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 部屋の前にいたのは、成原だった。
 二年ぶりの成原は、少し痩せていた。
「佳、引っ越していたんだ?」
 成原はそう言ったのだが、真野は言葉をなくしていた。
 どうして成原がここにいるのか理解できず、ただ驚いていると、成原が近づいてきて、真野の頬を撫でた。
「今日は雪が降るほど寒くて冷えてる。家に入れてくれる?」
 成原は懐かしそうに真野の頬を撫でていたが、ふっと手を引いてから付け足して言った。
「もし真野に大事な人がいるなら、このまま去るけれど」
 そう成原は言った。
 もう二年も経っている。待っていてくれと言わなかったから、真野がもう次の相手を見つけている可能性もある。そう考えたのだろう。
 しかし、その成原が引いた手を真野は必死で掴んだ。
 夢ではない。成原が目の前にいる。
 それが信じられなくて、呆けていたのだが、成原は実在している。
「……いないからっ!」
 真野は必死に叫んでそう言った。
 この手を放したら、本当に二度と成原に逢えなくなる。それが分かったから、真野は成原の手を必死に、力強く掴んで、自宅に引っ張って入れた。
 成原は、小さな旅行鞄を一つ持っていた。
「ま、待って。部屋、暖める……」
 そう言いながらも真野は成原の手を放さなかった。エアコンのリモコンまで一緒に連れて行き、スイッチを入れてからやっと成原を振り返った。
「なんで……?」
 色んなことが分からなかった。
 成原がどうしてここにいるのかも、何があって成原がここにきたのかも、今までどうしていたのかとか、様々なことを一気に知りたかった。
 真野の焦りが分かり、成原はホッとしたように微笑む。
「この部屋に上げてもらえなかったら、このままイギリスにトンボ帰りするところだったよ」
 成原はそう言った。
 とにかく成原がいることが嘘ではないと分かった真野は、やっとゆっくりと手を放した。
「ごめん、痛かったな」
「確かに、こんなに強く手を握られたのは初めてだったし、真野と手を繋いだのも初めてだったな」
「……そ、そうだな。あ、コーヒーを入れるから……座ってて」
 真野は嬉しさや恥ずかしさで混乱しながらも、コーヒーを入れることで落ち着こうとしたが、成原は上着を脱いでから言った。
「それより、真野は着替えておいで。冠婚葬祭用のスーツを汚したくないだろ?」
 そう言われて確かにそうだと真野は気づいて、成原にコーヒーを任せた。着替えを急いでしてから、真野が居間に戻ると、成原はコーヒーを入れ終わっていて、立ったままで本棚を見ている。
 真野が部屋に戻ってきたのに気づいた成原が言った。
「そういえば、佳に香水を作ってもらうように頼んでいたのを、すっかり忘れていたな。あれはどうした?」
「あ、会社に置いてある……捨てるわけにもいかなかったし、せっかく作ったから……」
 自分のロッカーの中に入れて、そのままである。
 そのことは覚えていたが、最近は置いてあることすら忘れていた。
 しかし二年も経ってしまえば、香水も少しは劣化してしまう。それを付けさせるわけにはいかなかったし、今の成原には合わない香りだと瞬時に真野は思った。
「いるなら、作り直す」
「それはいずれ。それにしても随分、勉強していたんだな。研究員だからそれなりにしていると思っていたが、こんな専門書までたくさん読んでいたなんて」
 そう成原が言ったのだが、そう言われた部分の本は、成原と別れてから読みあさった研究用の海外の本だ。
「……暇になってたからな。結果、商品開発が上手くできるようになった」
「それはよかった」
 こうした仕事のことを話すのは、今までなかったことだ。
 成原は真野の仕事は知っていたが、その仕事がどういう仕事なのかを知っていただけで、真野がどんな思いでこの仕事を選んだことなど、そうした些細なことも話し合わずにきた。それが当然の関係だった。
「成原は、何処で何をしていた?」
 真野はやっと成原に聞いた。
 こんなことを聞いたことは、関係があった時ですら一度もなかった。他人から仕入れる情報でお互いは何をやっているのかを知る程度で、お互いがお互いのことに無関心だった。今考えても、不健全な関係だったのだろう。
 真野がそれを成原に尋ねると、成原はソファに座ってから言った。
「弟を躾けた後は、イギリスに行っていた。家具の輸入業の仕事を紹介してくれた人がいて、その下で修行をしてきた。なんとか日本側の窓口を任せてもらえることになったから、戻ってくることになる。日本支社で副社長だ」
 成原は簡単にそう言った。
 イギリスに渡ってから、一心不乱に勉強して仕事をしたのだろう。信頼を得て、地位を得て、やっと日本に戻ってきた。
「正直どうなるか分からなかったけれど、経営手腕は役に立っていたようだ。だから、成原にいて当主らしきことをやっていたことは無駄ではなかった」
 成原がそう言って、真野はホッとした。
 苦労はしたのだろうが、それを補っても今の状態がいいということなのだ。成原は一人で頑張り、乗り越えて帰ってきた。
 真野は自分はそんな成原に恥ずかしくない生き方をしただろうかと考えた。
「佳は、一人で研究ができるまで、頑張ったんだよな。佳の香水が人気になってて、それがイギリスにも届いていたよ。だから本当に良かった。その才能を潰すようなことをあの時選ばなくて」
 成原はあの時の決断は間違ってなかったとホッとしているようだった。
 悲しかったけれど、それでもお互いに恥ずかしい生き方をせずに再会ができた。
 真野は、成原に褒められて、やっと一心不乱にやってきたことを認められて素直に嬉しかったし、照れくさかった。
「僕は……お前に恥ずかしい生き方はできなかった……」
 そう真野が言うと、成原は首を傾げる。
 いつだって真野は自分の生きたいように生きてきているはずで、成原に対してそうした感情を向けることはなかったからだ。
「今まで、誰に何を思われても僕はどうでもよかった。でも、お前と別れた後、お前の噂を聞くたびに思ったんだ。ほらやっぱりお前はそういうヤツだって、だらしがないんだって思われるのが、酷く嫌になった……」
 真野がそう白状する。
 成原がいない間に前のように変わらない真野では、恥ずかしいと感じたのだ。
 そう思われて呆れられることが何より怖かった。
 だって成原は今までと違う環境で精一杯頑張ってやってきたはずなのに、その向かいに立つのが何も変わらないままだなんて、きっと恥ずかしくて二度と目の前に立てない。
 だから、恥ずかしくないようになろうと思ったのだ。
 成原が見ても恥ずかしくないような自分に。 
「それは、私に良く見てもらいたいという、好意だと思うのだが、間違いないか?」
 成原がそう言った。
 少しだけ成原が意外そうに言った。
 ここまでの好意を真野は成原に見せたことはなかった。別れるときは混乱という執着が少し見えただけだったが、これは完全なる好意である。
「ま、間違ってない……」
 そう真野が顔を真っ赤にして言うと、成原はやっと気づいた。
「もしかして、私と別れた後、誰とも付き合ってない? そのセックスをする誰かという意味で」
「付き合ってない……誰とも」
 真野の答えに、成原は破顔する。
「私もだ、佳」
 そう言われて、真野はびっくりして顔を上げた。
「待っててくれとは言えなかったが、もしという期待が別れの時にあった。だから、真野がどうであれ、私は真野のところに行こうと思っていた。その時に恥ずかしくないような姿で堂々と告白しようと思った」
 成原はそう言うと、すっとソファから立ち上がり、真野の前に跪いた。そして真野の手を取る。
「佳、ずっと愛していた。今も愛している」
 成原がそう言うと、真野は泣きそうな顔をしたが、すぐに笑顔になった。
「ぼ、僕も、あ、愛している。ずっと思ってた、成原をずっと待ってた」
 日常の中で成原のことばかりは考えなくなったけれど、ふとしたときに成原を思い出した。最後の成原の決意を目の当たりにした、あの時のことを思い出すと、頑張らなければならないと思えた。
 別れて、側にいない、待っていても戻ってきてくれるか分からない相手を待つのなんて、きっと苦痛だと思った。だから恋は嫌いだった。
 けれど、愛は違っていた。
 その人の幸せを願っているだけで、幸せになれた。
 たとえ、自分を思っていてくれなくても、誰かと幸せになっていたら、それでもいいと思った。
 あの時の苦しそうな成原が、晴れて誰かを選んだのなら、真野ができなかったことを相手がしたことになる。ならば仕方ないと納得できるから。
 真野は成原をトラウマから解放はできなかった。
 だから、別れてしまう結果になったのだ。
 愛しているから、分かってしまったことがあった。たくさんあった。それはすべて成原を思うことで教えられることだった。
 一人の時間は長かったが、それでも成原を思って一人で考えるのには十分な時間だった。
 真野は、はっきりと成原を愛していると口にできた。
「ああ……佳……とても嬉しい。君の口からそういう言葉が聞ける日が来るなんて……」
「僕だって、変わる。お前がいない間、いろいろ考えたんだ」
 成原は真野の隣に座り、真野の顔を覗き込んだ。
「たくさん、私の事を考えた?」
「悔しいけど、別れた時からずっとお前は僕の中に居座ってた。喋らないお前と毎日向き合ってた。あ、愛してるなんて、言葉がそれにあたるのか、正直言うと分からない。けど、お前に返す言葉にしたら、それしか言葉が見つからなかった……」
「そうか、頑張った甲斐があったな、お互い」
 成原がそう言った。
 離れたお陰で、二人はお互いとの関係を真剣に考えた時間を得られた。
「ああ、そうだな」
 あの時、別れていなかったら、きっと何らかの形で別れていたと思う。成長もしない、気持ちも分からない、執着だけで一緒にいるのはきっと不健全で、破滅的だっただろう。成原が決め、それに真野は従った。あの時、これでは駄目なのだと言われて、真野も納得したのだ。
 だからこそ、今がある。
 成原はゆっくりと真野にキスをした。
 唇に落としたキスを顔中に振りまく。真野はくすぐったそうに首をすくめるのだが、逃げようとはしなかった。
 たくさんのキスは、愛情の証。前は一切しなかったことだ。
 真野も成原にキスをして、しっかりと抱きしめた。
 部屋が暖まったから、二人とも急いで服を脱いだ。
 上着を脱いだら、お互いがお互いの躰を手で撫で回した。そんなことを前はしなかった。それどころか、触れられないように鎖をしていた。
 躰中を触れて、唇で触れて、舐めて、愛撫をした。
 完全な明かりがあるところで、お互いを見るのは初めてだったので、真野は恥ずかしそうにしていたが、それでも成原に触れられるのは気持ちがよかったので逃げはしなかった。
「あ……ん……はぁあっ……ん」
「佳、可愛いな……こんなに可愛いことを今更知るなんてな」
「お前に……触れられるのが、こんなに嬉しいとは思わなかった」
「私もだ。触れても触れられても気持ちがいいもんだ」
 そう成原が言うので、真野は確認した。
「今日は縛らなくていいのか?」
「その必要なないだろう。佳は消えたりしないから」
「そうか良かった。これでセックスの時にお前を抱きしめてやれる」
「そうだな」
 二人は額を付き合わせて笑い、そのまままたキスをした。
 抱きしめ合って、愛撫をたくさんした。
「あっ……んっああっはっ……んあっ」
 乳首を吸われて、真野が躰を反らせると、成原はソファに真野を寝かせた。
 二年の間を埋めるように、長く愛撫をしてから、挿入になった。
 セックスは退屈しのぎの性欲発散のためにすることだとずっと思っていた。真野も成原もそこに夢を見たことはなかった。
 けれど、今は違う。お互いの躰が高まっていくのが、楽しかったし、嬉しかった。
 泣きたくなるほど、感情が渦巻いていて、愛しているのだと実感できた。
「あっんっあああっ……はっあっ成原……っんっ」
「佳……んっ……はっ愛してる……」
「うん、知ってる……僕も……愛しているから……」
 成原を受け入れながら、真野はこれまでしたセックスの中で、一番気持ちいい時間を味わっていた。成原も同じように、至福の時間を感じていた。
 相手を拘束しなくても、抱きして返してくる手が熱くしっかりと抱きしめてくるのが、嬉しくて自然と涙が出た。
「あっ……んっあああっ」
「っ!」
 コンドームがなかったので、中に出してしまったが、それを真野は喜んだ。
「なか……あつい……あんっまだ……おおきいよ……」
「収まりが付く気がしない……佳、付き合って」
「うん、いいよっ……きもちっいいっから……もっとちょうだい……ああっん!」
 そのままセックスは続行したのだが、散々求め合いながらキスをして、様々な体位で楽しんだ。拘束をしたままだと、真野は主導権を握ったことはなかったが、騎乗位になると、真野も好きにできた。
 下から突き上げられると、真野は腰をくねらせながら成原自身をしっかりと受け入れ、中で締め付けた。
 散々達した後に、風呂でも背後から壁に押しつけられ、何度も中に射精をされた。成原の絶倫は、未だ健在で真野は何度も追い上げられたが、最後は湯船の中でとうとう失神をした。
「あ……あ……ん」
 がくりと倒れる真野を抱き留めて、成原はホッと息を吐いた。
 真野が誰とも寝ていないと言っていたのは、本当だったと分かったからだ。信用していないわけではないが、確かめてみないことには分からないこともある。
 真野は成原が付けた癖をしっかりと覚えたままで、誰にも開発されていないことが分かった。
 セックスなら誰とでも相性が合えば寝ていた真野が、成原と別れてから誰とも寝ていないと言ったのが、本当に成原は嬉しかった。
 あの別れの後、真野の混乱ぶりから少しは心を開いてくれていたことが分かったのだが、連れて行くわけにはいかなかった。だから、真野が誰かのものになっていたとしても自業自得であるから、真野を恨む気は一切なかったのだが、真野は待っていてくれた。
 待ってるとも言わなかったし、約束もしなかったけれど、真野の心があの時から変わっていたのが分かる。少しでも成原に気があるから、真野はその後成原に操を立てるように過ごしてきた。
 もちろん、セックスが好きだったのは本当だろうし、今でも好きだと言うのだろうが、それはきっと成原が望む言葉で返ってくるはずだ。
 風呂から出たら、真野の意識が戻ってくる。
「……飛んでた?」
「ああ、でも大丈夫。もう寝るだけだから」
 そこにあった下着や寝間着を着せてやると、真野は成原の腕を掴んで言った。
「か、帰るなよ……今日は」
 帰ることを引き留められるのは初めてで、成原は新鮮だった。
「帰らないよ。でもベッドが広いといいんだけど」
「セミダブルにしてあるから、大丈夫……だから」
 いかないで。
 そう真野が言った。
 もう置いていかれるのは嫌だった。
「着替えもあるし、泊まっていくよ」
「……良かった」
 真野はそう言ってホッとしたようににこやかに微笑むと、そのまままた気を失うように眠ってしまった。
 今日は冠婚葬祭で遠出をして疲れていたのだろう。真野が眠ってしまったので、成原は真野をベッドに寝かせて、部屋を片付けてから着替えた。
 さすがに寝間着は持っていないので、軽い部屋着になるが仕方ない。
 成原は真野の隣に潜り込み、真野を抱きしめてから寝た。
 この行為も初めてのことだった。


 次の日は、大雪で交通が麻痺した日だった。
 そのお陰で、真野と成原は自宅から出ることもなく、二人でゆったりと部屋で休日を楽しんだ。
 たくさん話もしたし、いなかった間のこともたくさん話し合った。
 そして、成原が言った。
「恋人になってください。できれば結婚前提で」
 そんな成原のプロポーズに、真野は笑って答えるのだ。
「一緒にいるのが恋人っていうのなら、なろう。一緒にいることが結婚ってことなら、しよう」
 真野のいまいち違いが分からないままの言葉であったが、慣れないことであるから仕方がないが、成原と同じ気持ちでいることは知らせてくる。
 そんな真野を抱きしめて、成原は言った。
「愛しているよ、真野佳」
「僕も愛してるよ、成原知晃、お前だけを」
 成原が情熱的に返すと、真野はそれ以上を返してきた。
 二人は、これからの様々な予定を話し合い、成原の仕事が来月にはイギリスから完全に移るので、それに合わせて同棲をすることにした。
 一週間の成原の休暇に合わせて真野も有休を使い、一緒に住む家を探し、家具などをそろえた。
 そして一旦イギリスに戻る成原を成田空港まで見送って、帰ってくる時も迎えにくると約束をした。
 その後は毎日携帯アプリでやりとりをして、遠距離恋愛を楽しんだ後に、同棲を開始した。
 止まっていた時間は動き出し、お互いのトラウマは遙か彼方。
 点と線が繋がって、新しい二人の時間が始まる。