰も知らない。そう新天地で新しい人生をやり直したのだ。
 しかしそれが上手くいっていた矢先、タイの中古船販売店の夫婦が行方不明になった。捜して欲しいと久山の妻に頼まれた火浦は、自分も気になるからと捜してくれていた。だがその一週間後、火浦隆は港で水死体になり発見される。
 けれどこれは大した事件記事にさえならなかった。火浦隆がたった一年前まで日本でヤクザの組長をしていた人間だと解ったからだ。どう考えても復讐としか考えられない。タイでの火浦の評判はとてもよかった。だから組長時代にやったことで恨まれていたのだろうと結論つけられ、犯人は不明のままで未解決ではあるが、警察が本腰を入れて捜査をしてくれるわけがなかった。日本側もそれを非難するどころか、捜査要請もしなかった。
 そうやって火浦隆の事件は収縮していくかと思われた。
 しかしそれを不審に思って調べ始めたものがいた。
 火浦がタイに行くきっかけを作ったことになる久山組組長久山鉄男(ひさやま てつお)が火浦の事件を調べ始めたのだ。
 火浦の妻がまだタイにいて一人では寂しく怖いと言っていた時、久山の妻真智子が先にタイに渡って日本に戻るための準備を手伝っていた。久山は火浦隆が日本でそういう恨みを買うようなことをしていたのかを調べていた。
 けれどそれに火浦組組長根本秀道が余計なことをして組内のことに口出しをするなと警告してきた。火浦隆が組長の時は久山ともつきあいがあったが火浦がいない以上、久山とのつき合いはないと同じ。さらに今までも火浦が相談したからという理由で久山が組内のことに口出しをしていた事実を知っている根本は、「それが組内で組員がずっと不満に思っていたことだ」とはっきり継げ、久山のことを排除した。
 それでも久山は納得できずに調べを勧めたが、つい先日久山が自宅を出たまま行方知れずになった。
 自宅にいた妻に「出かける」と言って出たまま。妻は「宝生組に行くと言っていた」と警察に助けを求めたが昨日まで敵対していた者、警察では真剣に取り上げる人はいなかった。さんざ警察をバカにして違法行為をしてきた人間を喜んで助けたいと思わないのは人間だ。しかも恨まれて当然の立場、捜索して欲しいと言われても簡単に出来るはずもない。
 ただ妻が「宝生組に行く」と言って出て行ったと言っていることから、宝生組に強制捜査が出来ることは間違いない。
 それでも杉浦警視がそれをしたくない理由が存在していた。
 これについて奈良県警では、単独で宝生組関係所を捜査することは出来るが、確かに久山鉄男が宝生組に行ったという証拠がない。妻が言っているだけで久山が妻に口出しされたくない出来事をするために嘘を吐いた可能性だってある。
だから杉浦警視のところに事案が回ってきた。宝生組が絡んだ事件であるなら警視庁の組織犯罪対策部の杉浦連(すぎうら れん)警視に回せばいいという言葉さえ生まれてるくらいに、杉浦警視はとりあえず事態が落ち着くところまでは事件の解決をしてくれる人間だった。
 その杉浦警視が聞き取り調査をしていたところ、久山元組長が東京に出てきた事実はなく、誰も久山元組長と約束すらしていなかった。そこで携帯や家電などの通話記録を調べたが宝生組に繋がる人間は一人しかいなかった。
 しかしその繋がる人物は宝生組とは言っても直接組に関わりがあるような人物ではない。それには杉浦警視も唸ったほどだった。
 相手は宝生本家の老院の一人、志智達也(しち たつや)だった。
 志智達也は、元々久山が組長をしていた久山組の元若頭だった。久山が組長になった時に若頭として立った。志智の能力は当時の宝生高が認めていたほどの優秀さだった。
 その志智が久山組を辞めるきっかけになったのは、九十九事件の模倣犯が起こした久山鉄男の一人娘の殺害事件だ。その事件は九十九事件で騒然となっている中、久山組と対立していた組織、大月組が騒ぎに便乗して久山加奈子を誘拐し暴行して虐殺した。発見当初は神宮領(しんぐり)事件の余波であろうと思われていたが、その直後志智達也によって大月組の組長数野慎悟以下計5人が殺害される。
 志智の自供によれば、神宮領(しんぐり)事件後の混乱に乗じて大月組の数野組長が幹部と決行したものだと言う。その久山組長と数野組長は娘加奈子のことでもめていた。一目惚れした数野が加奈子を嫁に欲しいと言うが、加奈子は数野のことは嫌っていて久山も本人の意志が優先として断った。それを恨んでの犯行であることは志智が殺害前に拷問して吐かせていた。それに捜査状況から怨恨であることは解っていたし、加奈子を殺害した現場が断定されると志智の言い分の方が99%説明でき理解出来た。
 だが久山は娘の復讐を志智には頼んでいなかった。暴走しそうな組員を宥め、償いは他のやり方ですると言っていた。それに満足が出来ず暴走したのは若頭の志智だった。志智は加奈子を妹のように可愛がっていたというから報復も理解は出来たし、本人がそう自供する上に、警察署に来た久山が何度も「どうして!」と繰り返していたため、警察もそれ以上深く真相を探ろうとはしなかった。
 当時の混乱の中で数野たちが他にも同様の事件を起こしていることが解り、被害者家族が志智の情状酌量を求め始めた。志智は数野たちがこうした事件を繰り返していたことを知っていて、被害者のことも調べていた。だから許せずに全員殺したのだろう。
 その事件の裁判で志智は上告せず刑に服して情状酌量で懲役10年だったが、模範囚であったことや無差別に殺したわけではない事件の特徴や被害者家族からの嘆願書の提出などから恩赦も重なり5年で出所。その後、久山組には戻らず宝生高(ほうしょうこう)に伝にして本家の仕事に就いた。
 それから40年、志智は宝生の人間以外と会ったことはないという。もちろん久山も会いには行ったらしいが会う資格がないと志智が言って会ってくれないのだという。組長の指揮に従わず勝手をして自分の憂さ晴らしをしたことが志智の中では許されないことなのだという。ここまで義理堅いと宝生高とて放ってはおけなかったのだろう。
 こういう経緯があり、宝生組長代理を通してしか話をしたこともないであろう久山が志智の携帯電話を知り得たのは、久山が宝生本家の老院に入る予定があったためと思われる。
 そこで志智への事情説明のため話を聞かせて欲しいと連絡を入れたところ、志智からは「それは事件として扱われているのか?」という純粋な問いが返ってきた。
志智が言いたいのは、正式に事件の捜査として行われているのか、それとも事件ではないかもしれないがとりあえず調べるという程度の考えなのか。というものだった。
 普通こういう言い方はしない。もちろん関わっていれば話にすら応じないのだろうが、この志智の言い方が事件として扱われたなら話をしてもいいというものだった。つまり事件と確定していない現状で志智が話をしてもどうにもならないというのだろう。
 早い話、さっさと事件として扱えという脅しだ。
 こういうわけで志智には会えず、杉浦警視は滋賀や奈良に問い合わせた。幸いなことに嵯峨根会のことで警戒していた滋賀県警や奈良県警は、この事件をただの失踪ではないと思っていたらしい。さらに嵯峨根会の会長の事故死もおかしいと感じていて何か裏で起こっているのではないかと不安になっていた。
 だから何もないなら何もないとはっきりさせておきたかった。
 とりあえず、火浦隆の事件はあきらかな殺人である。それを調べていた久山が突然消える理由など、他にあるとすれば久山が持っている宝生組の秘密を知りたいという好奇心のみだ。そんな酔狂なことをする人間は一人しか思いつかない。
 それを考えたら壮大なため息が出てしまった。
「……九十九ですかね……」
 阿部警部が申し訳なさそうに言う。
「そうなんだろうが……なんというか……志智とかいう奴にいいように使われている気がしてならない……」
 杉浦警視がこの結論に至ることなど志智なら予想済みだっただろう。杉浦警視に気付かせることで九十九に大きな鎖を一本つけたのだ。国家権力という九十九ですらどうにも出来ないものをだ。
「何言ってるんですか杉浦警視、いくら宝生本家の化け物と言われているとはいえ、九十九が絡んでいるなら絡んでいるって直接言えばいいんだから杉浦警視が気付くまで待つ必要はないのでは?」
 警戒する杉浦警視に滋賀県警の大杉刑事がもっともなことを言う。それが普通の考えで合っている。だがそれは一般的な考え方で、志智はそれを狙っているのだ。
「志智達也はそれを狙って出来るから予知の妖怪と呼ばれているんだ……」
 杉浦警視の超展開妄想の予知すらも出来るというのだ、あの妖怪は。
「そうしたところで様は杉浦さんの面子の問題なので気にしないでください」
 阿部警部がそう切って捨てる。
ヤクザに使われていると解っていて平然と出来ないのは誰でも同じだ。結果が同じでも自分でたどり着いた結果と、用意されてそこに導かれてたどり着いたことでは体感で違うことだ。
「とにかく宝生組の方は事件にして貰って自分たちの潔白は証明した訳ですね」
 辻岡刑事がなるほどと頷く。


 現在、京都府警にて話し合っていた六人は、京都府警から大阪府警に移動した。京都府警の課長との約束で大阪府警の浅川警視正と連携、西条刑事を貸し出してもらい、一応京都府警を邪険にしたわけではなく捜査にも協力して貰っているという流れは作ってある。後で問題になっても京都府警は絶対に文句は言えない。
 そうした事情があり方々に隠しておきたいことも出てきた為、大阪府警の浅川警視正と警視庁の杉浦警視との合併捜査本部が出来た。とはいえ殺人事件のような大がかりなものではないため、一応形は作ってそれっぽくして少人数での稼働だ。
ただ警察庁の人間は暴力団の取り締まりにはそこまで躍起ではない。けれどしないわけにはいかない。法律も新しく作って暴力団の周りをジワリジワリと包囲していたが、一気に追い つめれば当然被害は一般人に出る。それにフロント企業が増えた昨今、出来れば小さな組の出来事ではなく、大きな暴力団組織の犯罪が暴かれて幹部逮捕など、国民に解るような大々的な事件解決をしたいわけだ。
 だから浅川警視正と杉浦警視をつけた。この二人をつけておけば絶対に大きな事件に発展して大々的な事件として解決に至るという確信が警視庁や大阪府警の幹部にはあった。だがそれには警察庁の幹部に口を挟まれては困る。
 そこで疾うに片づいた事件ではあるが、現在の嵯峨根会と如罪組との諍いの切っ掛けになっている嵯峨根会元会長都寺冬基の事件を再調査させ、さらに嵯峨根会がおかしな行動をしている北海道の放火事件や関係ないかもしれないがあの杉浦警視が気になって引っかかっているという滋賀の火浦組元組長がタイで殺され水死体として見つかった事件と同時期に姿を消した元宝生組最高顧問久山組元組長久山鉄男の失踪も一緒に捜査することになった。
 これらすべて杉浦警視が引っかかると気にした事件だ。それに事件解決に絶対の信頼を見せ実績もある浅川警視正がぜひともと言うからには、関係ないにしても調べておく必要がある。
 しかし実際に起きた事件そのものがそこまで大きな事件ではないため、関連性が見つかるまでの期間限定だ。
 それには警察庁から京都府警の幹部の怪しげな行動も調べるように言われていた。
 その事件の中で先に探りを入れた久山組元組長久山鉄男に関して、杉浦警視は最後に連絡したとされる宝生本家老院志智達也に連絡したところ、ほぼ門前払いどころか事件にしてから聞き込みにこいと言われてしまう。
 通常は事件なんて起こってないか知らないという白々しい対応をされると思っていただけに、こういう対応をされるとは予想外だった。
「宝生組としては、合法的に久山を確保したいんだろうと思う。つまり宝生組はこの誘拐の実行犯ではない、ということになる」
 ため息を吐いた杉浦警視がそう言うと他の刑事も少し考えて頷く。宝生組が久山元組長を消す理由がどこにもないということ。
「そうなると久山は友人の火浦の事件を追っていて何者かに誘拐されたってことですね……その誘拐相手はもちろん火浦の殺害を実行させた者、久山が最高顧問を降りてから3年立ってるからなあ。今更宝生組の内部を知りたいから久山を誘拐して割らせるなんてしても、意味はほぼないんだけどなぁ」
「宝生組の何が知りたいのか解りませんが、もし知りたいことが宝生組自体の秘密とか極秘なものでなかった場合はどうなんでしょう」
 そういうのは京都府警西条刑事だ。
「というと?」
 浅川警視正が話を進めるように言う。
「たとえばですが、久山元組長は宝生本家の老院に入るんですよね。ということは老院に関しては多少知識があるってことですよね。でもってその久山と本家で杉浦警視さんも言っている妖怪と言われている志智は久山とは過去組長と若頭という関係でしたよね。その志智は確かに組長の命令に背いたけれど、周りからは十分納得の行く行動だと思うんです。資料による志智が出所した後、久山は志智を呼び戻そうとしてます。つまり見た目組長の命令に背いた若頭だけど組のしきたり上の問題で、久山と志智の関係は今は繋がりがなくても良好であると考えるべきですね」
 西条刑事がそこまで言って言いたいことがまとまらないという風な物言いだったため、他の刑事は「何を言いたいのか解らない」という顔をしていた。しかしそれをヒントにした杉浦警視の頭の中で閃いた。
「ああそうか、誘拐犯が久山から聞きたいのは志智達也が知っていることなんだな?」
「そ、そうです! 志智達也は今まで外部との接触はほぼ宝生本家の関係者のみです。その志智はほぼ宝生組のことに関してはタッチはしてないけれど知らないわけがない。志智はどんな場面でも動くことはないけれど、じゃあ久山というかつて主従関係があり、さらに志智の方が久山に対して負い目があるなら、久山を人質に取って志智から情報を得ることは可能と考えるものがいてもおかしくないと」
 西条刑事の言葉に浅川警視正がふうっとため息を吐く。
「杉浦警視、よくこれを連れてきたな。お前は本当に人をよく見る」
「使い方次第ってことで俺と同類だわな」
 同じ意味で使い方さえ間違えなければいい拾いものをしたと誉められる人間である。
「まったくだ。使い方を間違えたらなんの役にも立たん」
 浅川警視正と杉浦警視の話が脱線したため、西条刑事が困っているとその後を引き継いだ阿部警部が言う。
「志智からの情報が欲しいなんて……それって確実に九十九ですよね」
「だよな。けど九十九がこの件に関してほぼ動いてないんだ」
「じゃあ違うんですかね?」
「九十九だけど九十九じゃないって言えば何思い出す?」
 杉浦警視の言葉に全員が自分の持っている記憶にある捜査情報を探し始める。
「些細なことでいい、ちょっとした変化でいい。むしろあれ?とちょっと引っかかったけど調べるほどではなかったなんてことがあったら口に出してくれ」
 口に出しさえしてくれれば杉浦警視や浅川警視正が持っている情報にもリンクして引っかかるかもしれない。二人はこうやってお互いの持っている情報を照らし合わせて事件を解決してきたのだ。
「……チャイニーズ……」
 呟いたのは滋賀県警の大楠刑事だ。
「最近ではないですが、ここ数年中国人を繁華街でよく見るんです。最近は増えてきてるなと思ってはいたんですが、個人的には増えすぎてるんじゃないかと」
 確かに国際化して外国人が増えているのは解る。しかしその増え方がおかしいのだ。ある特定地域に特定の民族が住み着いている感じだ。最初は中華街的なもので地域は歓迎する。しかし年数が経つにつれその数は地域の半数になる。そして住みにくくなったと感じた人間からいなくなり、三分の二まで上昇する。こうして町は乗っ取られたも同然だ。
 そうした現象は各地にある。
 当然のようにそこにチャイニーズマフィアが住み着いている。そのころには近くの暴力団はすでに乗っ取られていると思っていい。
 そうした変化は現場の刑事などが少なからず感じていることだ。だが身近すぎて変化をそこまではっきりと感じられないことはある。
 大楠刑事が言ったことで全員が思い当たることを口にする。
 それに続いたのは奈良県警の辻岡刑事だ。
「言われればたった10年かそこらで着実に増えている。国際化がどうとかそういうことではなく、明らかに黒社会の人間が増えている。そういう騒動や事件もかなり増えている」
 辻岡刑事の言葉を受けて続けたのは大楠刑事。
「うちの県でも10年前と比較すれば10倍なんてもんじゃない。そこかしこで見かける。黒社会っていうのは留学している学生なんかも使っているから大都会ではそれはもう増えすぎているんでは? 地方だと出稼ぎで都心部から離れた工場なんかは半分くらいは海外の人間だったりもする」
 浅川警視正を見て尋ねたら彼も頷いている。確実に何かの流れが出来ている。
「そこから流れてきていると言えば解りやすい」
「黒社会といえば……今は煌和会ですかね」
 阿部警部が代表的な現在で活発に行動しているチャイニーズマフィアをあげる。
 煌和会、日本語では煌和会(こうわかい)といい現在同じチャイニーズマフィアの鵺(イエ)と抗争中。派手にやりあっているわけではないが気付くとシマのことでもめている。それは日本に限らずマレーシアや欧州ドイツにまで及んでいる。
「鵺(イエ)の方は10年前に新しい龍頭(ルンタウ)が組織改造を行って不穏分子の排除に成功して以来、地下に潜った感じで目立った行動はあまりしてませんよね。その反面派手に行動する煌和会は最近ではドイツで鵺(イエ)との抗争に発展して、他のマフィアまで巻き込んだ形で浸食してますよね」
「他の組織を巻き込んだ割には、煌和会は報復はされてないですよね。これって……不気味というか、裏で何かあったんじゃないかって思えてきますよね」
 阿部警部がそう言うので杉浦警視も頷く。
 つまり鵺(イエ)が煌和会に報復をしない理由は、煌和会内部の抗争のせいによると予想した。もちろん抗争によって内部は浸食し弱り切る。その機会を鵺(イエ)が見送るわけがない。だが見送っている理由に、鵺(イエ)が報復をする必要がない何かがあったことになる。報復しなくても何者かによって煌和会自体が弱体化する何かがだ。
「裏で煌和会の存在以上の何かの逆鱗に触れたかもしれないな。ただでさえ内部分裂に近い煌和会だし、やっと龍頭(ルンタウ)決めて結束を固めようとしているのに、その龍頭(ルンタウ)の争いだ。龍頭が決まって内部での争いに負けた方に誰かが荷担するとか、弱っているところを襲うとか、こう衝撃的な破壊っていうのをやりそうな誰かさんがねえ」
 杉浦警視の言葉にその誰かは誰なんだとみんなが尋ねる。
「そりゃドイツに近いロシアマフィアのボスだったり、フランスのコルシカマフィアだったりイタリアのシチリアマフィアだったり……まあそういう主体の組織が弱体化したわけじゃないのに、みんな煌和会のことに関しては黙りだ。おかしいと思わないか? まるで誰かに「任せとけ」と言われて「仕方ないか」「お前が言うならまあ」という感じで黙ってる。正直気持ち悪いくらいの黙りだ。おまけに日本でも抗争自体はないが煌和会があちこちに顔をだしている。それなのに、嵯峨根会は一切気にしないし、あの如罪組も口にすら出さない。露骨なほど嫌っている長良沢組は鵺(イエ)も嫌っているので最近は入ってくる中国人は全員追い出しているが、その頻度が大きい。関東最大の組織宝生組に至っては実に静かだ。ちょこちょこ小競り合いはあるが表だって組員が動いていることもない。が最近黒服の男たちが中国人を連れ去っているのをみたという人間がいる」
 些細だがおかしいと思う部分を羅列すると確かにどこも表だって煌和会とはもめていない。大々的にやりあっているのは鵺(イエ)だけだ。チャイニーズマフィアの抗争だからと周りが距離を取っているというのは、正直あり得ない。今こそ二組織の縄張りをかすめ取るチャンスだ。それを誰もしていない。迷惑を被っている組織ですらだ。
 明らかにどこの組織もこれによる何かを狙っている。
 きっかけはきっと些細なこと。それですべての組織が活発化する。
「些細なことが起こっているが、それでもその中で名前は頻繁に出てはくるが本人不在って言えば」
「……九十九ですかねぇ」
 阿部警部がため息を吐いた。
 嵯峨根会や如罪組の抗争にも十分衝撃的な展開で登場しているが当の本人が何のリアクションも起こしていない。バカバカしくて参加すらしないのか、それとも何かあるのか。
 煌和会に浸食されているのが解っているのに、何もしない九十九朱明。こう考えると煌和会側に九十九がいるのかと思えてくる。
 九十九が鵺(イエ)側につくことは絶対にない。宝生組側にいる鵺と繋がることは九十九には危険すぎるからだ。明らかに宝生組と繋がっていることを鵺や宝生組が強調して牽制しているのは余計な戦力を使って消耗するだけ無駄だと言っているだけだ。
 そこで九十九なら考えるはずだ。同じ勢力を使えばいいだけだと考えるだろう。
「つまり九十九が煌和会と組んで何かしているかもしれないってことか……」
「なんでもかんでも九十九って言いたいわけじゃないが、九十九が死んでないかぎりこういうことはあいつ途中参加でもする方だろ? ただでさえ自分の名前を使われているのに無反応なのはおかしい。死んでるならともかく」
 杉浦警視の言葉に全員が頷く。
 九十九が火威会(ひおどし)爆破事件から表舞台に戻ってきて以来、九十九が何の関与もせずに済んだ事件はない。7年前の貉(ハオ)の事件でも九十九が裏で画策していたことは掴んでいた。ただ九十九は国内にはおらず宝生の甥っ子である耀をからかっただけだろうと思われた。直接何かしているその時は解らないのだが、後でどうしてもこれだけは九十九だなと解ることがある。
 杉浦警視に至っては九十九のやりそうなことはほぼ把握できるらしく、九十九を絡めて妄想を面白くしたいだけじゃないのかと思っていると、実際解決してみると九十九しかやらないだろうなと思われる部分が出てきて結局杉浦警視の妄想を受け入れるしかなくなる。
 それに九十九が絡んでいないだろうと思われるような事件で杉浦警視が九十九の名前を出すことは一切ない。だから信憑性はあがってしまう。
「それで久山を誘拐したのが煌和会だとして、煌和会は久山を消したいが、その前に九十九が久山に用事があり殺す前に誘拐させたと」
「そもそも久山を誘拐するなんて面倒なことを煌和会がする必要はないわけだ。自宅で妻と一緒に殺しておいた方が面倒がないからな」
「まあ久山の場合は、いつ殺されてもおかしくはないからな。組長自体がチャイニーズに恨みを買っていたといえば誰でも納得する立場ではあるし」
「だが宝生の何を今更九十九が知りたいのかってことなんだが」
 浅川警視正がそう言う。今更込み入ったものが知りたいと九十九が言うような性格ではないなと。
 こうなると九十九ですら知ることが出来ないような何かが宝生にはあることになる。
「そういえば、宝生と貉(ハオ)という組織がもめた時、縄張り争いにしてはおかしなことがたくさんありましたよね」
 阿部警部がそう言い出した。
「だよな、宝生若頭の宝生耀がまだ高校生の時のことだったが、今まで表舞台に出てくることがなかった耀が同じ学校の先輩に当たる生徒を助けるために単身で事件現場に乗り込んできたよな。あれだっておかしなことだった。助けたのは今の情人になってるだろ?」
 杉浦警視がそう言って資料を漁る。
 そこには宝生耀の情人として織部寧野の名前がある。杉浦警視はこの寧野には会ったことがある。まだ17歳の青年で、事件に巻き込まれた。ヤクザであった父親が幹部に拷問されて殺された。本人はその音をすべて聞いていた。
 発見された時、寧野は父親の亡骸の服を掴んだまま微動だにせず、誰の言葉も耳に入らない状態だった。捜査員ですらこんな現状を見て気の毒にと思ったくらいだ。
 そこに宝生耀が現れた。杉浦警視は暴力団関係の事件なので捜査に協力していたが、耀が来たのは意外ではない。 当時耀が寧野と親しいとされていて、それが寧野の父親寧樹がスパイではないかと言われていたらしい。だがスパイを拷問としたにしては、あんなアパートでするのはおかしい。喋ったことは隣近所に聞こえていただろうし、実際大きな物音に驚いた近隣住民が通報し、30分後には警察も到着していた。だからおかしな話だった。 その後その組織と繋がりがあった貉(ハオ)が織部寧野と寧樹を欲しがっていたということが解った。
 だがそこまでして欲しがる織部寧野と寧樹がいったい何だったのかは解らない。解らないまま数年後にまた同じように貉(ハオ)ともめていた。
 そしてそれは海を渡って中国奥地にて貉(ハオ)は壊滅した。
 宝生耀が同じ時期に中国に渡っていたことは解っている。宝生が貉(ハオ)を壊滅させたということになるが、それは織部寧野を助ける為だとすると、訳が分からない。
 織部寧野に何の価値がある?
 彼を貉(ハオ)が狙っていたのは彼の祖母がそこの出身だったという話がある。だから一族の血筋が絶えそうだったので呼び寄せた。それにしてはやってることが無茶苦茶だ。たかだか血筋くらいで国際テロリスト並の騒動を起こすだろうか? そこが一番引っかかるところだった。
 そうなるとそうすべく理由が織部寧野の存在にあることになる。だがそれは目に見える何かではなく、目には見えないなにか。それこそ誰にも理解されない何かだ。
「織部寧野に何か尋常でない力があってそれを狙っている?」
 杉浦警視があり得ない力があると口にすると、全員がさすがにそれはあり得ないと笑ってしまった。
「それはないかと」
「だよなあ」
 杉浦警視もさすがに超能力を求めての争いだと言われたら、こうやって笑ってしまうだろう。
「だが、織部寧樹の調査をした時、おかしな金の流れ……というと怪しい何かのように言われるが、ちゃんとした金の流れがあるんだ」
 杉浦警視はそう言って浅川警視正たちに見せる。捜査資料で織部寧樹の身辺調査をしたものだ。いくらヤクザで殺されたとはいえ、何が理由でそこまでひどく拷問されて殺されたのかまったく予想もつかないものだった。スパイを殺すにしても焦っていたにしても変だった。
 さらに寧樹を殺した人間が助かるために刑務所に入ったり、出所したら殺されていたり関係者が全員死んでいたりとおかしなことばかりなのだ。
「ちゃんとしてるけど怪しい流れですか……これって競馬専用の口座ですよね……って!」
 全員が資料をみる。織部寧樹の通帳の写しだ。およそ10年分になるそれは確かにおかしかった。
 100万単位で馬券を買うのが多いのだが、払い戻しになる金額が必ず倍増している。それは普通にあることであるがその通帳の流れは絶対にあり得ないものだった。
「……負けなしってあり得ない!」
 通常掛け金は負ければそのまま減収となる。けれど、寧樹のものにはただの一度もマイナスになった記載がない。それがすべての手帳でだ。運がいいだけでは絶対にすまされないし、競馬が得意だけでもすまされない。「……これは本当に競馬のなのか?」
「裏金にあたるのかと思って調べなおしたんですが、全部競馬です。こういう運がいい人もいるんだと捜査員は思ったらしいですけど、俺はこれが原因じゃないかと考えた。こういう賭事は好きではないがとにかく運がいいやつがいるだろ? それの究極な人というか……だがそれが競馬だけでなく、賭事全般でこういう風になるんだとしたら……そりゃなあと」
 杉浦警視がそういうと全員が納得したように頷く。
「もし賭事全般でそれが出来るのだとしたら、寧樹が狙われた理由も解ります。ですが寧樹が出来たからといって息子の寧野が出来るとは……」
 そういうものが遺伝するとははっきり言ってあるわけない。運がいいくらいならまだしも賭事で負けないことが遺伝するわけがない。
「たぶん出来るか出来ないかはやってみなければ解らないと思っているやからが多いんだろう。宝生がそういうことをしているようではないから寧野にはないと思うんだが、使える使えないは関係なく宝生が使わないつもりなのかもしれない。だが寧野が使えなくてもその寧野の子供が寧樹と同じように使えるようになるかもしれないと考えるやつもいるとは思う」
 しかし問題はどこまで使えるのかということだ。
「宝生と全面戦争までして奪ったところで勝っても負けても損害は大きすぎますね。まして寧野が出来るんだったら損失をすぐに埋めることは出来るかもしれませんが子供を産ませて云々となると気が遠くなることですよね」
 ずいぶん気の長い話だ。
 けれど宝生組が寧野の子孫を使ってどうこうということを考えていないことはあきらかだった。だって寧野は宝生耀の情人だ。まさか情人として囲っておいて上手く子供を作らせて育てるなんてことを宝生がやっているとは思えない。
「織部寧野がある意味キーだったってことですかね? 彼はそれを知っていて宝生に身を置いている。ですがもし織部寧野にそうした力があったとしてもですよ。リスクがあることがわかっていて宝生が庇う理由は他にもあることにならないと、私は納得できないです」
 西条刑事がそう言うとそれに杉浦警視も賛同する。
「同感だな。それこそ組が壊滅しかねないリスクを宝生が背負っているとして、宝生耀の意向だけでそうなっているわけがない。当然組長代理の宝生楸(ほうしょう ひさぎ)の理想とする形になっていなきゃ、あの組長がリスクを背負うわけがない」
 杉浦警視や西条刑事がそのリスクを思いつけないのは、まだ情報があまりにもなかったからだ。織部寧野という今まで蚊帳の外になりそうだった宝生耀の情人。その人間について誰も調べなかったことがある。
 織部寧野の謎になる生まれ。父親の方はもちろんのことだったが、それは母親の方もそうだったのである。本人さえ知らない繋がりがどこへ繋がっているのか、そのことを知るものはごく一部の人間だけだった。